いまさら気づく、ピアノコンクールは長期戦!

皆様、いかがお過ごしですか?

学校の終業式も終わり、桜も咲き始めて、いよいよ新学期の足音がし始めるそんな季節になりました。

私の職場では、自己都合で退社される方がおりましたが、大きな変化はあまりなさそうです。

さて、先週私達が参加していたピアノのコンサートでは、コンクールで入賞・入選をとった人のコンサートだったわけですが、そこで気になったことがあります。

それは、タイトルにある、ピアノコンクールは長期戦であるということです。

どういうことか!?

入賞者コンサートには、コンクールで3位だった私の息子よりも上位にいた方々も参加していました。

そして、私達ももちろん気にしていますから、どんな演奏をするか楽しみにしていました。

曲はおそらく、次回のコンクールの課題曲だろうと予想していました。

やはり実際、次の関東大会の曲を演奏していたんですね。

ですが、、、

ですが、どこか予選の時の鮮やかさが無かったんですね。

いかにも準備不足といったのを感じてしまう演奏となっていました。

確かに指は動いているのですが、曲の躍動がまったくなく、予選で観客を魅了した演奏になっていなかったんですね。

はて!?どうしてなのかと、私は考えていたのですが、今日ちょっと考えていて気づいた結論は、関東大会、やその先の本番を意識した練習をしていなかったのではないのか?という憶測です。

年に一度の予選に向けた練習というのは、1年かけて行うこともできます。

そうなると余裕を持って望めるわけですね。

ところが、予選の3ヵ月後の関東予選、そして、その3ヶ月後の本大会があるというのが、ピアノのコンクールの通常の流れであるわけです。

そうなると3ヶ月の間のなかで、曲を仕上げることが必須となります。

ところが、子供は、ピアノだけではなく学校行事をこなさなければいけません。

また、合唱や合奏のピアノも頼まれることもあります。

そういった中での3ヶ月で、多くの準備をした人が、本選でも力を発揮できるということになるわけです。

予選は通過できるけれども、そこから先の壁というのは、時間的にもあるということなのですね。

では、うちの息子の場合はどうだったかというと、予選の後は、練習曲2曲と学校行事での2曲を仕上げていました。

そして、コンサートの曲を並列してやって、先週のコンサートに望んだ状態です。

今回の完成度を見ると、うちの息子は予選こそ、まだ実力が伴っていないものの、曲の仕上げ方を見るに、平行での練習には、耐えうることを、すでにやっているので、今後、関東大会、本選、それぞれの3ヶ月で準備することは、特には問題ないと感じました。

とはいえ、そもそもの基礎力がまだ足らないからの予選3位というわけですから、後半年で、どれくらい伸ばせるかというところが、一番大事なのは変わりません。

もちろん、まず地区予選を突破することが、目標であれば、前回のコンクールで弾いた曲を再度練習するというやり方もできるのです。

同じ曲を2年かけて練習して、出場することも可能ではあります。

でも、おそらくそのやり方は、息子も望まないし、息子の先生も望まないでしょうね。

息子は、勝つためにピアノをやっているわけではなく、音楽が好きだからピアノをやっているし、そういう考え方を、ピアノの先生もしているようです。

実際、次はどんな曲をやろうかと、先生は探し始めてますから、明らかに勝つためではなく、成長の為の曲を選ぶ姿勢でいます。

 

通知表に「ピアノ」のコメント・・・

おはようございます。

夜かけなかったので、朝の投稿です。さて、記事にしたいピアノの生演奏動画も貯まってきているので、掲載したいところですが、そこまでの時間はないので、息子の話です。

最初に書いておきますが、親ばか話なので、付き合う必要はありません(笑

子供のころの通知表には先生からのコメント欄があります。

あったんですね、わたしも息子のを見て思い出しました。

そこにあったのは、一応学校での様子ではありますが、担任の先生が息子のピアノ伴奏に感動したという話

おぃおぃ・・・うれしいけど!? え? >_<;

