ソルフェージュは独学できる

ソルフェージュの学習内容

ソルフェージュの勉強が必要になる方々は、基本的に音楽学校(中学、高校、大学)を受験される方だと思います。

音楽学校の試験では次のような試験が行われます。

※このページでは、上記のソルフェージュについて、独学の可能性を書いてみたいと思います。

視唱

視唱は、楽譜を読む力と、歌声の音階の正しさが求められます。

楽譜を読む力

楽譜を読む力に関しては、独学が可能です。楽典で譜面の読み方を学び、実技の練習で楽曲に取り組み、問題集の数をこなせば、独習可能になります。

音階の正しさ

一方、正しい音階で歌うの部分に関しては、自分で録音を確認することで、ある程度は可能ですが、客観的に指導をしてもらわないと自分で気づけないことも多く、先生のサポートが必要になるでしょう。

一度、正しく歌えることが確認でき、音痴ではないことが確認されれば、こちらも独学で進めることはできると思います。

視唱のテキスト

新曲視唱

新曲視唱は、視唱の発展形で、知らない楽譜を見て、すぐに視唱をすることが求められます。

視唱は事前に課題曲の楽譜を提示されるので、自宅で練習しておくことができますが、新曲視唱は、事前に楽譜がないため、練習することができません。初めての楽譜でも、歌えるようにする必要があります。

問題集をたくさんやることで、独習が可能です。

視唱のテキスト

聴音

聴音に関しては、たくさんの教材が販売されていますので、基本的には聴音の独学は可能であると思います。

しかし、絶対音感がない場合など、聴音が苦手な方に関しては、先生のサポートを受けた方が学習が効果的になると思います。

また、そもそもの音感(相対音感)が鍛えられていない場合も、独学が不可能になってきます。

聴音のテキスト

楽典

楽典に関しては、音楽の勉強となりますから、教科書を購入しての独学が可能です。

しかし、すべてのテーマについて触れている教科書・専門書を探すのが大変かもしれません。また、大学や専門学校の考え方の違いにより、楽典の言語が異なり、使用している英語表記やドイツ語表記などが違うことがあります。

定番のテキストの紹介

音楽の道に進む人が利用することの多い名著を掲載しております。もちろん独学にも使えるはずです。

リズムの基礎

音楽を仕事にする人にとっては、絶対に習得しておかなければいけないリズム。リズムが狂っていると聞いている人は、その音楽が苦痛になり聴いてくれません。クラシックはもちろん軽音楽でもリズムキープは、基本中の基本です。

この「リズムの基礎」は、クラシック音楽向けで、小学生から中学生の間に使っておきたい教科書です。音楽の基本ともいうべきリズムは、ソルフェージュでも欠かすことのできない要素です。

この「リズムの基礎」は、「新版 音楽家の基礎練習」でも紹介されており、定番の一冊となります。リズムに不足を感じる方は、一度目を通されるとよいでしょう。

商品の詳細ページに行く

ソルフェージュで独学可能な範囲

 独学可能なモノ独学不可能なモノ
視唱/
新曲視唱
問題集での練習視唱力の客観的評価
聴音CDやアプリでの
音感トレーニング
基礎的な音感
※単旋律での聴音を自分できないと独学は不可能
楽典可能書籍を手に入れれば特になし

ソルフェージュは独学できる



  1. 既に音感がある人は独学できる可能性が高い
  2. 相対音感が鍛えられていない人は教室がお勧めです
  3. 無料の独学サイトを利用しよう
  4. スマホがあればいつでも聴音は鍛えられる
  5. 実体験:子供のソルフェージュ入試対策
  6. 独学ではできないお子さんへのアドバイス

子供の演奏と大人の演奏

ピアノの世界について無知だった私も、息子と共にピアノについて歩むにつれて知識はたくさん増えてきました。ただ、ピアノの先生に言われた、子供の課題を聞いてあげるだけでも、何が大事なのか、何を指摘されたのか、を感じるわけですね。

また、私の場合は、もともと音楽が好きなので、ピアノはどんなふうに弾くことが評価されるのか、ピアニスト達はどんな練習をするのかも気になり、いくつか書籍を読んできました。

ということで、素人ながら感じていることを今日も書こうと思います。

今日書きたかったこと、それは

子供の演奏と大人の演奏の違い

です。なんで、こんなこと書くの?と問われるとまぁそれをこれから書くことになりますが、同じ楽曲を弾く限り、演奏内容は同じじゃない!?だって、同じ楽譜なんだもの、違いなんてないんじゃない。ただ、弾けてるか、弾けてないかだけだよね。というふうに普通は思うと思うんです。

同じ曲なら、同じ演奏。ただ、上手いか、下手か。それだけじゃないの?

