大学のレッスンに行ってきました「ソナタ以降のピアノのレッスンとは?」

私の息子は、ブログで書いている通り、音楽中学校に通っております。

当然のことではありますが、レッスンの先生は、上位に位置する大学の先生達であります。なので、タイトルに書いた大学のレッスンに行くというのは、中学校のレッスンに行っただけではありますが、今日のレッスンの直前の生徒は大学生だったりして、学年・年令問わず、専門の先生に教わっているというところですので、大学のレッスンに行ってきたという書き方にさせていただきました。

さて、そんなレッスンに本日同伴で行ってきましたので、どんなことを指摘されていたかを書いておこうかと思います。

本日は『新しい課題曲』のレッスンで、その楽曲の譜読みが宿題でした。そんな中で、指摘されたことを書いていきます。

・楽曲の構成について

速度記号の意味がわかっているか?
ソナタ形式とは?
第1主題、第2主題の違いは?
各小節の調はどうなっているか?また、意識しているか?(カデンツ)

課題曲のレッスンを受ける中で、上記のような質問が行われていましたが、言われていることを集約すると、結局は譜読みがどこまでされているか?というところです。楽曲を渡されて、すぐに弾き始めるレベルは過去のこと。まずは、楽曲の構成、テーマ、どんな演奏を求められているのかを楽曲全体を通して、眺め、理解し、読み解いていくのが、譜読みであり、場合によっては、音楽理論の理解によって、演奏者は作者以上に楽曲を理解するということなんだ、と思いました。

このような視点は、気づき始めてはいても指摘されないとまだ、気づけないのが、うちの息子のレベルです。速度記号の質問にも、的確に答えられていなかったので、意識が低いのが露呈していました。

キーワード:カデンツ

・歌うように表現する

ピアノと言う楽器は、打楽器です。そんなことはないと言う人もいるかも知れませんが、ピアノは鍵盤を叩いて音を出す楽器であり、音は押した瞬間が一番強く、あとは、音は減衰していくだけであり、人間の声のように、一度音を出した後で、音の大きさを上げるということができません。そんな欠点を持った楽器です。それができるのは、バイオリンなどの弦楽器だけです。

しかし、そんな中でも、歌のようにピアノを弾くことが、ピアニストに求められています。作曲者は人間であり、歌のハーモニーをイメージして、作られた楽曲は多々あります。そんな中で歌を歌うように演奏することを求められていました

どういうことなのかを、私の理解で書きますと、弦を叩いた後、ピアノの弦が鳴っているわけですが、その音の波形のゆらぎの中に、次の音を溶け込ませるように、滑り入れていく、そんな作業をしていくことが、歌うように弾くということのようです。

これも指摘されると気づくことですが、そもそもの楽曲の理解ができていなければ、歌うように弾かないと行けないパートかどうかすらもわかりません。改めて、譜読みの深さを求められていたのだなと気づきました。

・指番号の指摘、フォームの指摘

上記で説明した2つのポイントは、楽曲に関する指摘でしたが、ピアノの演奏技術に関しての指摘も、当然ありました。ただ、演奏技術に関しては、そもそも指練習は毎日やっていることが前提であり、弾けるようにするのは個人で行うのが前提条件のような印象があります。なので、当たり前に弾けるようになるためのレッスンを求める場合は、通常のピアノ教室で習うのが良いという印象を受けました。大学のレッスンは、弾けることが前提です。弾けるのは当たり前のことなのです。

今日あった指摘、まずは指番号ですが、これはミスを誘発するからの指摘であり、また、ばらつきがあるための指摘でした。今回の課題曲は、来月の演奏会で演奏予定であるため、ミスの軽減を目的として指摘されていました。

また、ピアノのフォームの指摘がありました。小指の使い方の指摘でした。うちの息子は、小指を伸ばした状態で手首を使い斜めに鍵盤を押す癖がついてしまっているので、その指の使い方を伸ばすのではなく、上から下の動作で、弾こうというものでした。

この指摘に関しては、小学生からピアノの練習をやってきたことの癖であることがわかります。小指を伸ばしてしまうのは、まだ子供で指が短かったころの名残だと思います。小指を伸ばし、手首を回すことで、距離のある鍵盤の音を出していたはずです。

今日のレッスンで受けた指摘というのは、上記3つでした。このような指摘が、今回に限らず、基本的には、異なる楽曲で、異なるフォームに関して、続いていくのが大学のレッスンであると思います。

気づけばできるけれど、気づけないのが、初級のピアノレッスン生ということであり、それらの意識が言われる前に、当たり前にできるようになって、中級というところでしょうか。

たかがピアノ、されどピアノということで、今回のレッスンの内容は、ピアノではなくても通じるところがあると感じました。通常の仕事も結局は同じです。

依頼があって、どんな依頼なのか、なぜ依頼されたのか、ゴールは何なのかを理解した後で、仕事を始めなければ、求められたものとはかけ離れたものになってしまいます。仕事をするための基礎能力も個人で学習していることが前提であり、それが当たり前にできた上で、仕事を遂行していくことができるのです。

