神様は残酷である。タイトルは、何事?と思える感じですが、今日は、息子のことではなく自分のことを書いてみようと思います。
私は、15歳の頃にギターを始めました。当時はXやLunaSea、黒夢などのビジュアル系バンドに触発され、バンド音楽にはまってしまっていました。自分もかっこよくなりたいと中2病のようにあったわけですね。
当時、肥満児だった私は、XのHideさんもそうだったことを知り、80を超えていた体重を50kgにまで落としたりしていました。過酷なダイエットをしていたものです。
本気で音楽をやりたいとなると、どんどんかっこいい音楽に追求することになりました。徐々に、海外のハードロックバンド、へビィメタルバンドに興味が移り、より演奏が難しいものへと興味が移っていました。
さらに、日本のアーティストというのは、本当に演奏が下手だなぁと思ったものでした。自分はミュージシャンにすらなっていないのを棚に上げてですね。
当時の私は、書きたくはないのですが、本気でミュージシャンになりたいなどと思っていて、現実はわかっていても、それでもやりたいと本気で思っていました。バンド活動をしていて、ライブハウスに出演などをしていた。
そして、音楽の専門学校にも行きます。ANミュージックスクールですね。
しかし、そこで、究極に感じたのです。
絶対音感の壁、自分のテクニックの低さ、才能のなさ
をです。当時の私は、「才能が欲しい、絶対音感が欲しい」と嘆いたのでした。
それでも、どうにか続ければいつしかと思いもありましたが、結局、自分の限界と現実を理解し、学生の終わりと共に就職をして、音楽の道はきっぱり諦めました。
もう音楽とは絶対関わらないと決め、楽器ショップや楽器メーカー、オーディオメーカーなどにも興味がありましたが、絶対に、のちに後悔することがあるだろうと、選びませんでした。
そうやって、音楽とは二度と関わらないと考えていたのでした。
そうやって、10年ぐらいが過ぎました。
しかしです。結婚し子供が生まれると、妻が息子をリトミックを習わせていました。私は、おけいこごとの一つだと、特に気にしていませんでした。
次に、息子がピアノをやりたいと言い出しました。まぁ、やりたければやればということで、お金だけ出していましたが、特に私が何かをすることはありませんでした。
そうこうしていくうちに、あるとき、息子に絶対音感があることに気づきました。
私が、手に入れることができなかった、絶対音感を持っていたのです。それも、専門の教育無しにです。
でも、だからといって、ピアノの演奏は、普通レベルでしたから、とくに期待もしていませんでした。
しかしです、小学校にあがり、毎年付き合いで、発表会、コンクールに出場が始まるわけですが、毎年、少しづつですが、順位を上げていくのです。
気づいたら、絶対音感もあり、コンクールでも予選1位通過をするようになっていたりしたわけです。
私は、書きました。
もう音楽とは絶対関わらないと決めたと。
しかし、神様は残酷です。20歳頃の私が、望んだ、絶対音感と才能を、息子に与えていたのです。
今後、この息子がどこまで行くかはわかりませんが、小学生の私はギターすら本気で弾き始めていなかった時期です。
息子のやっているソナチネ、ソナタの楽譜を見ると、とてつもなく難しく感じます。それを、いつしか、普通にやれるようになっている息子が目の前にいるのです。
横で、練習しているのです。
もう音楽とは絶対に関わらないはずが、関わらざるを得なくなる現実になってしまっているのです。
これを、残酷と呼ばずして、なんと呼べばいいのでしょうか。
そして、否応無しに、子供に私が実現できなかったことを、実現できるのではないかと期待してしまうのです。
でも、私は知っています。甘くないこと、上には上がいること、そして、そもそも音楽が売れなくなってきている現実をです。
それでも、私が、持っていないものを、神様に与えられている息子が、目の前にいるのです。
なんて、残酷なことだろう。
神様は、なんて、残酷なのだろうと、最近私は考えるようになってきました。
「才能が欲しい」と言いましたが、私にではなく、息子に与えるとは・・・・
昔話を書いてしまいました、今日は見直す時間がないので、このまま掲載してしまいます。
それでは、また