でも、長年ピアノの演奏を聴いてくると、そうじゃなかったことに気づいてくるんですね。言うより聞いたほうが早いということで、2つの同じ曲を聴いてみてください。

この2つは子供が演奏したものと、アマチュアながらピティナで優勝している金子一朗さんの演奏です。

比較しながら聴いてみると違いが見えてくるかと思いますが、スピードのコントロール力があっとうてきに違うんですね。

子供というのは、渡された楽譜にたいして、指定されたテンポで、一定に弾こうとします。また、強弱記号も書かれている通りに弾く、それくらいがせいぜいです。

ところが、大人になると、各テーマ、メロディーの終わりで、スピードを落として、意図的にフェードアウトさせたり、音の高低を意図的につけてかがやかせたり、様々な表現を曲に入れてくるんですね。

常に、どう聴かせると、楽しいかな、感動してもらえるから、良さが伝わるかな。

そんなおもてなしの意図を感じます。そんな指示は、もちろん楽譜には書いてありませんが、それまで培った経験や、そのときの気持ち、そういったものを入れ込んでいくんでしょうね。

でも、そんなことを子供ができるかと問われれば、演奏の数や聴いてものにした音楽の数が圧倒的に違うわけですから、よくわかるわけなんてないわけです。

しかし、聞けばわかる。この違い。そんなことを意識して、ピアノには自由がないようで、自由があることを子供に伝え、学ばせるといいと私は思います。

ピアノ上達のための心構え

みなさん、本日も当ブログにお越しいただきまことにありがとうございます。毎日更新していないので、やる気ないだろうと思われているかもしれませんが、少しづつですが、更新をしております。

徐々にですがアクセス数が伸びていることで、モチベーションが維持できるというのはあるので、更新がなくともアクセスいただけると幸いです(都合いいなぁ・・・

さて、本日は今まであえて書かなかった、「ピアノ上達の心構え」を書いておきたいと思います。

なぜ、今かって?

それは、うちの息子が、私の思いを汲み取って上達するかもわからなかったし、上には上が常にいますから、中途半端な個人の意見など、書いたら、ほらね。どうせ、聞いてくれないし、批判されしょうでしょ。だから、言いたくても、書かない、いや、書けなかったんですね。

とまぁ、音楽は私も好きですから、多くの方々が上達してもらいたいという気持ちがあります。いい演奏が聴けることは、とてもうれしいですから、そういうこともあって、今日はいくつか書いてみようと思います。

1、音楽が好きじゃなかったら、ピアノが好きじゃないなら辞めなさい

この言葉、多分、響くんじゃないでしょうか。3歳とか、とても若い頃からピアノをさせられます。最初から、なんでこんなことやらなきゃいけないのというお子さんもいれば、壁にぶつかって嫌になる、自分の上達が遅くて嫌になる、他にやりたいことが見つかって嫌になる。そんなことは、普通にあるわけです。そんなときに、親がもっとがんばれといってやらせる人、永くやってきたんだから、こんなところで辞めさせない、いろいろあるとは思います。

でも、私は、そういったなら、いっそ辞めてよいといいます。好きでないものを無理にやらせたところで、心が乗りません。心無き音楽、技術だけの音楽、一見きれいかもしれませんが、いずれその化けの皮はバレます。好きでないなら、辞めさせてください。辞めてください。

本当に好きだったことを思い出したら、続けてください。そうでなかったら辞めてよかったのです。他に心が乗るものがあるということは、それをやるために生まれてきたとなります。心の乗らないことを無理にやっても、本人の人生が無駄になるだけでなく、本人に関係した、親も、ピアノの先生も、皆ネガティブな感情が伝播します。心を、気持ちを優先させてください。

2、好きな曲を選ぶ、好きな曲を演奏する為の練習しかさせない

次の教えについても、とても大事で、当たり前のことです。好きな曲を演奏しましょう。そして、その曲を弾く為に必要な技術を体得する為の練習をしましょう。

昔の先生は、いいました。技術が身につけば、どんな曲でも弾けるようになると。そして、好きでもないチェルニーの練習曲をやらせて、指だけを動くようにします。

でも、これってまったくもって意味が無い。何が一番いみがないかというと、技術だけで、心が入らない練習をすることになるからです。ピアノの音色は結局、心のエネルギーに依存しているんです。指だけ動かす練習をしたら、心無い音色を作る練習をしているようなものです。意味ありますか?

