「パパの話」カテゴリーアーカイブ

音楽とHSPと中学受験

音楽で飯は食えない

笑える。

学校の教員の枠は少ないし、音楽でお金を稼げるのは一部。そもそも音大にいけるのは金持ちだけ。でたところで、仕事はない。金の無駄。

世間には、いろんな言葉が残り、飛び続けている。実はどれも、人々の怒りの声である。かなわなかった夢、望みどおりにいかなかった人生の悲しい叫び達だ。

本当にそうだ。

でも、私達は、お金を稼ぐ為、生きるためだけに、生きているのだろうか?

そもそも、それで、生きているのだろうか?

どんなに大金稼いだところで、資産を積み上げたって、死んだら子供が奪い合うか、税で没収されるかだ。

そもそも一般人の大半は、起業した創業者あるいはそれを引き継いだ社長に仕事をもらうか、公務員として国に従うか、生まれながらの金持ち(資産家)に従うかだ

いずれにしても、働いてお金をもらう為に生きることを、最初から望むべきなのか?

私達はHSPだと最近気づいた

冒頭から、申し訳なく思いますが、この問いは自分に向けて書いていることです。先日、息子が入賞したことで、自分の私の昔の気持ちが蘇ってきてしまったようですね。

音楽中学校の入学について、このところ私は考え始めました。息子もそうですが、私はHSPという性格であることが最近わかりました。HSPについて”ぐぐって”調べてみてもらえば、わかると思いますが、HSPというのは4/5の人達よりも感覚がするどい人間なのです。集団の中では、刺激が多すぎるのです。

人類の4/5には理解されない感覚ですから、選挙でも勝てないし、多数決では、今後も1/5が優先されることはない気がします。だからこそ考えます。

私は中学校が大嫌いでした。集団が苦手でした。その原因には、HSPがあります。4/5の人達向けに指導をされる集団では、耐えられないのです。

非HSPの人達が、例えば、学校の規則を破ってスマートフォンを持ち込んだとして、HSP側にいる人達は、ルールに従っているのですが、学校の規則を破った人がいたことで、持ち物検査が始まったりします。(そもそも、HSPはルールを守ります)

しかし、非HSPは、この検査もあまり気にならないでしょうが、HSPは自分の荷物に他人が触れることだって、気になるわけなのです。集団の中にいる、HSP側は、非HSP達の問題に付き合わないといけないのです。そんなことが、集団にいると永遠に続いていきます。

だから、HSPに気づいたことで、私は最近、子供の中学校について気になるようになりました。私は、高校時代、自宅からいける範囲で偏差値が一番高い高校に通うことができたのですが、そこで救われると思っていたのですが、結果的には違っていました。

そもそも集団の中では、ダメだったのです。

息子は、今のところ集団がダメということはないようですが、最近は、「ヤンチャな子達とは距離をおきたい」とか、「ヤンチャな子と一緒じゃ疲れる」とか言うようになってきたのです。これは明らかにHSPだからの発言です。非HSP側にとっては、ヤンチャすることは楽しいことでしょうし、その刺激が心地良いのだと思います。が、HSP側にとってみれば、迷惑でしかない。心を蝕むノイズでしかないのです。その感覚があるからこそ、中学受験を思いなおしてみました。

中学受験について

私は子供が5年生の今年、ある都立の中高一貫校を見てきました。学区の子供と、優秀な子供達とが半々で学ぶ中高一貫校で、補助金もあり、少ないお金の負担で、やや先進の授業を学べることは魅力でしたが、電車通学に40分であったり、都内だからこその敷地の狭さを見ると、負担が大きいので、中学受験はいらないと思っていました。行くなら、マンションでも買って引っ越し学区であればありかとも思いますが、マンションを買うにも5,000万円以上の地域ですから、それも無駄に感じました。

ところが、HSPであることを思い出しました。そして、音楽コンクールでの入賞。まぁ、入賞程度ですが、気になったのは、HSPだからこその勉強の環境の問題です。通常の公立高校にいく場合は、結局、非HSP側が優先される学校に行くことになるのです。

