人生をよりよいものにするために

映画や娯楽、ゲーム、アニメ・漫画、もちろん音楽を含め、受け取る側が、それをエンターテイメントとして受け止めると、どこか価値のないもの、取るに足らないものとなる。

しかし、それらを作り出すことや、教えること、自分の内面から引き出したり、すでに世にあるものをつなぎ合わせたり、つまりそのままでは不可能なことを可能にすること、そういった側に視点を移した瞬間から、娯楽ではなく、仕事やタスクとしてのワークが始まる。

その瞬間から、無邪気な戯れから、人生のタスクに変わるような気がする。

人生というのは、ただ生きるものではなく、人として生きることを選択した魂が、この世界で学ぶための器を選び生まれ、魂の成長の為に生きているものを指していると、私は感じれるようになっています。

知るだけではなだめで、感じれるようになったのは最近です。

なにかの宗教をやっているわけではないけれども、そういうものだととらえることができるようになってきました。

このブログも何を書こうか?と毎日悩むわけではなく、常に書きたいものをとくに考えて書いているわけではないんですが、無意識の時や、寝ている時に、貯まったようなエネルギーで書いている感じがするときがあります。

まさに今日はそんなときなんですね。自分でも、この世界の教科書や常識に当てはめると、朝起きて頭に浮かんでいることがある。でてきた答えがある、イメージがあるというのは普通ではない気がするのですが、事実今日は、まさに今書いている理解をして起きてきて、そして、これを書きたいと思って書いています。

寝ている間に、なにかをしてるような気さえします・・・

話を元に戻しますが、ピアノであれ、真剣にやれば、できないことがたくさん出てきて、辛いことがふえるときもあるでしょう。それがゲームといった娯楽でも最初は楽しいと感じているがときに辛い部分がでてきて同じ思いが浮かぶレベルがあると思います。

そうなったときに、ゲームであれば「無理ゲー」とか「鬼畜」とか言って逃げてしまう魂がいる事を私は知っていますが、そうではなく、黙々と攻略する人達もいます。

その違いはなにかと問えば、魂のレベルを知覚して高めようとしている人かそうでない人なのか、の違いではないかと、今は思います。

ピアニストになるためにピアノを習うレベルの話では、おそらく魂は磨かれないんだと思います。最初からあまり努力しないでピアノが弾ける人というのは、魂レベル(前世)でどこかで音楽もしくはピアノを習っていたというようなことなんだと私は感じます。

ただ、できることをやっていたのではダメなんです。自分ができなくなった壁が出てきて始めて魂を磨くチャンスがうまれるんだと思うんです。

あまり練習もしていないのにピアノがどんどん上手くなって、気づいたら誰よりも上手くなって、ピアニストになってしまった。といった苦の無いレベルにいるときは、おそらく魂は磨かれない。

前世の人生でやったことを繰り返しているだけ。

けれど、誰でも弾ける簡単なピアノ曲であれ、なにか自分には難しく、頑張らないと弾けなかったとなると、いきなり出てきた壁を乗り越える機会があったとすると、そこに魂レベルでの成長があったことになると思うんです。

そういうことをやるために、魂は人として生まれて変わって生きているのが、この世界。そうでなくては、地球上で異常な生活をする唯一の生き物=人間の特殊性が理解できない、と最近特に思うんですね。

だから思うんです、ピアノをやることを選んだなら、頑張ってやるべきなんだって。そして、自分は下手だって思っている人ほどチャンスなんだって思うんです。そして、そうやって頑張ることが、すばらしいことを、誰もが無意識に知っているんだと最近は強く思います。

教科書に書いてあることはすばらしいんではなくて、教科書に書いてあることで、これはすばらしいと受け止め側が感じれたとき部分がある場合に、始めて、そこにすばらしい内容があるということなんたと思います。どれも、人・魂が存在して、価値が生まれる。

そしてその価値は魂・心が判断する。無意識に。

こんなことを書こうとは、まったく昨日のよるには思ってはいませんでしたが、でてきたので記録しました。なにか参考になって、ここまで読みすすめてくれたかた。最後までお読みいただきまことにありがとうございます。

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