孤独死とボッチ

孤独死を避けたいという団塊の世代向けのメッセージを発信し続ける一方、日本はボッチ社会になり、明らかにこれからは孤独死ばかりの社会になると私は考えています。何を無駄なことをしようとしているのでしょうか。避けられない孤独死を避けようとするより、むしろ孤独死することを前提に生きていくべきだと私は考えます。

孤独死をなぜ嫌がるのか?

孤独死を嫌がる理由は何でしょうか?誰かに看取られて死にたいなんて、病院に入院しているか、働いてない子供に世話されて、迷惑をかけているか、など、常に一緒の人間がいるという状態でしかありません。

発見が遅れることで、腐敗したひどい状況になってしまうことの後片付け役を受ける人々が、それを避けたいがために、孤独死を問題視しているような気もしますが、まぁこれからの社会は孤独死ばかりになるでしょう。

孤独死に対してネガティブな印象を持っているとすれば、それはメディアの影響もあるでしょう。ニュースなどではな、さかんに孤独死、孤独死というワードを使って、ニュースを売り込んでいます。

インパクトがあるゆえに売れるタイトルなのだと思います。

孤独死になる理由

日本社会は家族で住むことを放棄しました。嫌がりました。みんな自由にそれぞれに行きたいのです。結婚だってしたくないくらい。そのくらい、みんな自由になりたいのです。当たり前に、一人で暮らしている人がたくさんいます。

また、結婚していたとしても、必ずしも自分が相手より先に死ぬとは限りません。残された方は、一人孤独死するでしょう。

長生きをすれば、老人ホームなどに入居するお金が必要です。それが用意できていれば、誰かしら孤独死の前に気づいてくれることがあるかもしれませんが、誰もがそんな富裕層ではありませんので、一人息を引き取っていくのでしょう。

また、老人になればなるほど、お世話になった上の世代は既にいなくなっていきます。残っているのは、子供や若い世代です。彼らに助けてもらおうなんて、ムシの良い話はありませんよね。

孤独死を受け入れよう

おそらく50%以上の人は、結婚しても相手より後に死ねば孤独死なのですから、孤独死になると考えた方がいいです。

子供がいたとしても、立派に育てれば、親離れして、世界を飛び回り働いていることでしょう。それが、すばらしい、関係なのです。

そうであれば、孤独死こそ、素晴らしい最後ではないでしょうか。

孤独死とボッチ

私は、これからボッチな生き方をより洗練させていこうと思っています。そう考えたときに、孤独死というキーワードが浮かびました。

どこか孤独死というものに対して、ネガティブなイメージを持っていたのだと思います。しかしながら、今の現状を受け入れ、ボッチ生活を満喫するのであれば、必ず孤独死はついてくると考えるようになりました。

ボッチなのだから、一人で死ぬのは当たり前です。死んだあと、どうなってしまうかなんて、どうなったとしても、死んだ後に対応してくれた人に感謝しかないのです。

こんなわがままな死体の対応をしてくれて、ありがとう。

そう考えると、孤独に生きるということは、孤独死を受け入れ、もしも誰かとの縁があるのなら、一期一会の精神で、やはり常に大事にしなければいけないと、考えるに至るのです。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

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