黒夢 – 優しい悲劇 (Piano cover)

久しぶりに「優しい悲劇」を聞いてみた。原曲は黒夢のものだけど、昔ファンだったので思い出が深いですね。

原曲でも、悲しいのにピアノバージョンだと、すごく悲しさが深くなってしまう。

黒夢ファンだった方にとっては当たり前だとおもうけど、私にとっても青春の曲なので、いろんなことを思い出します。

スキー場で聞いたり、深夜のラジオで臣さんの脱退を聞いたことも思い出します。

そんな曲です。

ピアノで演奏されると、悲しい曲は、すごく悲しく聞こえ、それがすごく心地よくなるのが不思議です。

あの頃は、若かったなあぁ。

皆さんも、青春の思い出の曲の、ピアノバージョンを探してみて、当時のことを思い出す時間をとられたらいかがでしょうか。

別の思い出が浮かぶかもしれません。

悲しみがこみ上げるアニメ

見ているとどこか悲しみがこみ上げてくるアニメです。

歌のないアニメーションを見ると、何も外から発信されてないからこそ、自分自身の中にあるストーリーがイメージされてきます。

人によっては、何も感じないかもしれません。

私には、すごく切ない感じがあふれてきました。

このピアノの演奏もそれを誘います。

人はただ生きるだけ、それだけで、いいんだ。どんな悲しみや辛いことがあっても、自殺なんかもってのほかで、生きようと。

どんなにつらくて、生きることが、すべてなのだ、というような印象を受けました。

あなたはどうですか?

 

ピアノの音はこうやって録音する

生ピアノには、レコーダーやビデオにつなぐためのOUTPUTはありません。本当の楽器ですから(笑)

YouTubeの動画演奏を聴いてみても、スマートフォンから録音されたものとしっかりとした機材で録音されたものを比較するとやはり、簡単に違いがわかるくらいの差はありますね。

この動画は、4本のマイクの音の聴き比べをし、マイクの宣伝をしている動画ですが、マイクの種類でも音が違ってくるくらい、集音には違いがでてきますから、音楽というのは本当に奥が深いということがわかります。

ライブ、生演奏を聴くにしても、座った位置、ホールの音の響きで聞き心地が変わるように、録音の際も部屋の広さ、音の反響、マイクの種類で、違いがでるんですよね。

 

歴史的に見て、今ほど音楽が楽しめる時代はないよね

過去、宗教や戦争のために利用されていた音楽、そして商業として発達した音楽の時代を経て、いまや作曲家・演奏家が自由に曲を弾き発表できる環境が揃っている。

これほどまでに、たくさんの音楽が生まれ、そしてインターネットを介して聴くことができる時代は、これまでなかったと思うんですよね。

CDを買わないと聴けない音楽も確かによかったですが、本当にいい音楽じゃないと聴いてもらえない時代になったという気がすごくします。

昨日からTwitterを始めたのですが、俺の曲も聴いてくださいとばかりに、フォローをいただきました。

この曲は2度目にフォローいただいた「Mario Viñuela」さんの曲です。

どことなく寂しさを覚える曲ですね。

一日に聴くことのできる曲には、時間の上限がありますが、YouTubeのおかげで無限に音楽を楽しめるようになった気がします。

まだまだ、出会っていない、私に強く共鳴する音楽を求めてまた、YouTubeにいきます!

インターネット越しのセッション

私が大学生の頃は、ようやくインターネットが家庭にも普及したころだったのですね。

そのとき、ギターをやりバンドをやっていた私としては、インターネット回線でリアルタイムな音楽セッションができないのかという夢を描いていました。

たくさんのミュージシャンがセッションをする機会が増えれば、すごい曲が生まれていくんじゃないかとも思ったのですね。

電子楽器であれば、プラグで繋がったアンプなり、スピーカーなりから音がでているので、結局は、有線でつながれたケーブルから音を出す仕組みですので、インターネット越しのセッションも可能だと思っていたんですね。

でも、テレビの生中継などでもそうですが、光と音のずれがでるので、そのあたりが課題だと思っていました。

とはいえ、その夢を叶えるべく、電機メーカーに行くわけでもなく、電子楽器メーカーにもいくことはなかったのですが。

現在そのような私が想像してたことは、似たようなことではあるのですが、実現しているんですよね。

YouTubeやニコニコ動画のようなサイトで、すでにアップロードされた動画や音楽に対して色づけをしていくような手法で、同じようなことをやっているわけなんですよね。

