我が家の息子は(最初はキーボードではありますが)、4歳からピアノ曲の練習を始め、小学校2年生(8歳)で合唱の伴奏をするくらいにはなりました。そのときの曲は「勇気100%」でした。
指をほぼ限界まで広げないと弾けないので小学生が弾くのは難しい曲であり、さらに3週間後に発表の場があるということで、学校の先生一部だけのつもりだったようだし、ピアノの先生も難しいのではという、前評価があったのですが、無事やってのけました。学校の先生だけではなく、ピアノの先生も感動してすごく驚いていました。
家での自己練習も親が言わなくても、朝、放課後と欠かさずやっていたからでしょうね。
親のピアノ経験ですが、母親はエレクトーンの経験があるがピアノは1〜2年、父親はギターをやっていて譜面を読めるがピアノは経験がありません。
我が家の基本方針は、最後は「子供に任せる」です。
例えば「練習今日はしなくていいの?」と私が問いかけ、やる気がないようであれば、それ以上は言いません。実際のところお金を使って習っていることなので、毎日かならずやってもらいたいのですが、本人が決めたのなら、仕方ないと割り切ります。
日本の小学校は宿題がでますし、たいていピアノだけではなく他の習い事もあります。それだけでも、本人は疲れています。だからこそ、宿題などは義務の的にやるものにならざるを得ません。そして、気持ちが入っていません。時には気持ちが入っているときもありますが、毎日となるとなかなかです。
私は、ピアノに対する気持ちも同じように義務になって欲しくないという思いがあります。義務になったとたんに、ただ弾けるだけのロボットになってしまう気がしています。
「現代のピアニストは心を失ったが、技術はすばらしく向上している。あるときから心を捨てたんだ」という、批評をある本で読みました。それを読んだとき私は、つまり義務的な練習で上手くなった人が増えたのじゃないか?と考えました。
人は機械ではありません。経済が発展しすぎた今、私は、あたかもロボット人間ばかりの社会になっているような気持ちになることもありますが、それでも人には心があると信じています。音楽は、音を聴いた時の感動もありますが、音を通じて心、気持ちが伝わってくるからこそ感動するものだと私は信じています。
おそらくピアノだけでなく、映画、ドラマなどでもそうだと思います。音だけではなく、映像を通して、何かをもらっているんだと思います。人から人に気持ちが伝わる何かがあるのだと信じています。それがあるから、感動しているのだと思います。
それを「心がある」と言っているのだと、私は考えています。
ピアノの指導にあたり、母親の指導は、褒めることなのかなと私は思います。
・「そう!やればできるじゃない!」
・「上手くなっているよ、自信持って!」
・「できるよ、できる!」
心に響くことを、親も心から伝えれば、子供は練習をするのだと思います。
私の方は、心に伝わる褒め方がなかなかできないので、技術面の指摘や練習方法を指導することが多いです。メトロームに合わせてのリズムトレーニングや、楽譜通りに強弱ができていないところの指摘がどうしても多くなります。そして、ピアノの先生の宿題をきちんと意図通りにこなしているかの確認です。
それくらいしかしていません。
同じ教室に通う、年齢が一つ上の女の子で、飛び級をしてずば抜けてピアノが上手な子がいます。小学校低学年で中学生レベルの曲を弾きます。おのずと周囲の大人たちも期待しています。ピアノの先生をおばあちゃんがされていたとのことで、自宅練習も厳しいのかもしれません。
毎年の発表会で聴く機会があり、上手なので、私もすごく聴くのが楽しみなのですが、だんだんと心がない?どこかいっちゃった?ような演奏だと感じるのですよね。もしかしたら、それは誰しもが通る、上達の過程なのかもしれません。
心に従う練習と、技術上達優先のどちらが良いかはわかりませんが、それらについては私にとってもテーマであるので、適度なタイミングで更新していきたいと思います。
