バッハの練習を始める

カワイ音楽コンクールCコースの予選突破で地区本選会に向けての練習をすでに息子は開始している。

課題曲の一つはバッハだ。昨年、予選突破ならなかったが、バッハの楽譜はすでに買っていて、個人的に練習はしていた曲があったのだけど、それとは異なる曲は選んだ。それも、ちょっと難しいものを選んでいる。

そうなんだ、気づくと、息子はいつも、ちょっと難しいというほうを、指定していないのに選ぶのである。背伸びしているというよりも、やってみたいという感覚が強い印象なのである。

素人の私が聞くバッハはシンプルで簡単そうだ、というのが1年前だった。ところが、今聴くとまったく違った印象になっている。左手もメロディー、おまけに3声。バッハはパイプオルガンの名手というのが、有名だけれども、教会におけるコーラス、合唱が流れての曲をつくっていたというわけなのだろう。

2拍子の小プレリュードだけれども、そこにたくさんのテクニックが凝縮されている。料理でいえば、まさに、前菜だ。それも、手を抜かない前菜としてのプレリュードが課題曲の1曲目なのだ。

4月まではまだあると、まったくもって思えない状況で、練習は続く。

音楽とHSPと中学受験

音楽で飯は食えない

笑える。

学校の教員の枠は少ないし、音楽でお金を稼げるのは一部。そもそも音大にいけるのは金持ちだけ。でたところで、仕事はない。金の無駄。

世間には、いろんな言葉が残り、飛び続けている。実はどれも、人々の怒りの声である。かなわなかった夢、望みどおりにいかなかった人生の悲しい叫び達だ。

本当にそうだ。

でも、私達は、お金を稼ぐ為、生きるためだけに、生きているのだろうか?

そもそも、それで、生きているのだろうか?

どんなに大金稼いだところで、資産を積み上げたって、死んだら子供が奪い合うか、税で没収されるかだ。

そもそも一般人の大半は、起業した創業者あるいはそれを引き継いだ社長に仕事をもらうか、公務員として国に従うか、生まれながらの金持ち(資産家)に従うかだ

いずれにしても、働いてお金をもらう為に生きることを、最初から望むべきなのか?

私達はHSPだと最近気づいた

冒頭から、申し訳なく思いますが、この問いは自分に向けて書いていることです。先日、息子が入賞したことで、自分の私の昔の気持ちが蘇ってきてしまったようですね。

音楽中学校の入学について、このところ私は考え始めました。息子もそうですが、私はHSPという性格であることが最近わかりました。HSPについて”ぐぐって”調べてみてもらえば、わかると思いますが、HSPというのは4/5の人達よりも感覚がするどい人間なのです。集団の中では、刺激が多すぎるのです。

人類の4/5には理解されない感覚ですから、選挙でも勝てないし、多数決では、今後も1/5が優先されることはない気がします。だからこそ考えます。

私は中学校が大嫌いでした。集団が苦手でした。その原因には、HSPがあります。4/5の人達向けに指導をされる集団では、耐えられないのです。

非HSPの人達が、例えば、学校の規則を破ってスマートフォンを持ち込んだとして、HSP側にいる人達は、ルールに従っているのですが、学校の規則を破った人がいたことで、持ち物検査が始まったりします。(そもそも、HSPはルールを守ります)

しかし、非HSPは、この検査もあまり気にならないでしょうが、HSPは自分の荷物に他人が触れることだって、気になるわけなのです。集団の中にいる、HSP側は、非HSP達の問題に付き合わないといけないのです。そんなことが、集団にいると永遠に続いていきます。

だから、HSPに気づいたことで、私は最近、子供の中学校について気になるようになりました。私は、高校時代、自宅からいける範囲で偏差値が一番高い高校に通うことができたのですが、そこで救われると思っていたのですが、結果的には違っていました。

