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今日は子供のピアノレッスン日 その夜に私がやってきたことは上達の秘訣かも?

今日は子供のピアノのレッスン日でした。

ということで、レッスン日当時に、私は意図的にやっていたことがありましたので、そのことを今日は書いてみたいと思いました。

もしかしたら、これが子供の上達の秘訣だったかもしれないので。

私の子供は、それほどお金をかけずに、絶対音感がついてしまい、コンクールでも予選は突破できる力がついたのですが、その理由の一つには、この私の声掛けもあったんじゃないかと思っています。

うちの子供は4年生からのピアノのレッスンには一人でいかせるようにしました。それまでは奥さんが付き添っていたのですが、仕事をすることになり、必然的に一人で行くことになりました。逆に言うとそこからは親のサポート・関与は直接はありません、先生と子供との二人三脚で今日までを歩んできました。

ピアノを趣味でやるのはいいのですが、お金を払ってレッスンや発表会、コンクールをやるのですから、可能な限り意味ある時間を過ごしてもらいたいという思いを私は持っていました。そのため、レッスン当日の夜には、今日は何をやったのかを問うことをずっとやってきました。

なぜ、聞くようにしたかについては、きちんと理由があります。私は学生時代、人間は寝ると50%以上のことを忘れてしまうということを聞いたことがあり、受験勉強の頃にもそのことを実体験として感じていたからです。

少し時間がたつと、人間は物事をわすれる性質を備えているわけです。能力と言ってもいいと思います。

しかし、同じ日に再度、その記憶を掘り起こすことをすれば、記憶の維持期間が延びるということを、知っていたのです。なので、意識的に、今日何をやったのかを、ずっと問うことを続けています。

きちんと答えられれば、今日やったレッスンの理解していたということになるし、よくわからなかったとなれば、どんなことが?、なんで?と聞くようにしていました。

あいまいだった=わからなかったですからね。

この最後の質問については、私自身も音楽経験があったので、ある程度のことがわかったからできたのかもしれませんが、トリルやペダリングなど、ピアノ独自のことはさっぱりわかりませんから、やはり、このレッスン日当日の問いかけには、意味があったと思っています。

また、問いかけることで、親が気にしているというメッセージを送ることにもなるので、そのことが、子供のモチベーションにもつながっていたと思います。

いかがでしたでしょうか。今日は、問いかけの重要性について書いてみました。同じようにピアノのレッスンに通っているお子さんを抱えるお父様、お母様の参考になれば幸いに存じます。

読んでいただき、まことにありがとうございました。

ピアノと勉強の親和性

昨日、東大に行く子供の二人に一人はピアノを習ったことがあるという記事を読んだことがあったので、そのことについて考えてみました。

その記事では、東大に行く子供たちが何を習っていたかを示す調査で、実は一番はピアノよりも水泳だったのですが、そこから見えることを書いてみたいと思います。

まず水泳ですが、これは子供の教育に熱心な親であれば、まちがいなく第一候補にあがってくる習い事だと思います。

最近の小学校、特に都内の小学校では、夏休みに学校でプールを教えるということが減っており、プールが開かれるのは10日未満です。

となると学校で水泳が習えないなら、どこかで補わないといけないと考えるのが親というものです。また、都内であると運動する場所がありません。短い距離で体力づくりができるという点で、水泳が選ばれるのは、合理的な流れな気が私はしています。

さて、肝心のピアノですが、脳を活性化させるとか、頭がよくなるとか言われますが、そこについては私は疑問です。そもそもピアノという楽器は、練習が必要です。それも独りでの練習が必要です。それは、家庭での勉強と同じようなものです。

勉強ができる子供は、宿題もしっかりできますし、短時間で勉強の課題も集中して解くことができます。これはピアノにも言え、集中的に練習曲を毎日練習しなければいけません。

そういった視点から考えると、勉強に集中できる子供は、ピアノにも集中できる。そういうことじゃないかと、私は思うのです。実際、うちの長男は勉強もできますが、次男は勉強は嫌い、ピアノも嫌い、弾こうともしません。

これは、たまたまなのかもしれませんが、この事実が私の場合は目の前にあるので、ピアノをやると頭がよくなるに疑義を唱える根本になってます。

どうなんでしょうね。

発声しながらピアノは練習するものなのか?

