スタジオジブリ 風の谷のナウシカ


これ、いいですね!

久石譲が音楽を手がけた「風の谷のナウシカ」の楽曲は、今聴いても全然色あせておらず魅力があります。

私のクラシックとのはじめの接点は「アニメ」と「ゲーム」からでした。つまりは、世代なのかもしれませんね。

地方の田舎公務員の長男として生まれ、あまり上級生との接点との無かった私が、ジブリ作品に触れたのは、実は小学校ででした。

アニメーションももちろんですが、その音楽の深さに驚いたというか、まさに衝撃を受けていたわけですね。

戦隊モノの主題歌を卒業していた頃の私は、アイドルやロック音楽を聴くよりも先に、ジブリのCDをレンタルしたり、買ったりしていました。

そういえば、私が始めて買ったCDは、「魔女の宅急便」だった記憶がよみがえってきました。そして、最初に買ったテープ音楽は「ドラゴンクエスト」だったのでした。

レコードの次は、テープという媒体でも音楽を売っていたという話ですね。

私がクラシックを取り入れていた「X」の音楽に魅了されロックに目覚めることになるわけですが、もしかしたら、クラシックの接点があったからかもしれないわけですね。

さて、ピアノが弾ける息子がいることによって、今一度クラシックとの接点が戻ってきたわけですが、最近は息子が、好きなアニメの曲をアレンジして弾いているとかが、あるわけで、そこに感動してる私がいます。

なんで、できるんだか。。愛ですかね。

アニメ音楽の世界への広がりを見ていると、やはり、音楽というのは、「劇」の曲として書かれることで、洗練されるのではないかと思わせるてくれます。

いいですね、ジブリ。ほんと、久石先生、いいですね。

やはり音楽家はピアノありき

ここのところ残業の過労が重なってか、金曜日に熱が出てしまいインフルのように体中が痛い状態が、昨日までありました。

しかし、今日には、けろっと直ったので、子供みたいではありますね。

さて、今日の話題は音楽家の素養と言うか、原点はピアノがありきってことですね。

まぁ、当たり前と言われれば、当たり前かもしれませんが、作曲するなら、編曲するなら、音楽を生み出すなら、ピアノを学んでいないと、できないとやはり思うわけですね。

頭の中で、いろんな音を同時並行的に奏でることは、ピアノもしくはそれに類するキーボード類を扱い、なれていないとできない、そう実感しています。

私も実際、学生時代、ギターをやっていたので、ギターで曲を作ったわけですが、どこかこじんまりとした曲しかつくれないなぁというぼやぁーとした、そもそもの枠を感じていたんですね。

もちろん、ロック系の音楽など、聞いている音楽の偏りがあったということは事実で、それを意識して、当時の私は、クラシック、Jazz、ボサノバなどなど、逆に他のジャンルの音楽を聴くようにもしていたんですね。

ところが、それでも、なにか根本的に広がらない

それが息子がピアノを学んでる姿を見て実感するんですね。

ピアノを演奏というのは「ふつう」の演奏からすでにどれだけの和音の、音のバランスを意識しているか、リズムを意識しているかということに。

単音を追求するヴァイオリンや管楽器など、そしてボーカルとは根本的に違うわけです。

ギターにはコードという和音があるわけですが、押さえ方という弾ける「速度」をゆうせんすることもあり、型から入ってしまいがちで、それでは音楽として理解していけてないんです。

一方で、ピアノは、先生に譜面を読むよう指導されてきますから、指と譜面とを連動させ、構成音を正しく理解して演奏するのが正しいわけで、それが当たり前。

楽譜が当たり前のピアノを学習していたか、していないかで、音楽の幅の限界が見え隠れしてしまうのは仕方がないとも言えます。

実際に、人気のあるミュージシャンと言われる人達でも、幅ひろの音楽の作品を提供している場合は、編曲者(アレンジャー)が実は良い仕事をしていることが多く、そういった人のバックグラウンドにはたいていピアノの経験があるのが常であるのです。

ということを書いてしまうと、ピアノやっていないと音楽ができないと言っているようにもとらえられてしまうかもしれません。

が違います。

歌を作るのは、鼻歌を歌う才能があれば、誰でも可能だと私は考えています。そうではなく、幅ひろく、音の空間を演出するような部分を装飾していく時には、ピアノが必要なのだということを感じると書いているわけです。

