ピアノの演奏を芸術にする

ピアノの演奏を芸術にするってどういうこと?

まぁ、そんなこと当たり前だって、ピアニストの人は思うと思いますが、素人のブログなのでお許しください。

楽譜どおりに弾く。

クラシックの方々はそれが正しいと思われるだろうし、私もそう思います。

そしてクラシックの楽曲は、楽譜に休符も強弱記号も完備され、たくさんのピアニストが演奏していることもあり、名曲は、洗練されつくされています。

そうなんですね。

名曲は、楽譜がすでにすごく磨かれているんです。

ところが、私の息子が、コンサートで弾く「千本桜」は、生まれて間もないし、ピアノ曲として生まれたわけでもないので、まだまだなわけです。

そんな楽曲の練習をして息子は、飽きたということばを使いました。

確かに、楽譜にある音符は全部弾けているわけですね。

そして、少しだけある強弱記号もきちんと制御しているのです。

ですが、その演奏を聴いてもまったく「感動」しないんです。

そう、私は感動しないと息子に言いました。

私はピアノを弾けません。そんな私が、息子に、「感動しない」とか言うわけです。

当然、子供も、納得がいかないし、意味がわからないはずです。

「だったら弾いてお手本みせてよ」

と息子が言うのもうなずけます。

なぜ、そうなのか?

その理由は、休符や強弱が洗練されていないからだって、気づきます。

だんだん強く、だんだん弱く、歌うように、ここはトリル。ペダル。そして、変調。

そうやって複雑に制御をしてい演奏するのが、クラシックのピアノ曲です。

いっぽうで生まれたばかりの楽曲は、メロディはあるけれども、アレンジはまだまだ、雑だったりします。

だからこそ、自由に色をつけられるとも思うわけです。

だからこそ、ピアニストに演奏だけではなく、感性や思いを、入れ込めるんだと思います。

ネットでYouTubeで有名になる「ピアノの弾きて」は、こういった自分の個性を出せるピアニストなんだと思います。

普通に聞いていて感動がある演奏家には、すばらしい休符、強弱の調整能力があるんだと思うんですね。

息子にはそれがわかったのかは定かではありませんが、次のコンサートまでには、「もう弾けるから飽きた」とか言うのではなく、感動レベルの演奏ができるように、努力をしてもらいたいものです。

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