このブログで何回か書いてきたとおり、うちの息子は音楽中学校の受験をして、音楽の実技試験はパスし、後は筆記試験をやるだけの状態ですが、ピアノの練習は当たり前のように毎日続けています。

昨年、音楽中学校入試向けの夏季講習および冬期講習でソルフェージュと実技を学び、本格的なレッスンを開始することになったわけですが、それの影響を受けてなのか、最近はピアノの練習とはいいながら、歌を歌っています。

オペラ的な発声ですね。

正確には、歌を歌っているのではなく、発声をしながらこれから弾く初めての曲のイメージトレーニングをしているような感じです。

昔だったら、音符を弾いてから練習をしていたのですが、最近は音符を読みながら歌を歌う、ソルフェージュの視唱の練習をしたからかもしれませんが、いきなり弾くということはせず、いきなり歌をうたって、それからピアノを弾くような感じになってきました。

確かに、ピアノで弾くよりも、楽譜と声があれば、どこでも練習ができるわけですから、これができるようになると、ピアノがない場所でも練習できることにつながるわけで、非常に合理的ではあります。

ピアノの先生に言われたわけではないようですが、少し成長したかなと感じられます。

ただ、これをやるようになったのは、バッハをやってからですね。2声だ3声だと、歌を意識させられるからかもしれません。

ピアノ練習を歌を歌いながらやっている動画を私は見たことがありませんが、プロのピアニストが口ずさんだり、鼻歌を歌いながら演奏しているのは、よくあるので、悪くないとは思いますが、家族は、ちょっとびっくりです。

防音室は、今のところないのですが、そろそろ防音室がないと外への音漏れより、一緒に住んでいる人がつらくなるので必要かと思える段階にきたかと思います。

小学校高学年のピアノの練習時間を特別に掲載【音楽中学受験前】

私の小学生の時代は学校の宿題といっても1時間かからない程度のものしかなかったと記憶しているのですが、最近の小学生はそうではないようです。音楽中学校に見事ピアノで合格し、現在音中に通っている私の息子が小学生の頃、ピアノの練習時間がどうだったのか、今回は特別に掲載いたします。

目次

平日のピアノ練習時間は?

小学校高学年となると通常午後4時くらいに帰ってきます。委員や当番などがあると、さらに遅く帰宅することとなります。

また、ピアノの練習をを自らやれるような内省型の子供というのは、集団という空間ではストレスを抱えますから、最低30分程度の独りの休息が必要だったりします。

このような状況でしたので、すぐに夕方18時になっていました。そこから夕飯を30分で食べて、家族と会話をしますからさらに30分。

平日ピアノの練習を開始できるのは、はやくても19時でした。

宿題がすぐには終わらずピアノの練習時間がとれないことも

平日の宿題が1時間で終ればいいのですが、小学校から持ち帰った絵の宿題、裁縫の宿題などに時間を費やし、ピアノの練習を開始できるのは、19時30分というのが実態でした。

夜22時に寝ることを家族のルールにしていたので、お風呂の時間も考えると、平日のピアノの練習の時間は1時間しかもてませんでした。

また、宿題をやるのに時間がかかりすぎて、ピアノの練習が30分程度の日も週に1回はありました

それが、小学生の平日の練習時間です。

平日のピアノの練習時間

通常ピアノの練習は1時間

宿題に追われ30分に満たないことが週に1日程度有り

プロピアニストが書いた本には、ピアノの練習時間はどの程度と記載されているのか?

さまざまな書籍を読む中で、ピアノの練習時間について記載されていた「ピアノ奏法の基礎」という本には

「ピアノのメカニズムを学ぶのに、毎日4時間のピアノの練習が必要」

と書かれており、この普通の小学生スタイルでは、ピアノの技術を習得するまでに、おじいちゃん、おばあちゃんになってしまうというわけです。

プロピアニストが語るピアノの練習時間

ピアノのメカニズムを学ぶのに、毎日4時間のピアノの練習が必要

4時間より多くても少なくてもいけない(多すぎると神経などを壊す危険がある)

