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ショパンは39歳で永眠したのですね

ショパン国際コンクールと言えば、まぁ、言う必要もないくらい有名ですが、そのショパン39歳でなくなっているんですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3

来年私死ぬくらいの人生だったのかぁ

小学生の音楽の授業で昔の人は早く亡くなったとか聞いたり、読んだりしたわけですが、まだ10歳の頃っていうのはだいぶ先に感じていて、実感というものがまったくありませんでした。

ふと自分を考えて、私が来年死んでも後世には何も残らないかな(笑

このブログくらい!?

なーんてのは全然思わないので、のらりくらりとしぶとく生きていそうだと。長生きするのが前提だと老後とか、退職とかよくわからない心配をしてしまうのですが、この年齢で死ぬとかありえるのだから、そんなのやっぱりどうでもよく、

心のままに毎日すがすがしく生きるのが大事

なのだと、改めて思います。

ショパン
ピアノソナタ第2番 葬送
/小林愛美

自身がこの世を去っても、作ったものが名曲として残ってるいうのは、あの世でどう感じるのでしょうかね?

 

クライスラー作曲 ラフマニノフ編曲 「愛の悲しみ」

「四月は君の嘘」にハマリ中の私。今夜は、「クライスラー作曲 ラフマニノフ編曲 「愛の悲しみ」」を中心に曲を調べている。

実は私はこの曲名を覚えているほどの認識はなかったのだけど、聴いたことのある有名な曲である。

クライスラー作曲 ラフマニノフ編曲 「愛の悲しみ」

調べてみると、人気のあるのは、ヴァネッサ・メイの演奏している上記の動画である。

このヴァネッサ・メイなのだが、やや露出が高いようでクラシックの界からは評価が悪いらしい。

だけれども、聴いてみると、いいと思うのだけれども。

それでは、日本人の演奏を探してみると。

どうでしょうかね。

さらには、とても若い演奏家の演奏!

いやぁ、どれも甲乙つけがたいですね!

ヴァイオリンじゃなく、チェロだと深みがでるなぁとか思ってしまったので、もしかしたら児童のはかなりすごいのかもしれない。

楽曲がすばらしいのは、間違いないですね

あーいい夜だ!こんな演奏が聴けて!

Yahoo!知恵袋「小林愛実と やりたいですか?」の回答がG!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11152328896

Yahoo!知恵袋のピアノカテゴリを読んでいたら、下記のようなどうしょうもない質問があって、なんてひどいんだろうとおもったんですね。

小林愛実と やりたいですか?

ところが、びっくり回答がすばらしいかったんですね。

さすが知恵袋回答者というべきか

連弾したいとか、スイーツ大食い大会やりたいとか、なかなかの秀逸な回答が、すばらしいと思いました◎

さて、今度こそ寝ます!!今日、書きたいなぁって思ったので書きました、なんか、日本人っていいなぁって思ったのでね。

今月は何も言わないと決めた

今月は、息子のピアノコンクールがある。

先月までは何かと言って、アドバイスなのか余計なお世話なのか、わからないけど言ってしまったが、今月は何も言わないと決めた。

昨年までは、コンクールはただ出ていたという感じだったのだけれど、今年はコンクールの意味を理解してもらおうという意味もあって、改めてライバルというものがいて、音楽ではなく、競うのがコンクールなのだと、それを伝えるために、いろいろとアドバイスをしてきた。

ただ、もうすでに当日まで20日を切っている。

本人の音楽は、ピアノの先生、母親、そういった外野の音で乱れやすいのに、私が、何かをいったところで、混乱するだけである。

そう思うからこそ、今月は何も言わないということを決めていた。

前日、あるいは当日に「自分らしく、やってきてね」その程度かなぁ。

そういう気遣いも親として大事かなと思う。

どういう態度をすべきかは、もちろんこどもの性格もあると思う、けどうちの息子はそれがいい。信じようと思っている。

ピアノで楽曲を弾くことと音楽を奏でるのとではまるっきり違う

私は学生時代にギターをやっていました。その頃は、早いフレーズを鮮やかに弾くことがすばらしいことだっていう思いがあって、イングヴェイ・マルムスティーンやインペリテリとか、ポールギルバートといった、早弾きの名手を憧れたものでした。わかる人にはわかるかな!?