ピアノを含め、人間がやらなきゃいけないことは、同じだなと思いました。

本日もブログ記事を最後まで、読んでいただありがとうございました。また、次の記事でお会いいたしましょう。

ジムノペディを聴きました ⇒ Chigyo Piano再開へ

[embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=TDNPtwysVmg[/embedyt]

はい、皆さんこんにちは。

久しぶりの「Chigyo Piano」の更新になってしまいましたね。

お待たせしました。

今年6月くらいから、管理人の私は朝9時から夜22時までという過酷な労働環境で、働かせていただいていたので、まったく更新に注力できておりませんでした。

どんなページにしようかと構想を練っていたのかも忘れたくらいです。

ブラック企業、ブラック社会を生んでしまうのは、その社会を認めることそこに参加者がいること、ということを確信しておりますので、わたくしは、会社を退職いたしました。

16年もの間、その会社に付き合っておりましたが、これは次世代にとって、良くない会社であることを、確信しておりますので、自ら退職という形で、否定させていただきました。

本日、紹介いたしました曲は、サティのジムノペディ。「ぼくのなつやすみ」というゲームの中でも使われていたということですが、昔から有名な曲ですよね。

[embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=x5Vio_4zIBQ[/embedyt]

サティ、ジムノペディで検索いたしますと、

青少年を大勢集めて全裸にして踊らせて、古代ギリシアのアポロンやバッカスなどの神々をたたえる「ギュムノパイディア(英語版)」(古代ギリシア語: Γυμνοπαιδίαι)[1]という祭典に由来しており。。。wikiより

と、やや奇妙な印象もありますが、曲調からすると、ゆったりしている祭事だったのでしょうか。全裸という言葉を聴いてしまうと、なかなか危険なものを創造してしまいますが、、、日本で裸祭りと聞くと、なにやら激しいぶつかり合いがありそうですが、そういうものとは違うんでしょうね。

東京とブラック社会に疲れてしまった今の私には、最高の癒しとなっておりましたので、ご紹介しました。

この16年。実家の両親に、月1くらいしか会えていなかったのですが、どちらも病により、死の淵に瀕してます。その介護のための、、退職でもあります。

同時に、そのような状況になるなんて思ってもいませんでした。

これは神の啓示だと思っています。私が何をすべきかを、導くのは、結局は、自然な流れなのです。

人は、川の流れのように、あるがままを受け入れ、その流れの中で、やれることをやるしかない、いや、やれることをやるだけで、変わり続ける。

そのようなものだと、私は確信しております。

不安や心のぶれは、もちろん日々ありますが、そのぶれも、真にある心と向き合えば、ぶれがないことに気づけます。

徐々にではありますが、このページを本来の形に持っていきたいと考えておりますので、今後もお付き合いいただけると幸いでございます。

本日も読んでいただきありがとうございました。

ピアノの音色

ピアノの音色について、小さいころから音色が良いと私の息子は言われてきました。それが本当だったのか、音楽中学校まで特待枠で入れたのですが、ピアノの音色の秘密というのはある気がします。

最近、中学生になったことで、使える言葉の表現力もつきましたから、よりはっきりと物事を言えるようになってきたこともあり、時々いうんですよね。

例えば、ユーチューブなどでピアノ演奏を聴くとです。

この人の演奏は、なんで、こんな伴奏なのかなぁ?
もっと、いろんな音を使った方が楽しくない?
きっと、好きで弾いてないな。。。

などなど。

とはいっても、ピアノ演奏というのが、本当に難しく、上には上があることを当人も熟知していますから、私などが、安易にこの人は弾けてないなというと

難しいんだよ、簡単じゃないんだよ
頑張ってるよ この人

と、フォローをいれたりもします。どっちの立場なのか。。。

そんな息子の会話を聴いていると、やはりそもそも音色を意識してきたようです。おそらく無自覚にも、幼いころから良い音を出したいという思いがあり、そうやって小学生の頃から、自分なりに良い音色のでる弾き方の工夫や練習をしていたんだと私は感じます。

音色の関するピアノ用語としては、やはりタッチですよね。どのように鍵盤を叩くのか、鍵盤を舐めるのか、鍵盤を突くのか、ピアニスト数だけ、そのタッチのやり方はそれぞれ違います。音色を変えるは、結局タッチとなるんですよね。

まるで、パソコンのキーボードのタッチが人によって違うのに似ているかもしれません。

最近の息子の演奏を聴いていると、最近はめきめきと表現力があがってきており、左手と右手のバランスがあがり、音楽の入り音の消える出口の音色が、かなりよくなってきたことを実感することがあります。

とはいっても、中学生で、練習不足ですから、まだまだですが。

最近やっている練習曲は、ハイドンのソナタ。番号は、ちょっと今は記憶していないので書けないのですが、その練習中、おそろしいくらいに、タイミングよく、右手の音楽を奏でて入れられるようになってきました。

ここまでくると、もはや軽音楽のレベルを超えているなと、実感できます。もう少したったら、そんな最近の動画も撮影して、公開したいと思います。

本日はこの辺で。近々、更新頻度が上がっていく予定でおりますので、今後ともよろしくお願いしす。