小学生にはピアノ以外に学習塾がある

私立受験をするとなると、小学4年生頃から塾に通うという家庭もあるでしょう。

となると、ピアニストになるための技術を学ぼうとする人達は、学校生活は諦めざるを得ないということになってくると感じます。

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ここら辺が、日本のピアノの世界では、平均レベルが低くなっていると感じられる原因にもなっている気もします。

  • 一部の小学生の子供達は、飛びぬけてピアノが上手くなっていますが、それは、ここらへんの何かを犠牲にしているのでしょう。

ピアニストが生まれにくい環境がある

そう考えてみると、今の日本の義務教育では、普通ではピアニストは育たない環境があると印象がでてきます。

このため中学校から、理解のある学校に行くというのは、合理的だと思うし、そうでないと、練習時間すら作れないという環境になると考え、私達は音楽中学校を受験しています。

小学生で勉強を捨てるとか、とても一般家庭では、決断できないし、小学生の子供が、将来の決断や判断はできないものです。

宿題をやらなくても勉強ができるのであれば、問題がなくなるのですが、そんな子供はごくわずかでしょう。

音楽家は、音楽ばかりやってくるので、学力は低い。という根拠もここら辺に原因があるような気もします。

しかし、一流のピアニストは、常識がないだけで、そもそもの頭は切れ者だったりします。

もちろんピアノの先生に講師の皆さまも、このような時間を過ごしてきた方ですので、ピアノの指導力のある方は、やはり時間の管理能力も優れているのを感じることがありました。

小学生のピアノの練習時間というのは、日本の普通の家庭でなら、2時間やってたら、そうとうすごいということだと考えていいと思います。

「ピアノ奏法の基礎」はこちらでご確認ください

ピアノコンクール 地区本選会の前に、インフルエンザBになる

ピアノのコンクールの地区本選会まで、あと2週間を切ってます。そんなところで、息子の体調が悪くなりました。

最初は、37度だったのですが、気にせず遊んでいると、38度までいってしまいました。これは、怪しいのでは?ということで、医者に連れて行くと、インフルエンザB確定です。

おまけに小学校でもインフルエンザBが5人も急に出て、学級閉鎖確定の状況

はぁ・・・

ということで、元気なのに学校に行けないという状況が生まれました。

コンクール直前というのに、お楽しみ会で、アナ雪の演奏をする予定で平行して練習頑張ってたのに、お楽しみ会ごと消え去ってしまい、息子は残念がっていました。

さて、そんなコンクール直前の、学校に行けないけど、元気な毎日。

これってば、チャンスじゃないですかね?

本当によく練習して、コンクールNo1を目指すお子さんなら、もう8時間とか余裕でピアノを練習できる状況ですよ。

ですが、ね、うちの息子は、曲が簡単すぎて、おもしろみが無くて、飽きちゃってて。もうダメですね。

2時間も練習したら、飽きて無理だそうです。

コンクールが終わったって、練習をやめる、ピアノをやめる気持ちがないなら、ピアノと向き合うことがなくなるわけがないなら、他の練習曲をやればいいと思うのですが、それもやらないようで、

私的には、本気じゃないのね

と思うこの頃でした。

ピアノを弾くのと芸術的に演奏することの違い

ピアノを弾くことに関して、私はこれはもう弾ける。あっちのほうが難しいから、チャレンジする。

といった視点で語られることがあるが、はっきりいってこれはナンセンスである。

楽曲は楽曲として、作曲者がおり、イメージしている世界がある。その世界を再現することに関して、終わりはないし、単純なフレーズでさえ、簡単ということは永遠にないのである。

では、なぜ多くの人がこのような、勘違いを起こすのかと問われれば、結局のところ

芸術は、HSPという1/5未満の人間にしか理解できないし、創ることができないからである

と、私は感じている。

ショパンをはじめとした音楽家、ピカソやゴッホをはじめとした画家、どちらにおいても、どんな作品もすぐに理解できる人などほとんどいない。

ピカソは別として、ゴッホなどは、死後に公開され評価されるなど、死ぬ前に評価される芸術家は圧倒的に少ないのである。

これはなぜかと問われれば、圧倒的多数の非HSPによって、見た瞬間・聴いた瞬間によくわからないと排除されるからであろう。

多くの人=4/5の非HSPが、多数決的に評価をすれば、新しく創造されたものはすべて評価されない。

ショパンは、小さくてよく聞き取れない。ピカソはへんてこ。そのように解釈をする。

では、なぜ、その後で評価されるのかと問われれば、これもHSPが関わる。1/5しかいないHSPが、なぜ、そのような作品を作っているのかを考える。そして、理由がわかる。