YouTubeで見つけた下記の動画があります。

5歳で「子犬のワルツ」を弾いています。「5歳で」です。すごいことだと思います。でも、私にはピアノの曲を弾いているだけ、という印象になんですよ。評価側の数が多くついているんですが、私は、どうなんだろうなぁって、今は思ってしまいます。

私の息子も「子犬のワルツ」を、9歳でしたが練習していた時期があり、色々な方の子犬のワルツを聞きました。その中で、牛田くんの「子犬をワルツ」がやはりいいなぁと思ったものでした。

それでも、やはり、もうちょっとかも?と今は思ってしまうんですね。

私がピアノを弾けるわけではないので偉そうなことを書くのはちょっと無理があるのですが、たくさんのピアノ演奏を聴いている昨今、ほんの些細な音の強弱が気になるんです。些細な音が、印象を変えてくると思うんです。

クラシックのピアノ曲を演奏することは、巨匠の絵画を真似て描いているようなものであると思うんです。カラオケに近いといってもいいかもしれないと私は思うんです。JPOP的には、カバー曲ばっかりなわけです。

でも、そこに演奏者なりの解釈をすることで、巨匠ではなく、演奏者の楽曲になるからこそ、演奏に面白みが出てくるんだと思います。

この5歳の子供の「子犬のワルツ」の演奏はピアノが弾けているようで、指の分解がよろしくなく、音が実際みだれていると感じます。また、音楽的な余韻などは皆無です。5歳だからということを考慮すると、指を動かす基礎能力が長けていて、すごいとは思うのですが、そのすごいはスポーツ的なすごいなんですよ。

音楽的、芸術的にすばらしいという視点では、どうかなぁと私は思うんです。

5歳なんだからそんなのこれからでしょ!って、そういうのもわかるところはあるのですが、スポーツ的に難しい曲を弾くことがすばらいという「やり方」を続けてしまうと、音楽の本質とはやはりズレてしまうんじゃないかと思うんですね。

難しい曲が演奏できるから感動するのではなく、すばらしい演奏を聴くときに人は感動をするんじゃないかと思うんですね。

実際にギターの世界でも、技術がすごいからCDが売れることはないと思いました。技術的にすごいということでCDを買ってくれるのは一部の自分でもギターを弾く人。そんなものは一般人にはうけない。ところが、やはり楽曲的に面白かったり、何度も聞きたくなる歌詞、なぜか感動するもの、かっこいいものっていうのは、技術ではないんですね。

特に歌ものやロックなどは自分達で作曲したものを提供するので、技術ではないものの方に価値があると今は感じるですね。

行き着くところ、伝わってくる作曲者・演奏者の「心」というものなんでしょうかね。

長くなりましたが、今日こんなことを書いて、何が言いたいのかと言われれば、5歳だからこの子がすばらしいといって、5歳をすぎている他の子供達がピアノを習うのをためらうことはなく、音楽というのはいろんな演奏があっていいし、技術だけではないということを知ってもらいたいと思ったからです。

他の方と違う演奏をする人に、なんであそこの音を、強く(or弱く)弾いたの!?と質問したときに、ただ、なんとなくではなく、私は、「こう感じた・こう表現したかった」からっていう解がでてくると、そこで再度、感動するものです。

「心」が一番大事であり、それを育て、ピアノで表現する。そこなんじゃないかと、私は、感じます。

ピアノのお稽古とママ

Yahoo!などの知恵袋を見てると、ピアノという趣味はすごく特殊な趣味であることがわかっきます。

必ずコンクールの話は話題になるし、本人が好きかどうかではなく5歳になったら習い事として始めていることも多いものであるし、本人よりも、母親の方がやる気である感じが多いのである。

5歳の頃から嫌々やっていたんだけど、15歳から本気になった、本気にピアノをやりたくなったとか、そんな話題もチラホラなのである。

うちの息子の場合は、やりたそうだったから、やらせたのであるが、かといってすごくやりたいといったわけではないと思う。けれど、他の人よりもできないことはやはり悔しいようで、YouTubeで自分より上手い人がいると気になるし、楽譜にわからない記号があると率先して勝手に調べるし、テクニック的に難しいものがあると、ムキになってイライラしたりするしで、大変なんだけど、気づくと壁を克服している。

私自身は30歳も後半になって、今更ピアノを弾く練習を始めてみて、これからピアニストとかになるわけはないし、義務的になにかをしなくちゃというのもないので、本当にやりたいときに、心に素直にやっているのだけど、教育ママっぽい方はそれとは違っているんですよね。

