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子供がピアノをマジにやってることがわかった瞬間の話

今日は小学校がお休みです。もちろん長い冬休みだから当然といえば当然。でも、やっていることは、ピアノではなくて、受験の過去問だったりします。

音楽の実技の試験が終わっていて、あとは2月の学科試験だけなのだから、当然といえば当然ですが、ピアノの予選を通ったコンクールの練習もしないとなんだけどね。

でも、私は見守るスタンスなので、やれとは言いません。

そういえば、写真を見返してみて、ピアノをマジにやりたいんだなってことが分かった瞬間の写真を見つけました、ので、掲載しておこうと思います。

正直、私の小学生6年生の頃といえば、やりたいことなんてなくて、ただドラクエ3かドラクエ4かをやっていただけ、つまり、遊んでいただけだったわけですが、今の小学生は、勉強だけではなくて、もう進路のことを考えているわけですね。

とんでもなく早いです。

で、お待ちかね、そのときの作品の写真はこちらです。

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学校で、図工?いま図工というのか、わかりませんが、美術の課題で作っていた、将来の自分というテーマの作品でしたが、見つけた時は、正直びっくりしました。

また、それだけでなく、本気なんだと、実感してしまいました。

ことあるごとに、ピアニストになるのは、大変だし、なれるもんじゃないし、国家資格じゃないし、やめた方がいいよと私は言ってきたのですが、結果として、こういう結果になってしまいましたから、もう何も言えません。

やりたいことをやらない人生なんて、ネット時代の今は、ありえないんですからね。やりたくない仕事の評価は、絶対に高くありませんから。

ということで、これを見た瞬間に、あとは、結果を出すことだと伝えたのを覚えています。

・音楽中学校にまずは受かればよろしい
・レベルを一つあげたコンクールで予選を通過すること
・音楽中学校の実技テストと並行して発表会をこなすこと

でも、息子は、どれも、パスしてきています。あとは、2月の国語と算数の筆記試験をパスして、学力面でもハイレベルのクラスに入学することでしょうか。

勉強とピアノの両立ができないようであれば、許可しないとしてきて、どちらもこなしてくると、正直親の方が焦ります

私も仕事を、がんばらないといけないなってね!

それだけじゃなくて、やりたない仕事じゃなくて、やりたい仕事をやろうってがぜん思うんですよね。

そんな2017年でしたが、2018年、このまま音楽中学校に入れば、入ったでいろいろなことが待っているんだろうなと思います。

ピアノ教室からの巣立ち

ピアノ教室に通ったことのある人であれば、かならず訪れているはずであろうピアノ教室を辞めること。このことについて、今回は書こうと思いました。

早い人は2歳、もしくは3歳、普通に早い人は5歳、自分で始めたかった人はそれ以降、いつ始めたとしても、始まりがあるのであれば、終わりがきます。

それは、誰しもが同じであります。

私の子供の場合もこの終わりの瞬間が近づいてくることになりました。

先日、ピアノコンクールでの予選の結果が出ました。

また、音楽中学校への入試を控えていることもありますが、すでに音楽の実技試験はパスしている状態です。

おそらくは、誰もが、だんだんと、その変化と、決断の日が来ることを予想していながら、確定させる時期が来てしまいました。

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しかし、実は今でなくても、小学校2年生の時に、続けるのか、辞めるのかというタイミングがありました。5歳から始めたピアノですが、子供向けの音楽コンクールに出てみないかということで出始めて、毎年結果がステップアップしていたピアノですが、この年、まったくもって結果がでませんでした。

子供に、どうしてなのか尋ねたところ、やりたくない曲だったということでした。やりたくない曲がでてくるようであれば、無理にピアノ教室に通うことなく、自宅で、独りで好きな曲を練習するのもあるよね。と伝えました。

これは、クラシック向きではないのなら、早く辞めたほうがいいのではないかと、考えた親心からでした。

しかし、その時の子供の決断は、辞めないでした。そして翌年からは、結果がステップアップしていきました。

というように、私の子供のケースの場合ではなくとも、中学校受験であったり、高校受験であったりという、タイミングで、ピアノ教室を辞めるというのは、よく聞く話です。

習い事としてピアノを始めた限りは、どこかで区切りをつけてやめるのも、普通のことです。

では、我が家の場合はどうなるのか、実はそこから先がいつなのかはよくわからず来ました。そして、今回の音楽中学校の受験にあたっても、実は、ピアノ教室を辞めることになるかも考えずに進めていたのでした。