つまらない音楽を作る原点は、絶対にこれだと私は思います。

しかし、弾きたい曲、好きな曲を練習していて、いまいち指が動かない、どうにかしなくちゃってときに、チェルニーやハノンをやる。そして、その効果に気づく。その時から、チェルニーやハノンの練習に意味がでます。もちろん、心ある練習になっていくからです。

今日は、この辺にしましょうか。

この2つの内容はとても大事です。好きじゃないことをやったところで、好きじゃないことをどうやってやったことにさせるか、心無い演奏をするための練習をすることにしかならないのです。気が乗らない時は、最低の30分の指練習で十分です。私は、そう思ったし、そのように息子に指導してきました。そして、音楽が嫌いなら辞めていいと何度も言ってきました。それでも、好きだという息子。なら続けていいと私も言う。

好きだからやる。気持ちがあるからやる。まずは、これが基本の心構えだとわたしは考えます。

グランドピアノは簡単にいただけない

昨日、知り合いのピアノの先生が新しいグランドピアノを買うということで、10万円で譲ろうかという話をもらったのですが、ほとんど悩まずにいらないと決断しました。

なぜか?ってところを書いてみようかと思います。

まず、まだ防音室を作っていないというのがあります。アップライトピアノにくらべ、やや音が大きい言われていますから、置けたとしても音の問題がでます。もちろん、置ける場所の準備が整っていないことも理由のひとつです。

個人教室の先生のピアノ教室で使っていたグランドピアノということなので、よく使っていたと思うので、何かしら維持の為のメンテナンスが発生しそうであること。弦の交換も考えられるのですね。

もう一つの理由は、息子のトリル練習でも困っていない様子のためですね。東洋ピアノのSSS機能を積んだアポロを使っているので、特に困らないと息子がいいます。グランドピアノと違いはあるはずですが、練習が出来ないほどの、技量がまだないようなので、必要ないということなんですね。

理由というか、強気というか、もし私が家にグランドピアノを置くことになったときは、それはかなりそちらの道にいくという覚悟と意思が息子に宿ったときしか考えられないし、グランドピアノは場所の問題があるので国産の古いものは値段がつかないと聞きます。だとすれば、わざわざ防音室を作って、グランドを置くなら、値段の下がらない海外のメーカーを無理して買うんだと思っています。中古で売れるピアノしか、グランドを置くなら考えられないんですね。

ということで、グランドピアノは今は不用という結論に。

小学校生活とピアノの練習

いろんなサイトを見ていると

小学校の子供が、どのくらいピアノを練習していますか

という質問があったりしますので、参考までに今回は5年生の息子のピアノの練習量を書いておこうと思います。

私の子供の時代の生活を思い出すと、小学校が午後4時に終わって下校に30分かかり、家に着くとおやつを食べて宿題をやって夕飯が6時とか7時で、だらだらとして、お風呂に入って9時頃には寝て翌日という感じでした。今の次男と変わりません。

ピアノをやらない次男(昔の私)

16:30 帰宅(おやつ、遊び)
17:00 宿題&読書
18:00 夕飯
19:00 自由時間(テレビ、本)
20:00 風呂(だらだら)
21:00 消灯

このような平日を暮らしていたわけで、私が家でやっていたのは宿題くらいだったわけですね。当時の習い事は、そろばん、習字くらいでした。それでも、進学高校を経て東京理科大学には行けました。(なーんもやっていない次男にいらいらすることもありますが、私もやっていなかったので、きつくは言える立場にはないなと思います)

最近の息子の生活は、小学校が午後4時に終わって、下校に15分。おやつ&ベイブレードをやって、5時には宿題やって、6時には夕飯で、7時はテレビ、8時からピアノ、風呂に入って、またピアノorソルフェ。

ピアノをやる長男

16:15 帰宅(おやつ、ベイブレード、ゲーム)
17:00 宿題&ドリル
18:00 夕飯
19:00 自由時間(テレビ、ベイブレード)
20:00 ピアノ
20:30 風呂
21:00 ピアノorソルフェ
22:00 消灯

