フランツ・リストってどんな人だったの?-4行で理解するピアニスト-

ピアニストにとって一番難しい曲と言われる「ラ・カンパネラ」で、有名な作曲家フランツ・リストですが、どんな人物だったのでしょうか。実は、ショパンと同じ時代の人でありながら、ショパンに比べ長く活躍し、多くの人に影響を与え続ている人なのです。

フランツ・リスト

師匠:チェルニー

弟子:カール・バルト、マルティン・クラウゼ、エミール・フォン・ザウアー 他多数

4行で理解するエピソード

  • 8歳でベートーヴェンの弟子のチェルニーに弟子入りしていた
  • リストの演奏を聴いてあまりの衝撃に気絶する観客がいた、自身が気絶することもあった
  • 芸術家が演奏以外で巨額の収入を得ることを好まないとして、無料で指導を行ったことがあった
  • ピアノ単独のリサイタルという概念を創始した人物

チェルニーに弟子入り

ピアノを習っている人であれば必ず関わることになるあのチェルニーの30番、40番練習曲集ですが、そのカールチェルニーに、フランツ・リストは、たった8歳で弟子入りしています。

この時若干8歳のリストは、正しい指使いも、和声の知識もなかったが、才能の片鱗を見せ、チェルニーから無償の授業を毎日受けることになります。期間は1年と数か月とされています。

そして、デビューしていくのです。

フランツ・リストの師匠がチェルニーですから、あのチェルニーの指練習が、いまもスタンダードになっているとも言えませんか?

ショパンとリストの接点

1830年代には、ショパンとリストは行動を共にすることがありました。同じ舞台に立つことも、何度かあったとされています。

また、バッハの「3台のクラヴィーアのための協奏曲」で協演したことも残っています。ショパン・リスト、そしてヒラーという当時の名手が同時に共演していたということです。

モシュレスの「4手のためのソナタ」

1830年後半には、リストがパリを離れたため、疎遠になったとしていますが、それでも、リストは、ショパンを尊敬していたそうです。

パガニーニと超絶技巧

リストと言えば、超絶技巧であり、大練習曲の「ラ・カンパネッラ」ですね。しかしこれ、ヴァイオリニストのパガニーニの影響を受けて作られた楽曲だったということを知ってる人もいるかと思います。

高度な演奏技術が、表現の可能性を拡げるということで、技術をひけらかすためにやったものでは、なかったようです。

「技術は機械的な練習からではなく、精神から生まれるべきである」

リスト

ヴィルトゥオーゾ

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