初音ミクの大ブームがあり、今も続いているように、音楽の世界もインターネットで進化していることをすごく感じました。

私は現在もITの仕事をしているのですが、そういった創作に参加をすることを自分で禁じていました。仕事を優先するサラリーマン、いわゆる従順な社畜、奴隷を選んでいたんですよね。

でも、私の心のそこには、ずっと対立する何かがあった。一時、年収1000万円に届くくらいまで働いたこともあったのですが、結局お金では、人は満たされないんだと思いました。

「自由が欲しい」

学生のころ、お金などなく、確かなものなど何ひとつなく、浪人し留年し、さまよいながらもバンドを続けていたあの頃の「自分の求めたいものをひたすら求められる自由」が記憶の中で輝いていたのです。

最近、そんな音楽への気持ちが戻ってきてしまいました。特に楽器を始めたわけでもありません。けど、きっと何かが始まっているのです、既にこのようなサイトを始めている訳です。そして、自宅にはピアノもあれば、ギターもあり、マイクもあり、カメラもインターネットもある。

さらに、息子がピアノをやっている。専属のプロピアニストの祖母がいるような家庭じゃなく、平凡だけど音楽を楽しめる環境が整ってきてるると感じます。

良い出会いがあるといいなと思っている、人とそして音色と。

音楽は生命のエネルギー!?

太陽があるからこそ、地球の生き物がいきていけることに疑問を持つ人はいないと思います。

その太陽から出ている光や熱などのエネルギーは「波」ですよね。

音も波であることを学校で学んだことがありますよね。

TVの電波や携帯電話の電波、WiFiの電波すべてが波なのです。

放射能として知られるアルファ線やガンマ線も波です。

とても不思議なことなのですが、すべて波なのです。

だから、生命体には生きるために波が必要なのです。

そんな馬鹿な? 人は音楽だけじゃ生きていけないけど? ということが、すぐに疑問として浮かぶかもしれません。

でも思い出してください、植物が光合成をして栄養分を作り出し、それが食物連鎖を経て人間のエネルギーになっているのです。

だから、この宇宙はすべて波によって作られているといってもいいと私は考えています。

だから、ピアノの響きからも我々は何らかのエネルギーをもらっているのだと私は思います。

もしくは、ピアノの響きにのせて、演奏者の何かを受け取って感動しているのかもしれません。

何も証明できるものはありませんが、私たちには「この曲」は良いだとか、「気になる」とか、「好み」と呼ぶ感覚がありますよね

その感覚というのは、その何かに反応している部分が人にあるからなのではないかと私は考えています。

ですので、音楽が神学に重ねられたのは、太陽を神として崇めるのと同じ理由なのだと私は思います。

子供がピアノを弾きたくなる魔法

学校から帰ってきても、すぐにゲーム。

ピアノの伴奏の課題があった時は、学校から帰ってきたらすぐに練習していたり、新しい楽譜をもらうと3日で覚えてしまうくらいピアノの前に何時間でもいるのに、最近、まったくピアノの練習をしないうちの小学3年生の息子。

こんなときピアノを習わせている親としては、ちょっと残念です。とはいっても、以前にも書きましたが、練習を強制しても、結局良い練習にはならないので、意味がないことはわかりっきっています。

そこで、最近はまってよく歌っている「アンと雪の女王」の「Let it go」を弾いてみたら?といって、弾かせてみます。

お風呂に入っている時も、口ずさむくらいなので、ハマってます。

するとヴォーカルのパートはすぐに弾けるのですが、伴奏は面倒のようで、あまり効果がありませんでした。

そんなとき、次の動画を見つけました。

すばらしいソリューションでした。学校から帰ってきてピアノに向かう日が、また始まりました。

今回は、伴奏の音をとるのが面倒だったということだとおもいますが、障害になっていることが取り除かれると、やりたい気持ちに動かされて、進めるのです。

好きな曲に出会うと、ピアノを練習するのではなく、弾きたいって気持ちになって勝手に弾き始めるのですから、まるで魔法のようです。

気持ちがのれば、元気があれば、人はなんでもできる。

やりたい気持ちにさせる何かを見つけられれば、どんな人でも人生を歩んでいける。時に障害があったとしても、誰かが助けてくれる。1人じゃなくて、みんなで生きているんだな。