※ピアノは1.5h

私と息子の生活の違いを見ると、遊びは違えど自宅での遊びは必要であるが、ピアノをやっている分、音楽をやっている時間があるという違いです。ピアノに関しては30分は必ずですが、気分や体調により30分しかやらないときもあります

小学校の合唱の伴奏を頼まれたり必要に応じて、朝の15分~30分をピアノの練習にすることもありますが、基本はやってないですね。

通学時間が私と子供とで15分も違いますが、往復で30分。私は両親が共働きの都合で、さらに車での移動時間が必要だったので、毎日合計1時間の移動時間が私にはありました。なんていってもそれがが毎日なのですから、通学+移動で失っていた時間は、6年間で結構な違いになります。

ちなみに息子の習い事は、ピアノ、スイミング、英語(既にやめている)です。

ネットで探すと、ピアノエリートは可能な限り、ピアノに時間を当てるといいますので、夜10時の消灯は守るとしても

ピアノエリートだとすると(理想)

16:15 帰宅、ピアノのための体操
16:30 宿題
17:00 ピアノ
18:00 夕飯
19:00 ピアノ
20:30 風呂
21:00 ピアノ
22:00 消灯

※ピアノは3.5h確保可能。朝も加えられれば4.0h超も可能ではある。

エリートは、ピアノに3.5時間もかけられそうですね、ただし、他の事はほとんど何もできませんので、気持ちの整理や集中力など特別な精神力がないとやれないですね。ちなみに、息子にこんなスケジュールで練習を強制したら、まぁ無理と半ギレするでしょうね

とまぁ、時間の使い方を変えることで、小学校6年間で大きな差が開いてしまうことは、よくわかります。エリートはハンパなく上手くなるはずであり、だからこそデビューをしちゃうわけですよ。

活発な子供は家に帰ってくると、すぐに遊びにいくでしょう。しかし、うちの息子たちは私と同じようにHSPの性格なので、集団生活に疲れて帰ってくるので、まずは一人でのエネルギーの充電が必須なのは私も理解できるところです。

時間の使い方・確保に関して、もう一つの違いとしては、私は両親が共働きの都合で、朝6時には起きていないといけなかったのに息子は、自宅から通えるので朝7時に起きればよいところです時灯時間が1時間後ろに遅れ22時になっていても問題ないというところは大きいでしょう。

通学時間が長いと、休み時間なども削られるので、私はどんなブランド学校に行こうが好みません。よく進学校に小学校から通うという方がおられますが、通学時間による時間的制約がいろいろと出てくるので私は良いことだとは思いません。授業妨害がある学校は別ですが、そうでないなら小学生は近所でいいと考えています。

何かしら自分から生み出す活動をするときには、精神統一など、一人の時間が必要なので、勉強するにもそれが必要だし、他の知的な活動をするときにもそれが大事になるのですから。

ちなみに、ピアノが好きという息子。だったら、遊びをやめて、せめて2時間はピアノを練習をしろとおもうのですが、長く続けていることだからこその他の活動は必須なんだろうと最近は思っています。

今はベイブレードですが、その前はゲーム、おりがみ、その他工作などなど、遊びは飽きて変わりますが、ピアノは変わらず続けられているので、ピアノは好きだけれど、続けるとなると、遊びではなく日課になるわけで、気を向かせる必要があるよねという理解で、気が向くまで見守るしかないですね。

息子はピアノエリートではありませんが、学年代表で伴奏をやらせてもらえるくらいには弾ける方なので、その位のレベルの人がどのくらい練習しているかの参考になれば幸いです。

X Japanの「Tears」の練習を始めた息子

ここのところコンクールに向けた課題曲の練習を息子はしてきていたのですが、正月休みにある程度頑張ってしまって暗譜も進み、ゆとりがあるように感じられたので、何かしら好きな曲が見つからないと練習に飽きて弾くのをやめてしまいそうだなぁと、感じてきていました。

親としては、その時はその時でいいのですが、どうせなら私が弾いてもらいたい曲をリクエストしてみようかと思い、X Japanの「Tears」の楽譜を渡してみました。(基本的に気に入らないと身が入らない息子なので、期待はしていなかったのですが)