何かができなかったのが、できるようになって、成長が見られるとか、こういったところは課題かなとか、そういうのが書かれるのが、普通な気がするんだけど、

先生感動した

は・・・びっくりですね。いや、そうじゃないけど、そう言っているコメントが詰まってました。

もちろん私達(=両親)は「親ばか」なので、そう思ってますが、担任の先生から褒められるのは、またちがった感情になります。

先生のところにも娘さんがいて、ピアノを習っているんだけど、ぜんぜんって話を奥さんにはしたことがあったようですが・・・

次学年でも期待してます

ってば、そうなんだけど、ピアノの道の厳しさ、収入の少なさを知っていると、簡単な話ではないんですけどね。ピアノを頑張るっていうのはね・・・

ただ、そこには、

清く美しい音のメロディーは確実にあります

私は典型的な日本のエコノミックアニマルにはなれないので、経済優先ではなく、息子のピアノに反対ではなく、むしろ、微笑ましく思っていますが、

お金優先なら、さっさとピアノは辞めて、お金になる勉強をしろとなる年頃になってきています。

まぁ、少し心配はしていますが、小学生のうちは全力で!!と私も思っているので、ピアノ大嫌いにならないなら、頑張って欲しいと私ももちろん思うところであります。

親以外に評価される息子って、すばらしいなと思います。

身近な人に、感動を与えるってのは、普通にすごいなと思います。

何よりもすごいと思います。

そして、私は親ばかです(笑

続・「ピアノの音色がキレイだよね」 どういうことか?

ピアノの音がキレイということは、どういうことなのか?という話は、今回が始めてではないので、続とタイトルに書きました。

皆さん、お元気ですか?私は、今ちょっと憂鬱です(笑)
ですが、そんなことは忘れて、ピアノの話に没頭したいと思います。

うちの息子は、

「ピアノの音色がキレイだよね」

と言われてきました。少し昔の話ですが、ものすごく指がまわる娘さんを抱えているお母さんからも、そういわれてきました。

その時の私は、

うちの息子はあまりピアノが上手じゃないから、キレイって言われている

と感じたものでした。本当にピアノが上手な娘さんですからね。まぁ、それくらいしか褒めるとこないんだろうなぁって思ったわけですね。

なんで、こんな話題を今日書いているのかといいますと、先日のコンサートで演奏した「千本桜」においても、楽屋裏で他の先生達に息子の出す音がキレイと言われていたことを、担当の先生に言われたからです。

これを聞いた奥様は、無駄に上機嫌ですが。。(君じゃなくて、息子の話なんだけど・・・)

さて、この「音色がキレイ」というテーマで、私はいろいろと分析というか、客観的に考えてきたので、その答えを今は持っています。

私は、息子のピアノを聴いていて、他の子供達に比べて音が小さいなと感じていました。特に、コンクールや、発表会では、顕著にそれを感じていました。

そこで、自宅での練習の際に、

「もっと強く弾けないの?」

と聴いてみたわけですね。息子に。そして、強く弾いてみて、息子は、不満を持っていたんですね。

そして、その時です。息子は、

音が汚いからやなんだよ

って言ったわけです。つまりです、音色を気にして普段から弾いている事実がこの瞬間に発覚したわけです。

息子は誰からか教わって、こうなったわけではなく、潜在的にそうなっていたわけですが、その理由も私はわかります。

息子は、少し神経質なんです。まぁ、よく言うと繊細。

何かひとつのことをいわれただけで、大げさに捉えたり、怖い幽霊の話などを聞いただけで、夜寝る際、怖くて電器を消せなくなってしまう。

そんなわけですね。悪く言えば、息子は臆病というわけです。

そういった性質があるから、ピアノの音にも敏感で、音のコントロールをしていたということです。

でも、よくよく考えてみると、この何かがキレイという感覚は、そもそもピアノの演奏だけではないんですね。

たとえば、毎日の挨拶もそうです。

とても元気に「おはようございます!!」というお子さんもいれば、少し恥ずかしそうに「おはようございます」という子供、照れくさそうに「おはよう」、

言いたくないけど、「おはようございます」。言えなくて、無言な子供もいます。

いろんな子供達がいます。

そんな何気ない挨拶からでも、私達は、いろんなことを感じますよね?

