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電子ピアノはピアノではない ピアノの音を再生する機械である

皆さん、こんにちは

最近、Yahoo!知恵袋でピアノカテゴリーの質問に、ピアノと共に歩む息子との歩みの中でピアノについて学んだ経験から回答を書くことが多いのですが、そのテーマの中でよくあるのが

子供に電子ピアノを買おうと思うのですが、どんなのがいいのですか?

というものだ

これは私も経験したことだから、つい力をいれて回答してしまうのであるが、

全部の電子ピアノはおすすめではないのである。

家のスペースの問題、騒音の問題、定期的な調律、ピアノという楽器は面倒なものである

であるが、電子ピアノは楽器ではない

自ら音を発しないのだから、スピーカーから音を再生する「マシン」なのである。

もちろん電子ピアノはピアノの音はする。だが、ピアノの音を再生しているにすぎない、それも常に1色の音でしかないのである。

人間でたとえるなら、ロボットと人間くらいの違いがある。あらかじめプログラムされた動きをする人型ロボット。AIを積んで無限の可能性を秘めたロボットなら、まだ、ましかもしれない。けれど、ワンパターンのロボットならすぐに飽きてしまうだろう。それが今の電子ピアノだ。

無限にピアノの音をサンプリングをして、AIを積んで、ピアノ音をシミュレートすれば、電子ピアノももしかしたら、生ピアノのような表現力を持つことも可能かもしれないが、今現在はそのような方向の製品が存在しない。

どんなに、アップライトピアノの構造をとったとしても弦が鳴らない時点で、ピアノではなくなってしまっている。アップライトっぽいタッチの電子ピアノでも、アナログならではの変化を学ぶことができないのが、現状だ。

子供にピアノを習わせるなら、絶対に電子ピアノはNGだ。

うちの子は練習しないから、いいの。とか、お稽古だから。というのであれば、電子ピアノでもいいかもしれない。でも、それなら、いっそのこと、ピアノを習うこともないだろう

電子ピアノを買っていいのは、子供の頃に生ピアノを使い、きちんとしたタッチがわかっている大人だけだど、私は考えている。

電子ピアノと名前をつけたことがそもそも間違いだろう。ピアノキーボードと名称を変更したほうがいいだろう。あくまでもキーボードなのだから。

 

ピアノの先生の年収は厳しい

ピアノの先生の年収は厳しいものがある

今ではネットで簡単に調べられるから調べれば、ピアノの先生のの平均年収は500万円未満ということで、
ピアノがどんなに上手くなったとしても世間平均と比べるとたいした収入が見込めないことがわかる。

ピアノの先生になっても高い年収が見込めないなら、無理してピアノの先生になる必要はない。
となると、コンクールの結果がどんなものでもそれ程気にすることはないといってもいいだろう。

趣味なんて上手くても下手でもどちらでもいいのだからとなってくる。

なら、がんばらなくていいや。

ここまで読んでそう思った人は、すでにピアノはやめた方がいいだろう。そもそも趣味としても、ピアノが好きではないのだろうから。

しかし、ピアノ・音楽を愛してやまない人であれば、それでもピアノと共に生きることを願うだろう。

ではメリットを考えてみよう。

収入が少ないピアノの先生であるが、自由時間つまり自分の時間の確保に関しては、ものすごく優遇されているといっていいだろう。

子供の習い事は、始まりが早くとも午後だ。午前中は何をしていてもいい。週末は生徒が来るので仕事になるが、深夜残業もないし、早朝出社もない。
もっというと自宅が個人教室なら通勤時間すらないのである。想定外の出社依頼だって皆無だろう。

それでいてうまくいけば、500万円ももらえるのだったらいいかもしれない。

女性が高い収入を得る場合、名のある4大生大学を卒業しキャリアウーマンとなり、残業当たり前で働きすぎのようなところに就職しなければ、年収500万円を超えるようなことにはならないのである。

しかし、そのような職場では、会社の育児補助制度がどんなにそろっていたとしても、
仕事への責任感などから簡単には出産に踏み切れないし、復帰した後も、戦場で戦うママとなり、子育てなどできるはずもなく
親の手助けが必須のものとなるのである。

一方、普通のアルバイトや非正規社員で働いてしまうと、年収200万円以下となるので、それにくらべると、ピアノの先生は悪くない仕事となるだろう。
音大までいってやる人がいないことで、ライバルが少ない分、努力すれば、それなりの結果も得やすい気がする。

特に女性の場合には、この自由時間が大きいピアノの先生が多分にメリットとなるだろう。
出産や育児など、家庭の幸せもつかみつつ、ゆったり生きれる可能性は高い。

ちなみに私が年収500万円を超えたのは27歳くらいだったきがするが、そこには残業代が多分に含まれていた。
これは、自分の時間を売っているに等しい。
たいていの日本のサラリーマンはこれに該当する。満員電車+残業+各種ハラスメントをセットにこなす事でお金を稼ぎ出すのだ。

