私は学生の頃バンドでギターをやっていました。その頃は、ピアノという楽器は鍵盤を叩けば音がでるので、誰が弾いても同じような音が出るものであると考えていました。
ギターやバイオリンなどは、直接弦に触れるので、プレイヤーが変われば、音も変わることを意識してはいましたが、ピアノは同じものだと思っていました。
しかし、息子がピアノを弾くようになり今では、ピアノもプレイヤーによっても音が変わるものであることを理解するようになりました。
そうなった変化を振り返ってみようかと思います。
幼少時代のピアノの評価
発表会での話です。息子が5歳の頃、一つ上の学年に、間違えずに鮮やかにピアノを弾く女の子がいました。息子はそのころ、ミス無く弾くことはできましたが、演奏する曲がとても簡単で、間違えないのは普通でした。
しかし、その女の子は、6連符が並ぶような表現のある曲を弾いていました。
そのときの私は、この子は神童だと思っていたのですが。その時の評価の基準に音色という基準がなく、間違えずに早く弾けることがすばらしいと感じていました。
この聴き方の残念ポイント
音楽は音色、音楽を表現する上での音の強弱、意味のある速さ・遅さ、それらが心に響くかどうかが大事であり、指が動くのを自慢するのがいいことではなく、必要があるから早く弾く、必要ないならブリリアントに弾くなど、譜面と今を感じて弾くべしだと思います。
音の大きさでの評価
私の息子は当初、電子ピアノで練習していました。電子ピアノというのは音量を調整することができるので、マンションに住んでいる我が家では、音量を小さくして練習することが多かったのです。
その時の発表会の演奏では、息子の演奏の音が小さいことに問題を感じました。なので、大きな音で弾くように伝えていたことを覚えています。
メリハリがいいといいと感じていました。
この聴き方の残念ポイント
子供の演奏でたいてい音が大きい時は、音が割れています。割れた音を出したかったらいいのですが、そうではなく教えられたとおりに強く弾いたりしているだけだったりします。全体としてどうなのかを考えての強さ・メリハリならいいですが、しっとり聞かせたいときは、逆にメリハリを無くし、マイルドに弾くと急に曲全体がすばらしくなることもあったりします。
チャレンジとミスによる評価
現在の私のピアノの演奏の評価は、より難しい曲・アレンジをミス無く弾けるかという評価になっています。誰もが、ミスはない方がいいし、ミスは怒られることも多いですが、簡単な曲をミス無く引くだけでは努力を感じなくなりました。
トリルなどの装飾を増やすことで簡単な曲も、劇的にあざやかに、そして難曲になったりします。そんな部分の鮮やかさを魅せつけられるともう涙が出てきます。
総括
最初は「きちんと弾けること」を中心にピアノのよしあしを判断していたのが、今は「どんな表現をしているか」という、一般的なピアノの評価をするようになりました。
おそらくやっているとどんな人もそうなるとは思うのですが、ピアノの演奏を知らないうちは、きちんと引けていればうまいんじゃない!?思ったりもするとは思いますが、演奏が自分に合う人、合わない人がいて、奥がふかいなぁと、聴きこむほどに感じる毎日です。
言い演奏に一度出会うと、そこから新しい世界が広がるものですね。