そもそも絶対音感はあるものの音楽中学校に受かるレベルのソルフェージュの理解ができているとは思いませんでした。あくまでも中学校受験において、学校を選ぶうえでの一つの候補として、音楽中学校もあるよと子供に紹介していたのが当初だったのです。

ところが、様子が変わったのは、やはり夏期講習の頃だったでしょうか。いや、もっと早かったのかもしれません。

遠くの学校に通うとなると、どんなに偏差値が高く、同じレベルの生徒が切磋琢磨しているとも、時間が不足して、どこかゆとりがなくなって、場合によっては精神的に病んでしまうというのを考慮していましたから、あまり遠くの学校というのは考えていませんでした。

ですので、音楽中学校に受かるのかもしれない?と思えた、夏期講習の参加が大きかったと今は思っています。

そして、そこで出会った大学講師の先生の指導レベルです。

今通っているピアノ教室の先生は、ものすごく頑張ってくれ、応援してくれ、子供と一緒にやっていきたいと思ってくれていて、たいへん感謝しているのですが、先生がそろそろ教えられることがなくなるという状態に来ていました。

一方で大学講師の方は、また基礎から積み上げる必要があると、おなじピアノの指導でありながら、限界の状況と、最初からやり直しの必要性を問われるのとで、大きな違いを感じることになっていたのでした。

という中で、先日のコンクールでした。

今通っているピアノ教室の先生にも、今日終わったら、今後について相談しましょうという話をもらっていました。

あ、そういうことか、という何となく、私たち家族は理解していたのでした。

そして、先日コンクールが終わり、予選通過。よろこびの状況の中、相談を行いました。相談というよりかは、誰もがわかっていたので、私の口から

3月でピアノ教室は卒業になりそうですね

と言ってしまいました。ちょっとデリカシーに欠けていた言葉かもしれません。すかさず先生からは、

卒業でなく、巣立ちです

と強く否定されました(苦笑)、私は気づいていませんでしたが、先生はやはり涙目だったようです。6歳からずっと6年間教わってきた先生との別れになりますから、私自身も、こんな形になるとは予想していませんでしたが、この日、あと3か月で、ピアノ教室を辞めるということが、確定しました。

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誰もわかっていて、否定もしない感じの終わりでした。

嬉しい中での、悲しみ。なんと音楽的なんだろうかと、これを書いている今、思えてきました。

もちろん、誰もが、卒業であったり、辞めるという決断をして、別の道を歩んでいくのが人生です。どんな道、どんなことにも、いつか終わりは訪れる。今回のこの巣立ちは、とてもよい巣立ちだったんだと、私は思うようにしています。

書いていて、ちょっと悲しくなってきてしまいました。

とはいえ、ここから先も、いばらの道です。どこかで辞める決断をいけないかもしれませんし、どんなことが待っているかもわからないのです。

そして、正直なところ、それでも、本当にピアノを職業にするということは、経済的な面でも簡単なことではないので、どこかで子供の意思に沿って、何かしら考えなければいけないことがあるのです。

それでも、今やれることをしっかりやることを理解し、進むことは、人生においてはとても大事なことです。好きなことをとことんやったことは、どんな状況になっても、大きな資産になるだろうと私は思いますので、いまそれが許される状況の子供には、やりたくないとか、つかれたとか言わせることなく、頑張っていってもらう気持ちです。

今回も最後まで、読んでいただきありがとうございました。

どんな形で、子供との歩みが終わるかはわかりませんが、とりあえずはこのブログも続けますので、よろしくお願いします。

「10才のありがとう」を公開しました

小学校生活の中で中盤の折り返し、節目の4年生のときに、学校で二分の一成人式(10才の成人式)が行われました。その時のピアノ伴奏を息子が担当していたので、YouTubeにその時の合唱の様子をアップロードしました。

あまりよい映像ではないので、ためらっていましたが、小学生には小学生らしい普通の姿が、逆にほほえましいので公開しました。

私の子供のころは、二分の一成人式という言葉すらなく、小学校の4年生のときについて思い出すのは担任の先生の顔くらいしかなく、淡々と過ぎていったとしか記憶がないわけですが、このような式を小学校時代にやるのは親にとっていい思い出になると思いました。(子供はそれぞれだと思いますが)

20歳の時に行う、実際の成人式となると、やんちゃな一部の人が暴れるのを報道して視聴率をかせぐマスコミというのが毎年の定番となってしまって、あまりイメージがよいものではありませんが、まだまだ純粋な小学生、あまりにも心に響く式に感動したのを覚えています。

