究極の「千本桜」か!!

2台Piano「千本桜」 【H ZETT M×まらしぃ】

今まで何度と無く「千本桜」を聞いてきたけれど、ついにというか、究極の演奏が数週間前にアップロードされていたらしい。

自宅録音で何度と無く聞いていた「まらしぃ」氏は、控えめだがすばらしいし、あまりしらなかった、「H ZETT M」もすばらしい。

どこかジャズっぽいテイストもはいりつつ、鮮やかな指の動き。

何よりも、すばらしいスタジオのようで、グランドが何台も並んでいるではないですか!!

ヘッドフォンを使って相手の演奏を聴きながらだとは思いますが、なんと鮮やかな演奏なんでしょうか。

専用に撮ったのは間違いなく、録音状態ももちろんいいわけで、すばらしすぎますなぁ!

音楽ってすばらしい!

まずは、聴いてみてくださいな!

クラシックじゃないけど、こんなのもいいんじゃないでしょうか。

のだめ熱が発生!


のだめカンタービレっていうアニメというか、漫画の原作があって、それがどうやら我が家でも流れることが最近続いている。

のだめがテレビで放映されていた頃は、うちの息子は赤ちゃんの頃だったわけで、はっきりいってこれを意識なんて全然していなかったわけである。

私は、この作品を見ることで、音楽の理解が深まったのは事実で、その程度の人間なんですけど、息子が絶対音感なり、音楽を数回聴いただけで弾けたりするのを見ると、のだめっていうのがよくわかるんですな。

息子も小さい時は、楽譜をまったく読もうとしませんでしたから・・・

「楽譜を読めないとダメ」って言ってもまったく聞かない・・・

辻井くんを知ると、やっぱり楽譜どうでもいいとも思えるわけですが・・・

さて、主人公だけはできすぎのこのアニメですが、厳しい音楽の道の現実もあちらこちらにあって、就職は厳しい世界ですな

音はただで漏れるからなぁ

さてと、こんな記事を書いている間にすごい曲を聴いたので次の記事へ

グランド!!!

グランドと聞いて、え、学校のグランド!?

なんて思うのは、これまでの私。最近グランド、グランドと鳴り響くのは、グランドピアノのこと。

グランドピアノがなぜ欲しいかって!?