そこから、またたくまに、作者が表現したかったことの理解がすすみ、世に広まるのである。HSPが創った作品を理解できるのも、またHSPなのである。

このような視点で、ピアノ演奏を見てみた場合も、「A曲とB曲、どっちが難しいですか?」とか、「もう弾けるようになったので、別の曲」とか、言うのは非HSPであり、HSPであれば、何かしら、次の課題が残っているが、それでも次の課題曲を渡されたので、しかたなく、次の曲を始めることが多いはずである。

そして、またもとの曲を弾く時に、残っていた課題ができれば感動、できなければ、内省をするのである。

HSPでなければピアノを芸術的に弾けないということはないが、深く演奏するためには先生を含めた内省の機会、また、HSPの関与が絶対に必要である。HSPがいなくても、なんども飽きずに同じ曲が、この完成で本当にいいのか?作者は、なにを考えていたのか?この表現が、彼が考えたことを表現することになっているのだろうか。との再検証で、細部をよりきめ細かくして、初めて、演奏が芸術的になるのである。

指が動くようになれば、終わり。というのが、多くのおけいこピアノプレイヤーであり、芸術家にはおわりがないはずである。

料理のたまご焼きでさえも、簡単という答えをする人もいれば、究極を求め、鳥の種類、生産地、温度、加える調味料の量、調理道具、加熱のタイミングをすべて、細かく正解を探し、究極を探しつづける人もいる。

弾けることと、芸術的に演奏できるようになることとは、まったく違う感覚なのである。

そして、多くの人はこれができない。そしてそれは考え方、脳の思考パターンによるところがある。そして、そこには内省型のHSPか、外にエネルギーを求める非HSPかによる。

しかし、非HSPであっても、それを理解し、正しく指導してくれる人に囲まれれば、問題ないだけではなく、非HSPだからこその、人に伝える技術で、芸術をより広められる人物になるというのは、メリットとして残る。

HSPかそうで、そうでないかで、芸術が理解できるかできないかを私は書いたわけではなく、芸術を深く楽しむ時間をもてるかどうかが結局は鍵なのである。

弾けるようになっておしまいにしていた人は、そうではなく、もっとよい演奏をするにはどうしたらいいかを考える人間もいるんだな、ということを理解をし、芸術がわからないなら知っている人に聞く(という能力は非HSPの方が簡単にできるのだから)、そのように動けば、芸術は磨かれるといことである。

神様は残酷である

神様は残酷である。タイトルは、何事?と思える感じですが、今日は、息子のことではなく自分のことを書いてみようと思います。

私は、15歳の頃にギターを始めました。当時はXやLunaSea、黒夢などのビジュアル系バンドに触発され、バンド音楽にはまってしまっていました。自分もかっこよくなりたいと中2病のようにあったわけですね。

当時、肥満児だった私は、XのHideさんもそうだったことを知り、80を超えていた体重を50kgにまで落としたりしていました。過酷なダイエットをしていたものです。

本気で音楽をやりたいとなると、どんどんかっこいい音楽に追求することになりました。徐々に、海外のハードロックバンド、へビィメタルバンドに興味が移り、より演奏が難しいものへと興味が移っていました。

さらに、日本のアーティストというのは、本当に演奏が下手だなぁと思ったものでした。自分はミュージシャンにすらなっていないのを棚に上げてですね。

当時の私は、書きたくはないのですが、本気でミュージシャンになりたいなどと思っていて、現実はわかっていても、それでもやりたいと本気で思っていました。バンド活動をしていて、ライブハウスに出演などをしていた。

そして、音楽の専門学校にも行きます。ANミュージックスクールですね。

しかし、そこで、究極に感じたのです。

絶対音感の壁、自分のテクニックの低さ、才能のなさ

をです。当時の私は、「才能が欲しい、絶対音感が欲しい」と嘆いたのでした。

それでも、どうにか続ければいつしかと思いもありましたが、結局、自分の限界と現実を理解し、学生の終わりと共に就職をして、音楽の道はきっぱり諦めました。

もう音楽とは絶対関わらないと決め、楽器ショップや楽器メーカー、オーディオメーカーなどにも興味がありましたが、絶対に、のちに後悔することがあるだろうと、選びませんでした。