この楽曲の伴奏は、難易度としてはそれ程高くないですが、歌と合わせるという意味では、音楽の先生の苦労が多分に感じられました。学校から帰ってきて不機嫌な息子の姿がたまにありました。とはいえ、短期間のなかで、学校での伴奏オーディションを受け、選抜され勝ち取って練習したのですから、やりがいがあったと思います。

原曲は2000年以降に生まれたようですが、親の気持ちを良く汲んで、涙を誘う歌詞になっています。何度も聞くと慣れてしまいますが、初めての方は、ぜひ歌詞を聞き取ってご鑑賞ください。

小学校生活とピアノの練習

いろんなサイトを見ていると

小学校の子供が、どのくらいピアノを練習していますか

という質問があったりしますので、参考までに今回は5年生の息子のピアノの練習量を書いておこうと思います。

私の子供の時代の生活を思い出すと、小学校が午後4時に終わって下校に30分かかり、家に着くとおやつを食べて宿題をやって夕飯が6時とか7時で、だらだらとして、お風呂に入って9時頃には寝て翌日という感じでした。今の次男と変わりません。

ピアノをやらない次男(昔の私)

16:30 帰宅(おやつ、遊び)
17:00 宿題&読書
18:00 夕飯
19:00 自由時間(テレビ、本)
20:00 風呂(だらだら)
21:00 消灯

このような平日を暮らしていたわけで、私が家でやっていたのは宿題くらいだったわけですね。当時の習い事は、そろばん、習字くらいでした。それでも、進学高校を経て東京理科大学には行けました。(なーんもやっていない次男にいらいらすることもありますが、私もやっていなかったので、きつくは言える立場にはないなと思います)

最近の息子の生活は、小学校が午後4時に終わって、下校に15分。おやつ&ベイブレードをやって、5時には宿題やって、6時には夕飯で、7時はテレビ、8時からピアノ、風呂に入って、またピアノorソルフェ。

ピアノをやる長男

16:15 帰宅(おやつ、ベイブレード、ゲーム)
17:00 宿題&ドリル
18:00 夕飯
19:00 自由時間(テレビ、ベイブレード)
20:00 ピアノ
20:30 風呂
21:00 ピアノorソルフェ
22:00 消灯

※ピアノは1.5h

私と息子の生活の違いを見ると、遊びは違えど自宅での遊びは必要であるが、ピアノをやっている分、音楽をやっている時間があるという違いです。ピアノに関しては30分は必ずですが、気分や体調により30分しかやらないときもあります

小学校の合唱の伴奏を頼まれたり必要に応じて、朝の15分~30分をピアノの練習にすることもありますが、基本はやってないですね。

通学時間が私と子供とで15分も違いますが、往復で30分。私は両親が共働きの都合で、さらに車での移動時間が必要だったので、毎日合計1時間の移動時間が私にはありました。なんていってもそれがが毎日なのですから、通学+移動で失っていた時間は、6年間で結構な違いになります。

ちなみに息子の習い事は、ピアノ、スイミング、英語(既にやめている)です。

ネットで探すと、ピアノエリートは可能な限り、ピアノに時間を当てるといいますので、夜10時の消灯は守るとしても

ピアノエリートだとすると(理想)

16:15 帰宅、ピアノのための体操
16:30 宿題
17:00 ピアノ
18:00 夕飯
19:00 ピアノ
20:30 風呂
21:00 ピアノ
22:00 消灯

※ピアノは3.5h確保可能。朝も加えられれば4.0h超も可能ではある。

エリートは、ピアノに3.5時間もかけられそうですね、ただし、他の事はほとんど何もできませんので、気持ちの整理や集中力など特別な精神力がないとやれないですね。ちなみに、息子にこんなスケジュールで練習を強制したら、まぁ無理と半ギレするでしょうね

とまぁ、時間の使い方を変えることで、小学校6年間で大きな差が開いてしまうことは、よくわかります。エリートはハンパなく上手くなるはずであり、だからこそデビューをしちゃうわけですよ。

活発な子供は家に帰ってくると、すぐに遊びにいくでしょう。しかし、うちの息子たちは私と同じようにHSPの性格なので、集団生活に疲れて帰ってくるので、まずは一人でのエネルギーの充電が必須なのは私も理解できるところです。

