ピアノの練習は毎日やる必要があります。これはなぜか?人間の記憶は寝ると忘れること、人間の指つまり体は使わないと元の状態に戻ろうとすること、そして、生きているからこそですが、ピアニストは音の料理人であることを思いつきましたので、この例で説明してみたいと思います。
目次
- 「世界のあの料理=音楽が食べたいです」を実現する仕事!?
- 音のレシピは公開されていて必要なのは技術
- 自分の身体にあった指の動かし方を見つけるアプローチが練習
- 最高の料理を作るには、永遠に最高を求め続けること、これしかない
「世界のあの料理=音楽が食べたいです」を実現する仕事!?
ピアニストの仕事について、どんなイメージを持っているでしょうか。
ショパンの名曲や、バッハ、ベートーベン、モーツァルト、プロコフィエフ、ラフマニノフ・・・・のあの曲をふんだんに盛り込んだ演奏会で、ピアノを弾くこと。
たぶんそんなイメージだと思いますが、これはまさに、音楽という料理を提供しているのに等しいことだと常々感じます。
その中で、最高の舞台がコンサートでしょうね。
まさに、フランス料理のフルコースがクラシックコンサートと言えるでしょう。
音のレシピは公開されていて必要なのは技術
音楽は料理であると、私は例えてみましたが、そうたとえた場合、道具は鍵盤、材料はピアノそして、レシピは譜面ですよね。
そして、必要なのは、調理のテクニック、つまり加工技術です。
ピアノを使った音楽をする場合、道具も、材料も、レシピも用意されているのです。
大切なのは、何よりもテクニック、タッチ、そういった技術なのですよね。
だからこそ、練習が必要ということになります。
自分の身体にあった指の動かし方を見つけるアプローチが練習
練習はめんどくさい、練習やりたくない、練習疲れた…
10年くらいピアノの練習に付き合ってきました。うちの場合は、先生ではないので、まったくもって無理はさせませんでしたが、ピアノを弾くためにはどうしてもテクニックが必要です。
そしてそのテクニックは体に依存します。
手の大きさ、骨の大小、腕の長さ、間接の筋肉の付き方。
これらは、、成長段階やそもそも遺伝的なもの、身長の大小で、皆さんそれぞれ得意なこと不得意なこと、場合によってはできないことがでてきます。
しかし、それを見つけるのが、練習であると思います。
誰もができること、できないこと、これは残念ながらあります。
指が大きければいいというわけでなく、指が大きければ、小回りはききません。指が重ければ、ピアニッシモも大きな音になります。
だから、自分の身体にあったテクニックを誰もが必要になります。