日本は、そもそも内向型の人間の多い地域ですから、HSP側に合う学校環境もあったのですが、それが欧米のプレゼン(発表≠表面だけ)社会の影響を受けて、オープンスペースなどの、自分達に合わない方向に、学校も変えられています。(欧米では、非HSPが認知され、内向型も認知され、その環境づくりが始まっていることとは真逆の動きです)

そこにきての中学の選択。おそらく普通に公立中学に行っても救われることはないでしょう。私と同じ苦労が見えてきたのです。そこで、浮上したのが音楽中学校です。効果も無いとの声も聞きますが、そもそも、音楽中学校の数が少ないのに、体験していない人が大半なのに、悪口がこうも多いのか?普通に考えておかしいですね。ということで、説明会に参加して検討の検討を考えています。

音楽中学校であっても集団の呪縛からは逃れられないとは思いますが、少人数であることは多くのメリットを感じています。

音楽や芸術を作る人達は、引きこもりや、うちき、シャイ、人見知り、そういった傾向がつよいはずで、私はHSPの人達だったろうと考えています。だからその環境にはメリットを感じます。行ってみたらまったく違うかもしれませんが。

自分の外側からエネルギーをもらう非HSPは、人の音楽を組み合わせて良いものを作るのが得意でしょう、一方で自分の内側からエネルギーを作り出す、HSPはオリジナルな音楽を作るはずです。

音楽をやってもお金にならないの前に、音楽中学校に価値があると思ったので、そのことを今日は書いてみました。参考になれば幸いです。

進学や就職・出世の為にピアノを辞めてはいけない

おはようございます。このブログを書いているのは、土曜日の朝です。つまり仕事がある日以外のことです。

たまには皆さんに私の経験談を書こうかと思います。私は、ピアノをやっていませんでしたが、学生の時に始めたバンド活動・音楽活動を就職に伴い辞めました。

さらには、出世の為に、仕事中心に生活を変えて、ゲームや釣りなどの趣味もほとんどやらないようにして、学生時代の自分を捨てて、仕事中心に生きようとしていました。

その結果。

病気になり、自分を失って、うつ病とは言いませんが、うつに近い状態となって、精神的な安らぎを欠いた時期を、数年過ごしました。

すでに、自分を取り戻しているので、こんな風に客観的に書けますが、以前は冷静に自分を見ることができませんでした。

これは私の例です。

もし、あなた、あなたのお子さんが、本当にピアノが大好きで、幼い頃から5年以上もピアノ真剣に習ってを弾いてきたけれど、収入が見込めないや将来的に目処が立たないからといった理由で辞めなきゃいけないのなら。

それは、ピアノを辞めることを、辞めた方がいい。

好きなこと、やりたいことを、辞めるのは絶対に、辞めなければいけない。

私は、そう思います。

本心で思います。

心がそう言っています。

人ってそういうもんです。

人は良くも悪くも、心の生き物なんですね。

心がパワーの源なんですね。

本当なんですよ!

心が嫌だ、ダメって言っていることを無視して、生きると、自分をどんどん失っていきます。

生きている理由。

生きがい。

それを失ってまで、生きて、生きる意味って、本当にないって私は気づきました。

それとなんですが、、、

ピアノが大嫌いになって辞めるというのも、ダメかもしれないと私は思います。

ピアノが大好きな時期があっての大嫌いは、大嫌いの理由があるはずです。

大嫌いな理由が、あったから、嫌いになったということは、そこに心の変化ポイントがあったということです。

それを、心のしこりを残したまま、生きること。

その先に、、その宿題を残して、忘れようと頑張って、生きたら。

もしかしたら、私のようにうつ状態になるかもしれないと、私は思います。

ということで、この私の体験談は、今後も継続して書こうと思います。

さて、それでは、これから、、私はプライベートの時間ですので、オンラインゲームをやりますよー

PSO2ってやつですよー

知ってますかぁ?