そもそも集団の中では、ダメだったのです。

息子は、今のところ集団がダメということはないようですが、最近は、「ヤンチャな子達とは距離をおきたい」とか、「ヤンチャな子と一緒じゃ疲れる」とか言うようになってきたのです。これは明らかにHSPだからの発言です。非HSP側にとっては、ヤンチャすることは楽しいことでしょうし、その刺激が心地良いのだと思います。が、HSP側にとってみれば、迷惑でしかない。心を蝕むノイズでしかないのです。その感覚があるからこそ、中学受験を思いなおしてみました。

中学受験について

私は子供が5年生の今年、ある都立の中高一貫校を見てきました。学区の子供と、優秀な子供達とが半々で学ぶ中高一貫校で、補助金もあり、少ないお金の負担で、やや先進の授業を学べることは魅力でしたが、電車通学に40分であったり、都内だからこその敷地の狭さを見ると、負担が大きいので、中学受験はいらないと思っていました。行くなら、マンションでも買って引っ越し学区であればありかとも思いますが、マンションを買うにも5,000万円以上の地域ですから、それも無駄に感じました。

ところが、HSPであることを思い出しました。そして、音楽コンクールでの入賞。まぁ、入賞程度ですが、気になったのは、HSPだからこその勉強の環境の問題です。通常の公立高校にいく場合は、結局、非HSP側が優先される学校に行くことになるのです。

日本は、そもそも内向型の人間の多い地域ですから、HSP側に合う学校環境もあったのですが、それが欧米のプレゼン(発表≠表面だけ)社会の影響を受けて、オープンスペースなどの、自分達に合わない方向に、学校も変えられています。(欧米では、非HSPが認知され、内向型も認知され、その環境づくりが始まっていることとは真逆の動きです)

そこにきての中学の選択。おそらく普通に公立中学に行っても救われることはないでしょう。私と同じ苦労が見えてきたのです。そこで、浮上したのが音楽中学校です。効果も無いとの声も聞きますが、そもそも、音楽中学校の数が少ないのに、体験していない人が大半なのに、悪口がこうも多いのか?普通に考えておかしいですね。ということで、説明会に参加して検討の検討を考えています。

音楽中学校であっても集団の呪縛からは逃れられないとは思いますが、少人数であることは多くのメリットを感じています。

音楽や芸術を作る人達は、引きこもりや、うちき、シャイ、人見知り、そういった傾向がつよいはずで、私はHSPの人達だったろうと考えています。だからその環境にはメリットを感じます。行ってみたらまったく違うかもしれませんが。

自分の外側からエネルギーをもらう非HSPは、人の音楽を組み合わせて良いものを作るのが得意でしょう、一方で自分の内側からエネルギーを作り出す、HSPはオリジナルな音楽を作るはずです。

音楽をやってもお金にならないの前に、音楽中学校に価値があると思ったので、そのことを今日は書いてみました。参考になれば幸いです。

小学生のためのピアノコンクール入賞方法について(素人目線で)

ピアノコンクールで息子が見事入賞し、予選を無事突破することができました。(といっても、小学生向けのコースですが)

ピアノコンクールで上位入賞するまで、私達が日々のピアノ練習の中でやってきたことを皆様に公開することで、ピアノ学習に素人である私のような親、そして、これからピアノコンクールで入賞を目指す子供達のピアノ学習のお役に立てるかもしれません。

このページでは、ピアノコンクールで入賞するためにいくつかわかってきたこと心掛けたことを書いてみようと思います。

毎日のピアノ練習について

ピアノコンクール入賞を目指すのであれば、ピアノの練習を毎日やることは残念ながら当たり前です。しかし、コンクールの予選を通過したうちの息子も、毎日かかさずやれていたかというと、そうではありませんでした。

小学校高学年になると、学校の旅行を含めた行事、日々の宿題があります。ピアノだけをやっていればいいわけではありませんし、ゲームや遊びの息抜きも必要です。

ゲームや遊びはやらせず、ピアノ一筋ができる子供ならいいですが、やりたいことがある(=好奇心が旺盛)ということは、今後人生で起こる様々な苦難を新しい発想で乗り越える力を学ぶ機会でもあるといえるので、遊びたい(=やりたいことがある)気持ちがあるなら、完全に否定することはできないと私は思います。人は遊びから学ぶからです。

