コンクール前日

明日は待ちに待った?というより、やはりやや緊張感を感じるコンクールの本番である。

息子が出場するのはCコースなので、小学校6年生まで出場できるし、そもそも上手な子は小学生でもBコース(中学2年まで)に出場するので、それほど緊張していない。

そんなこんなで、気持ちを変えてみようかと、今日はアップライトの中身をむき出しにして練習させてみた。

そうすると!

「なーんか、いつもと違う!!」と息子は興奮し始めて、やっていた宿題をそっちのけで、ピアノを弾きたくなってしまって、弾きたい、弾きたいとなってしまった。

しかたがないので宿題は夜に延期で、ピアノを弾かせました。

ところが、楽しすぎて気持ちが高ぶってしまった為か、もう演奏が飛び跳ねちゃって、練習になりませんでした。(逆効果でした)

アップライトピアノ中をむき出しにすると、目の前でハンマーが動くので、見ているだけでも楽しい。子供ならなおさらなんでしょう。

始めてのことだったので、より刺激が強かったようである。

ピアノは習っていない、弟クンまで興奮して、ハンマーが動くのを「すごい」「すごい」と眺めていました。

奥さんもさすがに、弾んでしまっているピアノの演奏に堪忍袋の緒が切れて、しかってしまった。

子供は「だったら見本見せてよ!」といって、ちょっときれ気味でしたが。10分後には仲直り。親子ってやつはこれだから、難しいですな。

私が出場するわけではないですが、子供がピアノのコンクールに出場するとなると、いろんなところで、ハラハラする毎日となるので、楽しいですな。

ピアノの音色

ピアノは中途半端にやっても何にもならない。音大を卒業しても先生くらいしか道はないし、先生になったところで給料も少ない。

ずっとそういう話を聴いていながら、私は息子にはピアノを習わせている。

本人が望んだからであり、今も続けたいと言うからだ。

けれど、一日1時間を越えて練習するのは無理のようだ。

小学生高学年となれば、ピアノはやめて塾に通った方が成績をあげるなら効率が良い。

ただ、私は勉強はやりたくないなら、やらなくていいと思っている。

嫌いなこと、嫌なこと、お金を稼ぐためのこと、そんな作業のために生きる人生に、やはり意味があるとは思わない。

どんな人生だろうが苦労がない人生なんてのはないし、どんなことをやってもいいのが人生なのだ。

ならやりたいことをやるべきなのである。

心のままに、目の前のことに没頭して、毎日を生きることが、人生のすべてだと私は今考えている。

他人は他人の人生を送るものであり、他人の人生をうらやんだり、生まれや給料がどうとかの比較の話も根本的にはどうでもいいことなのである。

他人との比較を始めた瞬間から、心の牢獄が生まれてしまうのである。

自分が心底やりたいことをやっている時、人は輝く。

これは紛れもない事実だと思う。

他人と比べたり、他人をコントロールしようとしたり、怒りや恐れ、様々な感情をむき出しにして、心を乱すから、自分の奥底にある心の声を聴くこともできないし、心のままに生きることもできない。

無理に働くと、体が疲れだけではなく、心が疲れるのである。酒や一時の快楽で、それを誤魔化そうとしたところで、結局心が満たされることはなく、疲れたまま生きることになる。

だから、偉くなろう、社長になろう、金持ちに成りたいと強く願っている人を見ると、少し気味が悪く感じる。

まったく美しくない。

最近は稼いだお金を使って、何をしているのかを見るだけで、その人のすべてが見える気もする。いくらお金を稼ぐかよりも、そのお金を何に使うのかで、その人の生き方が見えてくるのだと思う。

ピアノという芸術に触れているとき、音色の美しさと人間の欲望の醜さとを対比させて聴いている自分がいる。

ピアノの音色には、そう私を夢想させる何かがある。

私はピアノをほとんど弾けないが、ピアノに今心底はまっているようだ。

 

 

ピアノバブルもバブルと共にはじけてた?

ピアノ講師の給料は少ない、掛け持ちは当たり前

ピアノを習っているとこんな話が出ます。実際に大手のピアノ教室に勤めていたとしても、自分の生徒がいなければ給与が少ないのが実体です。

つまりは、自分の生徒は自分で集めろ=個人教室との差別化はない=大手に所属するのは一般人向けの拍

息子の場合も、習い始めた1年目の先生はすぐに自分の教室を始めてやめていきました。個人教室をやっていてたまに連絡をとっているようです。

子供の母数が減るとレベルも下がる

日本の経済のバブル期に、ピアノのバブル期もありました。

その時代は、チェルニー、チェルニー、チェルニーと誰もが指練習を当たり前のようにやらされたそうです。

今はその反動で音楽的に意味がないから、やるのは必須ではないという論を持っている先生もいますが、結局のところ向かっているのは、生徒が減らないように努力をしている先生たちの姿です。

たくさんの生徒がいれば、収入を気にせず強気の厳しい指導ができますが、厳しい指導は脱落者が多数でるので、そんなやりかたはピアノ不況の現在は通用しないということらしいです。

そして、生徒のレベルも下がっていきます。理想とはかけ離れた「ゆとり教育」ですね。通常の勉学と同じです。

今後は?

