私はシステムを作ることを仕事としてやってきました。その中で気づけばブラック労働を強いられて、うつ病になってしまいました。そこから10年も”うつ病”をもがき苦しんで回復してみると、何が悪かったのかが少しづつ見えてきています。その中で、気づいた労働環境を変えることについて、今回は書いてみたいと思います。
記録時期:うつ病が改善してから4か月頃の状態の考え
目次
- 出張&新たな一人暮らしで変われると思っていた
- 仕事の内容が変わりメンバーも変わり最初はよかった
- 仕事の終盤には悲劇しかなかった
- 安易な新天地に救いがあることはない
出張&新たな一人暮らしで変われると思っていた
2012年の終わりの頃だったかと思います。そのときは自分がすでにうつ病状態だとは、まったく思わず、毎日なんでネガティブなんだろうかとだけ考えていました。
これは環境が悪いからだと思うようになり、リフレッシュすれば変われるのじゃないか、そう思い込むようになっていました。
新生活によって、今まで持っていたネガティブな感情をすべて忘れられると思ったのです。
そんな矢先、東京から離れ、西日本の地で働ける仕事があることを知り、立候補をしたのです。
仕事の内容が変わりメンバーも変わり最初はよかった
自分で暮らすことになるウィークリーマンションを自身で手配し、飛行機や荷物もすべて自分で揃え、意気揚々と西日本に向かった日のことは今も覚えています。
朝7時羽田の飛行機には乗り遅れ、謝罪をしたのが初日でしたからね・・・
そんなドタバタで、急に始まった西日本での暮らし、本当に大変でした。久しぶりの一人暮らしだったので、洗濯も食事も、何もかも、今一度新しいことをやりました。
本当に生活は一変しました。
職場のメンバーもお客さん先のメンバーなので、全部初めての人です、新しい会社に入ったのではないか?と思えるくらいの激変がありました。
しかし、仕事の内容は、それほど変わりませんでした。。
仕事の終盤には悲劇しかなかった
仕事が始まり半年くらいは順調でした。新しい職場の方々は皆親切で、東京都は違い、そこまでギスギスしておらず、楽しく仕事をすることができました。
仕事の内容は東京の内容とほぼ変わりませんので、休みが増えるということはありませんでしたが、月に1回くらいは趣味の釣りに行って、仕事を忘れる時間をとることができていました。
ところが・・・
半年たったころから、仕事の状況が一変しました。仕事の進みが遅い外部の協力会社のケアをせざるをえなくなり、プロジェクトマネージャーが倒れ、そして最終的な責任が問われる時期に、私が、その矢面に立つ状態に立っていたのです。
安易な新天地に救いがあることはない
新しいことを始めると、変われると思える人が、私の様にいるかもしれません。しかし、大きく変えたことで、大きな生活変化があると、それだけで疲れ切ってしまいます。
ストレスになります。
さらに、このタイミングで私はすでにうつ病になっていました。うつびょうの状態のまま、サンドバックになったら、どうなるか、この記事を読んでいらっしゃる方なら、想像できるかもしれません。
すこしお休みをとって、新しい働き方を始めたことで、大きく私は変われたわけですが、その今から考えると、同じ会社で、同じアウトプットを求められながら、新天地に行くことは、無謀だとはっきり言うことができます。
すでに弱っているのですから、やはりここでは休憩が必須だったのです。
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