そんなことを、再度気づかされた気がしました。

自宅でのピアノ練習について

我が家の息子は(最初はキーボードではありますが)、4歳からピアノ曲の練習を始め、小学校2年生(8歳)で合唱の伴奏をするくらいにはなりました。そのときの曲は「勇気100%」でした。

指をほぼ限界まで広げないと弾けないので小学生が弾くのは難しい曲であり、さらに3週間後に発表の場があるということで、学校の先生一部だけのつもりだったようだし、ピアノの先生も難しいのではという、前評価があったのですが、無事やってのけました。学校の先生だけではなく、ピアノの先生も感動してすごく驚いていました。

家での自己練習も親が言わなくても、朝、放課後と欠かさずやっていたからでしょうね。

親のピアノ経験ですが、母親はエレクトーンの経験があるがピアノは1〜2年、父親はギターをやっていて譜面を読めるがピアノは経験がありません。

我が家の基本方針は、最後は「子供に任せる」です。

例えば「練習今日はしなくていいの?」と私が問いかけ、やる気がないようであれば、それ以上は言いません。実際のところお金を使って習っていることなので、毎日かならずやってもらいたいのですが、本人が決めたのなら、仕方ないと割り切ります。

日本の小学校は宿題がでますし、たいていピアノだけではなく他の習い事もあります。それだけでも、本人は疲れています。だからこそ、宿題などは義務の的にやるものにならざるを得ません。そして、気持ちが入っていません。時には気持ちが入っているときもありますが、毎日となるとなかなかです。

私は、ピアノに対する気持ちも同じように義務になって欲しくないという思いがあります。義務になったとたんに、ただ弾けるだけのロボットになってしまう気がしています。

「現代のピアニストは心を失ったが、技術はすばらしく向上している。あるときから心を捨てたんだ」という、批評をある本で読みました。それを読んだとき私は、つまり義務的な練習で上手くなった人が増えたのじゃないか?と考えました。

人は機械ではありません。経済が発展しすぎた今、私は、あたかもロボット人間ばかりの社会になっているような気持ちになることもありますが、それでも人には心があると信じています。音楽は、音を聴いた時の感動もありますが、音を通じて心、気持ちが伝わってくるからこそ感動するものだと私は信じています。

おそらくピアノだけでなく、映画、ドラマなどでもそうだと思います。音だけではなく、映像を通して、何かをもらっているんだと思います。人から人に気持ちが伝わる何かがあるのだと信じています。それがあるから、感動しているのだと思います。

それを「心がある」と言っているのだと、私は考えています。

ピアノの指導にあたり、母親の指導は、褒めることなのかなと私は思います。
・「そう!やればできるじゃない!」
・「上手くなっているよ、自信持って!」
・「できるよ、できる!」

心に響くことを、親も心から伝えれば、子供は練習をするのだと思います。

私の方は、心に伝わる褒め方がなかなかできないので、技術面の指摘や練習方法を指導することが多いです。メトロームに合わせてのリズムトレーニングや、楽譜通りに強弱ができていないところの指摘がどうしても多くなります。そして、ピアノの先生の宿題をきちんと意図通りにこなしているかの確認です。

それくらいしかしていません。

同じ教室に通う、年齢が一つ上の女の子で、飛び級をしてずば抜けてピアノが上手な子がいます。小学校低学年で中学生レベルの曲を弾きます。おのずと周囲の大人たちも期待しています。ピアノの先生をおばあちゃんがされていたとのことで、自宅練習も厳しいのかもしれません。

毎年の発表会で聴く機会があり、上手なので、私もすごく聴くのが楽しみなのですが、だんだんと心がない?どこかいっちゃった?ような演奏だと感じるのですよね。もしかしたら、それは誰しもが通る、上達の過程なのかもしれません。

