子供のころから私達の場合は、近所のカワイにお世話になってやってきました。ところが、先生達は、皆さん揃って、実は自分の個人教室を持っています。大手だから人が集客できてしまう電通マジックがあるので、厳しいですからね。しかし、音大の状況も同じ状況なのです。そんな変な社会について書いてみたいと思います。
- 大手ピアノ教室の先生が個人の教室をもれなく持っている違和感
- 取り組む楽曲も同じ、先生も同じで、料金は違うという世界
- 先生のピアノ教室、大手にもピアノがあるという、どこかねじれた世界
- 企業を大事にすべきなのか、人(個人)を大事にすべきなのか
大手ピアノ教室の先生が個人の教室をもれなく持っている違和感
私達はカワイ音楽教室で、最初はピアノを習っていました。
ところが、おかしなことに気づきました。
A先生も、B先生も、C先生も、みなさん個人宅でピアノの先生をしているのです。
じゃあ、なんでカワイでやってるの???
答えは簡単、集客力と節税の対策でしょう。
でもこれって、おかしな話じゃないですか?
個人なら、個人で頑張って欲しい。けど、宣伝力、集客力が無い、だから、大手に従うしかない。
なんか、嫌な感じを持ったのでした。
取り組む楽曲も同じ、先生も同じで、料金は違うという世界
クラシックの王道のピアノ練習曲は、決まっていて、ソナチネやソナタ、そういったものは、すべて同じ、外部の教材なのです。
先生も一緒、楽曲も一緒、違うのは、場所と、ピアノ、発表会の規模、コンクールの有無くらいなのに、
なんで、月謝は、数千円違うんだろうか!?
もちろん、関係している人間が多いからというのもありますが、ブランドだからこその、大手の強気価格!!!
そこに、私達消費者も、個人の先生も、とられちゃってますよね・。・
先生のピアノ教室、大手にもピアノがあるという、どこかねじれた世界
ピアノの先生には、ピアノが必要です。個人教室をやるにも、大手教室をやるにも、ピアノを練習するにもピアノが必要です。
あれ!?なんか違和感ないですか!?
ピアノが常に必要となるようなシステムがあちらこちらにありませんか?!
ピアノ販売をビジネスにするのはいいですが、なにか、必要以上に販売してる仕組みを生み出してないでしょうか!?
私は、すごくねじれを感じるのです。
企業を大事にすべきなのか、人(個人)を大事にすべきなのか
昭和の時代は、大企業を大事にする時代で、平成まで、明らかに、大企業が有利な社会が進みました。
でも、これは、続けられるのでしょうか?
格差社会があたりまえになり、ピアノの先生も、生徒も、お金がどんどんもらえなくなり、大手企業だけが儲かる仕組みになってませんか!?
私達は、今一度、このシステムの問題に気づき、対峙しなければなりません。
王族との戦いから、資本主義との戦いへ
ピアノを習うことは、社会を習うことでもあります。
経済は関係ないとは思わずに、人々が楽しく暮らせる世界を作るためにも、大事なことは何かを再考する必要があります。