昔は、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーといったゲームで育った世代の私

今の旬は、PSO2ですねー

 

ゲームを知ってて、入り込んでると、涙出てくるなー

ゲームの中でも自分の部屋というものがもてまして、そこでピアノを所有できますよー、そんなピアノ映像

皆さんも真剣にやってる趣味があったら、辞めないでくださいねー

好きなことってのは大事にしないといけませんよー

人生をよりよいものにするために

映画や娯楽、ゲーム、アニメ・漫画、もちろん音楽を含め、受け取る側が、それをエンターテイメントとして受け止めると、どこか価値のないもの、取るに足らないものとなる。

しかし、それらを作り出すことや、教えること、自分の内面から引き出したり、すでに世にあるものをつなぎ合わせたり、つまりそのままでは不可能なことを可能にすること、そういった側に視点を移した瞬間から、娯楽ではなく、仕事やタスクとしてのワークが始まる。

その瞬間から、無邪気な戯れから、人生のタスクに変わるような気がする。

人生というのは、ただ生きるものではなく、人として生きることを選択した魂が、この世界で学ぶための器を選び生まれ、魂の成長の為に生きているものを指していると、私は感じれるようになっています。

知るだけではなだめで、感じれるようになったのは最近です。

なにかの宗教をやっているわけではないけれども、そういうものだととらえることができるようになってきました。

このブログも何を書こうか?と毎日悩むわけではなく、常に書きたいものをとくに考えて書いているわけではないんですが、無意識の時や、寝ている時に、貯まったようなエネルギーで書いている感じがするときがあります。

まさに今日はそんなときなんですね。自分でも、この世界の教科書や常識に当てはめると、朝起きて頭に浮かんでいることがある。でてきた答えがある、イメージがあるというのは普通ではない気がするのですが、事実今日は、まさに今書いている理解をして起きてきて、そして、これを書きたいと思って書いています。

寝ている間に、なにかをしてるような気さえします・・・

話を元に戻しますが、ピアノであれ、真剣にやれば、できないことがたくさん出てきて、辛いことがふえるときもあるでしょう。それがゲームといった娯楽でも最初は楽しいと感じているがときに辛い部分がでてきて同じ思いが浮かぶレベルがあると思います。

そうなったときに、ゲームであれば「無理ゲー」とか「鬼畜」とか言って逃げてしまう魂がいる事を私は知っていますが、そうではなく、黙々と攻略する人達もいます。

その違いはなにかと問えば、魂のレベルを知覚して高めようとしている人かそうでない人なのか、の違いではないかと、今は思います。

ピアニストになるためにピアノを習うレベルの話では、おそらく魂は磨かれないんだと思います。最初からあまり努力しないでピアノが弾ける人というのは、魂レベル(前世)でどこかで音楽もしくはピアノを習っていたというようなことなんだと私は感じます。

ただ、できることをやっていたのではダメなんです。自分ができなくなった壁が出てきて始めて魂を磨くチャンスがうまれるんだと思うんです。

あまり練習もしていないのにピアノがどんどん上手くなって、気づいたら誰よりも上手くなって、ピアニストになってしまった。といった苦の無いレベルにいるときは、おそらく魂は磨かれない。

前世の人生でやったことを繰り返しているだけ。

けれど、誰でも弾ける簡単なピアノ曲であれ、なにか自分には難しく、頑張らないと弾けなかったとなると、いきなり出てきた壁を乗り越える機会があったとすると、そこに魂レベルでの成長があったことになると思うんです。

そういうことをやるために、魂は人として生まれて変わって生きているのが、この世界。そうでなくては、地球上で異常な生活をする唯一の生き物=人間の特殊性が理解できない、と最近特に思うんですね。

だから思うんです、ピアノをやることを選んだなら、頑張ってやるべきなんだって。そして、自分は下手だって思っている人ほどチャンスなんだって思うんです。そして、そうやって頑張ることが、すばらしいことを、誰もが無意識に知っているんだと最近は強く思います。

教科書に書いてあることはすばらしいんではなくて、教科書に書いてあることで、これはすばらしいと受け止め側が感じれたとき部分がある場合に、始めて、そこにすばらしい内容があるということなんたと思います。どれも、人・魂が存在して、価値が生まれる。

そしてその価値は魂・心が判断する。無意識に。

こんなことを書こうとは、まったく昨日のよるには思ってはいませんでしたが、でてきたので記録しました。なにか参考になって、ここまで読みすすめてくれたかた。最後までお読みいただきまことにありがとうございます。

人生で何を大切にするか?