かっこいいから。家にあってかっこいいから。

単純にこれだけ。

音もいいし。ってなると困るのは、置き場所と、騒音問題。

メーカー、機種問わず、小さいグランドピアノもあるけど、結局まともな音がでるのは、大きなグランドピアノなわけですな。

音は最高じゃないけど、自宅にピアノをおきたい、だったら小さいの作ったら需要あるかなってのが、メーカーの戦略。

先生にいわせると、小さいグランドなんて、いずれ物足りなくなるからゴミっていうのは、演奏が主体だから。

まぁ、けど防音室つくらないと置けないから、って話で、また別の問題でるんですよね。

建築業者に言わせたら200万円以上かかるのが防音室ですから、建築業者はピアノって言ったらでかい防音室が必要となるグランドって言うわけですなw

しかし、自宅で練習するんだったらやっぱりアップライトでいいんじゃないかw

ただ、電子ピアノがゴミっていうのは、これは私も完全に理解している。

もちろん、グランドピアノじゃないと、地球の重力を利用できないので、連打の限界があるのは知っている。

音なら、響き、でもそれなりに大きくないと、よくない。けど次の演奏を聴くと、小さいグランドでも、それほど悪くないとも思える。

でも、じゃあ、シゲルカワイくんはどうかってのが必ず思うわけで、シゲルカワイくんはこんな感じ。

うーん、曲も演奏者も違うから、よくわからないけど、、、録音のやり方の違いもあるから、一概にどっちがっていう話もわかる。

ペダルも使っている使っていないで違いがあるのはわかる。

けどね、SK7と比べたら、やっぱり違いがあるんだから、やっぱり最高のグランドと、小さいグランドじゃ違いがあるのも当然やなぁー

となると弾き比べってなるわけですな。

うちの場合、国内王道のYAMAHAってのは腑に落ちない。トヨタに乗る感じだからだw

うちはトヨタではなく、マツダに乗ってるw

海外ブランドは高いだけではなく、関税があるのと、そもそも気候の違いってのがあるのを意識するので、興味はないんだけど、その考えは私の楽器選びにも、影響している。

スタインウェイやベーゼンドルファーは、気候の違い、メンテのことを考えると日本じゃかわいそうに思えてしまう。そんな感じ。

でも、最近はYAMAHAもKAWAIだけではなく、海外のメーカーも、中国だったりベトナムとか台湾とか、そっちで作ってたりするから、なんともw

さて、ブランドはさておき、グランド。

結果的に保留。近くのグランドを予約してスタジオ練習すればよかろう。

30分500円。週2時間で、2000円。50週あるとして、10万円。

10年で100万円。その間にピアノの熱も冷める。

ふw

となると、スタジオもありだよなw 自宅の練習をアップライトじゃなくて、グランドと考え出すと、これがやはりグランドにもどってしまうから。。。

やっぱり悩むもんであーる

ソナチネアルバム2 Muzio Clementi – Sonatina in Re+ Op. 37 N. 2 I Allegro assai

ソナチネと聞いて、「あーあの楽譜ね」って思えるのはピアノ学習者ですよね

私なんて、「たけしの映画?」なんて程度ですからw

さて、うちの息子が最近練習、させられてる(?)、曲は、ソナチネアルバム2のクレメンティ作曲によるソナチネ37-2です

この曲、マニアックというか、非常にマイナーなようで、YouTubeでも圧倒的に掲載数が少なく、それっぽいのは、これだけでした。

ちょっと、これだと、お手本にならないなぁーということで、私はCDまで買ってしまいました。

さてさて、この曲なんですが、いざちゃんと聞いてみるとすばらしい!

なんてドラマティックな音楽が広がっているんでしょうか。隠れた名曲なのでは!?

なーんて、思うのは課題曲として、息子が練習させられているからでしょうかw

ところで、この作曲家、クレメンティ、はっきり言ってドコの誰!?

って感じで、私はまったく知りませんでした。おそらくピアノ学習は、あたりまえもしれないのですが、一般人からしたら、無名の人じゃないかと。

ということで、頼りになるのはWikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3

といっても情報すくな。。

ということで、もう少し調べてみると、どうやら、自分で作曲した曲を売って、最後にはピアノを作って売ってと、ピアノ三昧の道楽の人だったようです。

私の好きな釣りで言うと、自分のショップを開いて生計を立てつつ、自分の釣具を作り、自分のブランド売っていたような、まさに好きなことをやり続けられた人なんじゃないんでしょうか

うらやましいなw

さて、この曲のおかげで、うちの息子はどうやら、トリルが苦手っていうところを掘り当てたようで、先生に、違う!、違う!、それっ!て感じ特訓を受けているようです

ピアノクエストに、トリル3兄弟という中ボスの登場ですw

スライムばっかり倒してたら、いつまでたっても中ボスは倒せないけど、楽をしたいのでメタルスライムを探しに行くけど、他の雑魚を倒してたら、中ボス倒せた!?

そんな感じで、頑張れ息子w

 

神童のスランプ

最近、ピアノ教室でショッキングな話を聞いてしまいました。(ショッキングは英語じゃないけど使ってる。。。

なんと、6歳の時からめちゃくちゃ指の動いた、まさに神童の女の子が、次のピアノのコンクールに、出ないとい言うのです・・・

YouTubeに多数出ている神童の子供達に負けず劣らずの神童が、コンクールに出ない

その女の子を意識していた私達にとってはとてもショックな話です

毎年、彼女の成長と演奏を聞くことが、密かな楽しみになっていたこともあり、我が家にとっては大変ショックな話なのですね

なんといっても6歳から11歳の今年まで、5年もそういった楽しみを続けてきたのですから(苦笑

となると、気になるのは、なぜ、コンクールにでないのか!?というあたりなんですね。まったく余計なお世話なんですが、理由を聞きたくなるのは、人間の当然の心理です。

あんなに上手にピアノが弾けるのに、いつも発表会の最後に弾くくらいの神童が、なぜ、出ないのか!?