時間の使い方・確保に関して、もう一つの違いとしては、私は両親が共働きの都合で、朝6時には起きていないといけなかったのに息子は、自宅から通えるので朝7時に起きればよいところです時灯時間が1時間後ろに遅れ22時になっていても問題ないというところは大きいでしょう。

通学時間が長いと、休み時間なども削られるので、私はどんなブランド学校に行こうが好みません。よく進学校に小学校から通うという方がおられますが、通学時間による時間的制約がいろいろと出てくるので私は良いことだとは思いません。授業妨害がある学校は別ですが、そうでないなら小学生は近所でいいと考えています。

何かしら自分から生み出す活動をするときには、精神統一など、一人の時間が必要なので、勉強するにもそれが必要だし、他の知的な活動をするときにもそれが大事になるのですから。

ちなみに、ピアノが好きという息子。だったら、遊びをやめて、せめて2時間はピアノを練習をしろとおもうのですが、長く続けていることだからこその他の活動は必須なんだろうと最近は思っています。

今はベイブレードですが、その前はゲーム、おりがみ、その他工作などなど、遊びは飽きて変わりますが、ピアノは変わらず続けられているので、ピアノは好きだけれど、続けるとなると、遊びではなく日課になるわけで、気を向かせる必要があるよねという理解で、気が向くまで見守るしかないですね。

息子はピアノエリートではありませんが、学年代表で伴奏をやらせてもらえるくらいには弾ける方なので、その位のレベルの人がどのくらい練習しているかの参考になれば幸いです。

息子が音楽の先生に怒られて落ち込んだ話

先日、中学校の説明会に参加したことを書いたが、会場に30分も前に到着してしまったため、家族で雑談をしていたのであるが、小5の息子が急に泣き出したのである。

感受性が強く、HSPの性格なので、まぁ、こんなことは普通だ。

最初は嫌がって話そうとしなかったが、やんわりと内容を引き出して、語ったところ、学校の音楽の授業中に、楽譜の書き取りのようなもの?(おそらく聴音のようなもの)があり、まわりの子を手伝ってしまって、担当の先生から、強く「手伝うな」と怒られたようなのである。

にらみつけられた顔が、怖かったと言っていた。(音楽の先生の顔ってそんなに怖くなるのか?)

たぶん息子は簡単な聴音なら普通にできてしまうから、やさしさのあまり親切心で友達を手伝ってしまったのだろう。

その時私は、息子にこう言った。

学校という場所では、他人を手伝ってはいけないが、社会に出たら手伝うのが普通なのである。今は、先生からまわりを手伝うことで怒られることがあっても、いずれは手伝うのが当たり前の世界になるから、それほど気にしなくていい。

先生は、個人の能力を高める学校の世界のルールに従わなければいけない立場だから、手伝わないように指導するが、社会ではそうではない。

それほど、気にすることはない。

と。

息子が納得したかはわからなかったが、息子なりに理解はできたようであった。

学校という世界・学問の世界は特殊で、協調・協力というのがあまり望まれない。これは事実だと思う。学校では協力してテストもやらないし、協力して問題を解いたらカンニングだ。

しかし、実際、世の中の課題を解くときは、ひとりでなんてのは聞いたことはなく、企業という組織だったり、共同研究だったり、もちろん政府だったり、いつもさまざまな集団であるのだ。リーダーは当然いるが、それを支えるサポートメンバーが必ずいる。

そういった視点が、学校の先生には、あまりないのだろう。もちろん、他人に助けてもらったら、勉強にならないからだという理屈はよくわかる。

大学を卒業して、そのまま学校の先生になってしまった人は、社会との接点が少なく、世間の現実は生徒やその親との関わりあいの中で感じる程度であろう。だから、先生がそう強く言ってしまうのも、致し方ない部分はあるであろう。

しかし、私の息子のようなHSPの性格を持つ生徒には、このようなしかり方は無慈悲であるのだ。だからこそ、こういう場面が、人数の多い公立中学校に行かせたくなくない理由として、私が感じる部分なのである。

いつも「困っている人を助けましょう」と指導している学校で、困ってる人を助けたら怒られるのだから、子供はゆがむのである。

そこの割り切りや、先生は子供へもっと説明や配慮が必要だと感じる次第である。圧倒的に、足りないではないか。

HSP側にいれば、そこらへんの理解が可能であるだろうが、非HSPの先生側は、それがわからないのだろう。でも、もういいかげん気づいて欲しいところまできていると思う次第である。