私は学生のときバンドで音楽で生きて生きたいなと思っていた時期がありました。けれど、続けることにリミットを設けていました。

「大学卒業までに芽がでなかったら諦める」と。誰でも考えそうな、すごく無難なリミットですね。

これについて最近考えていることは、どっちでも良かったなということです。

大学卒業してからも、就職もせずに自分のやりたいことに打ち込んだ人生が、貧しくとも芽が出なくとも音楽と向きあう人生があったとしても、それはそれで幸せだったろうし、

今自分が置かれている、仕事を中心としているが、仕事だけではなく趣味や生活も大事にし、ほどほどに生きるという生き方も幸せだし、

なにを選んでも、幸せだと思えば幸せになれるんだなって、最近ふと思うんです。

なんだろな、こんなこと書いて、皆さんに伝わるかな?

何をやるかなのではなく、いかに心を満足させるのか、が大事なんじゃないかなぁとつくづく思うんですね、最近。

こないだ息子が出場した、ピアノのコンクールのこと。出場する子供達は、まるで受験生が参考書を直前まで読むように、直前まで楽譜を読んで、当日の座席を過ごしていたんですね。

ピアノのコンクールは、心から好きなことを、やっているならすばらしいことだと思うんです。

でも、もし親や誰かがやれっていうからやっていたとしたら、それはダメ。

不幸かもなって思います。

そもそも、幸せの定義なんてよく考えてみると存在しないし、人それぞれだし、そもそも人間の幸せが、他の動物や地球にとって幸せかって考えると、答えなんてないし、いいかも、わるいのかもわからないけど、

でも、やりたいことを、できめたことを、今やるなら、それはそれで、幸せになれるんだなぁって思います。

私は一度、諦めた音楽。でも、楽典の知識やリズム感の基礎も私は持っています。

先ほど、息子と小学校の合唱の伴奏について練習していたのですが、拍感。自分の体のどこかに常にリズムを持ち続けることを話し合いました。

走りがちな歌に負けないように、四分音符は四分音符で弾き、3.8分のような中途半端な音符で、拍感を乱さないこと。休符だって存在していると意識すること。

そして和音についての、会話。メジャー、マイナー、セブンスの話。

諦めてしまった音楽の知識で、今息子と会話がかみ合うんですね。

おそらくピアノの先生、学校の先生との対話の中で、息子は音楽を知識を手に入れていたのでしょう。

私が教えたわけでもないのに、子供と音楽理論の話をしている。そんなことが今、すごく心地よく、幸せなんですね。

諦めたことが、こうやってつながると、なんだか、人生って面白いなぁって思います。

諦めた当時は、つらく、正直本当につらかった。本気のものを諦めたると他のことが何もしたくなくなるのは本当で、私にもそんな時期があって、実際に自転車に何時間も乗って、時間を埋め合わせる作業をしていた思い出があるんですね。

(学生時代の後半から社会人の最初の数年がそんな埋め合わせの時期でした。)

そんなことも、人生長く生きると、変なところでつながるものなんですね。

私の決断は、いつも、気づけば心と対話して決めていたと思います。誰かの意見を聞いていたかもしれない、けれど、心がどう決めるか。そこだったきがします。

どんな決断であれ、心で決めていれば、それは正しい。そんな気が、今はします。

音楽を諦めたことが、正しいかったとも、悪かったとも思いませんが、今に繋がっているこの事実があると、心のパワー、心の導きというものを感じざるを得ません。

てなことで、ちょっと落ち込んでるかな?

ということでネットで、
人生マエムキク」というものをやってみました。

結果は、なかなかかもしれません。

お試しあれ!!

できるときに、なにか一つを!

