日本で はたして Google glass を装着できるのか

Google Glassが日本で発売されたとして果たして装着を許してもらえるのか?

そんな疑問が単純に浮かんできた

例えば、会社

セキュリティの問題、情報漏洩の問題

大企業であればあるほど、機密情報を保持する会社ほど、Google glassが入り込める隙がない気がする

受け入れの準備に時間がかかる気がする

2chの書き込みを始め、twitterだって、facebookだって事実上使用を禁じられるような社会なんだから

業務中の個人活動を否定するような社会なのだから、日本ではGoogle Glassが受け入れられない気がしてならない

Google Mapだって、当初は嫌がられたし、同じようにGoogle Glassも絶対に嫌われるはずだと思う

学校や試験会場ではカンニングの道具だから、絶対に装着してはならないだろうし、スマホの使用も禁止されているように

そうやって、大企業や学校が足踏みして、一般社会への浸透が遅れることが必須だからこそ、チャンスになる気もする

やっぱりGoogle Glassを使おうという気持ちに戻ったね(笑

ゲームでのGoogle Glassの発展の妄想

これはあくまでも、一般人の妄想でしかないのですが、Google Glassを使ったゲームがどう発展するかと考えてみると

オンラインゲームは、あんまりないんじゃないかと思いました。
そもそもリアル映像+サブモニターといった感じなので、メインじゃないわけだから、ヘッドマウントディスプレイの方にゲームは向かう気がしてます。でも、FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)、PS4でチーム戦をする際のGlassのシミュレートとして発展予知がありそうな気がします。

チャットしながらはとりあえず日本では一般的ではないですからね。

ゲームといっても、リアルなゲーム。例えば、トランプとかチェスとか将棋とか、オセロとかそういったゲームで使えたりするかもしれません。でも、それって反則でしかないから、人口知能の挑戦的な使い方であって、普及はしないとは思いますね。

大人気のテレビ番組「逃走中」とか、そういったリアルゲームのガジェット、ツールとして、手ぶら状態を作るための道具としての可能性が今は一番ある気がします。

 

Google Glassの批判とかね

Google Glassは新しい道具だからこその拒絶反応は当然ありますよね。

日本にこれがやってきたらどうなるんだろうかと思うわけですよ。本場アメリカでさえも入店拒否をするお店が出ているくらいなので、いろんな障害があるんじゃないかと思います。

Googleグラス着用者お断りのレストランがシアトルに出現

思い返せば携帯電話も、かなり毛嫌いされていた気がします。電車の中で使っているだけで、かなり痛い目線で、高齢の方々から携帯電話を見られていたり、電車の中で数秒音が鳴っただけで、怒られている人を見た記憶が私にはあります。

ところが今や、早くどうにかしてくれよと、お年寄りの着信を見ているのが現在の我々です。いつも、他人にばかり文句を言うのはやめましょう。

まぁ新しい道具が出てくれば、いろんな新しい問題がでてくるでしょう、そんな未来をコメディにした動画もあります。

コメディ動画

いやはや、どうなるんでしょうかと思ってしまいますが。

インターネットが世に出てきたころも、おもちゃだとか言われていたわけで、Google Glassの出現の前にあった、任天堂のゲーム機「バーチャルBOY」だって、おもちゃでした。

技術が進化する直前の時期は、なんでも「おもちゃ」なんですけど、気づけばすべてが我々の生活に影響する道具になってしまうのは、過去をみればよくわかります。

そもそも現在のモニターとなっている液晶だって、ゲームウォッチのディスプレイだったりして成長したわけなんですからね。

映画館での使用禁止というのもあります。

理由は無断撮影のためのようですね。録音中に音がでないんでしょうね。まぁ、使う側のモラルの問題もありますが。。

そんなニュースを聞くと、特定の空間では強制シャットダウンさせるような仕様を取り込んでしまってもいい気がします。ただ、強制シャットダウン装置もGoogleが売ったりしたら、またそれはそれで、不買運動に発展しそうな気がするんで、ダメかも。

盗撮なんかにも使われないかと心配したり、セキュリティ問題に発展したりするのは、見た情報を共有できるからなんでしょうね。

女の子のスカートの中が風のせいで偶然見えてしまったなんてことは、見えたことを誰にも共有しなければ、誰にも迷惑がかからなかったので、これまでは問題にならなかったに、Google  Glassのカメラがそれをとらえて、誤って公開していたなんてことになると、その瞬間から事件になってしまいそうですものね。