ピアノの練習は、毎日やらないといけないことですが、気分がのらずやれないときは、たった15分だけの指練習で終わり。そのような状態も何度かありました。

ハイレベルな音大にいくような人は1日4時間の練習をやるというような話も聞きます。それを聞いて、頑張って最高1日2時間くらいピアノの練習をやれたこともありましたが、小学生のうちに1日4時間のピアノ練習はありえませんでした。

中学生になってから、休日であれば1日4時間が可能となってます。

これまでのピアノの練習時間について記載しています
1日4時間の練習が最低必要と書かれていた書籍

平行して様々なピアノ曲にチャレンジする

ピアノを小さい頃から習っていれば、それまでピアノを習っていなかったお子さんに比べてのアドバンテージは当然あります。しかし、ピアノコンクールで競争しているのはピアノを習ってきた子供達なので、現実としては、ピアノを習っている人達での競争となっている現実があります。

音楽という言葉には、音を楽しむ「楽」という言葉が含まれており、音楽が楽しいのは自分もなのですが、コンクールのような競争の場を目の当たりにすると、どちらかといえば聴いていただく聴衆が楽しむものかなぁと感じます。

小学校に通っていれば、おのずと何かしらピアノを演奏をする機会があります。学校内での合唱の伴奏や、市区町村の学校レベルでのコンクールなどの機会があると思います。

そこでも、ピアノコンクールでの演奏を見据え、ピアノを発表する貴重な機会ととらえ、しっかりと曲を任せられるように努力することが大事だと思います。

ピアノコンクールでも、古典、バロック、ロマン、現代のように、様々なタイプの音楽の課題曲が与えらます。ソナチネだけのように一つのスタイルだけをやっていても、演奏の幅が広がりません。

息子の場合、小学校3年生くらいから、オーディション形式で、学校内の合唱曲のピアノ伴奏の選考が何度かありましたが、どれも2週間以内で弾けるように努力をしていました。

息子の場合は、この努力というところが、新しい楽譜が楽しみで、好きでやっているという面があったので、必ずしも努力と言っていいのかわかりませんが・・・

ピアノ教室での通常の練習曲、平行して学校の合唱の伴奏、そして、日頃好きになった音楽(ゲーム音楽、歌謡曲、ロック)などを平行して、曲を楽しんでいました

ピアノコンクールにおいても、 予選を突破し先に進む程に、 様々な演奏スタイルが求められますから、普段から様々なスタイルのピアノ曲にチャレンジすることは大事だと思います。

グランドピアノが無いことは問題なのか

我が家にはグランドピアノはありません。アップライトピアノを使っています。

使用しているピアノは、中古で買った東洋ピアノのアップライトピアノで、SSS機能が付いています。ヤマハやカワイのピアノにはない、この機能のおかげで、左のペダルでも、グランドピアノっぽいことができるわけですが、それが、ピアノコンクール入賞に役に立ったかというと、まったくだと私は思います。

やはり、アップライトピアノはアップライトピアノとなります。

しかし、小学生レベルのコンクールでは、使用しているピアノがグランドピアノであろうが、アップライトピアノであろうが、問題はないと私は考えています。

そのピアノコンクールの総評では、審査員である音大の教授が「私達の子供の頃は、ペダルを使うことはソナタレベルになるくらいまでは許されてなかった。」とおっしゃっていました。

それを聞いた瞬間、テニス部の1年生は球拾いとか、コートに入るのは早いから、素振りで学び、見て覚えろとか、日本人のいじめ的な要素を感じたのですが、それを知るに、よけいにグランドピアノの必要性がないことを感じました。

ペダルはソナタまで使うな」ということは、グランドピアノなんて、上手くなるまで使わせるわけがないだろうと、言っているようなものです。

ピアノコンクールは楽器メーカーも運営しており、コンクール自体がビジネスになっている側面がありますから、それを表立っていえるのは大学の教授クラスにならないとできないでしょうが、いいこと(本音)を聞いたなと思いました。