ピアノをやる子供が減り、すっかりピアノバブルの跡もなくなり、日本も没落しているのは皆さんご存知の通りです。

その一方で、正常な状態での新陳代謝は続いているので、バブルの反動の淘汰の結果、まともな状態が来るのは、ピアノも同じだと思います。

つまり、過大な広告や流行によるピアノブームが終わったあとの、ピアノの正常な、生徒の集まり、先生の需要がくる。

そして、本来のあるべき芸術のあり方に戻るのだと思います。

ピアノを金儲けの道具にしたからこそ、2000万円を超えるようなピアノがあること、そのこと自体が過去の過熱を物語っていると私は感じます。

これが良いことか、悪いことかは、受け止める側の考え方に依存しますが

今年最後のレッスン終了

息子は今日今年最後のピアノのレッスン日でした。

あとは、コンクールを残すのみ。

小学校4年生で、学校行事に習い事といろいろやらされている感もあり、少しかわいそうでは?と自分の両親にも言われるのだけれど、本人がやる気なのだから、いいんじゃないかと思っている。

それと、耐えれる範囲でプレッシャーをかけるのもよい機会かなぁと思っている。もともと、平気な感じなので今回もプレッシャーなんかはねのけてやってくれると思っている。

息子も

「昨年までは、ただなんとくやっていた感じだったけど、今年はコンクールのために練習した感じがする。」

と何か、自信があるようだ。まぁ、もっと練習している子、上級生との戦いなのだから、そんなに簡単なものではない。

昨年、息子があまりにも本番の演奏が一番よいので、普段は手を抜いている?と聞くと

私に怒られた後か、本番しか本気になれない

とか言うので、今年は、プレッシャーをかけてやった。学校のピアノ伴奏の練習、劇の練習いろいろあったようで、ストレスもたまることもあったようで、機嫌が悪い状態で自宅に帰ってくることもあったようだ。

すでに息子は寝ているので、ここでお疲れ様と書いて、本日の記録とします。

M.Clementi – SONATINE Op.37.No.2. Allegro assai

今年はこれでカワイ音楽コンクールに挑戦。

一つ上のグレードの曲を選んでおいて、去年より仕上がりがいいんだから、すでにパパとしては満足しました。

すでに「Wii U」のクリスマスプレゼントは仕込みましたョ。

まぁ、結果はどうでもいいですが、私の母も、妻の母も来るので、高プレッシャーの中で子供がどう演じれるか、そこが楽しみであったりもします。

最近の小学生のピアノ学習にまつわる与太話

うちの息子は5歳からピアノを習い始め現在4年生なので、約5年ピアノを習ったことになる。ピアノというお稽古事は、発表会やコンクールなど他の生徒の演奏を見る機会も多い。また、奥さんが他のお母さんと子供の自宅学習事情について話す機会も増えるので、いろいろと耳にすることも多いので、最近の小学生のピアノ学習事情について、書いてみたいと思います。

ピアノを習う子供は減っている

最初から飛ばしていきますが、ピアノを習う女子が昔に比べるとかなり減っているようです。お稽古の定番としてあるピアノでしたが、定番のお稽古で目新しさがなく、また自宅にピアノを置くのもスペース的な問題もあり、減っている印象があります。ダンス教室に通う子供が増えたという話はよく聞きます。

男子に関して言うと、昔からピアノを習う男子は少ないので、変わらずといったところだと思います。

息子の年代でのピアノを習っているのは、小学校3クラス約100人程度で、習っているのは10人程度です。10人に1人以下です。また、そもそも子供は減っているので母数も減っているので、ピアノの先生は経営が大変です。

ピアノを習っている子の技量は下がっている?

