ピアノのコンクールで入賞するための練習って?

小さい頃からピアノを始めてピアノをそれなりに弾けるようになると、必ず問題となってくるのは、コンクール問題だと思います。

私の息子の場合は、妻もあまりピアノという趣味の習い事に強い思いいれがなかったこと、また上級生に神童のような女の子がいたこともあり、夏の発表会、冬のコンクールという2回の行事があるんだなぁというくらいで、発表会とコンクールの違いもあまり考えず、コンクールにも先生の勧めるままに出場させていたというのがあった。

中学校に入ると、いままで普通にやっていたテストが、勝手に順位付けされる、そんなのがコンクールだと思って、特に意識していなかったんですね。

ところが、順位付けされることがわかるようになると人はそれに対して対策をとるようになってしまうんですね。今まで、ただ、いわれるがままに、宿題をやって、忘れると怒られていた小学生が、順位付けされるなら、もうちょっと勉強してみようかなぁ・・・

これまでの自由気ままから、意思を持って勉強を始める。それと同じことが、ピアノの練習にも入ってきてしまうんですな。

先生の下で練習する曲も、いつのまにかコンクールの課題曲となってしまうわけです。そして、発表会で弾く曲もコンクールを意識した練習の曲になってしまうのも当然の帰結となります。

でも、それって、それが、芸術なんでしょうかね?芸術に続いているんでしょうか。

私は常々思うのは、芸術というのは、「自分がいいと思えばいい。」 これだけなんだと思います。

他人の評価は、他人の評価であり、自分がいいと思っているのに、他人がダメだといったって、自分がいいと、心の底から思っているなら、気にすることなく、いいと考えるべきなんです。

たった、それだけのことなのです、ところがコンクールで評価される、それに備えて練習するといったあたりから、芸術とはかけ離れた、完全コピーを目指す練習が始まってしまうんだと思うんですね。

いやぁ、それってば、ある意味、自分に自信が持てず何も無い人にはいいけど、本物の人にとってはどうでもいいでしょってとこだと思うんですな。

気づけば、この話は、ピアノ以外にも言えて、学校で勉強していることっていうのは、過去の学者、研究者が見つけてその時代の他の学者も認めた、事実っぽいことなだけで、どれも究極の回答ではないのだけど、それを高校生くらいまでは、あたりまえの勉強として記憶させられるわけです。

勉強ってのは、誰かの考えを強制的に肯定させられるといっても過言ではないと思います

この話のつながるところは、自由な発想で、自分らしく生きるということが、とても難しいというのは、自分の意思を貫けるかどうかってことなのですな。

民主主義は、多数決ですが、小さい頃からそれがすりこまれて、現代は多数の意見がすばらしいという世界ができあがっています。

結局、ただの他人の意見なのに。

自分自身が存在する世界では、あなたが、本当はナンバーワンで、唯一の世界の中心なんだと思うのですが、そのナンバーワンのあなが、あなた自身を信じれなくなったとき、自分探しが始まってしまうわけです。

さて、話がわき道にそれそうなので戻しますが、ピアノのコンクールというものもそのような他人の意見を求める世界であると、私は考えています。そのピアノの練習方法の基礎もあくまでも基礎であるならいいと思います。

しかし、脳というすばらしい頭脳を持った人間が、その練習方法をNOといい、別の方法を、自分らしい表現をできるようになるなら、ピアノの練習方法というか弾く方法は、変えてしまっていいんだと思います。

他人のレールを真似る必要なんてないと思います。

ピアノを習っていると、コンクールでの入賞がすばらしいことだと、考えてしまい、私も息子が入賞してくれたら、グランプリを獲得してくれたらと思ってしまいがちですが、、、、ですが、その子が本当にやりたいことが、できていないなら、そんなのはどうでもいい話なんですな。

コンクールはあくまでも通過点です、来年も再来年も続いていきます。今回のコンクールがどうこうとか言う話は、毎回毎回、そこで終っているんですな。

毎回終って、儲かった儲からなかったが実はあるだけですw

ところが、人生というのは永遠のあなた自身の世界です。あなたが死ぬまで続いています。その中の中のコンクールの位置づけなんてのは、どうでもいいと私はやはり思います。

だとすると、コンクールのための練習は無駄な時間なのかもしれません。自分を自分らしく表現しようと思ったときから、自分のピアノ、あるいは芸術の世界が広がっていくのです。

他人に理解されないけど、自分は最高だと考えているものが、究極の芸術なんだと、私は思います。

そして、それは、常にビジネスになるわけではございません。しかし、時代が来れば認められます。そういったものです。

もし、あなたがコンクールといった、目先の小さいことで、悩んでいたとしたら、こんな私の意見についても読んで、感じてもらえたら、幸いです。

あなたの世界を創ってください。

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