チェルニー30番を終えて、40番へとか、何か勉強をするかのように、機械をつくるかのように、子供を教育するのは、ある程度までは、私もありだとは思うんだけど、ゴールはそうじゃなくて、人に響かせる音色をだせなきゃいけないんだと思うんだよね。

だとすると、たとえ練習曲だって、おっと感動を与えるような弾き方ができなきゃいけないと思うんだな。

あくまでも練習として、たくさんの楽曲をこなしていたとしても、そこに愛がなければ、結局意味がないと思うんだよね。

だから、それがないなら、やっぱりダメだと思うんだ。

何かをしなきゃいけないんじゃなくて、自然とこういうことをしている。

今日はピアノを弾くんじゃなくて、イメージトレーニングをする必要があるから、弾かないと決める。そんなことも、心に従ってやる日があったっていいと思うんだよね。

ピアノは心を伝えるからこそ、そうであっていいと思うんだよね。

誰にも感動を与えない100曲よりも、感動を与える1曲に価値があると思う。

だから、子供に無理強いはさせることなく、やれることをやりたいようにやらせて、気付くまで待つのもありだと思うし、やりたくないならやっぱりやらせるべきではないと思う。

 

クラシック音楽がつまらない理由は、生きていないからだ

私はホテルで並ぶスープやステーキよりも、市場や海で採ったばかりの新鮮な魚介類を食べることが好きだ。

理由は簡単、その鮮度だ。

さっきまで生きていた生命をいただいているからこそ、生きのいい魚介類は美味しいのだ。(少し残酷であるが、ホテルだろうが、目の前だろうが、生き物を殺して、私たちは食らっているのだから、何も変わらないのだ。ホテルだから上品なんて、そもそも上品という言葉そのものに品性がない)

ピアノのレッスンで使われているクラシック音楽はたいていの場合、すでに亡くなった音楽家たちが作った音楽を、再現するように演奏をする。しかし、いいクラシック音楽というのは、再現するのではなく、現代の感性でリニューアルされたようなものなのではないかと、私は考えている。

事実、感動を覚える演奏家は、どこかで批判の対象となっていることが多い。

誰かの真似、先生と同じに弾ける、こういったものは、すでにある何かと同じだから、評価ができるにすぎないのだ。

本当にすばらしい新しいことは、常に評価ができない。というか、今まで聞いたことがないからこそ、奇異の対象に最初はなるのである。

そして、それが「個性」というものなんだと私は考える。

カラオケで本人とおなじように歌えたかどうかを採点する機械が流行っているが、本人・原曲と同じリズム、同じ音程、同じ声質で歌うなら、本人が歌えばいい。

そうではなく個人それぞれが、生まれながらもっている音楽をそのままシンプルに表現すれば、どの音楽もすばらしいものになるではないだろうかと、私は思うのだ。

技術やテクニックというのは、必要だから生まれたわけであり、その表現が必要なければ、どうでもいい無駄な高機能なのである。それは一度も使われない、スマホのアプリのように。

と考えると、難しい曲を弾くとか、先生に評価される曲とか、入賞できる曲とかという基準で何かをする時点で、すでに音楽が死んでしまっているんじゃないかと思う。

だからこそ

この曲を再現する!私らしく表現する!他人の意見は10%以下で参考にする程度、やりたいことをやるんだから!

というような音楽にこそ私たちは感動するんではないのだろうか!?

とあるYouTubeで有名なピアニストはクラシック音楽を見限ったけど、生き生きとしたピアノが今や認められているし、X JapanのリーダーYoshikiも天皇陛下の前で披露するほどまでに認められた。

彼らは皆技術的に何かがすばらしいのではなく、生き生きとした人生を私たちに魅せつけてくれていて、だからこそ感動するのである。

すべてのピアニストは、ホテルの高級料理を目指すのではなく、鮮度の高い鮮やかな音楽を目指すべきである。そんな生の演奏を披露してくれるかそ、その音楽が無限に輝くのである。

ということを改めて感じたので、ここに記すことにしました。昨日買った「ミスタッチを恐れるな」という本を読んで、その思いが正しいんじゃないかと、再度思ったので、こんな思いが浮かんできたんだと思います。

未来の心配なんかよりも、今を生きること。未来は今がつながっているにすぎないこと。

音楽っていうのは本当にすばらしいです。

さて、ピアノの練習をしようかなぁ♩

ページ追加

今日はピアノ伴奏のページの追加と本日買った本「ミスタッチを恐れるな」の本の紹介のためのページを作成した。

これはとてつもなく良い本だとおもう。

良い音楽を聞いていると私は心がハッピーになる。私は自分の体のことしかわからないので、他の人もおなじように感じることができるのかわからないが、事実に音楽を聴くことで、体が震えたりするのだから、音楽というのはものすごいパワーを持っているのだと、つくづく感じる。