そうやって、音楽とは二度と関わらないと考えていたのでした。

そうやって、10年ぐらいが過ぎました。

しかしです。結婚し子供が生まれると、妻が息子をリトミックを習わせていました。私は、おけいこごとの一つだと、特に気にしていませんでした。

次に、息子がピアノをやりたいと言い出しました。まぁ、やりたければやればということで、お金だけ出していましたが、特に私が何かをすることはありませんでした。

そうこうしていくうちに、あるとき、息子に絶対音感があることに気づきました。

私が、手に入れることができなかった、絶対音感を持っていたのです。それも、専門の教育無しにです。

でも、だからといって、ピアノの演奏は、普通レベルでしたから、とくに期待もしていませんでした。

しかしです、小学校にあがり、毎年付き合いで、発表会、コンクールに出場が始まるわけですが、毎年、少しづつですが、順位を上げていくのです。

気づいたら、絶対音感もあり、コンクールでも予選1位通過をするようになっていたりしたわけです。

私は、書きました。

もう音楽とは絶対関わらないと決めたと。

しかし、神様は残酷です。20歳頃の私が、望んだ、絶対音感と才能を、息子に与えていたのです。

今後、この息子がどこまで行くかはわかりませんが、小学生の私はギターすら本気で弾き始めていなかった時期です。

息子のやっているソナチネ、ソナタの楽譜を見ると、とてつもなく難しく感じます。それを、いつしか、普通にやれるようになっている息子が目の前にいるのです。

横で、練習しているのです。

もう音楽とは絶対に関わらないはずが、関わらざるを得なくなる現実になってしまっているのです。

これを、残酷と呼ばずして、なんと呼べばいいのでしょうか。

そして、否応無しに、子供に私が実現できなかったことを、実現できるのではないかと期待してしまうのです。

でも、私は知っています。甘くないこと、上には上がいること、そして、そもそも音楽が売れなくなってきている現実をです。

それでも、私が、持っていないものを、神様に与えられている息子が、目の前にいるのです。

なんて、残酷なことだろう。

神様は、なんて、残酷なのだろうと、最近私は考えるようになってきました。

「才能が欲しい」と言いましたが、私にではなく、息子に与えるとは・・・・

昔話を書いてしまいました、今日は見直す時間がないので、このまま掲載してしまいます。

それでは、また

好きこそ物の上手なれ

これは小学校1年生の頃の息子のピアノ発表会の演奏です。当時は、まだ、電子ピアノでした。

いやぁ、恥ずかしい。自分の息子の演奏だけど恥ずかしい演奏ですね。

この頃は、好きな曲は弾けないということで、発表会の曲は、良くわからないと息子は言っていたと思います。

先生に、この曲は無邪気で、全然、息子が無邪気じゃないので、意味わからないよねって言われてて、当時教室につれてかれて走り回っていた弟のような子供を無邪気って言うんだよって先生に言われたりしていたのを思い出します。

そういえば、このとき先生が変わったばかりで、出会って半年も経っていなかったので、先生との信頼関係も薄かった気がします。

実際に、こんなにも弾けるんだって、先生に驚かれた2年生の終わりまでは、普通のおけいこだったので、この頃は、誰もあまり気にしていなかったピアノのおけいこでした。

ただ、絶対音感はあるよね!ってわかりはじめた時期でもありました。

こんなへたっぴだった子供でも、好きで続ければ上達はしていき、今ではコンクールでも入賞できるようになりました。

ピアノを習っている皆さんも自分を信じてがんばってくださいね。

電子ピアノはピアノではない ピアノの音を再生する機械である

皆さん、こんにちは

最近、Yahoo!知恵袋でピアノカテゴリーの質問に、ピアノと共に歩む息子との歩みの中でピアノについて学んだ経験から回答を書くことが多いのですが、そのテーマの中でよくあるのが

子供に電子ピアノを買おうと思うのですが、どんなのがいいのですか?

