チェルニーの神話
チェルニーと言えば、30番練習曲や40番練習曲と聞けば、そのくらいのレベルなのね、ってわかるくらい、ピアノを練習している人にとっては誰もが知る、練習楽譜の代名詞でありますが、その楽譜を作った人の名前であります。
ツェルニー30番練習曲 全音ピアノライブラリー
ツェルニー40番練習曲 全音ピアノライブラリー
ツェルニー50番練習曲 全音ピアノライブラリー
ベートーベンの弟子であり、ラ・カンパネッラのあのリストの師匠がチェルニーですから、商業的にも成功し、ヨーロッパの音楽業界に影響力を持っていただろうことは、想像にたやすいでしょう。
それを受けて、日本のピアノ業界においても、チェルニーの練習があたりまえになってしまっています。
参考:
チェルニーの練習曲に関する2つの見解
- チェルニーをしっかり練習しろ派
- チェルニーは苦手部分しかやらなくて良い派
チェルニーの練習に関しては、すでに日本では2つの流派が存在するようです。ひとつめは、チェルニーをしっかりやりなさいという、昔ながらのスタイルの考え方です。
チェルーニーはしっかり練習しろ派
確かな実績、自分もチェルニーで学んだという場合は、そのような考え方になるのも理解できます。日本の学校教育制度においても、40~50年前から小学校や中学校の勉強の内容が、さほど変わっていない現状を見ても理解できるように、新しいスタイルには慎重になるのは、当然でしょう。
また、実績のあるスタイルに寄るのも、当然と言えます。なので、チェルニーをしっかりやりなさいというスタイルが王道に近いのもうなずけます。
チェルニーは苦手部分しかやらなくてよい派
一方で、チェルニーはあくまでも練習教材であり、音楽性に乏しく、やっていてもつまらないし、チェルニーの練習曲を演奏会で披露することもないのだから、全部やる必要はまったくなく、苦手部分の練習をやるために、一部の譜面を抜粋して練習すればいいという新しいスタイルも生まれています。
実際に、ヨーロッパやアメリカもツェルニー神話は、チェルニー支配はすでに薄れ、この新しいスタイルも、日本人がというよりは、海外で実際に学んだピアノの先生が取り入れるスタイルとなっています。
ただ、チェルニーをやらなかった先生が増えてしまうと、生徒の苦手部分を克服するために、チェルニーのどの練習曲が適切か、という判断が瞬時にできなくなってしまう現象も起きることになるので、必ずしもよいわけではない気がします。
チェルニーについて、どう考えるべきか?
ここからはこのページの作者である私こと「ちぎょう」の考えでありますが、ピアノの先生を目指す方であれば、チェルニーはやはり必須であろうと思います。将来的に様々な練習スタイルの子供達を育てるのであれば、チェルニーだけということもなく、幅広く、バイエルだろうが、バーナムだろうが、ヤマハや、カワイの練習曲にも、理解があった方が正しいでしょう。
一方で、演奏家を目指すのであれば、チェルニーにこだわる必要はないと考えます。実際に披露する楽曲がすばらしくなることが、大事なのであり、練習曲がうまく弾けなくとも、実際の演奏がすばらしければ、練習曲など、どうでもよいことです。
天才である、フランツ・リストも当初は技術的な問題を抱えていたとあるように、必要だからチェルニー先生の下についたわけであり、練習曲の内容ができていれば、そもそもやる必要はないわけです。
算数ドリルの4年生は全部の問題が解けるのに、小学4年生だから、小学4年生の問題だけを繰り返しやることはないよね。というような感じでしょうか。
そもそも、算数をやるために算数をやるわけではなく、将来的に数学の問題を解くためだったり、実際の生活の中で、帳簿の計算をして、会計に必要だから、小学校4年生のドリルも必要である。という視点に立てば、算数ドリルである、チェルニーの練習曲が、必須ではないということになるわけです。
いかがでしょうか。
つまり、チェルニーは、そのような練習問題集、ドリルだと私は理解しております。