戦後の偏差値編重主義、学力主義、は事実上完全に終わっているのですが、生まれてから大企業に入社するまでの、学力主義は、今も終わっておりません。変っております。
優秀な人間が、付加価値を生み出す。これは、もう時代遅れになりつつあります。なっています。日本が没落していく様を見ていれば明らかです。
人間と比較し優秀なのは、コンピュータであり、文句も言わず働き続けるのは、コンピュータであることが、確定した今。
勉強して付加価値が生まれるのでしょうか?
私の答えはノーです。
同じことを繰り返すこと、すでに認められた技術や学術に従った最適解を得るのには、人間が実行するのではなく、コンピュータが実行することが精度が高いことは、だれが考えても、認めざるを得ないでしょう。
しかしながら、繰り返し作業である勉強による、優劣の判断は、誤っているとしか言いようがありません。手元にスマホがあれば、計算はスマホに任せた方が正しい結果が得られます。スマホ片手に試験を受ければ、100点が採れる状況がうまれている。
それなのに、なぜにスマホを使わず生きる、勉強をするのか?私は今、理解できません。
それよりも、すでにスマホというコンピュータが手元にあるのだから、スマホがあることを前提とした勉強をすべきだと思うのです。
学校でのスマホ利用は禁止だと、学校が言うことがありますが、これは完全に未来に対応できない子供を育てることになってしまいます。
むしろ、どんどん先端技術を活用し、いろいろな実験を試みるということが、学校ではなされるべきだと私は感じます。そうでなければ、国際社会、真のグローバル社会では勝てません。
自ら、未来を否定しているのですから。
というところで、愚痴になってしまいましたが、勉強したって意味ありません。やりたいことがあるから、学ぶ。知りたいことがあるから、学ぶ。そこに価値があります。
やりたいことのない人間は、何も学べないのが人生です。やりたくないのに勉強をしているのであれば、まずはやりたいことを探すのが先です。
探しに行きましょう!