難曲を早く弾けるようになればいいのか?

神童という言葉で表現される小学生たちは、子供の頃から大人顔負けの演奏で、難曲と呼ばれる楽曲の演奏をやってのけます。

本当にすごいなぁと思います。そう私もずっと思っていたのですが、ここのところやはり他の方が言うように、デメリットもあるなぁと思ってきました。

特に本サイトでYouTubeの動画を簡単に比較して連続で聴ける機能を作っておりまして、そうしたことで、よりそれを感じるようになりました。

  • 演奏の細部まで思い通り弾けているのか
  • この演奏はできたと完了させてしまう
  • 体ができてから弾くのと違う

小学生の演奏とプロピアニストの演奏。聞き比べるとやはり違います。似ているところもありますが、細かいところ、タッチなどを聴くと、かなり違ってきます。家具の話で例えると、木材で作った椅子やテーブルといった家具のバリ取りがどこまで洗練されているかのごとく、違っています。

小学生のうちは、自分でこう弾きたいという思いよりは、指導されている先生の指示の影響を強く受けるので、細部まで弾けているが、自分でそこまでやれるかというと、そうではないお子さんもたくさんいる気がします。

細部への強いこだわりがあるとすれば、本来は作曲者であり、演奏家になってしまうと、どこまでそれっぽく迫れるかが、その限界だろうと思います。その視点で考えた時に、小学生の頃に弾けたとしても、飽きてしまうのではないかと思います。

よくあるのが、「その曲は私は小学生のとき弾いた。簡単だよ。」とかいう表現です。

弾けた=終わり。となってしまっています。でも、実際に作曲した者にしてみれば、ずっとこだわりをもって弾いてもらいたいものです。前回弾いた時よりも、もっと洗練された演奏をしてほしい。そう願うはずです。

しかし、演奏者にとってみれば、一つの楽曲は、その多くの中の一つの楽曲でしかなく、次の曲に興味が移ってしまいますから、そこに限界があると感じます。

また、小学生のうちの体、とくに女の子の方が成長が早いですから、難曲を弾ける可能性は、手の大きくなるのが早い方が有利でもあります。そういった視点で考えた時に、弾けるようになった後からが勝負の始まりだとも感じます。

最終的には、何度も聴きたい演奏になるかが問われるものだと思います。

私が、名曲の演奏をスマホで携帯したいなと考えた時に選ぶ演奏の基準は、耳にとって、心地よいかどうかです。そうなったときに、神童の演奏を加えるかというと、そうならないことが多いです。やはりタッチや細部までの造形の深さ、そういったものが選択の基準になります。演奏のスピードコントロール、音のない空間の演出、そして、タッチ。そういったものが、とても大事だと思います。

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