ピアノの音色もそれと同じことが言えると私は思うのですね。

とてもやさしい挨拶、とてもよい演奏、音色というのは、そのような繊細な部分が現れるというわけですね。

元気がいい子供は、元気なピアノの演奏をしそうですし、ピアノの演奏を聴くだけで、最近の私は、どことなく性格が見えるような気がします。多分、気のせいだと思いますが。

結論から言えば、「音がキレイ」と言われるのは、本当に、打楽器と言う性質もあるピアノにおいて、雑音を出すことも可能であるが、心地よい音を、絵檀で実際に出して演奏しているということです。

スタインウェイは、どんな音色も出せるから、すごいんだという意見をされているピアノのWEBサイトがありましたが、まさにそれで、同じピアノでも、演奏者が違うだけで、まったく印象が違うというのを、先日のコンサートでも私は目の当たりにしました。

ピアノの演奏においては、音色がキレイよりも、元気なピアノが好きな人もいるだろうし、音よりもリズムだったり、そもそもの楽曲の好みもあるものでから、ピアノの音色がキレイだからすばらしいということではなく、

音がキレイもピアノにおける一つの表現だということなんだ

と私は思います。キレイ=すごいというわけでも、もちろんないわけですね!

ということで、今回は私の感じている「ピアノの音がキレイ」の意味について、ブログの記事にしてみました。いかがでしたでしょうか。

おそらく人それぞれ、評価についていろんな感じ方があるし、実際にピアノの演奏がうまくないからきれいと言っているときもあると思いますが、何度も言われていたので、私は上の結論に至っているという状況です。

参考までに、読んでいただければ幸いです。それでは、今回はこの辺で。

コンサート 「千本桜」の出来は、まぁまぁでした!

このブログを読んでいただいているみなさま、いつもありがとうございます。

更新ができない日が続いていまして、すみません。久々に、記事を書かせていただきます。

昨日は、息子の入賞者コンサートということで、ちょっとした音楽コンサートに行ってきました。

いつもお世話になっている先生方の「本格的」な演奏もあり、有料ではあったのですが、正直最後には、納得のコンサートとなりました。

さて、親ばかながら、息子はどうだったかということを書きます。

今回は、競うコンペティション、コンクールではなく、コンサートでしたので、子供も意識的にリラックスして本番を迎えていました。

曲も、ピアノ練習の合間に、耳コピで弾いていた「千本桜」のきちんとした楽譜の、上級者バージョン。

練習機期間は、1ヶ月半くらいしかなかったのですが、今年1年間の成果であった、「トリルの克服」、「強弱の意識」、「間の取り方」の3つの成長が確実に見られた、演奏となっていました。

初めて聴いた人であれば、「ノーミス」だと感じる演奏に、仕上がっていたと思います。

いやぁ、息子ながら、良く頑張ったの演奏だったと思います。

息子が帰ってきた時「あの子だよ」というような話し声がちょっと聞こえていたので、ちょっとは他の親御さんの心にも響いていたのかもとも思います。

息子だけの演奏を収録する、5分、5000円弱もするようなブルーレイディスクの購入も最初はやめようとしていたのですが、演奏が良かったので帰りに申し込む次第でした・・・(馬鹿親です)

コンサート自体は、

年上の生徒の皆さんの演奏にもすばらしいものを感じたり、年下の生徒さんの弾く簡単な曲の演奏でも、この子はそもそものピアノのセンスを持っているなと感じさせるものなど、選ばれた子達というのは、やはりいるなと改めて感じたコンサートでもありました。

先生の演奏は、

私は普段、プロの音楽家、音大生の音楽をで聴くことはないのですが、先生の中でも、やる気のある先生の演奏でしたから、先生のピアノ発表には、本当に驚きました。

当たり前に、上手いわけですね。YouTubeで探す、上手な人以上の演奏であったと感じました。

私の息子の担当の先生は、声楽科出身ということで、歌を歌っていらっしゃいましたが、聴いたことのない、プロの発声に正直、息子も私達もびっくりしてましたね。

コンサートが終って、先生から息子に向け

「自分の出番以上に、息子の演奏の前に、どきどきしていた」とメールをいただきました。他の生徒さんがいる前では、なかなか出せない、息子への熱心な気持ちをいただいて、親としては凄く感謝するメールであったと感じました。

「息子のこれからの成長が楽しみです」と、先生からのメールにもありましたが、私も親ですから当然楽しみです。

来月から新しい学年に上がりますが、小学生のうちはいけるところまで頑張るという気持ちは、私も息子も同じなので、頑張っている活動の中で、とてもいい演奏会の一つになったと思います。

本日は短いながらこの辺で、ブログは終わりです、忙しくて更新はできていませんでしたが、ブログのネタは貯まっている状態(笑)なので、時間の取れるときに、また更新しますので、よろしければ今後ともよろしくお願いいたします。

子供はすごい!

