昨日の夜はこたつで、フィギュアスケートの演技をみていた。
フィギュアスケートはスポーツであるし、年間を通じての成績を評価されるから、1回1回の大会はどれも通過点である。その日1位であったとしても次の大会を意識するし、そうでなくても次の大会をを意識している。
その道に終わりはない。その挑戦は、本人が辞めるまで、止まることのないループなのである。
それは簡単にやれることではない。
結果が出れば人が集まり脚光を浴びるわけであるが、結果がでなければ残酷な静寂に襲われる。
共に大会に臨んでいる先生すらも結果次第で寄ったり離れたりという辛い現実がある。
そして、その終わりは本人が決断するか、年齢制限で終わるまで続く。
昨日はフィギュアスケートの世界を見ながら、ピアノのコンクールの世界もまったく同じだということに改めて気づいた。
何年も脚光を浴びている羽生くんがいる一方で、全盛期を過ぎた真央ちゃんがいる。そして、その外野では、新しく伸びてきている選手もいれば、注目もされず消えていくだけの選手も大勢いる。
そして、その選手の周りには、両親を中止としてそれを支える人がいる。
このことは、ピアノのフィールドもまったく同じだ。
有名な各種コンクールがあるが、予備予選、予選、本大会など年間を通じて常にしのぎを削る。本人が辞めるまで、休みはない。
コンクールという舞台は、そのようなフィールドなのである。上を目指せば、目指すほど、過酷な現実が現れる。。
私は息子をピアノをコンクールに参加をさせてはいるが、そのような世界に本気で進むのか、趣味で終わらせるのかを、最近問うことが多い。
小学校4年生で問うのは、酷な気もするが、早熟な部分もある長男だから、そこは理解をしてきている。ただ、今は回答はできない様子だ。
やるならとことんやれ、私にはそれしか言えない。
最近息子はとことんやろうと努力するようになってしまった。以前は、ミスや表現の未熟さを指摘すると「見本を見せろ」と言ってきたが、私の意志を理解したのか、私に従う部分が増えた。
こどものやる気に期待をする一方で、辛い現実だっていずれはくるだろう。
今なら別の道だってあるし、勉強にすべてを注いだっていいわけなのである。
小学生のうちは、いくらでもまだ取り返せると思うので、今は可能な限りピアノをがんばってもらいたい。
