私の学生時代の努力がまったくの無駄だったことを痛感した夜

昨日、息子にオンラインで音大が無償提供しているソルフェージュのテストをやらせてみたのであるが、その実力に驚いたのは昨日のことである。しかし、それ以上に私の学生時代の音楽への憧れとその学習が、どれ程に無駄だったかを痛感した夜でもあったので、そのアホさを今日は記録してみよう。

当時の私は単なる中2病でしかなかったと痛感させられたのであった。

ほんとうに情けなくなった。

私は90年代中盤から2000年あたりにかけ学生時代を過ごした。当時は音楽バブル・バンドブームで私もミュージシャンに憧れた。

学校生活(集団生活)に馴染めなかった私は、自分のいびつな性格(今はHSPという性格だっただけと理解)のせいだとして、音楽に救いを求めたようなところがあり、異常なまでに音楽にのめり込んでいた。CDもたくさん買っていたし、日夜ギターの練習、またカラオケを上手に歌えることも目指した。ヴォイストレーニングの独学もやっていた。

さらにそれが加熱し、大学生活においては、親には頼めないからと授業のない時間、土日休日などを使い11時から23時までのアルバイトを週3~4やり、貯めたお金で音楽の専門学校に平行して通うなど、音楽へ異常な情熱があった。

成人式のあった年のお正月は、元旦の朝9時から働いていたことを今も覚えている。

けれど、結局現実を突きつけられ、大学卒業を有効活用にし、普通の社会人になり、充実した学生時代との思い出にしかならなかった。

でも考えなければいけない、バイトで貯めた学費に200万円とは言わずとも、それに近い費用を払っていた気がする。

私の実力といえば、選考していたギター実技で学べたことだって今の息子のピアノの演奏している曲には及ばないし、楽典の理解は未熟であるが、当時使っていた教本を斜め読みさせた様子を見ると、読めば余裕で理解できそうだし、ソルフェージュとされる音楽基礎能力は、私が当時熱望したレベルを既に超えているのだ。

今の息子にかけている費用を得ても愕然とする。

教育だけを考えると、ざっと月9000円~11000円の月謝を7年間払ってきた。
発表会、コンクールを加算するとそれぞれで10000円加算できる(でも、これはライブハウス出演代に似ているのではずしてもいい)

ざっと (1万×12ヶ月 + 2万)×7年 = 84万円だ。

ギターの値段や練習のためのスタジオ代、アンプ・エフェクターなどの機材代金は考えないように、ピアノの費用は考えない。

私:200万円  VS  息子:84万円
※ピアノ教室は7年目だから多分これより少ない

つまりだ、アホのように働いて得た私の苦労の200万円は、息子から見ると「ほんとうにがんばったね」程度の慰めの言葉にしかならない費用になるのだ。

恐ろしすぎる程に、アホだ。。

たしかに、私が音楽の知識を多少持っていたから、息子のピアノへの理解もあったし
何かしら子供へ良い影響を与えることが、もしかしたらあったかもしれない。

けれど、子供のうちに音楽を始める、それも好きで始めると言うのは、このように雲泥の差を生むのである。

絶対音感は不要という方がいて、もちろん絶対音感を持ったピアニストがバイオリンを明日から弾けと言われてもできないわけだから、嫉妬の気持ちはわかるが、絶対音感を持って楽しくピアノを学べる資質を持ち、普段なにげなく音楽をうたっているような子供というのは恐ろしいくらいに、自然にいろいろできるようになっているということなのだ。

これは、たぶん誰でもできることではないだろうが。ピアノを習って上達している子供達は似ているようなきがする。

正直、息子大丈夫?というエピソードもある、道路上で、何かを鼻歌で歌っていたり、ダンスしたり、別の世界にいたりするお風呂で、何かを歌ってるのも日常茶飯事だ。

ネイティブの英会話講師にどんなに習ったところで、いくら費用をかけたところで、上達しない英会話に、これは詐欺という人がいるように、音楽は教育をどんなに施したところで、何にもならない事例があるのは、当然な気がした。

そもそも持ってる資質があるかに由来することを実感させられた夜だった。

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