親ばか的な記録となりそうですが、このテーマで書いてみようかと思いました。

今思い返してみると

才能

という言葉の意味をきちんと理解できるたかと言えば、これまではできなかったと言える。

これまでの、自分の理解では、「才能って言うのは誰にでも、何かしらある」だったんですが、そうではないときちんと理解ができるような経験となったんですね。

これまでの、私の自身の経験から見て

自分ができることは、できるけど、できないことは、できない。

自分が興味あることは、できるけど、やりたくないことは、できない。

そんな程度の理解でいたんです。

ところがです。その興味と言うのは、何か?という話になるのですが、才能のある人間というのは、なぜか、その物事への取り組み方が変わるんです。

たぶんそこは、心が大きく関与していると思うんですが。

心のパワーが違う。心とその物事のパイプがすごく太くなるという感じな気がするんです。

というところで、朝書ける時間は終ってしまったので、続きは、夜にでも・・・今日も仕事が長いので、、この辺か・・・

スタジオジブリ 風の谷のナウシカ


これ、いいですね!

久石譲が音楽を手がけた「風の谷のナウシカ」の楽曲は、今聴いても全然色あせておらず魅力があります。

私のクラシックとのはじめの接点は「アニメ」と「ゲーム」からでした。つまりは、世代なのかもしれませんね。

地方の田舎公務員の長男として生まれ、あまり上級生との接点との無かった私が、ジブリ作品に触れたのは、実は小学校ででした。

アニメーションももちろんですが、その音楽の深さに驚いたというか、まさに衝撃を受けていたわけですね。

戦隊モノの主題歌を卒業していた頃の私は、アイドルやロック音楽を聴くよりも先に、ジブリのCDをレンタルしたり、買ったりしていました。

そういえば、私が始めて買ったCDは、「魔女の宅急便」だった記憶がよみがえってきました。そして、最初に買ったテープ音楽は「ドラゴンクエスト」だったのでした。

レコードの次は、テープという媒体でも音楽を売っていたという話ですね。

私がクラシックを取り入れていた「X」の音楽に魅了されロックに目覚めることになるわけですが、もしかしたら、クラシックの接点があったからかもしれないわけですね。

さて、ピアノが弾ける息子がいることによって、今一度クラシックとの接点が戻ってきたわけですが、最近は息子が、好きなアニメの曲をアレンジして弾いているとかが、あるわけで、そこに感動してる私がいます。

なんで、できるんだか。。愛ですかね。

アニメ音楽の世界への広がりを見ていると、やはり、音楽というのは、「劇」の曲として書かれることで、洗練されるのではないかと思わせるてくれます。

いいですね、ジブリ。ほんと、久石先生、いいですね。

やはり音楽家はピアノありき

ここのところ残業の過労が重なってか、金曜日に熱が出てしまいインフルのように体中が痛い状態が、昨日までありました。

しかし、今日には、けろっと直ったので、子供みたいではありますね。

さて、今日の話題は音楽家の素養と言うか、原点はピアノがありきってことですね。

まぁ、当たり前と言われれば、当たり前かもしれませんが、作曲するなら、編曲するなら、音楽を生み出すなら、ピアノを学んでいないと、できないとやはり思うわけですね。

頭の中で、いろんな音を同時並行的に奏でることは、ピアノもしくはそれに類するキーボード類を扱い、なれていないとできない、そう実感しています。

私も実際、学生時代、ギターをやっていたので、ギターで曲を作ったわけですが、どこかこじんまりとした曲しかつくれないなぁというぼやぁーとした、そもそもの枠を感じていたんですね。

もちろん、ロック系の音楽など、聞いている音楽の偏りがあったということは事実で、それを意識して、当時の私は、クラシック、Jazz、ボサノバなどなど、逆に他のジャンルの音楽を聴くようにもしていたんですね。

ところが、それでも、なにか根本的に広がらない

それが息子がピアノを学んでる姿を見て実感するんですね。

ピアノを演奏というのは「ふつう」の演奏からすでにどれだけの和音の、音のバランスを意識しているか、リズムを意識しているかということに。

単音を追求するヴァイオリンや管楽器など、そしてボーカルとは根本的に違うわけです。

ギターにはコードという和音があるわけですが、押さえ方という弾ける「速度」をゆうせんすることもあり、型から入ってしまいがちで、それでは音楽として理解していけてないんです。