というものだ

これは私も経験したことだから、つい力をいれて回答してしまうのであるが、

全部の電子ピアノはおすすめではないのである。

家のスペースの問題、騒音の問題、定期的な調律、ピアノという楽器は面倒なものである

であるが、電子ピアノは楽器ではない

自ら音を発しないのだから、スピーカーから音を再生する「マシン」なのである。

もちろん電子ピアノはピアノの音はする。だが、ピアノの音を再生しているにすぎない、それも常に1色の音でしかないのである。

人間でたとえるなら、ロボットと人間くらいの違いがある。あらかじめプログラムされた動きをする人型ロボット。AIを積んで無限の可能性を秘めたロボットなら、まだ、ましかもしれない。けれど、ワンパターンのロボットならすぐに飽きてしまうだろう。それが今の電子ピアノだ。

無限にピアノの音をサンプリングをして、AIを積んで、ピアノ音をシミュレートすれば、電子ピアノももしかしたら、生ピアノのような表現力を持つことも可能かもしれないが、今現在はそのような方向の製品が存在しない。

どんなに、アップライトピアノの構造をとったとしても弦が鳴らない時点で、ピアノではなくなってしまっている。アップライトっぽいタッチの電子ピアノでも、アナログならではの変化を学ぶことができないのが、現状だ。

子供にピアノを習わせるなら、絶対に電子ピアノはNGだ。

うちの子は練習しないから、いいの。とか、お稽古だから。というのであれば、電子ピアノでもいいかもしれない。でも、それなら、いっそのこと、ピアノを習うこともないだろう

電子ピアノを買っていいのは、子供の頃に生ピアノを使い、きちんとしたタッチがわかっている大人だけだど、私は考えている。

電子ピアノと名前をつけたことがそもそも間違いだろう。ピアノキーボードと名称を変更したほうがいいだろう。あくまでもキーボードなのだから。

 

子供の演奏と大人の演奏

ピアノの世界について無知だった私も、息子と共にピアノについて歩むにつれて知識はたくさん増えてきました。ただ、ピアノの先生に言われた、子供の課題を聞いてあげるだけでも、何が大事なのか、何を指摘されたのか、を感じるわけですね。

また、私の場合は、もともと音楽が好きなので、ピアノはどんなふうに弾くことが評価されるのか、ピアニスト達はどんな練習をするのかも気になり、いくつか書籍を読んできました。

ということで、素人ながら感じていることを今日も書こうと思います。

今日書きたかったこと、それは

子供の演奏と大人の演奏の違い

です。なんで、こんなこと書くの?と問われるとまぁそれをこれから書くことになりますが、同じ楽曲を弾く限り、演奏内容は同じじゃない!?だって、同じ楽譜なんだもの、違いなんてないんじゃない。ただ、弾けてるか、弾けてないかだけだよね。というふうに普通は思うと思うんです。

同じ曲なら、同じ演奏。ただ、上手いか、下手か。それだけじゃないの?

でも、長年ピアノの演奏を聴いてくると、そうじゃなかったことに気づいてくるんですね。言うより聞いたほうが早いということで、2つの同じ曲を聴いてみてください。

この2つは子供が演奏したものと、アマチュアながらピティナで優勝している金子一朗さんの演奏です。

比較しながら聴いてみると違いが見えてくるかと思いますが、スピードのコントロール力があっとうてきに違うんですね。

子供というのは、渡された楽譜にたいして、指定されたテンポで、一定に弾こうとします。また、強弱記号も書かれている通りに弾く、それくらいがせいぜいです。

ところが、大人になると、各テーマ、メロディーの終わりで、スピードを落として、意図的にフェードアウトさせたり、音の高低を意図的につけてかがやかせたり、様々な表現を曲に入れてくるんですね。

常に、どう聴かせると、楽しいかな、感動してもらえるから、良さが伝わるかな。

そんなおもてなしの意図を感じます。そんな指示は、もちろん楽譜には書いてありませんが、それまで培った経験や、そのときの気持ち、そういったものを入れ込んでいくんでしょうね。

でも、そんなことを子供ができるかと問われれば、演奏の数や聴いてものにした音楽の数が圧倒的に違うわけですから、よくわかるわけなんてないわけです。

しかし、聞けばわかる。この違い。そんなことを意識して、ピアノには自由がないようで、自由があることを子供に伝え、学ばせるといいと私は思います。