もっとも、ピアノの先生が稼げない第一の理由としては、日本では日常的に生演奏を聴くような文化がないからだろう。
必要ないから、仕事がない、ただ、それだけだ。

しかし、いつも聴きたくなるような状況になれば、それが一変するであろう。

ピアノの先生が憧れるピアニストなどは、音源も良く売れ、ピアノの先生が聴き来るのだ。

つまりは、最高の地位に上れば、それなりの収入の可能性がでてくるということである。

どんな仕事でも、この最高の地位につけば、上限などなくなる。しかし、最上位は、努力だけでなく、天が味方するような運も必要となることは言うまでもない。

HSPな長男と非HSPな次男

私は芸術を愛している人はHSPの性格である可能性は高いと考える。

私がHSPという性格や内向型(内気とは違う)を知ったのは最近のことであるが、その内容を知るほどに芸術の分野においては、この性格を持ち合わせていないとかなり難しいということを感じている。

そもそもこの性格は、約1/5の割合でいるということなのだが、あまりしゃべらなかったり、一人でいることが多く、クラスの仲間とも馴染みにくいというように学校では見えるので、どこか浮いていたり、内気とみられるような誤解がされる。

実際HSPの私もそうであった。

学校にそんな友達がいたことを非HSPの人は思い出すであろう。
「あいつちょっと浮いてたよね。影が薄かったよね。」とかだ

なぜ、そうようにしゃべらなかったり、一人でいるのかといえば、考え事が常に頭の内側から湧き出ているからなのである。常に内側から考えや音楽が湧き出していれば、当たり前のように外側との付き合いが減るのである。

どういうことかというと、一人でいるときにも常に自分と会話している(考えたり、内省している)のであるから、いつも自分と話をしているのに、さらに友人と会話するのは疲れるということなのである。

一人でいてもやることがいっぱいなのだ。

一方の非HSPは、一人だと自分の頭の中に何かが浮かぶことは少なく、面白いことはないかと常に外部の刺激を求めるのだ。当然、誰かとのおしゃべりが楽しいし、他の子にちょっかいだしたりと楽しいことを外部に求める。

この性質があるのとないとで、どのような違いが現れるかをピアノの練習で考えてみる。

毎日、同じようなチェルニーの練習曲を弾いているとする。

<HSP側>
一人の練習の時も、内側の自分との対話をしている。
「ここが失敗した、昨日の練習よりもうまくできてない、発表会まで課題曲が間に合うのかな」など常に自分と会話しながら練習をする

※内省することで落ち込んだり、できないとで悲観して練習をやめる可能性もあるが、基本的には耳を澄ませ、自分の音と対話をすることができる。

<非HSP側>
一人の練習の時は、誰もいないので、つまらない。
「弾いてるけど、誰も聞いてくれないし、つまらない。お母さん聞いてる?何か面白いことないかな」など、自分の演奏に集中しにくく、外の評価を必要とするのである。

※常に外側にエネルギーを向けている非HSPだと、一人での練習がほぼ成り立たないだろう。外部からの評価がないと、退屈に感じてしまうからだ。

まとめるとHSP側は一人での練習が可能であるが、非HSP側は一人の練習は楽しくなく、先生あるいは親との対話が必要になってくるのである。

このことから楽器をやる人はHSPの性格の人が多いはずだと、私は考えている。

ピアノのレッスンは週に30分、長くても1時間程度がせいぜいだ。その時間だけで上手くなるものではない。そうなると自宅での練習が重要になってくるわけだが、親がつきっきりというのは共働きの時代では難しく非HSPは不利だ。

つまり芸術、特に楽器のように繰り返しの個人練習が必要なものは、HSPの性格を持っていないと厳しいということになる。

そもそも音楽を聴いていろいろな反応や解釈が得意なのはHSPであり、そうでない非HSPは音楽を聴いても楽しいとは感じにくいのである。

明るく元気な子供というのは、たくさんの友達を作って、みんなの前でも活躍でき元気な子供であり、それは非HSPにとても有利だ。けれど、繊細な音の描写に耳を傾け、ひたすらに音に集中するような仕事のようなものはHSP側でなければ難しいのだ。

うちの長男がHSPであるのは間違いなく、だからこそピアノが上達してきたと、私は考えている。一方、いろんなことに無頓着な次男は、逆に大物になる可能性がある。

人はそれぞれ性格の違いがあるが、こういった性格の違いを正しく理解すると、子育てもそれはそれで楽しいものとなることを、日々実感している。

私の学生時代の努力がまったくの無駄だったことを痛感した夜

昨日、息子にオンラインで音大が無償提供しているソルフェージュのテストをやらせてみたのであるが、その実力に驚いたのは昨日のことである。しかし、それ以上に私の学生時代の音楽への憧れとその学習が、どれ程に無駄だったかを痛感した夜でもあったので、そのアホさを今日は記録してみよう。