一方で、ピアノは、先生に譜面を読むよう指導されてきますから、指と譜面とを連動させ、構成音を正しく理解して演奏するのが正しいわけで、それが当たり前。

楽譜が当たり前のピアノを学習していたか、していないかで、音楽の幅の限界が見え隠れしてしまうのは仕方がないとも言えます。

実際に、人気のあるミュージシャンと言われる人達でも、幅ひろの音楽の作品を提供している場合は、編曲者(アレンジャー)が実は良い仕事をしていることが多く、そういった人のバックグラウンドにはたいていピアノの経験があるのが常であるのです。

ということを書いてしまうと、ピアノやっていないと音楽ができないと言っているようにもとらえられてしまうかもしれません。

が違います。

歌を作るのは、鼻歌を歌う才能があれば、誰でも可能だと私は考えています。そうではなく、幅ひろく、音の空間を演出するような部分を装飾していく時には、ピアノが必要なのだということを感じると書いているわけです。

さて、息子の音楽コンサートまで、あと2週間となりましたが、まだ、完璧とはいえません。

しかし、ピアノの先生と譜面を調整しながら挑んでいる姿が微笑ましいと奥さんが言っていたりするのを聞くと頑張っていることに感動する場面があります。

曲は次の譜面を利用させてもらっています。

ネットで聞く「千本桜」とは、異なる「千本桜」の演奏になります。

こちらの楽譜の上級版は春の訪れを感じさせるメロディーが、本当にすばらしく、練習で流れてくる音は、息子ながら感動する瞬間があります。

よくよく考えると、5年しかやっていないのに、よくここまでも弾けるなあと親なので感じるのですが、親ばかなんでしょうね。常に上には上がいます。

さて、急に息子の話となり、なぜ、話がよこみちにそれているかというと、次のエピソードを書きたかったからです。

息子は練習して疲れたときに、適当にアドリブで、メロディーを弾くんですね。

このメロディーを引くときの左手の和音、音の広がりが、絶対音感と和音の理解から、根本的にギターとかとは違うんですよね。適当にメロディーを並べても、音楽観が相当広がってるんですよ。

そんなときに、ピアノをきちんと学ぶことの大事さっていうのを改めて感じます。

本当の音楽家を目指すなら、ピアノは必須だと私は再度認識するわけですね。

ということで、ピアノ嫌いの軽音楽好きの皆さんも作曲するなら、ピアノもやっておいても損はないですよーということを、ちょっと伝えたかったので、書いてみたネタでした。

私も正直、ピアノやっとけばなぁと思ったこと、数知れずでした。

ピアノの先生も悩んでるようだ

私はコンクールに熱心過ぎる親御さんではないけれど、子供にやる気があるならやればいいくらいの親ではある。

ピアノも中級くらいまでなら、ピアノ科出身でなくても教えられていたみたいだけれども、最近は、息子もひとつ上の先輩もそれなりに上手くなったからなのか、たまに弱気なことを言うこともあるそう

息子の先生は、声楽科出身

それでもピアノは素人の私やちょっと習った奥さんが聴いたら、ありあまーるくらいの演奏をしていた

けれど最近は、「別の先生」に、という発言が増えた

もちろん私も息子が頑張っているし、私自身もギターで、昔ライブハウスにちょこっと出演したりと音楽の知識はあるし、最近はピアノ学習の本も10冊以上買って、可能な範囲で息子のサポートをしてきたから、ちょっとはピアノの苦労についても見えてきた

ショパンの先生も最初はヴァイオリン奏者だったようだし、必ずしも先生がピアノ専門でなくとも育つ人は育つのだろうと思う

子供の音楽への気持ちを、心を、一緒に育めるかどうかは、技術以外のところにもあると私は思うから、上級者になったから別の先生に変えるというのも違うと私は感じる

なので、先生には弱気にならず、指導力を伸ばしてもらいたいなあと感じる

自分ができたなったことを成し遂げる生徒を抱えるコーチは、スポーツを見ていてもたくさんいる

自分を伸ばすのと、他人を伸ばすのは、違う能力だとわたしは感じるので、先生にはそういう気持ちを、もってまだまだ指導してもらいたいと思う

やる気のない生徒ばかりも大変だし、うまくなる子供が多くても悩むと、ピアノの先生も大変だなあと、最近感じました

どう落ち着くのか、親としては「見守るだけ」と、私は決め込んでます