そんなことを考えると、スマホは携帯電話という前時代の習慣化があるので、すぐに普及することが可能だったけれども、Google Glassは時間がかかる気もします。

メガネの進化版のようなイメージ戦略で、人がすんなり納得すれば、違和感なくすぐに普及するとは思いますが、携帯電話とは違うかなぁ。

日本ならではの拒絶反応として、どんなものが出てくるのか、気にはなりますね。

Google Glassを使った遊びの映像

https://glass.eleks.com/

Google Glassを使った、遊びの提案プロモ映像サイトを見たので、ここにメモします。

映画のシーンのようなプロモーション映像がワクワクさせてくれます。そこまで、すごいデバイスなのか、よくわかりませんが、期待感が強くなりますね。

GPSがあり、通信機能もあり、そしてセンサーがあり、スマホと違って手ぶら、アプリケーションソフトの問題がなければ、それらが全部つながって、無限の可能性はありますが、どの要素も失敗するとダメなのだから実現はなかなか難しい気もします。

まずは、Google Glassを狙撃する、通信機能のソースを壊す、GPSを破壊する、代替するものがまだまだ少ないと、Google Glassだけで、いろんなことができるのか?と考えると、まだまだ、課題はありそうですが、人がそれを望むなら、それを克服しちゃっている歴史がありますから、できる期待も持てます。

みんなで期待をすれば、実現はしそうですが。

Google Glassのページの立ち上げについて

みなさん初めまして

このページの主です。なんでこんなページを書き始めたのかの経緯を書こうと思います。

主は、いわゆるITコンサルタントとして仕事をしていますが、SEの仕事に近い経験が多く、長年金融系のシステムの新規開発や保守をやってきました。

新人の頃はプログラムで飯を食うんだとJavaの本やLinuxの本など片っ端から買い込んで勉強していたのですが、ある時期から金融の方に興味が行ってしまって、お金中心の世界に足を突っ込んでいました。

ただ、まったく面白くなかったんですね。

お金を手に入れれば自由になれるんだ、好きなプログラムを作って公開する時間が増えるんだ、オープンソースの世界とつながる時間が増えるんだとか思って金融の知識を増やしてしまって、逆にプログラムからは遠ざかっていたんですね。

歳を取ってくれば、プロジェクトマネージメントとか品質管理とか、徐々に管理系の仕事に入っていった。

どんどん、どんどんプログラムの世界から遠ざかっていた、そこにもともと内向型の性格の自分があり、人間関係のストレスで、医者にかかってはいないのですが、気持ち的に鬱になってしまった時期がありました。その時期は、なぜか震災の頃とも被っていたんですね。

そうこうしているうちに、いつしか時代はタブレット、スマホ、そしてプログラムは、XcodeかAndroidかという世界になってしまっていたわけです。

Javaについては、それなりにやってきた。けれど、自分が作ったものを公開したことがなく、消化不良のままで、昔の情熱がくすぶっていたんですね。

Androidも、ただぼーっとながめていたわけではないんですが、その頃はとんでもなく深夜まで働かせるプロジェクトに参画していて、毎日タクシー帰りという生活で、全然違う世界のことに思っていたんですね。

やりたいけど、やれない。

そうこうしているうちに、なんとなく家族と楽しく生きていければ、いいんじゃないか。あきらめることも大事なんじゃないか。なーんて、悟ってしまって、仏教の本を読み漁るようになり、生きていたんですね。

ところが、会社のとある面談で、Google Glassを目の前でプレゼンされたんですね。うちの会社、スマホだって、タブレットのときだって、そんな先端技術に挑戦なんてしなかった、システム屋だったんです、これまでは。

ところが、先行投資でGoogle Glassを買うようなことを始めるプリンシパルが現れたんですね。もちろん、外部の出身の方です。そんな発想を持っているプロパーなんていないはずですから。

そこで、これは何か、やらんとまずいと気づいたんです。

それが、このページの開設のきっかけです。どこまで、何が、どうなるのか、まったくわかりません。

けれど、やったことは、意味がある。そう思って、更新していきたいとおもいます。

三日坊主で終わらないはずです(笑