さて、息子の音楽コンサートまで、あと2週間となりましたが、まだ、完璧とはいえません。

しかし、ピアノの先生と譜面を調整しながら挑んでいる姿が微笑ましいと奥さんが言っていたりするのを聞くと頑張っていることに感動する場面があります。

曲は次の譜面を利用させてもらっています。

ネットで聞く「千本桜」とは、異なる「千本桜」の演奏になります。

こちらの楽譜の上級版は春の訪れを感じさせるメロディーが、本当にすばらしく、練習で流れてくる音は、息子ながら感動する瞬間があります。

よくよく考えると、5年しかやっていないのに、よくここまでも弾けるなあと親なので感じるのですが、親ばかなんでしょうね。常に上には上がいます。

さて、急に息子の話となり、なぜ、話がよこみちにそれているかというと、次のエピソードを書きたかったからです。

息子は練習して疲れたときに、適当にアドリブで、メロディーを弾くんですね。

このメロディーを引くときの左手の和音、音の広がりが、絶対音感と和音の理解から、根本的にギターとかとは違うんですよね。適当にメロディーを並べても、音楽観が相当広がってるんですよ。

そんなときに、ピアノをきちんと学ぶことの大事さっていうのを改めて感じます。

本当の音楽家を目指すなら、ピアノは必須だと私は再度認識するわけですね。

ということで、ピアノ嫌いの軽音楽好きの皆さんも作曲するなら、ピアノもやっておいても損はないですよーということを、ちょっと伝えたかったので、書いてみたネタでした。

私も正直、ピアノやっとけばなぁと思ったこと、数知れずでした。

ピアノの先生も悩んでるようだ

私はコンクールに熱心過ぎる親御さんではないけれど、子供にやる気があるならやればいいくらいの親ではある。

ピアノも中級くらいまでなら、ピアノ科出身でなくても教えられていたみたいだけれども、最近は、息子もひとつ上の先輩もそれなりに上手くなったからなのか、たまに弱気なことを言うこともあるそう

息子の先生は、声楽科出身

それでもピアノは素人の私やちょっと習った奥さんが聴いたら、ありあまーるくらいの演奏をしていた

けれど最近は、「別の先生」に、という発言が増えた

もちろん私も息子が頑張っているし、私自身もギターで、昔ライブハウスにちょこっと出演したりと音楽の知識はあるし、最近はピアノ学習の本も10冊以上買って、可能な範囲で息子のサポートをしてきたから、ちょっとはピアノの苦労についても見えてきた

ショパンの先生も最初はヴァイオリン奏者だったようだし、必ずしも先生がピアノ専門でなくとも育つ人は育つのだろうと思う

子供の音楽への気持ちを、心を、一緒に育めるかどうかは、技術以外のところにもあると私は思うから、上級者になったから別の先生に変えるというのも違うと私は感じる

なので、先生には弱気にならず、指導力を伸ばしてもらいたいなあと感じる

自分ができたなったことを成し遂げる生徒を抱えるコーチは、スポーツを見ていてもたくさんいる

自分を伸ばすのと、他人を伸ばすのは、違う能力だとわたしは感じるので、先生にはそういう気持ちを、もってまだまだ指導してもらいたいと思う

やる気のない生徒ばかりも大変だし、うまくなる子供が多くても悩むと、ピアノの先生も大変だなあと、最近感じました

どう落ち着くのか、親としては「見守るだけ」と、私は決め込んでます

ピアノの演奏を芸術にする

ピアノの演奏を芸術にするってどういうこと?

まぁ、そんなこと当たり前だって、ピアニストの人は思うと思いますが、素人のブログなのでお許しください。

楽譜どおりに弾く。

クラシックの方々はそれが正しいと思われるだろうし、私もそう思います。

そしてクラシックの楽曲は、楽譜に休符も強弱記号も完備され、たくさんのピアニストが演奏していることもあり、名曲は、洗練されつくされています。

そうなんですね。

名曲は、楽譜がすでにすごく磨かれているんです。

ところが、私の息子が、コンサートで弾く「千本桜」は、生まれて間もないし、ピアノ曲として生まれたわけでもないので、まだまだなわけです。

そんな楽曲の練習をして息子は、飽きたということばを使いました。

確かに、楽譜にある音符は全部弾けているわけですね。

そして、少しだけある強弱記号もきちんと制御しているのです。

ですが、その演奏を聴いてもまったく「感動」しないんです。

そう、私は感動しないと息子に言いました。

私はピアノを弾けません。そんな私が、息子に、「感動しない」とか言うわけです。

当然、子供も、納得がいかないし、意味がわからないはずです。

「だったら弾いてお手本みせてよ」

と息子が言うのもうなずけます。

なぜ、そうなのか?