その理由を直接聞くまでもなく、漏れ出ていることがあります

私の息子は、その神童と同じピアノの先生に習っています

先生は、言います。もっと、あの子(神童)も練習してきてくれたらいいのに・・・

お母さんは、言います。最近は、30分も練習しないんですよ・・・

神童がどうやらピアノの練習をしないというのです・・・

30分も練習をしないということは、これまでは自分から進んでピアノを練習していたということでもあるんでしょう

ところが練習をしなくなっているということのようです

つまり、いまのところ、ピアノの興味がなくなったらしいんですね

それもそのはず、実は、私達はそのことを、演奏から少しずつ感じ取っていたのです

それは2年前からのことでした

彼女の演奏が楽しくなくなったんですね

フォルテッシモも、ピアニッシモも区別無く、ただ、指を均一に動かす

子供とは思えない指の動きなのですが、演奏が、まるで機械のような演奏になりはじめていたんです

今だって、並みのピアノを習っている子供とは思えない指の動きと、絶対に間違えない指の動きが彼女にはあるんです

ところが演奏に感動がないんです

私達は気づいていたことが、ありました

彼女はあまり感情を外に出すタイプではないんです

挨拶をしても、どこかそっけなく、発表会の衣装も地味、演奏の後の礼も、表情がない

ちょっと、子供らしくない・・・

それが多くの人達の感じるところだと思います

でも、指は神童なのですから、今回のスランプが必要だったのかもしれません

彼女は、感情を外に発するということが、苦手なのだと私達は考えています

しかし、やりたくない、練習をしたくないという、意思を彼女は発しました

先生を困らせるほどの、意思です

これは、いい傾向じゃないでしょうか?

必ず彼女は復活すると思います、それまでに私の息子も、彼女の演奏に負けないほどに伸びていれば、いいのになぁ

なーんて、他人のスランプを見て思うのでした

スランプは意味があるものですから、あせらず進めばいいと私は思います

ピアノのコンクールで入賞するための練習って?

小さい頃からピアノを始めてピアノをそれなりに弾けるようになると、必ず問題となってくるのは、コンクール問題だと思います。

私の息子の場合は、妻もあまりピアノという趣味の習い事に強い思いいれがなかったこと、また上級生に神童のような女の子がいたこともあり、夏の発表会、冬のコンクールという2回の行事があるんだなぁというくらいで、発表会とコンクールの違いもあまり考えず、コンクールにも先生の勧めるままに出場させていたというのがあった。

中学校に入ると、いままで普通にやっていたテストが、勝手に順位付けされる、そんなのがコンクールだと思って、特に意識していなかったんですね。

ところが、順位付けされることがわかるようになると人はそれに対して対策をとるようになってしまうんですね。今まで、ただ、いわれるがままに、宿題をやって、忘れると怒られていた小学生が、順位付けされるなら、もうちょっと勉強してみようかなぁ・・・

これまでの自由気ままから、意思を持って勉強を始める。それと同じことが、ピアノの練習にも入ってきてしまうんですな。

先生の下で練習する曲も、いつのまにかコンクールの課題曲となってしまうわけです。そして、発表会で弾く曲もコンクールを意識した練習の曲になってしまうのも当然の帰結となります。

でも、それって、それが、芸術なんでしょうかね?芸術に続いているんでしょうか。

私は常々思うのは、芸術というのは、「自分がいいと思えばいい。」 これだけなんだと思います。

他人の評価は、他人の評価であり、自分がいいと思っているのに、他人がダメだといったって、自分がいいと、心の底から思っているなら、気にすることなく、いいと考えるべきなんです。

たった、それだけのことなのです、ところがコンクールで評価される、それに備えて練習するといったあたりから、芸術とはかけ離れた、完全コピーを目指す練習が始まってしまうんだと思うんですね。

いやぁ、それってば、ある意味、自分に自信が持てず何も無い人にはいいけど、本物の人にとってはどうでもいいでしょってとこだと思うんですな。

気づけば、この話は、ピアノ以外にも言えて、学校で勉強していることっていうのは、過去の学者、研究者が見つけてその時代の他の学者も認めた、事実っぽいことなだけで、どれも究極の回答ではないのだけど、それを高校生くらいまでは、あたりまえの勉強として記憶させられるわけです。