当時の私は単なる中2病でしかなかったと痛感させられたのであった。

ほんとうに情けなくなった。

私は90年代中盤から2000年あたりにかけ学生時代を過ごした。当時は音楽バブル・バンドブームで私もミュージシャンに憧れた。

学校生活(集団生活)に馴染めなかった私は、自分のいびつな性格(今はHSPという性格だっただけと理解)のせいだとして、音楽に救いを求めたようなところがあり、異常なまでに音楽にのめり込んでいた。CDもたくさん買っていたし、日夜ギターの練習、またカラオケを上手に歌えることも目指した。ヴォイストレーニングの独学もやっていた。

さらにそれが加熱し、大学生活においては、親には頼めないからと授業のない時間、土日休日などを使い11時から23時までのアルバイトを週3~4やり、貯めたお金で音楽の専門学校に平行して通うなど、音楽へ異常な情熱があった。

成人式のあった年のお正月は、元旦の朝9時から働いていたことを今も覚えている。

けれど、結局現実を突きつけられ、大学卒業を有効活用にし、普通の社会人になり、充実した学生時代との思い出にしかならなかった。

でも考えなければいけない、バイトで貯めた学費に200万円とは言わずとも、それに近い費用を払っていた気がする。

私の実力といえば、選考していたギター実技で学べたことだって今の息子のピアノの演奏している曲には及ばないし、楽典の理解は未熟であるが、当時使っていた教本を斜め読みさせた様子を見ると、読めば余裕で理解できそうだし、ソルフェージュとされる音楽基礎能力は、私が当時熱望したレベルを既に超えているのだ。

今の息子にかけている費用を得ても愕然とする。

教育だけを考えると、ざっと月9000円~11000円の月謝を7年間払ってきた。
発表会、コンクールを加算するとそれぞれで10000円加算できる(でも、これはライブハウス出演代に似ているのではずしてもいい)

ざっと (1万×12ヶ月 + 2万)×7年 = 84万円だ。

ギターの値段や練習のためのスタジオ代、アンプ・エフェクターなどの機材代金は考えないように、ピアノの費用は考えない。

私:200万円  VS  息子:84万円
※ピアノ教室は7年目だから多分これより少ない

つまりだ、アホのように働いて得た私の苦労の200万円は、息子から見ると「ほんとうにがんばったね」程度の慰めの言葉にしかならない費用になるのだ。

恐ろしすぎる程に、アホだ。。

たしかに、私が音楽の知識を多少持っていたから、息子のピアノへの理解もあったし
何かしら子供へ良い影響を与えることが、もしかしたらあったかもしれない。

けれど、子供のうちに音楽を始める、それも好きで始めると言うのは、このように雲泥の差を生むのである。

絶対音感は不要という方がいて、もちろん絶対音感を持ったピアニストがバイオリンを明日から弾けと言われてもできないわけだから、嫉妬の気持ちはわかるが、絶対音感を持って楽しくピアノを学べる資質を持ち、普段なにげなく音楽をうたっているような子供というのは恐ろしいくらいに、自然にいろいろできるようになっているということなのだ。

これは、たぶん誰でもできることではないだろうが。ピアノを習って上達している子供達は似ているようなきがする。

正直、息子大丈夫?というエピソードもある、道路上で、何かを鼻歌で歌っていたり、ダンスしたり、別の世界にいたりするお風呂で、何かを歌ってるのも日常茶飯事だ。

ネイティブの英会話講師にどんなに習ったところで、いくら費用をかけたところで、上達しない英会話に、これは詐欺という人がいるように、音楽は教育をどんなに施したところで、何にもならない事例があるのは、当然な気がした。

そもそも持ってる資質があるかに由来することを実感させられた夜だった。

ソルフェージュ学習を独学で始めてみる

(これは個人のブログです、内容については、保証しません!ご了承ください)

私は高校受験でのデビューだったので、そもそも息子の中学受験は考えてこなかったのですが、先日上野学園中学校を見学し、特待生枠があるのを知り、それ(学費が安くなる)だったら通わせてもいいと息子に伝えていたのですが、今週すでに宿題だけではなく、追加で買った国語と算数のドリルをきちんとやっているようなので、親はまだ「ゆるーい」気持ちですが、ソルフェージュもやっとかないとねということで、親も具体的に検討を始めました。

そもそもうちの長男は、塾に行かずとも都内の平均点を超える点数をとるのですが、その超えてる子供同士が争うのが受験なので、私は無駄を感じ、費用のかからない独学での受験を課すわけです。

無駄と言うのは、ほんのちょっとの差のために、塾に行く時間をとられ、生活の余裕がなくなるのが生きづらいということですね。(ちなみに次男がおり、そちらは平均点以下なので、そちらはそちらで別の苦労してますよ、あしからず)

また、もし私立に行くことになっちゃっても、最近は収入が少ないと私立高校の無償化の話もあるので、家庭の収入が落ちても私立はありかもと保険的に思う思いもあります。

さて、ソルフェージュ学習の話に戻します。まず、どう考えても現状プロになるような状況ではないので、「桐朋の子供のための音楽教室」のような所で学ぶのはないだろうと思い至ってます。(そもそもあそこも「特待」で行くような子だけがプロになれる可能性がある気がする)