すると、息子は「この曲おもしろい」という反応で、食いつきが良かったんです。ここ数日左手の指をつきゆびしてしまって、左手は使えないのですが、それでもあえて練習をする食いつきぶりです。

親としては、完成したらアップロード候補だなぁと思いましたね・・・

今はにわかファンの私ですが、「X Japan」がとても好きだった時代があり、思春期も重なっていていくつか当時の思い出があるので、練習の音色を聴いているだけで感動したりしています。

ちなみに、「X Japan」のYoshikiさんのピアノ演奏について、ピアノを習っている息子が子供だからこそのストレートな表現でどう言っているかを書いてみようかと思います。(ファンの方が、読んでいると怖いですが・・・)

どんな人かの先入観がなく、思い入れもないの子供の勝手な意見ですが、息子は、Yoshikiさんの演奏を見ると「かっこつけだね~」と言います。

弾き方のことかと思ったのですが、どうやら違うらしく、選んでいる音符やピアノの響かせ方について言っています。とはいえ、楽譜を渡すと「おもしろい」というのですから、お前も「かっこつけたがりじゃん」と私は思うわけですが。

ただ、ピアノを弾く手の移動に関しては「僕と同じで波打っちゃってて、先生によくないって指摘されるよ」って言うんですね。

私のような素人からすると、Yoshikiさんのピアノ演奏には、文句のつけようもなかったわけですが、ピアノの理解が少し深まった今の私は、息子の指摘もわかるようになってはいます。

最近のピアニストは必要なことはしっかりとやり、不必要に体を動かすこともなく、無駄のない動きで演奏しますからね。

といっても、作曲家という視点であれば、作った本人の意図通りに弾けていればパーフェクトなので、やはり私が何かを言える立場にはないわけですが。

ちなみに、容姿・衣装について、息子がなんと言ったかというと、「日本の和を大事しているのかな」と言うんですね。

最初は、「え!?何?」と思ったのですが、顔を白塗りで、髪の毛を伸ばし、派手な服が着物的に見えるようで、歌舞伎のような衣装に見えたようです。

「なるほど!」と思いましたね。確かに、私はHIDEさんにそのようなイメージがあったので、そこまでの違和感はありませんでしたが・・・

また、息子の練習に付き合っていると、楽曲に新しい気づきを見出すことができました。

「同じフレーズが繰り返されているのに、なぜここは3連譜なの? 前のところと同じでよくない?」と息子が言うので見てみると、英語の歌詞の都合で3連譜にしていると理解ができたのです。ではなぜ、3連譜なのかを考えたときに、あえてこの言葉を強調してたのかという意図が理解できたわけですね。

昔は英語の意味はよくわからず聴いていたわけですが、今は英会話教室にも通った後で、私は意味もわかるようになってるからこそ気づけれました。

なるほど、Yoshikiさんはこれを強調したかったのか、ほぉ!となるわけなんですね。新たな発見でした。

昔は、なんとなく歌を聴いて、曲の意味をわかっていたつもりになっていましたが、作曲者の意図を知るというのは、こういうことかと、いまさら気づいた瞬間でした。

ベートーベンやショパンなどの大作曲家の曲でも、なぜ変えているのかを考えれると、やはり面白いんでしょうね。

コンクールの課題曲そっちのけで、練習を始めてるので、完成は早いと思いますが、それはそれで複雑な親心の私でした。

子供のための音楽教室は電話で問い合わせをしましょう

先日、桐朋学園大学の子供のための音楽教室にオンラインから問い合わせしていたのですが、メールの返信が1週間かかっていましたので、そのことをテーマに今日は書いてみたいと思います。

桐朋学園大学について、一般人の私にはもともと馴染みがない世界だったわけですが、うちの息子のピアノの先生がその大学の卒業生だったりしたわけで、名前だけは聞いてはいました。

けど、それだけで、どんな学校なのか、当時の私はまったく興味を持っていませんでした。

ところが、ここのところソルフェージュの勉強がやれる教室について、ネットで調べるうちに、
どうやらヤマハとかカワイとかの大手、個人教室の他に、桐朋学園大学「子供のための音楽教室」というのがあって、年少のうちから、どちらかというと親が熱心になって、通う教室があるというのに行き着いたのでした。

ピアノのお稽古レベルなら、あちらこちらにあるわけですが、子供のうちから英才教育をするとなると、こちらが名門で、プロの音楽家を目指すならココみたいな感じで口コミがありました。ピアノなら特に、仙川教室ということもわかりました。