勉強ってのは、誰かの考えを強制的に肯定させられるといっても過言ではないと思います

この話のつながるところは、自由な発想で、自分らしく生きるということが、とても難しいというのは、自分の意思を貫けるかどうかってことなのですな。

民主主義は、多数決ですが、小さい頃からそれがすりこまれて、現代は多数の意見がすばらしいという世界ができあがっています。

結局、ただの他人の意見なのに。

自分自身が存在する世界では、あなたが、本当はナンバーワンで、唯一の世界の中心なんだと思うのですが、そのナンバーワンのあなが、あなた自身を信じれなくなったとき、自分探しが始まってしまうわけです。

さて、話がわき道にそれそうなので戻しますが、ピアノのコンクールというものもそのような他人の意見を求める世界であると、私は考えています。そのピアノの練習方法の基礎もあくまでも基礎であるならいいと思います。

しかし、脳というすばらしい頭脳を持った人間が、その練習方法をNOといい、別の方法を、自分らしい表現をできるようになるなら、ピアノの練習方法というか弾く方法は、変えてしまっていいんだと思います。

他人のレールを真似る必要なんてないと思います。

ピアノを習っていると、コンクールでの入賞がすばらしいことだと、考えてしまい、私も息子が入賞してくれたら、グランプリを獲得してくれたらと思ってしまいがちですが、、、、ですが、その子が本当にやりたいことが、できていないなら、そんなのはどうでもいい話なんですな。

コンクールはあくまでも通過点です、来年も再来年も続いていきます。今回のコンクールがどうこうとか言う話は、毎回毎回、そこで終っているんですな。

毎回終って、儲かった儲からなかったが実はあるだけですw

ところが、人生というのは永遠のあなた自身の世界です。あなたが死ぬまで続いています。その中の中のコンクールの位置づけなんてのは、どうでもいいと私はやはり思います。

だとすると、コンクールのための練習は無駄な時間なのかもしれません。自分を自分らしく表現しようと思ったときから、自分のピアノ、あるいは芸術の世界が広がっていくのです。

他人に理解されないけど、自分は最高だと考えているものが、究極の芸術なんだと、私は思います。

そして、それは、常にビジネスになるわけではございません。しかし、時代が来れば認められます。そういったものです。

もし、あなたがコンクールといった、目先の小さいことで、悩んでいたとしたら、こんな私の意見についても読んで、感じてもらえたら、幸いです。

あなたの世界を創ってください。

人それぞれの運命や宿命

息子がピアノを習うようになり、それなりに習得し、絶対音感もあることもあり、ピアニストを意識することがあります。

もともと私はいわゆる「ミュージシャン」というものに憧れがあり、ギターを弾き、バンド活動を学生時代やっていたこともあり、音楽でご飯を食べるというものに憧れた時期があったからです。

ピアニストとして活躍できる人というのを調べてみると、ごくわずかであり、それ以外の音楽活動やピアノ先生や幼稚園の先生など、先生としての仕事に就くのが普通のようです。

いずれにしても、芸能人のように一部の人間しか活躍できないような憧れの職業として、ピアニストというものも位置しているわけですね。

さて話を戻しまして、私がその学生のころの話なんですが。絶対音感というのがあれば、もっと私の演奏は柔軟性がでて、いい曲がかけるだろう、ピアノが弾ければもっとクラシカルな曲やソロも弾けるだろう、なーんて無いものねだりをしていました。

何度も書きますが、はっきりいって、これ、無いものねだりです。

他の人にあるものを、欲しがる時点で、自分の負けへの道が始まってしまっていたと今は思えます。

必要な人には、必要な能力がその時々で、備わっているものであるということも、最近私は理解できてきています。ピアノやそれ以外の才能というものにも強くそれを感じます。

私の息子には、絶対音感もあり、ピアノの演奏もまあまぁ、小学校の学年オーディションでピアノ担当を一番でもらえる、推薦をえてコンクールに出場する、といったことが、あたりまえに起こっていますが、これは私が意図的に、強制したものではなく、自然に流れている流れなんです。

