「10さいのありがとう」 誰に向けての感謝?


小学校4年生の息子がピアノの伴奏をしていることはこのブログで、すでにお伝えしています。

息子は、明日(すでに今日だけど)、学校で小学校6年生に向け、この「10さいのありがとう」の替え歌でお別れのメッセージをするそうで、当然の如く、小学校で伴奏をするそうである。

自宅で何度も練習してきたので、私も歌詞をすっかり覚えてしまっている。

歌詞のあるサイト

私は、この曲「10さいのありがとう」を口ずさんでいて、ふと、歌詞の中に「お父さん、お母さん」の文字が無いことに気づいた。

そのことに気づいたのは理由がある。

私の周りには親がいない子供が実際に増えているからだ。

我が家は、奇跡的に、奥さんもいるし、兄弟もいて、離れて暮らしているが、おじいちゃん、おばあちゃんもいる。当たり前のように。

しかし、今の世では、それが当たり前じゃない。

いまや、普通でもない。

私の奥さんの弟は、離婚を決断して、新しい奥さんとまもなく再婚はすると言うし。

私の息子を気があるお嬢さんの親は、離婚し、お父さんがいなくなり、お母さんも自分を責めるあまり、鬱病となり最近自殺をし、来年は引越しをして出て行く。

表面には幸せそうな笑顔をしている子供達は、いろいろ背負って生かされている。

私が「かわいい」お嬢さんだなぁって思っている、息子の同級生も、二人目の継母にいじめられて、最近別居をしているという話を聞いた。

こんな社会になったのは誰のせい?というのは、思ってしまうけど、それは自由の代償だと私は思って諦めている。

戦後、核家族化を推奨し、ビジネス中心、お金中心の世界にして、過去の日本にあった強固な社会をコミュニティを壊したのは事実だ。

お見合いがコンパになって、自由恋愛が片親が増えた、そんなのは自由の代償だろう。

東京の下町の「情緒」なんて言葉が、なくなるのも遠くないというか、すでにないのかもしれないくらい。

そんな状況にあってなのか、この歌詞の中では、直接誰かに感謝をしている対象が見えない。

いつでも家族と友だちが 近くにいるから大丈夫

といった表現も出てくるけれど、家族というのは広い意味だし、友だちだって、不安定なものだ。

そんなこんなで、この「10さいのありがとう」では、明確な表現を避けているのかもしれない。

親が育児を放棄して、施設で育ったあなたはもしかしたら、家族はそんな施設の人かもしれないし、友人が最近いっしょに暮らす動物かもしれない。

そんな状況下で、「どうやったら夢を見れるの?誰に感謝しろって言うの?」

そう思う子供もきっといることだろう。

ほんとうにいるんだと思う。

そんな子供達には、私は言いたいと思うことは、

地球や太陽に、宇宙に、

この世界を体験させてもらっている神様に

すべてに、

そして、自分自身にも感謝すればいいんだよ

ということだ。今では、私も本当にそう思う。まずは、自分に感謝する。していい。

今日まで頑張って生きてきたその自分に感謝していい。

今夢がない、未来が描けないと思う子供達も、きっといるだろうけれど、未来なんて大きなことではなくて、1週間後、明日、今日これからを、ほんのちょっとでも、自分のやりたいことができるように変えていく。

そんなことだけでいいんだと思う。ほんのちょっとでいい。

「ありがとう」って、まずは、自分自身にいっていいし、20歳まで、これからの10年を頑張って生きていくのも、自分なんだから、その決意として、ありがとうと言っていい。

この「10さいのありがとうは」自分に感謝する、歌なんだと思う。

音楽って、本当にいいものだと思います。

つらいことも、自分で、つらいものじゃないように、脳内変換は可能なことを、私は最近、実感しています。

そんなつらい状況に貴方がもしあっているなら、自分の心と向き合って、心を楽な方にかえたいなら、私は、仏教をおすすめしますね。

もちろん、お金のかかる日本の仏教ではなく、ブッダが説いた、本当の仏教のほうです。

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