で、地元のソルフェージュ屋を探してみたのですが、どれも車じゃないと通えない距離なんですよね。思いが強いなら、通えという親もいるでしょうが、それは無駄と考えます。だめになったときに、あんなに投資したのにって側になっちゃいます。ということで、ソルフェージュ屋は止めました。

いま通っているピアノ教室に相談してみるというのがありますが、ただ、これも追加費用もしくは、強いやる気があるように見られるのも嫌なので、タイミングは慎重に検討中です。

ここまで来て、気づきました。結局音大めざすなら、あれやこれやとか、そんなのはいらんのです、私の視点ではね、という自分の気持ちがハッキリしました。

とまぁ、いくつか考えてみたのですが、調べてみるとオンラインでの情報も増えてきていますし、音楽は趣味だからなのでしょう、先輩たち・ネット発信者が増えているという感じでなのです。教材も身近で手に入るようになってきたので、大学受験までやったような親なら独学で指導できそうだと思えてきたので、独学でやってみようという思いになりました。

また、そのこと自体をブログの記事にしてみたいなぁと思いに至りました。
(もしできちゃったら、おもしろいでしょ!けど、できたらできたで、ピアノ教室通ってたんだから独学じゃねーだろって言うやつもいるかもしれませんが。。)

そもそも落ちたってどうでもいいし、落ちるならそれまでの資質だったと結論もでていいじゃないですか(笑) 子供もすんなり納得しそうだし。(私の視点ですが)

もちろん独学というのは、専門教育者たちからみるとは、批判されるような事な気がしますが、音楽は、経済(お金)の問題=その投資額のリターンが見込めない、思いが強いので、独学に至っているわけなので、その点はご理解いただけると幸いかと思います。

ということで、独学ソルフェージュの話を、このブログでは新規のコンテンツとして扱っていきますが、結局、素人の思い込みが多分に含まれますし、学ぶのはこれからですから、当面うそっぱちも多分に含むと思いますので、そこらへんは、「ちがうよー」とやさしく教えていただけると幸いかと思っています。

なんか、知らないことやるのって、楽しいですね。ということで、いつまで続くかわからないですが、やっと演奏以外のコンテンツが、できそうなのでちょっとうれしくなってきました、ソルフェージュのメニューをとりあえず追加して、既にうれしい今です。

音大の被害者たちの悲鳴

(今回の内容は、個人的な意見ですので、読み物でしかなく、変な小説だと思って、読んでいただければと思います)

ネット情報をめぐっていると必ずでてくるのが、「ピアノではご飯は食えない」。決まり文句のの「音大出ても就職先はない」です。

これについては、なぜかと言えば、自分勝手な被害者が多数いるからだと思っています。
音大に投資したのに、リターンがないじゃないか!という投資の詐欺に似たような構図が伺えます。

おそらく多くの親御さんは、音大に行きさえすれば学校なのだから、将来ピアニストとは言わずともピアノの先生くらいにはなって、投資した額が少なからず戻ってくると思って投資をしたのでしょう。

しかし、現実はそんなことはなく、音大を出たのに就職もできず、何の役にも立たなかった、我々は被害者だから、時間と損した金返せということなのでしょうね。(勉強嫌いだったんでしょうが。。。)

そのような方は、医学部に行けば、誰もが医師免許を得て医者になれるとでも思っているのでしょう。

芸術も同じです。美大についても同様の問題はつきまといます。文学部も同じような気もします。

でも、その前に気づかなければいけないことがあるんだと思います。現実を見なければいけません。

はっきり言って、現実把握能力が足りなすぎます

医者だって大学に受かるまでに、何浪もする人がいます。家系が医者のために、10年かけてようやく医学部に受かり、医者になるひともいるくらいです。2年、3年と医学部を挑み、途中で諦める人も多数います。

弁護士免許を取るために大学を卒業してから何年も就職せずに勉強している弁護士の卵も多数います。

どの道もみんな簡単じゃない現実があります。

だから人生なんですけどね(この先は長くなるので書くのは止めておきましょう)
さて音楽に戻りましょう。

最近活躍しているクラシックの音楽家は、そもそも大学に入学する前にデビューをしていたりするものです。大学に行くまでに、どこかで優勝などの芽がでなかったのだとしたら、音大には絶対行くべきではないということでしょう。

なので、今は音大に行く前に、判断をすべきなんだと思います。

最近、ピアノやバイオリンは3歳から始めるような特殊な習い事になっているので、13歳~15歳で、すでにかなりの時間を練習していることになります。ライバルはそれが当たり前なのです。

大学のたった4年間で習得することよりも多くの時間を、その期間で確保し、練習してきたのですから、追いつかないほうがいたって普通です。

ですから、プロになるなら事実上「音大」は不要になっているんだと思います。

音大進学については、楽器を始めたのが遅いことを考慮しても、遅くとも17歳までに芽が出ていた子だけが、家庭の経済事情や自身の覚悟をもって慎重に検討するようなものなんだということです。

