HSPな長男と非HSPな次男

私は芸術を愛している人はHSPの性格である可能性は高いと考える。

私がHSPという性格や内向型(内気とは違う)を知ったのは最近のことであるが、その内容を知るほどに芸術の分野においては、この性格を持ち合わせていないとかなり難しいということを感じている。

そもそもこの性格は、約1/5の割合でいるということなのだが、あまりしゃべらなかったり、一人でいることが多く、クラスの仲間とも馴染みにくいというように学校では見えるので、どこか浮いていたり、内気とみられるような誤解がされる。

実際HSPの私もそうであった。

学校にそんな友達がいたことを非HSPの人は思い出すであろう。
「あいつちょっと浮いてたよね。影が薄かったよね。」とかだ

なぜ、そうようにしゃべらなかったり、一人でいるのかといえば、考え事が常に頭の内側から湧き出ているからなのである。常に内側から考えや音楽が湧き出していれば、当たり前のように外側との付き合いが減るのである。

どういうことかというと、一人でいるときにも常に自分と会話している(考えたり、内省している)のであるから、いつも自分と話をしているのに、さらに友人と会話するのは疲れるということなのである。

一人でいてもやることがいっぱいなのだ。

一方の非HSPは、一人だと自分の頭の中に何かが浮かぶことは少なく、面白いことはないかと常に外部の刺激を求めるのだ。当然、誰かとのおしゃべりが楽しいし、他の子にちょっかいだしたりと楽しいことを外部に求める。

この性質があるのとないとで、どのような違いが現れるかをピアノの練習で考えてみる。

毎日、同じようなチェルニーの練習曲を弾いているとする。

<HSP側>
一人の練習の時も、内側の自分との対話をしている。
「ここが失敗した、昨日の練習よりもうまくできてない、発表会まで課題曲が間に合うのかな」など常に自分と会話しながら練習をする

※内省することで落ち込んだり、できないとで悲観して練習をやめる可能性もあるが、基本的には耳を澄ませ、自分の音と対話をすることができる。

<非HSP側>
一人の練習の時は、誰もいないので、つまらない。
「弾いてるけど、誰も聞いてくれないし、つまらない。お母さん聞いてる?何か面白いことないかな」など、自分の演奏に集中しにくく、外の評価を必要とするのである。

※常に外側にエネルギーを向けている非HSPだと、一人での練習がほぼ成り立たないだろう。外部からの評価がないと、退屈に感じてしまうからだ。

まとめるとHSP側は一人での練習が可能であるが、非HSP側は一人の練習は楽しくなく、先生あるいは親との対話が必要になってくるのである。

このことから楽器をやる人はHSPの性格の人が多いはずだと、私は考えている。

ピアノのレッスンは週に30分、長くても1時間程度がせいぜいだ。その時間だけで上手くなるものではない。そうなると自宅での練習が重要になってくるわけだが、親がつきっきりというのは共働きの時代では難しく非HSPは不利だ。

つまり芸術、特に楽器のように繰り返しの個人練習が必要なものは、HSPの性格を持っていないと厳しいということになる。

そもそも音楽を聴いていろいろな反応や解釈が得意なのはHSPであり、そうでない非HSPは音楽を聴いても楽しいとは感じにくいのである。

明るく元気な子供というのは、たくさんの友達を作って、みんなの前でも活躍でき元気な子供であり、それは非HSPにとても有利だ。けれど、繊細な音の描写に耳を傾け、ひたすらに音に集中するような仕事のようなものはHSP側でなければ難しいのだ。

うちの長男がHSPであるのは間違いなく、だからこそピアノが上達してきたと、私は考えている。一方、いろんなことに無頓着な次男は、逆に大物になる可能性がある。

人はそれぞれ性格の違いがあるが、こういった性格の違いを正しく理解すると、子育てもそれはそれで楽しいものとなることを、日々実感している。

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