とはいえ、レッスン自体は、すこしは厳しいけれど厳しすぎることはなく、親のほうが真剣で普通の親は参加しにくいというのが、一般人の感想らしく、まずは様子を見たいと思って、見学に申し込んでいたというのが、冒頭書いた話です。

オンラインの問い合わせをしたのが先週の土曜日で、回答が返ってきたのは翌週日曜日。

回答がもらえたのは1週間とやや遅めでした。

追って電話で問い合わせれるべきだった気もしましたが、やや敷居の高さを勝手に感じていたのもあり、”すでに締め切り”など、何かしら理由があるだろうと放置していました。しかし、返信内容にも「電話で問い合わせてください」との記載がありましたので、

どうやらオンラインの問い合わせ対応はあまりやっていないと感じました。

専用の入力フォームがあったので、遅れではないと勝手に思っていました。。
別の世界の話となると、私のような一般人からすると敷居を高く感じてしまいやすいので、
こちらに「何か無礼的なものがあった」んじゃないかと勘ぐってしまったわけですね。

回答をもらえた日には、既に見学予定日を過ぎていたため、今回は見学にいけなかったわけですが、教室のレベルについては、知っておきたいので、次回の見学会には言ってみたいと思いました。

ちなみに、行くとなると毎月の月謝と電車賃が必要になるのですが、それに見合う投資となるのか私のような素人は思ってしまうわけなので、やはり見学せずに入室試験をやるとかも今回は無しとしました。

中学入試のソルフェージュくらいなら独学で大丈夫そうな見込みを息子も感じているのでというのもあります。「どうしても行かせてくれ」と息子が言うなら考えますが、そういうのはないので、そこまでの焦りはないので、次回体験したら、また記事の続きを書こうと思います。

ピアノの先生の年収は厳しい

ピアノの先生の年収は厳しいものがある

今ではネットで簡単に調べられるから調べれば、ピアノの先生のの平均年収は500万円未満ということで、
ピアノがどんなに上手くなったとしても世間平均と比べるとたいした収入が見込めないことがわかる。

ピアノの先生になっても高い年収が見込めないなら、無理してピアノの先生になる必要はない。
となると、コンクールの結果がどんなものでもそれ程気にすることはないといってもいいだろう。

趣味なんて上手くても下手でもどちらでもいいのだからとなってくる。

なら、がんばらなくていいや。

ここまで読んでそう思った人は、すでにピアノはやめた方がいいだろう。そもそも趣味としても、ピアノが好きではないのだろうから。

しかし、ピアノ・音楽を愛してやまない人であれば、それでもピアノと共に生きることを願うだろう。

ではメリットを考えてみよう。

収入が少ないピアノの先生であるが、自由時間つまり自分の時間の確保に関しては、ものすごく優遇されているといっていいだろう。

子供の習い事は、始まりが早くとも午後だ。午前中は何をしていてもいい。週末は生徒が来るので仕事になるが、深夜残業もないし、早朝出社もない。
もっというと自宅が個人教室なら通勤時間すらないのである。想定外の出社依頼だって皆無だろう。

それでいてうまくいけば、500万円ももらえるのだったらいいかもしれない。

女性が高い収入を得る場合、名のある4大生大学を卒業しキャリアウーマンとなり、残業当たり前で働きすぎのようなところに就職しなければ、年収500万円を超えるようなことにはならないのである。

しかし、そのような職場では、会社の育児補助制度がどんなにそろっていたとしても、
仕事への責任感などから簡単には出産に踏み切れないし、復帰した後も、戦場で戦うママとなり、子育てなどできるはずもなく
親の手助けが必須のものとなるのである。

一方、普通のアルバイトや非正規社員で働いてしまうと、年収200万円以下となるので、それにくらべると、ピアノの先生は悪くない仕事となるだろう。
音大までいってやる人がいないことで、ライバルが少ない分、努力すれば、それなりの結果も得やすい気がする。

特に女性の場合には、この自由時間が大きいピアノの先生が多分にメリットとなるだろう。
出産や育児など、家庭の幸せもつかみつつ、ゆったり生きれる可能性は高い。

ちなみに私が年収500万円を超えたのは27歳くらいだったきがするが、そこには残業代が多分に含まれていた。
これは、自分の時間を売っているに等しい。
たいていの日本のサラリーマンはこれに該当する。満員電車+残業+各種ハラスメントをセットにこなす事でお金を稼ぎ出すのだ。