とはいっても、ソナタレベルになってくると、グランドピアノとアップライトピアノで構造の問題は必ずでてくると私は理解しています。

ピアノだけではなく、絵画などもそうですが、その道具でないとできない仕事というのは、絶対にあるはずで、グランドピアノだと普通にできるけど、アップライトピアノで、それを表現しようとすると難しいというようなものがあると思っています。

アップライトピアノでよく言われるのは連打可能な回数の限界です。

ただ、そのレベルになるのは、ラ・カンパネッラを弾けるようになるくらいになった時の話で、そもそも、当たり前の毎日練習と、当たり前の演奏ができるようになってからのグランドピアノでいいと思っています。

もちろん、お母さんがピアノの先生で、すでにグランドピアノが自宅にあるご家庭であれば、最初からグランドピアノを使えることは贅沢とは思わず、普通にグランドピアノで練習するのがいいと私は思います。

アップライトピアノスタートだから不利だということは無いということは言えます。小学生のピアノコンクールであれば、なおさらです。

ピアノで勉強しなければいけないことのすべてを、小学生でマスターできるはずはないのですから。必要なら結果が出てからグランドピアノにすればいいのです。

しかし、電子ピアノだけはダメです。将来的には、電子ピアノもコンクールで勝てる練習ができる楽器になることがあるかもしれませんが、2016年の現状では、電子ピアノはまだ、NGです。

2019年の今も電子ピアノがOKになる未来は見えてきていません。

レンタルスタジオを利用する

グランドピアノの問題と似ているのですが、グランドピアノがないことで、私はコンクール前の1ヶ月だけ、レンタルスタジオで練習をしてみました。親の私は、アマチュアですがロックのバンドをやっていたこともあり、スタジオを利用して練習をしていた経験があったので、ピアノのスタジオも普通に利用してみたかったわけです。(もちろん、私自身のグランドピアノの違いを学ぶための機会でもあるわけですが)

私の息子の場合は、毎週土曜日の1時間30分だけを使ってレンタルスタジオで練習をしていました。部屋ごとに、ボストン、ヤマハ、カワイと違うピアノが用意してあるので、あえて異なるピアノで練習をさせてみたのですが、この練習はよかったかと思いました。

ピアニストが、自分のピアノを使って演奏するのは、一部のプロくらいなもので、実際に使えるのはそこにあるピアノなのですから、どんなピアノでも、自分らしい音を出せるような練習というのは必要だと思っています。なので、多くのピアノで練習することに意味があると思っています。このピアノちょっと違うなぁ・弾きにくいなぁというところでも、じゃあタッチを体をこう変えれば、気持ち悪くないなぁなんて、子供レベルの対応も学べるわけですね。

その年の課題を持つ

ピアノの習得度によって、何をやったらいいかは難しいところですが、たくさんある出来ないことの中で、今年はこれをやりきろう、今回の曲のこの部分はモノにしよう。そういった目標を持つことは大事だと思っています。

うちの息子の場合は、今年はリズム。去年はトリル、タッチ。その前は、忘れましたが、、、何かしら、今の課題というのをきちんと洗い出して、やるようにしていました。来年は、ペダルかもしれません・・・ いずれにしても、それぞれの演奏の中で、一番の問題となる箇所はあると思いますから、そこをまずはやっつけていくのが大事かと思います。

一番大事な気づき

ここまでこの記事を、ブログを読んでいただけたアナタには特別にお伝えしようと思ったことがありました。隠して、伝えなくてもいいとも思いますが、かといってどちらかというと、人気の薄れつつあるピアノですから、上手な子供達が増えて欲しいと私も思うので、書いておこうと思います。もちろん、それが、あたりまえなのかもしれませんが。

ピアノ上達のポイントは、結局のところ、音を大事にするということなのです。

当たり前ジャンですが、じゃあ、どうやって音を大事にするかというのは、なかなか教えてもらえません。

次のヒントは、メトロノームでゆっくり練習するなのです。

ですが、これも、だからといって上手くならないんですね。ゆっくりやる?ゆっくりできるけど・・・・

違うんですね。ゆっくり練習して、ゆっくりできるわけがないんです。上手じゃないうちは、ゆっくりやっても、やっぱり上手じゃないんです。

ゆっくりやる理由は、細胞レベルで研究する学者と同じ意味なんです。パソコンや携帯電話の中には、電子部品がたくさん入っていますが、あの部品は、大昔は学校の教室2つ分くらい必要なスペースに入っていたはずなんです。今は、電子顕微鏡のようなものをつかってか、パソコンで拡大して、細かい作業をやるわけですが、そのことがピアノにもいえるわけです。