音大に入る試験なんて、あってないような子供達じゃなきゃ、演奏家にはなれないということでもあるでしょう。(つまり、結局プロになるのに、音大は必要ないとこまで先行教育で来ちゃってるということなんでしょう)

今の時代、小学生の途中から楽器を始めても、ピアノやバイオリンのクラシックの演奏家の道は閉ざされていると言える気がします。

それ以外の楽器であれば、可能性もあるかもしれませんが、それでも、真剣な覚悟が必要です。基本は、それでも音大には行くべきではないでしょう。

落語やその他芸能、何にしても、簡単に「道」は究められるものではないということです。

どんなことでもそうですが、遊んでたら、何にもならないということです。

とまぁ、厳しい現実を書くのはここまでです。

ダメだったら諦めればいいんです、諦めれば、自然と道は開けてきたりもするものです。

どんな人にも、それぞれの個性と「とりえ」があるのものですから、ピアノや音楽がダメでも、その時できる、他のことを真剣に探して、やればいいのです。

仕事は、どんな仕事も、心さえしっかり持てば、楽しむことができるものです。

生きている限り、みんなが努力しているのですから、努力をしなければ、前に進まなければいけないのです。でも、前に進めば、つらくとも見えてくるものは、必ずあるはずなのです。

一見幸せそうな人も、みな苦労をして、毎日を進んでいるのが現実だということが、わかる時がくるでしょう。難しいことをやる必要はなく、やれることを怠ることなく、しっかりやればいいのです。

グランドピアノを買わないといけない理由

河合楽器のおもちゃのピアノから始まった、わたしの息子のピアノおけいこですが、グランドピアノなんて、家の一室がピアノになってしまうから邪魔だから一生買うとか思うことは無いだろうなぁと思っていたわけですが、今は、いつグランドに切り替えないとダメになるか、今か今かと、考えている日々がありますので、そのことを書いておこうと思い記録します。

ピアノを弾いたことのない人間からしたら、電子ピアノもピアノでしょ!?って思うと思いますし、キーボードでもいいじゃんと思うんです。だって、私もそう思っていたんですから。ですが、今は、まったくもって、生ピアノじゃなきゃダメだということを、理解するに至っています。

じゃあどこがダメなのか?

アナログは無限であり、デジタルは有限なのである

今でこそスマホのカメラで、きれいに写真を撮ることができるのですが、一昔前は、デジタルカメラなんて、プロには使い物にならないという時代があったことを覚えていないでしょうか?絵の色をデジタル数で表す画素数があるわけですが、これがものすごく増えたことで、色のバリエーションが増えて、いつしか、デジカメがアナログと同等、あるいは加工のしやすさから、デジカメが今はあたりまえなわけですが、この進化が電子ピアノにはないのです。(ファミコン画質が、PS4までの間で劇的に変わっているような変化です。)

デジタルカメラは、今は21メガピクセル超とかいう色の変化をもっているからこその表現力をもつわけですが、電子ピアノはそのような進化をしていません。電子ピアノは、名器とよばれるスタンウェイなどの音を録音したものを、電子的に再生しているだけであり、その音を、大きくするか小さくするかという表現しか、基本的にはないと感じられます(※筆者は構造に詳しくないのですが、楽器の説明からはそのように受け取れます)

また、ペダルを使ったときの踏み込みの変化が電子ピアノでは再現されていないと感じますし、木工製品だからこその、ゆがみ的なもの、木だからこそのくせのようなものが、電子ピアノでは習得することができません。弦をたたくのではなくて、スイッチを押すのが電子ピアノですから、残念ながら電子ピアノが、生ピアノの表現力を手に入れるには、構造的な改革をしない限り無理と考えられます。が、それをやるとすれば大きな研究開発費用が発生しますから、ピアノの需要状況を考えても、実現は難しく、できても値段が高価で事業として成り立つようなものではない気がします。

なら、生ピアノの方がいい(安い)というわけです。キーボードから電子ピアノへの移行を考えているのであれば、ピアノは絶対に趣味でしかやらないという判断をしない限りは、やめるべきです。

アップライトピアノの限界

アップライトピアノは、自動車であれば軽自動車という表現がなされているのを見たことがありますが、これはかなり的確な表現だと思います。普段の練習であれば、軽自動車でもいいのですが、大勢を乗せるのであれば、大型バスというわけです。アップライトピアノが軽自動車ならば、大型バスは、フルコンと呼ばれる、1台2000万円超のグランドピアノというわけです。

では、軽自動車でピアノの練習はできないのか?というと、これはできるといっていいと私は思っています。音大を目指すとか、演奏家を目指すなら、早めにグランドピアノというのは、確かに理解できます。しかし、それを車の世界に当てはめるなら、庭にサーキット場をつくって、最初からF1マシンで練習をするような感じでしょうか。

