息子が音楽の先生に怒られて落ち込んだ話

先日、中学校の説明会に参加したことを書いたが、会場に30分も前に到着してしまったため、家族で雑談をしていたのであるが、小5の息子が急に泣き出したのである。

感受性が強く、HSPの性格なので、まぁ、こんなことは普通だ。

最初は嫌がって話そうとしなかったが、やんわりと内容を引き出して、語ったところ、学校の音楽の授業中に、楽譜の書き取りのようなもの?(おそらく聴音のようなもの)があり、まわりの子を手伝ってしまって、担当の先生から、強く「手伝うな」と怒られたようなのである。

にらみつけられた顔が、怖かったと言っていた。(音楽の先生の顔ってそんなに怖くなるのか?)

たぶん息子は簡単な聴音なら普通にできてしまうから、やさしさのあまり親切心で友達を手伝ってしまったのだろう。

その時私は、息子にこう言った。

学校という場所では、他人を手伝ってはいけないが、社会に出たら手伝うのが普通なのである。今は、先生からまわりを手伝うことで怒られることがあっても、いずれは手伝うのが当たり前の世界になるから、それほど気にしなくていい。

先生は、個人の能力を高める学校の世界のルールに従わなければいけない立場だから、手伝わないように指導するが、社会ではそうではない。

それほど、気にすることはない。

と。

息子が納得したかはわからなかったが、息子なりに理解はできたようであった。

学校という世界・学問の世界は特殊で、協調・協力というのがあまり望まれない。これは事実だと思う。学校では協力してテストもやらないし、協力して問題を解いたらカンニングだ。

しかし、実際、世の中の課題を解くときは、ひとりでなんてのは聞いたことはなく、企業という組織だったり、共同研究だったり、もちろん政府だったり、いつもさまざまな集団であるのだ。リーダーは当然いるが、それを支えるサポートメンバーが必ずいる。

そういった視点が、学校の先生には、あまりないのだろう。もちろん、他人に助けてもらったら、勉強にならないからだという理屈はよくわかる。

大学を卒業して、そのまま学校の先生になってしまった人は、社会との接点が少なく、世間の現実は生徒やその親との関わりあいの中で感じる程度であろう。だから、先生がそう強く言ってしまうのも、致し方ない部分はあるであろう。

しかし、私の息子のようなHSPの性格を持つ生徒には、このようなしかり方は無慈悲であるのだ。だからこそ、こういう場面が、人数の多い公立中学校に行かせたくなくない理由として、私が感じる部分なのである。

いつも「困っている人を助けましょう」と指導している学校で、困ってる人を助けたら怒られるのだから、子供はゆがむのである。

そこの割り切りや、先生は子供へもっと説明や配慮が必要だと感じる次第である。圧倒的に、足りないではないか。

HSP側にいれば、そこらへんの理解が可能であるだろうが、非HSPの先生側は、それがわからないのだろう。でも、もういいかげん気づいて欲しいところまできていると思う次第である。

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