ピアノ教室に通ったことのある人であれば、かならず訪れているはずであろうピアノ教室を辞めること。このことについて、今回は書こうと思いました。
早い人は2歳、もしくは3歳、普通に早い人は5歳、自分で始めたかった人はそれ以降、いつ始めたとしても、始まりがあるのであれば、終わりがきます。
それは、誰しもが同じであります。
私の子供の場合もこの終わりの瞬間が近づいてくることになりました。
先日、ピアノコンクールでの予選の結果が出ました。
また、音楽中学校への入試を控えていることもありますが、すでに音楽の実技試験はパスしている状態です。
おそらくは、誰もが、だんだんと、その変化と、決断の日が来ることを予想していながら、確定させる時期が来てしまいました。
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しかし、実は今でなくても、小学校2年生の時に、続けるのか、辞めるのかというタイミングがありました。5歳から始めたピアノですが、子供向けの音楽コンクールに出てみないかということで出始めて、毎年結果がステップアップしていたピアノですが、この年、まったくもって結果がでませんでした。
子供に、どうしてなのか尋ねたところ、やりたくない曲だったということでした。やりたくない曲がでてくるようであれば、無理にピアノ教室に通うことなく、自宅で、独りで好きな曲を練習するのもあるよね。と伝えました。
これは、クラシック向きではないのなら、早く辞めたほうがいいのではないかと、考えた親心からでした。
しかし、その時の子供の決断は、辞めないでした。そして翌年からは、結果がステップアップしていきました。
というように、私の子供のケースの場合ではなくとも、中学校受験であったり、高校受験であったりという、タイミングで、ピアノ教室を辞めるというのは、よく聞く話です。
習い事としてピアノを始めた限りは、どこかで区切りをつけてやめるのも、普通のことです。
では、我が家の場合はどうなるのか、実はそこから先がいつなのかはよくわからず来ました。そして、今回の音楽中学校の受験にあたっても、実は、ピアノ教室を辞めることになるかも考えずに進めていたのでした。
そもそも絶対音感はあるものの音楽中学校に受かるレベルのソルフェージュの理解ができているとは思いませんでした。あくまでも中学校受験において、学校を選ぶうえでの一つの候補として、音楽中学校もあるよと子供に紹介していたのが当初だったのです。
ところが、様子が変わったのは、やはり夏期講習の頃だったでしょうか。いや、もっと早かったのかもしれません。
遠くの学校に通うとなると、どんなに偏差値が高く、同じレベルの生徒が切磋琢磨しているとも、時間が不足して、どこかゆとりがなくなって、場合によっては精神的に病んでしまうというのを考慮していましたから、あまり遠くの学校というのは考えていませんでした。
ですので、音楽中学校に受かるのかもしれない?と思えた、夏期講習の参加が大きかったと今は思っています。
そして、そこで出会った大学講師の先生の指導レベルです。
今通っているピアノ教室の先生は、ものすごく頑張ってくれ、応援してくれ、子供と一緒にやっていきたいと思ってくれていて、たいへん感謝しているのですが、先生がそろそろ教えられることがなくなるという状態に来ていました。
一方で大学講師の方は、また基礎から積み上げる必要があると、おなじピアノの指導でありながら、限界の状況と、最初からやり直しの必要性を問われるのとで、大きな違いを感じることになっていたのでした。
という中で、先日のコンクールでした。
今通っているピアノ教室の先生にも、今日終わったら、今後について相談しましょうという話をもらっていました。
あ、そういうことか、という何となく、私たち家族は理解していたのでした。
そして、先日コンクールが終わり、予選通過。よろこびの状況の中、相談を行いました。相談というよりかは、誰もがわかっていたので、私の口から
3月でピアノ教室は卒業になりそうですね
と言ってしまいました。ちょっとデリカシーに欠けていた言葉かもしれません。すかさず先生からは、
卒業でなく、巣立ちです
と強く否定されました(苦笑)、私は気づいていませんでしたが、先生はやはり涙目だったようです。6歳からずっと6年間教わってきた先生との別れになりますから、私自身も、こんな形になるとは予想していませんでしたが、この日、あと3か月で、ピアノ教室を辞めるということが、確定しました。
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誰もわかっていて、否定もしない感じの終わりでした。
嬉しい中での、悲しみ。なんと音楽的なんだろうかと、これを書いている今、思えてきました。
もちろん、誰もが、卒業であったり、辞めるという決断をして、別の道を歩んでいくのが人生です。どんな道、どんなことにも、いつか終わりは訪れる。今回のこの巣立ちは、とてもよい巣立ちだったんだと、私は思うようにしています。
書いていて、ちょっと悲しくなってきてしまいました。
とはいえ、ここから先も、いばらの道です。どこかで辞める決断をいけないかもしれませんし、どんなことが待っているかもわからないのです。
そして、正直なところ、それでも、本当にピアノを職業にするということは、経済的な面でも簡単なことではないので、どこかで子供の意思に沿って、何かしら考えなければいけないことがあるのです。
それでも、今やれることをしっかりやることを理解し、進むことは、人生においてはとても大事なことです。好きなことをとことんやったことは、どんな状況になっても、大きな資産になるだろうと私は思いますので、いまそれが許される状況の子供には、やりたくないとか、つかれたとか言わせることなく、頑張っていってもらう気持ちです。
今回も最後まで、読んでいただきありがとうございました。
どんな形で、子供との歩みが終わるかはわかりませんが、とりあえずはこのブログも続けますので、よろしくお願いします。