プロのレーサーもカートからスタートするわけですから、ピアノの練習であっても、アップライトピアノでも可能だと思います。

しかし、アップライトにも限界があります。どこにでてくるかというと、まずは、トリルにでてきます。鍵盤を押した(叩いた)後の戻りのスピードが、重力を利用しているために構造上シーソーのようなグランドピアノの方が早いというわけなんですね。

トリルを多用し始めるのはソナチネくらいからですから、それまでにはグランドという考え方もありますが、かといって、高速なものでなければ、アップライトピアノでもカバーができます。しかし、メトロノームのテンポを上げて高速なトリルを美しく奏でるということを、意識したあたりから、アップライトピアノの限界が見え始めます。

息子の場合も、今のところはトリルでの限界は見えていないのですが、気になることがありました。ピアノを打鍵した後の、指を戻す「癖」に関する懸念です。

白鍵や黒鍵を引いた後に、指を上に戻す力の加減の感覚的なものが、アップライトとグランドピアノの練習で違ってくるのではないか。おそらくかなり微妙な加減ではあるが。

アップライトよりもグランドピアノの方が、指を上げてくれる力が強いとなると、弾いた後に自動的に指が戻ってくれる感覚をグランドピアノでは持つのではないか。

アップライトだと、

音を出す – 指を上げて – 次の音を出す – 指を上げて – 次の音を出す

グランドピアノだと、

音を出す –  (そのまま) –  次の音を出す –   (そのまま) – 次の音を出す

上記のような癖が、残ってしまうのではないかという、疑いが今あります。

とはいえ、昔はポケベルを使ってた人が、ガラケーをもって、スマホへ移行とすんなりいけてるように、昔はアップライトだった人も、すんなりグランドに移行できるような気もするので、これがグランドから練習しないといけない決定的な理由にはなるとは思いませんが、常に評価はグランドピアノを弾いている時に行われるので、その評価がマイナス的な印象につながってモチベーションの低下に影響してしまうことがあるのであれば、最初からグランドピアノということになる気がします。

グランドにしなければいけないと感じているところは、今のところこれだけなのですが、他にもあるはずなので、気づいたところで、このブログで書いていこうと思っています。

バッハの練習を始める

カワイ音楽コンクールCコースの予選突破で地区本選会に向けての練習をすでに息子は開始している。

課題曲の一つはバッハだ。昨年、予選突破ならなかったが、バッハの楽譜はすでに買っていて、個人的に練習はしていた曲があったのだけど、それとは異なる曲は選んだ。それも、ちょっと難しいものを選んでいる。

そうなんだ、気づくと、息子はいつも、ちょっと難しいというほうを、指定していないのに選ぶのである。背伸びしているというよりも、やってみたいという感覚が強い印象なのである。

素人の私が聞くバッハはシンプルで簡単そうだ、というのが1年前だった。ところが、今聴くとまったく違った印象になっている。左手もメロディー、おまけに3声。バッハはパイプオルガンの名手というのが、有名だけれども、教会におけるコーラス、合唱が流れての曲をつくっていたというわけなのだろう。

2拍子の小プレリュードだけれども、そこにたくさんのテクニックが凝縮されている。料理でいえば、まさに、前菜だ。それも、手を抜かない前菜としてのプレリュードが課題曲の1曲目なのだ。

4月まではまだあると、まったくもって思えない状況で、練習は続く。

小学生のためのピアノコンクール入賞方法について(素人目線で)

ピアノコンクールで息子が見事入賞し、予選を無事突破することができました。(といっても、小学生向けのコースですが)

ピアノコンクールで上位入賞するまで、私達が日々のピアノ練習の中でやってきたことを皆様に公開することで、ピアノ学習に素人である私のような親、そして、これからピアノコンクールで入賞を目指す子供達のピアノ学習のお役に立てるかもしれません。

このページでは、ピアノコンクールで入賞するためにいくつかわかってきたこと心掛けたことを書いてみようと思います。

毎日のピアノ練習について

ピアノコンクール入賞を目指すのであれば、ピアノの練習を毎日やることは残念ながら当たり前です。しかし、コンクールの予選を通過したうちの息子も、毎日かかさずやれていたかというと、そうではありませんでした。

小学校高学年になると、学校の旅行を含めた行事、日々の宿題があります。ピアノだけをやっていればいいわけではありませんし、ゲームや遊びの息抜きも必要です。

ゲームや遊びはやらせず、ピアノ一筋ができる子供ならいいですが、やりたいことがある(=好奇心が旺盛)ということは、今後人生で起こる様々な苦難を新しい発想で乗り越える力を学ぶ機会でもあるといえるので、遊びたい(=やりたいことがある)気持ちがあるなら、完全に否定することはできないと私は思います。人は遊びから学ぶからです。