今でこそ、私が昔楽器をやっていた頃の経験を活かして、子供の演奏について、あれこれ口を出す機会が増えてきてはいますが、それだって私自信が音楽をそれなりにやっていなければ、口を出さない、父親でしかなかったわけで、うちの息子には、特別といえば、特別の環境となるわけです。

もちろん、そもそも両親がすでに音楽家であり、スタインウェイが自宅にあるというような子供もいるでしょうか、比較をすれば、いろいろとあるでしょう。

それでも、自分自身と比較すれば、音楽というものに向き合う流れがそもそもあるか、そうでないかという点で、人それぞれそもそも運命や宿命といったものはあるんじゃないのか、と感じさせるには十分だと感じたわけです。

だから、自分の子供をピアニストにしたいとか、そうやって恣意的に子供を仕向けるようにするっていうのって、厳しいことなんだと強く思うんですね。

そういう人生の道を歩むひとには、そういう流れが必ずできていくんだと思います。

ピアニストの辻井信行さんは、盲目にも関わらず、ピアニストになりました。盲目である人すべてが、ピアニストになるわけでないのだから、彼がピアニストになったことは必然であったとしか私は考えられません。

私が期待しようが、しまいが、子供はそれぞれの道を進むそれだけだし、私自信も努力しようがしまいが、やるべきことはやらなきゃいけないし、そうでないものはやらないしで、自然と人それぞれの道があらわれるものだと、最近は感じています。

 

小学校の友達のピアノ発表会

今日は、息子の友人(女の子)のピアノ発表会があるので、参加してきました。それをメモします。

私の息子はカワイ音楽教室に通っているのですが、ピアノ教室は大手だけではなく、個人の先生がまだまだ活躍する世界です。

すでに、国語算数理科社会といった、学校の勉強の私塾となると、大手が一手に引き受けて、個人教室は残っていない感がありますが、ピアノ教室はそれとは色が違うというか、趣味の色が濃いので、まだまだ個人が生き残れる世界なのかもしれません。

そんな個人ピアノ教室について、興味がないわけでもありませんでした。他のピアノ教室のやり方や、レベルも見てみたいという思いが私には以前からあって、今回は家族揃って参加することとなりました。

会場は、区役所の庁舎ホールということで、個人教室ということを考えると納得の場所でした。

広さは、400人程度が入れる、小ホールといった場所で、確認はしなかったのですが、おそらくヤマハの程度の良いグランドピアノが置かれていました。

コンクールではなく、発表会ということで、練習不足の演奏を多々聴くのは、もちろん理解した上で私は参加したけですが、今回の会場では、ピアノ自体の音とホールの響きとが、うまくバランスがとれていたので、演奏者の力量によらず、ある程度、心地よい時間がすごせたかと思います。

カワイに通っていると、全国レベルとは言いませんが、趣味というよりは、少し専門的にやりたい、音大も視野にある、といった家庭が混じっているなということを感じていたのですが、今回の個人の教室の発表会を見てみて、カワイのレベルが上だということを感じてしまいました。

ちょっと、練習不足すぎるなぁと印象でした。もっと、練習がんばってもいいかも。。

一方で、カワイ音楽教室で利用しているホールよりも、音響がよかったので、聞いていて心地よい感じは、好印象でした。ここでやったらいいのに・。・・

ピアノという趣味は、趣味であるようで、子育ての延長線上であることも、色濃く、多くのお客さんがあり、ほほえましい場面がたくさんあるなぁと思いました。

うまいとか、へたとか、そんなことは超越した、幸せが、そこにはあったと感じています。

 

さて、私の息子のコンクールまでの期間は1ヶ月半を過ぎています。

最近は、ミスが5回はあるので、そこをどう攻略するかを、真剣に一緒に考えてあげています。

今回のコンクールの参加はは、私も真剣、息子も真剣で、どこまでいけるかという、検証の位置づけです。

音楽ではなく、演奏による勝負になることは目に見えるわけですが、今回は音楽ではなく、勝負になってきます。

どうなるか不安もありますが、私自身のできることを頑張って、親子による結果を出したいところです。