その理由は、休符や強弱が洗練されていないからだって、気づきます。

だんだん強く、だんだん弱く、歌うように、ここはトリル。ペダル。そして、変調。

そうやって複雑に制御をしてい演奏するのが、クラシックのピアノ曲です。

いっぽうで生まれたばかりの楽曲は、メロディはあるけれども、アレンジはまだまだ、雑だったりします。

だからこそ、自由に色をつけられるとも思うわけです。

だからこそ、ピアニストに演奏だけではなく、感性や思いを、入れ込めるんだと思います。

ネットでYouTubeで有名になる「ピアノの弾きて」は、こういった自分の個性を出せるピアニストなんだと思います。

普通に聞いていて感動がある演奏家には、すばらしい休符、強弱の調整能力があるんだと思うんですね。

息子にはそれがわかったのかは定かではありませんが、次のコンサートまでには、「もう弾けるから飽きた」とか言うのではなく、感動レベルの演奏ができるように、努力をしてもらいたいものです。

「10さいのありがとう」 誰に向けての感謝?


小学校4年生の息子がピアノの伴奏をしていることはこのブログで、すでにお伝えしています。

息子は、明日(すでに今日だけど)、学校で小学校6年生に向け、この「10さいのありがとう」の替え歌でお別れのメッセージをするそうで、当然の如く、小学校で伴奏をするそうである。

自宅で何度も練習してきたので、私も歌詞をすっかり覚えてしまっている。

歌詞のあるサイト

私は、この曲「10さいのありがとう」を口ずさんでいて、ふと、歌詞の中に「お父さん、お母さん」の文字が無いことに気づいた。

そのことに気づいたのは理由がある。

私の周りには親がいない子供が実際に増えているからだ。

我が家は、奇跡的に、奥さんもいるし、兄弟もいて、離れて暮らしているが、おじいちゃん、おばあちゃんもいる。当たり前のように。

しかし、今の世では、それが当たり前じゃない。

いまや、普通でもない。

私の奥さんの弟は、離婚を決断して、新しい奥さんとまもなく再婚はすると言うし。

私の息子を気があるお嬢さんの親は、離婚し、お父さんがいなくなり、お母さんも自分を責めるあまり、鬱病となり最近自殺をし、来年は引越しをして出て行く。

表面には幸せそうな笑顔をしている子供達は、いろいろ背負って生かされている。

私が「かわいい」お嬢さんだなぁって思っている、息子の同級生も、二人目の継母にいじめられて、最近別居をしているという話を聞いた。

こんな社会になったのは誰のせい?というのは、思ってしまうけど、それは自由の代償だと私は思って諦めている。

戦後、核家族化を推奨し、ビジネス中心、お金中心の世界にして、過去の日本にあった強固な社会をコミュニティを壊したのは事実だ。

お見合いがコンパになって、自由恋愛が片親が増えた、そんなのは自由の代償だろう。

東京の下町の「情緒」なんて言葉が、なくなるのも遠くないというか、すでにないのかもしれないくらい。

そんな状況にあってなのか、この歌詞の中では、直接誰かに感謝をしている対象が見えない。

いつでも家族と友だちが 近くにいるから大丈夫

といった表現も出てくるけれど、家族というのは広い意味だし、友だちだって、不安定なものだ。

そんなこんなで、この「10さいのありがとう」では、明確な表現を避けているのかもしれない。

親が育児を放棄して、施設で育ったあなたはもしかしたら、家族はそんな施設の人かもしれないし、友人が最近いっしょに暮らす動物かもしれない。

そんな状況下で、「どうやったら夢を見れるの?誰に感謝しろって言うの?」

そう思う子供もきっといることだろう。

ほんとうにいるんだと思う。

そんな子供達には、私は言いたいと思うことは、

地球や太陽に、宇宙に、

この世界を体験させてもらっている神様に

すべてに、

そして、自分自身にも感謝すればいいんだよ

ということだ。今では、私も本当にそう思う。まずは、自分に感謝する。していい。

今日まで頑張って生きてきたその自分に感謝していい。

今夢がない、未来が描けないと思う子供達も、きっといるだろうけれど、未来なんて大きなことではなくて、1週間後、明日、今日これからを、ほんのちょっとでも、自分のやりたいことができるように変えていく。

そんなことだけでいいんだと思う。ほんのちょっとでいい。

「ありがとう」って、まずは、自分自身にいっていいし、20歳まで、これからの10年を頑張って生きていくのも、自分なんだから、その決意として、ありがとうと言っていい。

