ピアノの音色

ピアノは中途半端にやっても何にもならない。音大を卒業しても先生くらいしか道はないし、先生になったところで給料も少ない。

ずっとそういう話を聴いていながら、私は息子にはピアノを習わせている。

本人が望んだからであり、今も続けたいと言うからだ。

けれど、一日1時間を越えて練習するのは無理のようだ。

小学生高学年となれば、ピアノはやめて塾に通った方が成績をあげるなら効率が良い。

ただ、私は勉強はやりたくないなら、やらなくていいと思っている。

嫌いなこと、嫌なこと、お金を稼ぐためのこと、そんな作業のために生きる人生に、やはり意味があるとは思わない。

どんな人生だろうが苦労がない人生なんてのはないし、どんなことをやってもいいのが人生なのだ。

ならやりたいことをやるべきなのである。

心のままに、目の前のことに没頭して、毎日を生きることが、人生のすべてだと私は今考えている。

他人は他人の人生を送るものであり、他人の人生をうらやんだり、生まれや給料がどうとかの比較の話も根本的にはどうでもいいことなのである。

他人との比較を始めた瞬間から、心の牢獄が生まれてしまうのである。

自分が心底やりたいことをやっている時、人は輝く。

これは紛れもない事実だと思う。

他人と比べたり、他人をコントロールしようとしたり、怒りや恐れ、様々な感情をむき出しにして、心を乱すから、自分の奥底にある心の声を聴くこともできないし、心のままに生きることもできない。

無理に働くと、体が疲れだけではなく、心が疲れるのである。酒や一時の快楽で、それを誤魔化そうとしたところで、結局心が満たされることはなく、疲れたまま生きることになる。

だから、偉くなろう、社長になろう、金持ちに成りたいと強く願っている人を見ると、少し気味が悪く感じる。

まったく美しくない。

最近は稼いだお金を使って、何をしているのかを見るだけで、その人のすべてが見える気もする。いくらお金を稼ぐかよりも、そのお金を何に使うのかで、その人の生き方が見えてくるのだと思う。

ピアノという芸術に触れているとき、音色の美しさと人間の欲望の醜さとを対比させて聴いている自分がいる。

ピアノの音色には、そう私を夢想させる何かがある。

私はピアノをほとんど弾けないが、ピアノに今心底はまっているようだ。

 

 

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