今日はブログの更新がうまくいかなくて悩んでいるという悪夢で目覚めました(笑

もう10年以上前の話になってしまうのですが、学生時代からインターネットを積極に使い始めていて、その頃はこんなにもネットが当たり前になるとは思っていませんでしたが、その頃は、学生ですから、自分の思ったとおりのサイトを作るためにいくらでも時間が取れました。

しかし、今は仕事が中心ですから、時間がとれない。仕事もIT関連ですので、それなりに知識があります。となると、やれること、やりたいことが盛りだくさん。

このブログでも

「やりたいなぁ」「改造したいなぁ」「でも、時間かかるから、始められないなぁ」

っていうこと、貯まっているようです。そんなことが今日の悪夢を作っているに違いないのですね。やりたいことを、やるっていうのは、すごく大事なことなので、そんな悪夢を見るくらい私は、このブログをどうしようかと、思っているということを改めて実感です。

自分がミュージシャンになるということは現実を死って15年以上も前に諦めているのですが、本当にやりたいことをやって生きるというのは、常に頭を使っていきることなので、すごく大変なことなのですが、充実感がハンパないということは、すでに経験済みなので、今やりたい、この気持ちを、少し筒、形にしていきたいと思った朝ですね。

明日から3連休ですが、たくさんなにかをやろうとは思わず、時間があるなら、なにかひとつでも、やりたいことをやろうかなぁって思います。

 

弟くんはドラムをやるのか?

今聞いているのは、さっきMoraでダウンロードした、ラフマニノフが自分で弾いているラフマニノフである。

ベートーベンが弾く、ベートーベンなんていうのはありえないのだけれども、ラフマニノフ自作自演なんていうものが聞けるなんて、すごいですね。

しかし、すごいよね、迫力が!
私はロシア系方のピアノの音がなぜか好きだ!

さて、常々このブログで書いている通り、うちの長男はピアノが好きになってくれていて、最近は自分からけっこう練習するようになったし、自分なりの音楽をそれっぽくやるようになってきているので、完全な親ばかだけど、見ていて微笑ましい。

しかしだ。

さて弟に至ってはサッカーをやってみるも、すぐにやめて、つきあいでやってみた長男が遊びで続けているとか、スイミングやっても普通な感じで、今一歩、これっていうのが見つかっていない。

まぁ、小学校2年生だし、普通に生きるのだって悪くないし。私だって、人に言うほど何かができる人間でもない。

でも、もうちょっと何か見つけてもいいんじゃないかと思っている、親心である。

なぜなら、小学校2年生といえば、長男がピアノで化けた年齢なのである。伴奏に抜擢されて弾ききって、一躍学校内程度だが有名になったのだから。

そこで、最近、弟くんにドラムやってみる?と聞くと、ギターかドラムはやってみたい!?とか、言ったらしい。

サッカーも続かなかった弟くんだから、信用ならないわけだけど、ギターという言葉が口からでてくるというのは驚いた。

ちなみに弟くんは、左利き、ぎっちょだ!

ちなみに私の弟もぎっちょだった。今や薬剤師をやっている。

まぁ、それはさておき、ただ、ドラムの教室っていうのを探してみると、これがなかなか存在しない。

日本は、家が密集してるし、マンションだったりで、ドラムを家で練習するのは難しい。それもあって、ものすごいリズム感のドラマーは生まれにくかったりするのも、実感としてある。海外のドラマーのリズム感にはものすごくびっくりするから。

ただ、和太鼓のような世界に入ると、これまた、日本独自の良さがあるっていうのもある。

いますぐどうこうってのは無いのだが、本当にドラムをやる気があるのか、見守るところである。始めるなら早い方がいいし、見極めたいのだけれど、習うところがない。

これが問題なのである。

ハイレゾヘッドフォンを購入[SONY MDR-1A]

3ヶ月以上前に電気店の店頭で自分のスマホにつないで音質が明らかに変わることを確認していた、MDR-1Aですが、悩みに悩んで、ようやく購入に至りました。

いやはや!買って正解です!!