もっとも、ピアノの先生が稼げない第一の理由としては、日本では日常的に生演奏を聴くような文化がないからだろう。
必要ないから、仕事がない、ただ、それだけだ。

しかし、いつも聴きたくなるような状況になれば、それが一変するであろう。

ピアノの先生が憧れるピアニストなどは、音源も良く売れ、ピアノの先生が聴き来るのだ。

つまりは、最高の地位に上れば、それなりの収入の可能性がでてくるということである。

どんな仕事でも、この最高の地位につけば、上限などなくなる。しかし、最上位は、努力だけでなく、天が味方するような運も必要となることは言うまでもない。

HSPな長男と非HSPな次男

私は芸術を愛している人はHSPの性格である可能性は高いと考える。

私がHSPという性格や内向型(内気とは違う)を知ったのは最近のことであるが、その内容を知るほどに芸術の分野においては、この性格を持ち合わせていないとかなり難しいということを感じている。

そもそもこの性格は、約1/5の割合でいるということなのだが、あまりしゃべらなかったり、一人でいることが多く、クラスの仲間とも馴染みにくいというように学校では見えるので、どこか浮いていたり、内気とみられるような誤解がされる。

実際HSPの私もそうであった。

学校にそんな友達がいたことを非HSPの人は思い出すであろう。
「あいつちょっと浮いてたよね。影が薄かったよね。」とかだ

なぜ、そうようにしゃべらなかったり、一人でいるのかといえば、考え事が常に頭の内側から湧き出ているからなのである。常に内側から考えや音楽が湧き出していれば、当たり前のように外側との付き合いが減るのである。

どういうことかというと、一人でいるときにも常に自分と会話している(考えたり、内省している)のであるから、いつも自分と話をしているのに、さらに友人と会話するのは疲れるということなのである。

一人でいてもやることがいっぱいなのだ。

一方の非HSPは、一人だと自分の頭の中に何かが浮かぶことは少なく、面白いことはないかと常に外部の刺激を求めるのだ。当然、誰かとのおしゃべりが楽しいし、他の子にちょっかいだしたりと楽しいことを外部に求める。

この性質があるのとないとで、どのような違いが現れるかをピアノの練習で考えてみる。

毎日、同じようなチェルニーの練習曲を弾いているとする。

<HSP側>
一人の練習の時も、内側の自分との対話をしている。
「ここが失敗した、昨日の練習よりもうまくできてない、発表会まで課題曲が間に合うのかな」など常に自分と会話しながら練習をする

※内省することで落ち込んだり、できないとで悲観して練習をやめる可能性もあるが、基本的には耳を澄ませ、自分の音と対話をすることができる。

<非HSP側>
一人の練習の時は、誰もいないので、つまらない。
「弾いてるけど、誰も聞いてくれないし、つまらない。お母さん聞いてる?何か面白いことないかな」など、自分の演奏に集中しにくく、外の評価を必要とするのである。

※常に外側にエネルギーを向けている非HSPだと、一人での練習がほぼ成り立たないだろう。外部からの評価がないと、退屈に感じてしまうからだ。

まとめるとHSP側は一人での練習が可能であるが、非HSP側は一人の練習は楽しくなく、先生あるいは親との対話が必要になってくるのである。

このことから楽器をやる人はHSPの性格の人が多いはずだと、私は考えている。

ピアノのレッスンは週に30分、長くても1時間程度がせいぜいだ。その時間だけで上手くなるものではない。そうなると自宅での練習が重要になってくるわけだが、親がつきっきりというのは共働きの時代では難しく非HSPは不利だ。

つまり芸術、特に楽器のように繰り返しの個人練習が必要なものは、HSPの性格を持っていないと厳しいということになる。

そもそも音楽を聴いていろいろな反応や解釈が得意なのはHSPであり、そうでない非HSPは音楽を聴いても楽しいとは感じにくいのである。

明るく元気な子供というのは、たくさんの友達を作って、みんなの前でも活躍でき元気な子供であり、それは非HSPにとても有利だ。けれど、繊細な音の描写に耳を傾け、ひたすらに音に集中するような仕事のようなものはHSP側でなければ難しいのだ。