心に従う練習と、技術上達優先のどちらが良いかはわかりませんが、それらについては私にとってもテーマであるので、適度なタイミングで更新していきたいと思います。

音楽家になるということ

私はミュージシャンになる夢を持ちましたが、結果的には自分で道を断ちました。

でも、それは結果的にミュージシャンではなく、クリエイティブなこと、モノをを作ることがやりたいことの根本であったことに気づいたからでした。

本当の夢に向かったと言っても良いでしょう。

夢というのは、自分が本当に望むものです、もしそれが、本当に望む夢なのであれば、どんなに違う夢を見つけようと思っても、なかなか見つからず、簡単に諦められるものではありません。

音楽家になるということは、簡単ではありません。すばらしい才能を持った人がたくさんいることを簡単に知ることができるでしょう。ほら、Youtubeで探してみてください、あなたよりも才能を持った人がどれだけいるのでしょうか。

もうやる気がなくなりました?

でも、諦めないでください。諦める必要はないと私は考えてます。

だって、みんなあなたと違うものを持っているから、すばらしいと感じたんじゃないのでしょうか?

私は、どんなにたくさんの才能を持った人がいても、それでもすべての人が、アーティストとして活動できる可能性を秘めていると思っています。

続けること、作り続けること、お金が有る無しに関わらず、自分の夢の実現のために走り続けること、そうやって、それぞれのアートが生み出されていくんだと思います。

売れる、売れないに関わらず、続けることに意味がある、そう考えているのです。そして、それが人生だとも思います。

だから、年齢も関係ないと考えています。

既に誰かがやったことに感動は生まれません。他の誰もやったことのないような経験を芸術で表現したとき、あなたの花が咲くのだと思います。

自然の花や木を見てください。すべての成長スピードは違いますよね。すぐに花が咲き実がなるもの、なかなか芽も出さず、花も咲かず、実もならないもの、いろいろな種類の花たちがあります。まさに個性があります。

私たちも同じなのだと思います。いろいろな経験を経て、ようやく花が咲き、実がなるのだと思います。

自分を信じて、感謝の気持ちを忘れず進めば必ず、すべての人からすばらしい作品が生まれるものだと私は信じています。

でも、時にはうまくいかず諦めてしまいそうになると思います。そんな時は、諦めなかった人のアドバイスに耳を傾けましょう。そんなにうまく行きっこないという思いが生まれても、思いに負けないでください。

人間の考えることなんてちっぽけなんです、私はそう思うのです。ただ、その日、落ち込んでいるだけなんです。明日になったらわすれちゃいます。そんなものじゃないでしょうか。

そうではなく、落ち込んだ気持ちは置いておいて、それよりも行動しましょう。進みましょう。いつまでも同じ場所にとどまっているのは、数日程度で十分じゃないかな。

でも、それでも、前に進めそうになければ、気持ちの扉をあけましょう。そんなときにおすすめの本はこちらです。あなたの習慣を変えるお手伝いをしてくれると思います。

私も救われました。

信じられなくても、本の指導に従って、ワークを続けてみてください。

絶対に助けになると思います。(ここまで読んでいるようなあなたなら大丈夫です)

いいじゃないですか。苦労をすることも、良い作品が生まれるエネルギーです。報われない苦労はたくさんの作品の誕生を後押ししてくれるものだと思います。そして、それは栄養となるものです。そして、すべてがあなたの生き方、あなたらしさを創り出していく原動力となると思います。

曲がヒットしお金を手に入れているうちは続け、ヒットしなくなったら辞めてしまうようなものなら、それは芸術とは呼べません。仕事です。

あなたの世界をすべての生き物に届けるつもりで、創作をつづけていきましょう!

考えるよりも行動ですね♪

クーラウのソナチネ

うちの息子が現在練習している曲はこれです。

最初はやる気があり、毎日練習して3日で曲は覚えたのですが、それ以降は興味がなくなり練習ペースはスローダウン。

「あなたは譜面通り曲が弾ければ、ピアノが弾けたとお考えですか?」

なんて、お説教をいただきたいところですね(笑い)

最初から早いペースで弾いていたのですが、指の動きが滑らかじゃないので、80くらいのテンポで練習するように先生に指導を受けて練習中です。

7月の発表会で演奏するので、それまでにこの演奏のようにまともに弾けるようになって欲しいですね。

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