この「10さいのありがとうは」自分に感謝する、歌なんだと思う。

音楽って、本当にいいものだと思います。

つらいことも、自分で、つらいものじゃないように、脳内変換は可能なことを、私は最近、実感しています。

そんなつらい状況に貴方がもしあっているなら、自分の心と向き合って、心を楽な方にかえたいなら、私は、仏教をおすすめしますね。

もちろん、お金のかかる日本の仏教ではなく、ブッダが説いた、本当の仏教のほうです。

セツナトリップの弾いてみた

うちの息子が大好きといってカラオケで歌っていた私が知らない曲シリーズ。

セツナトリップ

どうやら3年前に流行ったらしいですが、息子はものすごく早く歌うのでピアノで弾けないとかいうので、今日はネットで探してみたら、普通にあること、あること(笑

ピアニストに無理はないはずだよ」と息子に今日は言ってあげました(笑)

私はピアノでは何もできないことを、棚にあげて。。

原曲






正直なところ、もっといい演奏をしてくれる人がYouTubeのピアノ弾きにいるなぁとか思ってしまったところがありましたね。

「まらしぃ」さんとかやってたりするんでしょうかね?ちょっと探したけど、みつかりませんでした。

ちょっと話は飛びますが、ピアノの先生は、やはりクラシックを聞くことが多いので、こういった曲をピアノ教室に持っていくと、何!?っていう顔をされるそうです。

そんなこんなでも、息子が弾きたいとなると、先生もつきあって千本桜を練習&編曲してくれてました。

普段は絶対に弾かないだろうけど、ピアノ先生が弾く、ピアノの千本桜の演奏はすばらしかったそうで、私も聞きたかったなぁと思いました。

ピアノの先生の皆様、是非ともYouTubeにアップロードしてくださいませ

それでは、このへんで

大好きな曲でも「一切皆苦」

仏教の本当の教えはすばらしいものであり、人生がうまく行かない時の助けと必ず助けとなります。

昨日、子供のために「ブッダがせんせい」という本を買いました。

大人が読んでも、考えさせられる当たり前の話が詰まっています。

また、政治やマスコミの世界が、なぜに苦しみの中にあるのか、よくわかります。

さて、今回仏教をブログに持ち込んできたのか。

それはどんなことも苦だからですね。

ピアノを弾くことも、かならずや苦だからです。

息子の初めてのコンサートのパンフレットが刷り上りました。自費を払ってのアマチュアコンサートですから、それほどハードルが高いものではありませんが、そのための練習を1月から息子は続けています。

選んだ曲は、前からこのブログでも書いている通り、千本桜の上級バージョン。

好きな曲というのは、好きなので自然と何度も聴いてきました。

そして何度もピアノの練習してきました。

そして、ついには飽きがきてしまったのです。

どんなに大好きなものであっても、いつかは苦になる。

天職だと思った仕事もいつしか嫌なことが目に付く苦になりえるのです。

それは当たり前なんですね。

でも、そんな好き嫌いといった感情を超えて、今を大切にと、本当の仏教は教えてくれます。

今日出来ることを大切に。

今日のできるところまでを頑張れば、どんな結果であれすばらしい。

そんな当たり前のことを、私達は忘れてしまっています。

このままじゃ満足な演奏ができないとあせる必要も無ければ、緊張で当日うまく弾けなかったらどうしようと、未来のことを考えることに、意味がないと、仏教は教えてくれます。

今を、生きる。

今が、なければ未来もない。

今を、大事にする。

そんな当たり前のこと、皆さんはできていますか?

老後の心配よりも、目の前のことをしっかりやるべきなんですよね。

今誰かが苦しんでいたら助けてあげる。

将来の自分の苦を無くすために、今を苦だらけれにして、何になるのでしょうか、と言ってくれています。

最近息子がピアノの練習曲に飽きていたので、今回はそれを記録するブログでした。

今では厳しい!?ピアノの本

先週楽天で、Yahoo!知恵袋のピアニストが奨めていた本を買ってみた。

買ってすぐにびっくりしたことがあった!!