日本は戦後、ものづくりだけにこだわり、ビジネス中心になってしまって、心の満足を棚上げにしてきたところがあると、私は強く感じている。

だからこそ、今、良い音楽が求められていると感じる。

 

[学校行事]連合音楽会に行ってきて

今日は足立区の第67回連合音楽会に行ってきた。私の息子がピアノの伴奏をすることになっていた為だ。あまり多くのある行事ではないので、仕事を休んでまでして観に行った。

この連合音楽会というのは、足立区で数年ごとに学校の代表学年の児童が合奏あるいは合唱曲2曲を練習し披露する行事だ。

全3日間、午前午後の部があり、足立区の23校の生徒が一同にあつまり行っている。けっこうな規模だと思う。

今回の会場は西新井文化ホール。

小学校の音楽コンクールには私もなぜか縁があり、私の小学校生活6年では2回も出演する機会があった。その音楽の行事に息子も出演するということで、なぜか音楽会に縁があるなぁと、この変な偶然は、なんなんだろうとふと考えてしまった。

親としてこの音楽会を観ることになったわけだけれども、開始早々の「はじめようコンサート」を聞いていたらどこか、しみじみとしてしまって、涙が出てしまった。

自分が学生だったときは、音楽会は、半分強制だったし、練習がキツかった記憶もあり、嫌嫌な気持ちがあったものだ。ところが、親の立場になると、そういった練習を経て、子供たちが今日集まっているんだなぁということを想像してしまって、なにやら感動してしまったのだ。

演奏や合唱は、小学生としては、なかなかのまとまりがあって、どの小学校の先生も苦労して仕上げてきたことが、うかがえた。

うちの息子は、合奏のピアノ伴奏だったので、残念ながら会場ではあまり聞こえなかった。他の学校の演奏でもピアノの伴奏は聞き分けようと努力しないと聞こえなかった。どうやら合奏だとピアノの音は他の楽器に混じってしまって、あまり聞こえてこないものであることに気づいた。

ただ、息子が演奏している姿は、リズムにノリノリで、音楽を楽しんでいる姿が観れたので、微笑ましかった。

すべての演奏が終わった後、最後に「表彰式」があって、順位がつけられる!?のかと思ってそわそわしていたのだけれど、全学校の代表者全員が、楽しくがんばったで賞的な表情をされていて、みんなハッピーな演奏会であっただけであった。

ちなみに、今回使われていたピアノは、スタインウェイ!おそらく会場に常設のピアノである。ピアノマラソンでも使われているものであろう。

合唱、演奏に合わせ、ピアノの音の大きさを調整するためにてピアノの蓋の開閉がおこなわれるのだけれども、スタインウエイだからか、すごく慎重に行われていた。小学校の体育館に置かれている、価格が安いピアノの扱いとは雲泥の差があることに、気づいてしまった。

次は2年後にまた別の代表学年が出場するらしいのだけれども、今度は弟がそのときの代表学年になりそうなので、弟もこの音楽会を経験するらしい。

我が家はなぜか音楽会に縁があるなぁと思った1日だった。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番

「のだめ」の影響丸出しで、かなり嫌なんだんだけど、最近は「ラフマニノフ」にお熱なのである。

なぜかって、あの悲しさ、癒される~というわけである。わからないかなぁ!?

人生ってのは、鮮やかだったり、うそっぱちから元気だったり、はったりだったり、うそばっかり言う詐欺師だったりと、嘘をうまくつかって、人をいい気持ちにさせて、コントロールするような人がうまく世を渡っていけるんだけど、そんな生き方を私はできない。

地に足を着いて、生きていると、嫌でも、嫌なことや、騙されること、我慢しなきゃいけないこと、自分を律しなければならないことが、多々ある。

そんな深みのある人生、わかっているなぁと思えるのである。

ということで、ラフマニノフ先生をWikiで調べると出てきた。2文字。

挫折

人生というのは、挫折があって始めてまともに始まるのである。軌道修正されるのである。

私は最近強くそれを実感している。

心に従えば、見えてくるものがあり、それがすべてなのである。

あー、美しく、悲しく、感動的なのであるな、オーケストラももちろんいいが、この連弾もすばらしいと思うのである。

あー、こんなの、弾いてみたいw