悩んだのは、①Bluetoothが無いモデルでいいのか?②さらに上位の機種でなくていいのか?③他のヘッドフォンよりも優位に立つのか

という3点でした。

①に関して言うと、Bluetoothには欠点があり、そもそも高音質を求めるために購入するのだからBluetoothがないもので十分であるという結論に至った。Bluetoothで聞く=電車もしくは外出の時など、家以外の場合。そもそも妥協しなきゃいけない場所で、使うなら、高音質のものでなくてもいいから、使用用途は優先に限るという結論をだした。

②さらに上位の機種となると、そもそもアンプにもD/Aコンバーターにも気をつけなければいけない。上位機種になると今度は電気抵抗が高くなったりと、より本格的になる。そういった上位機種に見合った機器をそろえるほどの余裕はないという結論。

③Bluetoothヘッドフォン、イヤホン、ジョギング用ヘッドフォンとすでに、利便性を求めた製品は一通り揃っていたのである。であるからして、自宅で、比較的簡易に高音質を狙うならまさにコレだったというわけである。

何よりすごいのは、たとえばこれを聞いたとき。

別に必要ないんだけど、クシャミをする観客の咳払いがものすごく聞こえてくる。もちろん演奏だってよく聞こえる、指のタッチもどうやって出した音かも判断できそうなくらいすごい!

D/Aコンバーターには、スマホでも使えるDragonFlyを使用。もちろんコレも簡単で高音質。パソコンのUSBに差込、コレにMDR-1Aを刺したら、もう世界が変わる!!Youtube動画も、もとの音質がよければ、かなり鮮やかになる!

そもそもハイレゾヘッドフォンは原理的には存在せず、アナログになってしまえば、高音質のヘッドフォンでも再生できそうなものだけれども、実際に使用してみると、ヘッドフォン自体の質が上がっているのか、明らかにクリアーに音楽が聞こえてくるのは間違いないと思う。

過去最高のクリアーなサウンドをもたらしてくれました。

ちなみに、これを使って息子にピアノ演奏の違いを比べてもらうと、安物のRoland RH-5と比べ音の伸びが違うという反応だった。音が長い間響いているということなのだろうか。

5000円程度のヘッドフォンとは明らかに違う。

ピアノの聴き方の変遷

私は学生の頃バンドでギターをやっていました。その頃は、ピアノという楽器は鍵盤を叩けば音がでるので、誰が弾いても同じような音が出るものであると考えていました。

ギターやバイオリンなどは、直接弦に触れるので、プレイヤーが変われば、音も変わることを意識してはいましたが、ピアノは同じものだと思っていました。

しかし、息子がピアノを弾くようになり今では、ピアノもプレイヤーによっても音が変わるものであることを理解するようになりました。

そうなった変化を振り返ってみようかと思います。

幼少時代のピアノの評価

発表会での話です。息子が5歳の頃、一つ上の学年に、間違えずに鮮やかにピアノを弾く女の子がいました。息子はそのころ、ミス無く弾くことはできましたが、演奏する曲がとても簡単で、間違えないのは普通でした。

しかし、その女の子は、6連符が並ぶような表現のある曲を弾いていました。

そのときの私は、この子は神童だと思っていたのですが。その時の評価の基準に音色という基準がなく、間違えずに早く弾けることがすばらしいと感じていました。

この聴き方の残念ポイント

音楽は音色、音楽を表現する上での音の強弱、意味のある速さ・遅さ、それらが心に響くかどうかが大事であり、指が動くのを自慢するのがいいことではなく、必要があるから早く弾く、必要ないならブリリアントに弾くなど、譜面と今を感じて弾くべしだと思います。

音の大きさでの評価

私の息子は当初、電子ピアノで練習していました。電子ピアノというのは音量を調整することができるので、マンションに住んでいる我が家では、音量を小さくして練習することが多かったのです。

その時の発表会の演奏では、息子の演奏の音が小さいことに問題を感じました。なので、大きな音で弾くように伝えていたことを覚えています。

メリハリがいいといいと感じていました。

この聴き方の残念ポイント

子供の演奏でたいてい音が大きい時は、音が割れています。割れた音を出したかったらいいのですが、そうではなく教えられたとおりに強く弾いたりしているだけだったりします。全体としてどうなのかを考えての強さ・メリハリならいいですが、しっとり聞かせたいときは、逆にメリハリを無くし、マイルドに弾くと急に曲全体がすばらしくなることもあったりします。

