やはり音楽家はピアノありき

ここのところ残業の過労が重なってか、金曜日に熱が出てしまいインフルのように体中が痛い状態が、昨日までありました。

しかし、今日には、けろっと直ったので、子供みたいではありますね。

さて、今日の話題は音楽家の素養と言うか、原点はピアノがありきってことですね。

まぁ、当たり前と言われれば、当たり前かもしれませんが、作曲するなら、編曲するなら、音楽を生み出すなら、ピアノを学んでいないと、できないとやはり思うわけですね。

頭の中で、いろんな音を同時並行的に奏でることは、ピアノもしくはそれに類するキーボード類を扱い、なれていないとできない、そう実感しています。

私も実際、学生時代、ギターをやっていたので、ギターで曲を作ったわけですが、どこかこじんまりとした曲しかつくれないなぁというぼやぁーとした、そもそもの枠を感じていたんですね。

もちろん、ロック系の音楽など、聞いている音楽の偏りがあったということは事実で、それを意識して、当時の私は、クラシック、Jazz、ボサノバなどなど、逆に他のジャンルの音楽を聴くようにもしていたんですね。

ところが、それでも、なにか根本的に広がらない

それが息子がピアノを学んでる姿を見て実感するんですね。

ピアノを演奏というのは「ふつう」の演奏からすでにどれだけの和音の、音のバランスを意識しているか、リズムを意識しているかということに。

単音を追求するヴァイオリンや管楽器など、そしてボーカルとは根本的に違うわけです。

ギターにはコードという和音があるわけですが、押さえ方という弾ける「速度」をゆうせんすることもあり、型から入ってしまいがちで、それでは音楽として理解していけてないんです。

一方で、ピアノは、先生に譜面を読むよう指導されてきますから、指と譜面とを連動させ、構成音を正しく理解して演奏するのが正しいわけで、それが当たり前。

楽譜が当たり前のピアノを学習していたか、していないかで、音楽の幅の限界が見え隠れしてしまうのは仕方がないとも言えます。

実際に、人気のあるミュージシャンと言われる人達でも、幅ひろの音楽の作品を提供している場合は、編曲者(アレンジャー)が実は良い仕事をしていることが多く、そういった人のバックグラウンドにはたいていピアノの経験があるのが常であるのです。

ということを書いてしまうと、ピアノやっていないと音楽ができないと言っているようにもとらえられてしまうかもしれません。

が違います。

歌を作るのは、鼻歌を歌う才能があれば、誰でも可能だと私は考えています。そうではなく、幅ひろく、音の空間を演出するような部分を装飾していく時には、ピアノが必要なのだということを感じると書いているわけです。

さて、息子の音楽コンサートまで、あと2週間となりましたが、まだ、完璧とはいえません。

しかし、ピアノの先生と譜面を調整しながら挑んでいる姿が微笑ましいと奥さんが言っていたりするのを聞くと頑張っていることに感動する場面があります。

曲は次の譜面を利用させてもらっています。

ネットで聞く「千本桜」とは、異なる「千本桜」の演奏になります。

こちらの楽譜の上級版は春の訪れを感じさせるメロディーが、本当にすばらしく、練習で流れてくる音は、息子ながら感動する瞬間があります。

よくよく考えると、5年しかやっていないのに、よくここまでも弾けるなあと親なので感じるのですが、親ばかなんでしょうね。常に上には上がいます。

さて、急に息子の話となり、なぜ、話がよこみちにそれているかというと、次のエピソードを書きたかったからです。

息子は練習して疲れたときに、適当にアドリブで、メロディーを弾くんですね。

このメロディーを引くときの左手の和音、音の広がりが、絶対音感と和音の理解から、根本的にギターとかとは違うんですよね。適当にメロディーを並べても、音楽観が相当広がってるんですよ。

そんなときに、ピアノをきちんと学ぶことの大事さっていうのを改めて感じます。

本当の音楽家を目指すなら、ピアノは必須だと私は再度認識するわけですね。

ということで、ピアノ嫌いの軽音楽好きの皆さんも作曲するなら、ピアノもやっておいても損はないですよーということを、ちょっと伝えたかったので、書いてみたネタでした。

私も正直、ピアノやっとけばなぁと思ったこと、数知れずでした。

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