うちの長男がHSPであるのは間違いなく、だからこそピアノが上達してきたと、私は考えている。一方、いろんなことに無頓着な次男は、逆に大物になる可能性がある。

人はそれぞれ性格の違いがあるが、こういった性格の違いを正しく理解すると、子育てもそれはそれで楽しいものとなることを、日々実感している。

私の学生時代の努力がまったくの無駄だったことを痛感した夜

昨日、息子にオンラインで音大が無償提供しているソルフェージュのテストをやらせてみたのであるが、その実力に驚いたのは昨日のことである。しかし、それ以上に私の学生時代の音楽への憧れとその学習が、どれ程に無駄だったかを痛感した夜でもあったので、そのアホさを今日は記録してみよう。

当時の私は単なる中2病でしかなかったと痛感させられたのであった。

ほんとうに情けなくなった。

私は90年代中盤から2000年あたりにかけ学生時代を過ごした。当時は音楽バブル・バンドブームで私もミュージシャンに憧れた。

学校生活(集団生活)に馴染めなかった私は、自分のいびつな性格(今はHSPという性格だっただけと理解)のせいだとして、音楽に救いを求めたようなところがあり、異常なまでに音楽にのめり込んでいた。CDもたくさん買っていたし、日夜ギターの練習、またカラオケを上手に歌えることも目指した。ヴォイストレーニングの独学もやっていた。

さらにそれが加熱し、大学生活においては、親には頼めないからと授業のない時間、土日休日などを使い11時から23時までのアルバイトを週3~4やり、貯めたお金で音楽の専門学校に平行して通うなど、音楽へ異常な情熱があった。

成人式のあった年のお正月は、元旦の朝9時から働いていたことを今も覚えている。

けれど、結局現実を突きつけられ、大学卒業を有効活用にし、普通の社会人になり、充実した学生時代との思い出にしかならなかった。

でも考えなければいけない、バイトで貯めた学費に200万円とは言わずとも、それに近い費用を払っていた気がする。

私の実力といえば、選考していたギター実技で学べたことだって今の息子のピアノの演奏している曲には及ばないし、楽典の理解は未熟であるが、当時使っていた教本を斜め読みさせた様子を見ると、読めば余裕で理解できそうだし、ソルフェージュとされる音楽基礎能力は、私が当時熱望したレベルを既に超えているのだ。

今の息子にかけている費用を得ても愕然とする。

教育だけを考えると、ざっと月9000円~11000円の月謝を7年間払ってきた。
発表会、コンクールを加算するとそれぞれで10000円加算できる(でも、これはライブハウス出演代に似ているのではずしてもいい)

ざっと (1万×12ヶ月 + 2万)×7年 = 84万円だ。

ギターの値段や練習のためのスタジオ代、アンプ・エフェクターなどの機材代金は考えないように、ピアノの費用は考えない。

私:200万円  VS  息子:84万円
※ピアノ教室は7年目だから多分これより少ない

つまりだ、アホのように働いて得た私の苦労の200万円は、息子から見ると「ほんとうにがんばったね」程度の慰めの言葉にしかならない費用になるのだ。

恐ろしすぎる程に、アホだ。。

たしかに、私が音楽の知識を多少持っていたから、息子のピアノへの理解もあったし
何かしら子供へ良い影響を与えることが、もしかしたらあったかもしれない。

けれど、子供のうちに音楽を始める、それも好きで始めると言うのは、このように雲泥の差を生むのである。

絶対音感は不要という方がいて、もちろん絶対音感を持ったピアニストがバイオリンを明日から弾けと言われてもできないわけだから、嫉妬の気持ちはわかるが、絶対音感を持って楽しくピアノを学べる資質を持ち、普段なにげなく音楽をうたっているような子供というのは恐ろしいくらいに、自然にいろいろできるようになっているということなのだ。

これは、たぶん誰でもできることではないだろうが。ピアノを習って上達している子供達は似ているようなきがする。

正直、息子大丈夫?というエピソードもある、道路上で、何かを鼻歌で歌っていたり、ダンスしたり、別の世界にいたりするお風呂で、何かを歌ってるのも日常茶飯事だ。

ネイティブの英会話講師にどんなに習ったところで、いくら費用をかけたところで、上達しない英会話に、これは詐欺という人がいるように、音楽は教育をどんなに施したところで、何にもならない事例があるのは、当然な気がした。

そもそも持ってる資質があるかに由来することを実感させられた夜だった。