チャレンジとミスによる評価

現在の私のピアノの演奏の評価は、より難しい曲・アレンジをミス無く弾けるかという評価になっています。誰もが、ミスはない方がいいし、ミスは怒られることも多いですが、簡単な曲をミス無く引くだけでは努力を感じなくなりました。

トリルなどの装飾を増やすことで簡単な曲も、劇的にあざやかに、そして難曲になったりします。そんな部分の鮮やかさを魅せつけられるともう涙が出てきます。

総括

最初は「きちんと弾けること」を中心にピアノのよしあしを判断していたのが、今は「どんな表現をしているか」という、一般的なピアノの評価をするようになりました。

おそらくやっているとどんな人もそうなるとは思うのですが、ピアノの演奏を知らないうちは、きちんと引けていればうまいんじゃない!?思ったりもするとは思いますが、演奏が自分に合う人、合わない人がいて、奥がふかいなぁと、聴きこむほどに感じる毎日です。

言い演奏に一度出会うと、そこから新しい世界が広がるものですね。

ピアノの敵はスプラトゥーン・・・

クリスマスということで我が家にはスプラトゥーンがやってきてしまいました。

なぜなんでしょう!?相変わらず子供はゲームが好きなんですよね。

なぜなんでしょう本当に・・・

私の子供のころも、ファミコンが大好きだったわけで、年に2本はゲームを買っていたと思うのですが、相変わらずなぜ子供はゲームが好きになるんでしょうかね?

自然が失われ、人工物ばかりの都会で、冒険ができない人生を、どうにかゲームという疑似体験で潤そうという行為が、ゲームなんでしょうか?

経済的に豊かになると、精神的貧困になってしまうからなんでしょうか?ゲームを楽しく感じるのは。。

ピアノのネット動画を見ていると、マリオピアノがあるように、ピアノも趣味だけどゲームも趣味だって人は大勢います。

ピアノとゲームは趣味といっても、かなり違う性質のもので、なんとも比較ができないものですが、ゲームには必ずといっていいほど、音楽が付いてくるし、その音楽にもこだわる名作はたくさんありますよね。

ドラゴンクエストなどはそれの最たるもので、今聞いてもとても素晴らしいとおもいます。

ってなことを知ってしまうと、子供に「ゲームばっかりして!!」と言えなくなってくる私がいます。

才能はどこから生まれるかわからない。というか全ての子供には天才となる才能がそなわっているし、私自身だって、私にしかできないことが、あるんだと思うんですね。最近特に。

心に従って生きる事で、自然と自分しかできないことに向かうということが、心底理解できるようになってきた私。

本当にやりたいならやれば、ピアノそっちのけでも。。。というのが、私の子供への接し方です。でも、はやく飽きて、ピアノやってちょうーだいな。

といっても、コンクール後も毎日1時間は自分からやってるんだから、冬休みだし、許せますな。

日本全国、そんなパパ・ママがいるんでしょうね。

え!?あなたも!?

ピアノ練習用につかえるビデオカメラを探し中

息子のピアノ練習の際、確認用に普通のビデオカメラをを使ってきたのだけれども、音の繊細さ、トリルの分解度、和音の綺麗さなど、こまごまとした音質の確認をする際に、普通のカメラだとノイズになってしまうので、そろそろ限界を感じてきています。

かといってサウンドレコーダーでは、映像が確認できないので、何かしら良い製品がないか探して言いました。

もちろんビデオカメラでよいものを探しても見たのですが、10万円と高額でした。今あるカメラも5年前くらいに買ったものなので、それをつぶしてまで、新しいものというのはちょっと考え物でした。

そこで、探してみると、ソニーでよさそうなものがありました。

音質の評価は高いので、現在購入検討中です。

ピアノの練習にはもってこいな感じがします。