ピアノの練習は、毎日やらないといけないことですが、気分がのらずやれないときは、たった15分だけの指練習で終わり。そのような状態も何度かありました。

ハイレベルな音大にいくような人は1日4時間の練習をやるというような話も聞きます。それを聞いて、頑張って最高1日2時間くらいピアノの練習をやれたこともありましたが、小学生のうちに1日4時間のピアノ練習はありえませんでした。

中学生になってから、休日であれば1日4時間が可能となってます。

これまでのピアノの練習時間について記載しています
1日4時間の練習が最低必要と書かれていた書籍

平行して様々なピアノ曲にチャレンジする

ピアノを小さい頃から習っていれば、それまでピアノを習っていなかったお子さんに比べてのアドバンテージは当然あります。しかし、ピアノコンクールで競争しているのはピアノを習ってきた子供達なので、現実としては、ピアノを習っている人達での競争となっている現実があります。

音楽という言葉には、音を楽しむ「楽」という言葉が含まれており、音楽が楽しいのは自分もなのですが、コンクールのような競争の場を目の当たりにすると、どちらかといえば聴いていただく聴衆が楽しむものかなぁと感じます。

小学校に通っていれば、おのずと何かしらピアノを演奏をする機会があります。学校内での合唱の伴奏や、市区町村の学校レベルでのコンクールなどの機会があると思います。

そこでも、ピアノコンクールでの演奏を見据え、ピアノを発表する貴重な機会ととらえ、しっかりと曲を任せられるように努力することが大事だと思います。

ピアノコンクールでも、古典、バロック、ロマン、現代のように、様々なタイプの音楽の課題曲が与えらます。ソナチネだけのように一つのスタイルだけをやっていても、演奏の幅が広がりません。

息子の場合、小学校3年生くらいから、オーディション形式で、学校内の合唱曲のピアノ伴奏の選考が何度かありましたが、どれも2週間以内で弾けるように努力をしていました。

息子の場合は、この努力というところが、新しい楽譜が楽しみで、好きでやっているという面があったので、必ずしも努力と言っていいのかわかりませんが・・・

ピアノ教室での通常の練習曲、平行して学校の合唱の伴奏、そして、日頃好きになった音楽(ゲーム音楽、歌謡曲、ロック)などを平行して、曲を楽しんでいました

ピアノコンクールにおいても、 予選を突破し先に進む程に、 様々な演奏スタイルが求められますから、普段から様々なスタイルのピアノ曲にチャレンジすることは大事だと思います。

グランドピアノが無いことは問題なのか

我が家にはグランドピアノはありません。アップライトピアノを使っています。

使用しているピアノは、中古で買った東洋ピアノのアップライトピアノで、SSS機能が付いています。ヤマハやカワイのピアノにはない、この機能のおかげで、左のペダルでも、グランドピアノっぽいことができるわけですが、それが、ピアノコンクール入賞に役に立ったかというと、まったくだと私は思います。

やはり、アップライトピアノはアップライトピアノとなります。

しかし、小学生レベルのコンクールでは、使用しているピアノがグランドピアノであろうが、アップライトピアノであろうが、問題はないと私は考えています。

そのピアノコンクールの総評では、審査員である音大の教授が「私達の子供の頃は、ペダルを使うことはソナタレベルになるくらいまでは許されてなかった。」とおっしゃっていました。

それを聞いた瞬間、テニス部の1年生は球拾いとか、コートに入るのは早いから、素振りで学び、見て覚えろとか、日本人のいじめ的な要素を感じたのですが、それを知るに、よけいにグランドピアノの必要性がないことを感じました。

ペダルはソナタまで使うな」ということは、グランドピアノなんて、上手くなるまで使わせるわけがないだろうと、言っているようなものです。

ピアノコンクールは楽器メーカーも運営しており、コンクール自体がビジネスになっている側面がありますから、それを表立っていえるのは大学の教授クラスにならないとできないでしょうが、いいこと(本音)を聞いたなと思いました。

とはいっても、ソナタレベルになってくると、グランドピアノとアップライトピアノで構造の問題は必ずでてくると私は理解しています。

ピアノだけではなく、絵画などもそうですが、その道具でないとできない仕事というのは、絶対にあるはずで、グランドピアノだと普通にできるけど、アップライトピアノで、それを表現しようとすると難しいというようなものがあると思っています。

アップライトピアノでよく言われるのは連打可能な回数の限界です。

ただ、そのレベルになるのは、ラ・カンパネッラを弾けるようになるくらいになった時の話で、そもそも、当たり前の毎日練習と、当たり前の演奏ができるようになってからのグランドピアノでいいと思っています。

もちろん、お母さんがピアノの先生で、すでにグランドピアノが自宅にあるご家庭であれば、最初からグランドピアノを使えることは贅沢とは思わず、普通にグランドピアノで練習するのがいいと私は思います。

アップライトピアノスタートだから不利だということは無いということは言えます。小学生のピアノコンクールであれば、なおさらです。

ピアノで勉強しなければいけないことのすべてを、小学生でマスターできるはずはないのですから。必要なら結果が出てからグランドピアノにすればいいのです。

しかし、電子ピアノだけはダメです。将来的には、電子ピアノもコンクールで勝てる練習ができる楽器になることがあるかもしれませんが、2016年の現状では、電子ピアノはまだ、NGです。