メトロノームでスピードをゆっくりにして、そのゆっくりのスピードの中で、どのタイミングで音をのせるのか、消すのかを考えるのが、ゆっくり練習するの意味だったんですね。

わかりますか?

ゆっくり練習するときは、逆に言うとなんとなく弾けないんです。ゆっくりだから、そのタイミングまで待って音をだして、そのタイミングを待って音を消してるんです。考えなくちゃできません。

それをゆっくりのときに練習しているわけではなく、決めるのです。どこで、音を出して、どこで音を消すかを、ゆっくりのときに決めるわけです。そして、それは細かいものを拡大して決めている作業とまったく同じなのです。

ゆっくりの練習なくして、最高の音楽はなしえない。そう私は確信しました。まぁ、この気づきが正しいかどうかは、これからの結果で明らかになるかと思いますが、その報告はブログでも紹介していこうと思いますので、よければ今後もお楽しみください。

ここまで、読んでいただきまことにありがとうございました。

2017 カワイ音楽コンクールCコースの予選の結果

小学校3年生のときは、入選

小学校4年生のときは、審査員特別賞

そして、今年1年は、リズムもタッチも一からやり直すつもりで、1年頑張ってきました。

小学校5年生の今年は、

なんと

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入賞

それだけではなく、予選一位通過だったと思います。

それくらい、頑張ったし、タッチがまったく別物になってくれたのです。

正直、親の私は、腹痛でつらくなるくらい、緊張していました。自分が受けているわけではないのですが。。。

ただ、これは通過点なのです

まったく、安心していない自分がいます

私が、親ばかなのでしょうけれど、、、そのくらいの覚悟で、一緒にコンクールを歩んでいるんですよね

同じように歩んだ数々の家庭が、たくさんのアスリート、音楽家、一流といわれる人の裏にあったことが、実感としてわかってきました。

今日は、ここまでです、まだ、おなかが痛いです。。。

続き・・・2018/2/12

この日のことをもう少しまともに書いてみようかと思い加筆いたします。

この日は、親である私は、もともと体調不良の中でコンクールに参加していましたのでお腹が痛かったというのもありましたので、緊張だけで体調が悪かったわけではありません。

今振り返ると小学校5年生のこのときの演奏は、あくまでもCコースだからこその予選トップ通過であり、1年後、今のBコースでの予選通過を経てみると、やはり通過点でしかありませんでした。この時の録音は自宅にありますが、今聴くと、演奏もよくありません。

この時は、まだ、ピアノは普通の趣味の延長だったので、ピアノの練習のしかたもあまり効率が良くありませんでしたし、そして圧倒的に不足している視点がありました。

それは芸術性です。

可能な限り自分の世界感でよい演奏をする。表現する。間違えないように弾く。そういった視点で練習してきており、楽曲の開始と終わりを意識した演奏をしていなかったし、調性を意識した演奏もまったくしていませんでした。

逆に言うと、それでも予選は通過できてしまっていたんです。まったく芸術性がなかったとは言いませんが、芸術性の意識が足りませんでした。それとなく弾いていたという感じです。

今振り返れば、そういう芸術性を教えてくれる先生に早くから教わっておけば、小学生のうちから、全国を狙うようなこともできたなぁと思うところもありますが、それは後の祭りです。

この時のカワイのコンクールは、ピティナよりも予選のレベルが低いところがあり、うちの子供も予選を突破できるような状況でしたが、その年のピティナでは予選落ちをしたので、先にすすむと、やはり芸術性がないと、勝てない世界があることは、ピアノを習っており、コンクールを勝ちたい親御さんには知っておいてほしいと思います。

閲覧いただきありがとうございました。