Yahoo!などの知恵袋を見てると、ピアノという趣味はすごく特殊な趣味であることがわかっきます。
必ずコンクールの話は話題になるし、本人が好きかどうかではなく5歳になったら習い事として始めていることも多いものであるし、本人よりも、母親の方がやる気である感じが多いのである。
5歳の頃から嫌々やっていたんだけど、15歳から本気になった、本気にピアノをやりたくなったとか、そんな話題もチラホラなのである。
うちの息子の場合は、やりたそうだったから、やらせたのであるが、かといってすごくやりたいといったわけではないと思う。けれど、他の人よりもできないことはやはり悔しいようで、YouTubeで自分より上手い人がいると気になるし、楽譜にわからない記号があると率先して勝手に調べるし、テクニック的に難しいものがあると、ムキになってイライラしたりするしで、大変なんだけど、気づくと壁を克服している。
私自身は30歳も後半になって、今更ピアノを弾く練習を始めてみて、これからピアニストとかになるわけはないし、義務的になにかをしなくちゃというのもないので、本当にやりたいときに、心に素直にやっているのだけど、教育ママっぽい方はそれとは違っているんですよね。
チェルニー30番を終えて、40番へとか、何か勉強をするかのように、機械をつくるかのように、子供を教育するのは、ある程度までは、私もありだとは思うんだけど、ゴールはそうじゃなくて、人に響かせる音色をだせなきゃいけないんだと思うんだよね。
だとすると、たとえ練習曲だって、おっと感動を与えるような弾き方ができなきゃいけないと思うんだな。
あくまでも練習として、たくさんの楽曲をこなしていたとしても、そこに愛がなければ、結局意味がないと思うんだよね。
だから、それがないなら、やっぱりダメだと思うんだ。
何かをしなきゃいけないんじゃなくて、自然とこういうことをしている。
今日はピアノを弾くんじゃなくて、イメージトレーニングをする必要があるから、弾かないと決める。そんなことも、心に従ってやる日があったっていいと思うんだよね。
ピアノは心を伝えるからこそ、そうであっていいと思うんだよね。
誰にも感動を与えない100曲よりも、感動を与える1曲に価値があると思う。
だから、子供に無理強いはさせることなく、やれることをやりたいようにやらせて、気付くまで待つのもありだと思うし、やりたくないならやっぱりやらせるべきではないと思う。