なんと、薄っぺらい。そして、文庫程度のサイズで、900円。

とんでもない本である。いまどきこんな値段で売る本じゃないだろうと思った。

けど、初版発行は1981/3/25。

すでに35年にもなろうかというところで、すでに38刷発行である。

歴史と重みのある本である。

いやぁ、読んでみると、あちらこちらに名言がある。

そして、本当に厳しい。

うちの息子にも見せた。

58ページ目に、明確に、

毎日の練習には4時間が妥当

と書かれている。

ちょっとした天狗の息子は、本気で、むかついたらしい。

イライラしてしまった(笑

ただ、4時間が妥当で、それ以上も悪いと言ってるといるのだけど、そこまで読んでいない

子供だなぁと思う

私の視点だと、逆に言うと大人になっても一日4時間でいいってことで、仕事に比べると楽とか思ったのだけど・・・

毎日1時間程度で満足している息子だけど、小学校から帰ってきて4時、宿題やって6時、ご飯たべて7時、1時間ピアノやって、ゲームやって風呂に入って9時に寝る。

というペースでは、4時間のピアノ練習時間はつくれないということで、日本の義務教育下では、ピアニストは生まれないということはわかる。

ピアニストっていうのは、狭き門でもあるが、やはり厳しい世界である。それでもたいした成績にならないのだから、本当に大変だと思う。

辻井くんのことを悪く言う人もいるけど、このような本を読んだ後では、とてもじゃないけど、文句を言えないものだと思った。

ちなみに、この本の翻訳は、「中村菊子」さん。

バーナムピアノテクニックなど、ピアノの本で生きた人ですね。

若い頃の訳なのか、どことなく直訳っぽいので、元の英単語が何なのか予想して読む必要がありました。

私は読むにあたり、どういう意味でジョセフ・レイバーン氏が、元の文章・言葉を書いたのかを直訳の文章から予測して、読んでみたりした箇所もあるので、この手の本に慣れていないと意味が正しく咀嚼して吸収できないと思うので、再度翻訳した方が、今後の日本人ピアニストのためになるのではないかと思ってしまった、私がいました。(すみません)

とはいえ、耳が痛くなるような、当たり前のピアノ基礎がちりばめられているので、本気でピアニストになろうと思っている人は、まずは読んでみて、その方向に本気で進む気が起きるかを試すのにも、読んでみる価値がある本だと思いました。。

 

 

進学や就職・出世の為にピアノを辞めてはいけない

おはようございます。このブログを書いているのは、土曜日の朝です。つまり仕事がある日以外のことです。

たまには皆さんに私の経験談を書こうかと思います。私は、ピアノをやっていませんでしたが、学生の時に始めたバンド活動・音楽活動を就職に伴い辞めました。

さらには、出世の為に、仕事中心に生活を変えて、ゲームや釣りなどの趣味もほとんどやらないようにして、学生時代の自分を捨てて、仕事中心に生きようとしていました。

その結果。

病気になり、自分を失って、うつ病とは言いませんが、うつに近い状態となって、精神的な安らぎを欠いた時期を、数年過ごしました。

すでに、自分を取り戻しているので、こんな風に客観的に書けますが、以前は冷静に自分を見ることができませんでした。

これは私の例です。

もし、あなた、あなたのお子さんが、本当にピアノが大好きで、幼い頃から5年以上もピアノ真剣に習ってを弾いてきたけれど、収入が見込めないや将来的に目処が立たないからといった理由で辞めなきゃいけないのなら。

それは、ピアノを辞めることを、辞めた方がいい。

好きなこと、やりたいことを、辞めるのは絶対に、辞めなければいけない。

私は、そう思います。

本心で思います。

心がそう言っています。

人ってそういうもんです。

人は良くも悪くも、心の生き物なんですね。

心がパワーの源なんですね。

本当なんですよ!

心が嫌だ、ダメって言っていることを無視して、生きると、自分をどんどん失っていきます。

生きている理由。

生きがい。

それを失ってまで、生きて、生きる意味って、本当にないって私は気づきました。

それとなんですが、、、

ピアノが大嫌いになって辞めるというのも、ダメかもしれないと私は思います。

ピアノが大好きな時期があっての大嫌いは、大嫌いの理由があるはずです。

大嫌いな理由が、あったから、嫌いになったということは、そこに心の変化ポイントがあったということです。

それを、心のしこりを残したまま、生きること。

その先に、、その宿題を残して、忘れようと頑張って、生きたら。

もしかしたら、私のようにうつ状態になるかもしれないと、私は思います。

ということで、この私の体験談は、今後も継続して書こうと思います。

さて、それでは、これから、、私はプライベートの時間ですので、オンラインゲームをやりますよー

PSO2ってやつですよー

知ってますかぁ?

昔は、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーといったゲームで育った世代の私

今の旬は、PSO2ですねー

 

ゲームを知ってて、入り込んでると、涙出てくるなー

ゲームの中でも自分の部屋というものがもてまして、そこでピアノを所有できますよー、そんなピアノ映像

皆さんも真剣にやってる趣味があったら、辞めないでくださいねー

好きなことってのは大事にしないといけませんよー

ピアノにまつわる情報サイト