習っている子供が減っている分、ピアノが上手な子供が減っているのは事実だと思います。また、ピアノを習う子供が減ったことにより、ピアノの先生も強気で指導をするよりは、嫌いにならないように指導することが増えているからか、全体的にはレベルが下がっている感があります。

一方で、本格的にピアニストを目指す子供達・親達には、昔以上の情報がネットの普及に伴って入ることもあり、ピアノ学習者の上位層のレベルは上がっている気がします。

ピアノ発表会は異常に派手

私はあまり派手なことは好きではないし、そもそもピアノの力量が伴わないのに、衣装にお金をかけるのは嫌です。しかし、ピアノの発表会は女子率も高いため、親からすると、大事なイベントになっていますので、衣装はかなり派手な女の子が多いです。ピアノを習っている娘の写真を撮ることがメインで、実際の演奏は今一歩という子供も少なくはないです・・・

生ピアノの所有は必須ではない

ピアノのお稽古は過去に人気がありました。また、ピアノはなかなか壊れるようなものではなく、中古市場が発達していることもあり、新品よりも中古の方が割安感が出てきており、それほど購入に敷居の高い楽器ではなくなってます。とはいえ、家庭ではスペース事情があり、生ピアノのサイズは大きいと、電子ピアノやキーボードで済ませている人もいます。

毎日練習する子供でないのなら、生ピアノであれ、電子ピアノであれ、違いはあまりなくなってしまうので、生ピアノじゃなきゃということも言えなくなっている状況もありそうです。

ただ、ピアノの上手な子供の家庭は、生ピアノは当たり前です。

ピアノが上手な子供は成績も良い

これはまぎれもない事実です。ピアノの上手なAさんは、ピアノだけではなくお習字でも賞をとるし、学校の成績も上位です、という子供はざらです。

学校の宿題を短時間で済ませ、ピアノを練習する時間を作ることができ、読むのに抵抗感がある譜面と向き合える、その時点で、集中力がそもそも高い子供です。集中力の無い子供は、ピアノにも向き合えないし、学校の宿題もだらだら、なかなか終らないという感じになります。

 

以上が、ピアノ学習をやってきて私が感じた与太話です。他にもあるかもしれませんが、今日はこの辺で。質問などあれば、twitterやコメントでもらえれば、お答えできると思います。

小学生のピアノの練習量

小学生のピアノの練習量はどの程度のものなのかネットで調べると、家庭事情と子供の能力、目指すところで、かなりの開きがあることがわかります。

区分 1日の練習量
習い事レベル 15分~20分
本格レベル 学年×時間
めざせピアニスト 帰宅したらすぐにそして寝るまで可能な限り

実際に音楽関係の仕事に就いた人の話では、小学生のうちは1日1時間~2時間やっていたとのこと。

さて話は変わって、私が学生の頃の学校の勉強の話です、小学生の頃は宿題しかやっていませんでした。中学生では、テスト直前は1日3時間以上。高校生の頃は平日2時間以上、テスト直前は時間の限り、大学受験に失敗した後の浪人時代は、一日12時間以上という感じでした。

ピアノも勉強も同じような印象なのが、不思議です。

練習できる時間を作れるかどうかもポイントです。それはつまり本気かの意識

勉強もピアノもやった人に基本的には結果が出るのことは確実なようなので、近道がなく、毎日地道にコツコツやるというのが、基本のようです。

ただし、時間をかけてやったからといってよい結果がすぐに出るかといえば、そうではなく、心から諦めずやり続けるという姿勢を持っていないと、続かない×結果が出ないというのが現実です。

何もやらなければ何の結果を見ることもないのですから、やることを選んで、やり続けないといけないわけですね。

人生はそのものが修行ですね。

 

コンクールまで後6日

来週の日曜日が息子のコンクールです。長いようで短かった約4ヶ月。

これまでの子供コンクールから見てきて、今回が「一番練習した」という状況です。
(きっと他の子もそうだと思います)

他の子供達と比較をするコンクールの結果は、皆さんの頑張りの結果なので、私は結果はどうでもよいと思っていて、これまで練習して、できなかったことができるようになった息子に、すでに感動をしました。

「トリルはできるようになったけど、トレモロとかまだ知らないことあるし、まだまだだよね」

と息子が言っていたんですが、ここまで頑張った息子を見ると、私も今後もいろいろ頑張らないとなぁと、子供から刺激を受けているところです。

自分以外の他者への批評はいくらでもできるもので、子供の今の演奏にケチをつけることもできますが、学校行事、日々の宿題などの合間をぬって練習してきた結果を見てしまうと、まぁ、親としては、頑張ったと素直に感じます。

子供の頃のコンクールは通過点だと思うし、その結果をうけてピアノを続けるとか、続けないとかの判断もあっていいわけなので、あとは自分でやれる範囲で、あとで後悔しないように、今週すごしたらと、アドバイスして昨日は終ってます。

私には弾けないピアノを弾いていて、絶対音感がある時点で、私からみたらすでにすごいんだけどね。