2019年の今も電子ピアノがOKになる未来は見えてきていません。

レンタルスタジオを利用する

グランドピアノの問題と似ているのですが、グランドピアノがないことで、私はコンクール前の1ヶ月だけ、レンタルスタジオで練習をしてみました。親の私は、アマチュアですがロックのバンドをやっていたこともあり、スタジオを利用して練習をしていた経験があったので、ピアノのスタジオも普通に利用してみたかったわけです。(もちろん、私自身のグランドピアノの違いを学ぶための機会でもあるわけですが)

私の息子の場合は、毎週土曜日の1時間30分だけを使ってレンタルスタジオで練習をしていました。部屋ごとに、ボストン、ヤマハ、カワイと違うピアノが用意してあるので、あえて異なるピアノで練習をさせてみたのですが、この練習はよかったかと思いました。

ピアニストが、自分のピアノを使って演奏するのは、一部のプロくらいなもので、実際に使えるのはそこにあるピアノなのですから、どんなピアノでも、自分らしい音を出せるような練習というのは必要だと思っています。なので、多くのピアノで練習することに意味があると思っています。このピアノちょっと違うなぁ・弾きにくいなぁというところでも、じゃあタッチを体をこう変えれば、気持ち悪くないなぁなんて、子供レベルの対応も学べるわけですね。

その年の課題を持つ

ピアノの習得度によって、何をやったらいいかは難しいところですが、たくさんある出来ないことの中で、今年はこれをやりきろう、今回の曲のこの部分はモノにしよう。そういった目標を持つことは大事だと思っています。

うちの息子の場合は、今年はリズム。去年はトリル、タッチ。その前は、忘れましたが、、、何かしら、今の課題というのをきちんと洗い出して、やるようにしていました。来年は、ペダルかもしれません・・・ いずれにしても、それぞれの演奏の中で、一番の問題となる箇所はあると思いますから、そこをまずはやっつけていくのが大事かと思います。

一番大事な気づき

ここまでこの記事を、ブログを読んでいただけたアナタには特別にお伝えしようと思ったことがありました。隠して、伝えなくてもいいとも思いますが、かといってどちらかというと、人気の薄れつつあるピアノですから、上手な子供達が増えて欲しいと私も思うので、書いておこうと思います。もちろん、それが、あたりまえなのかもしれませんが。

ピアノ上達のポイントは、結局のところ、音を大事にするということなのです。

当たり前ジャンですが、じゃあ、どうやって音を大事にするかというのは、なかなか教えてもらえません。

次のヒントは、メトロノームでゆっくり練習するなのです。

ですが、これも、だからといって上手くならないんですね。ゆっくりやる?ゆっくりできるけど・・・・

違うんですね。ゆっくり練習して、ゆっくりできるわけがないんです。上手じゃないうちは、ゆっくりやっても、やっぱり上手じゃないんです。

ゆっくりやる理由は、細胞レベルで研究する学者と同じ意味なんです。パソコンや携帯電話の中には、電子部品がたくさん入っていますが、あの部品は、大昔は学校の教室2つ分くらい必要なスペースに入っていたはずなんです。今は、電子顕微鏡のようなものをつかってか、パソコンで拡大して、細かい作業をやるわけですが、そのことがピアノにもいえるわけです。

メトロノームでスピードをゆっくりにして、そのゆっくりのスピードの中で、どのタイミングで音をのせるのか、消すのかを考えるのが、ゆっくり練習するの意味だったんですね。

わかりますか?

ゆっくり練習するときは、逆に言うとなんとなく弾けないんです。ゆっくりだから、そのタイミングまで待って音をだして、そのタイミングを待って音を消してるんです。考えなくちゃできません。

それをゆっくりのときに練習しているわけではなく、決めるのです。どこで、音を出して、どこで音を消すかを、ゆっくりのときに決めるわけです。そして、それは細かいものを拡大して決めている作業とまったく同じなのです。

ゆっくりの練習なくして、最高の音楽はなしえない。そう私は確信しました。まぁ、この気づきが正しいかどうかは、これからの結果で明らかになるかと思いますが、その報告はブログでも紹介していこうと思いますので、よければ今後もお楽しみください。

ここまで、読んでいただきまことにありがとうございました。

PIANO 千本桜

[embedyt] http://www.youtube.com/watch?v=2EwoYyzjFPc[/embedyt]

YouTubeに昨年3月に演奏したコンサートの千本桜の動画をアップしました。

改めて何度も聞いてみると、荒削りで、指の動きの悪いところはありますが、演奏の全体感はよくなってきたと思います。ミスタッチはごめんなさい。

YouTubeで多数演奏されている千本桜のピアノ演奏とは異なり、市販されている下記の楽譜のものを基本に、指導されているピアノの先生と若干のアレンジを加えたものになっています。