ピアノの森 -第17話 「審議は踊る」-を視聴して

NHK アニメ版のピアノの森を視聴しました。

今回のアニメーションを見て感じたことは2つ。

  • コンクールの闇
  • 裏社会の闇

裏社会

裏社会と言うものが事実上存在し、表社会を表として、まともなものとしての汚れ仕事をやるのが裏社会であり、表裏一体で成立できるもの。

これは事実上の当たり前のことです。

人が他人と区別をし、間違いを犯してはいけないという誤った論理を続ける限り、闇は常に必要なのでしょう。

人が嘘を言うがゆえに、歴史をゆがめ自分のいいところだけを見せようとするばかりに、表と裏が出来てしまう。

表裏一体で初めて成立する社会。

矛盾、それが実際の社会でも存在し続けています。

コンクールの闇

コンクールに教え子の問題があるのは事実であるし、不正や誤った審査が行われてきたことも事実です。

最近は録音技術の発達、録画技術の発達、そしてネットワークによる拡散技術の発達により、不正や誤りが指摘されるようになりました。

審査員が正しい審査をしているか監視される社会になってきています。

ビッグデータ解析、AIによる解析、技術はさておき、第3者の審査が可能になってきたことで、最近は、誤りが許されなくなってきたと言われていますが、ピアノの森が書かれていた頃は、普通にあった話だと思います。

事実が事実として刻まれる世界に向かっていることは間違いない

裏社会やコンクールの闇など、隠せるなら隠してしまいたいということが、インターネットおよび公開技術の高まりによって、できなくなりつつあります。

間違いも記録され、後で検証も可能な世界、それが、ネットワーク技術により可能になりました。

ピアノの森が描いた、今回の2つの闇も、ネットワーク社会が当たり前の今となっては、明らかにならざるを得ない世界の一つであると思います。

そういった意味で言うと、光と闇の両方が伝わるいい時代に向かっていると私は感じます。

誰か一人だけがスバラシイこともないし、誰か一人だけが極端にひどいということも本来はないのです。

限定されたメディアが一方的に何かを示したときに、それに同調してはいけません。

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