体験談:親知らずが、蓄膿症の原因となり、頭痛さらにはうつ病に発展して人生積んでた

病気

原因不明の病、死なないけど永遠に終わらない持病。医者が治せない、治そうとしない、薬だけ出して終わり。分業制専門医制で、トータルで見ない医療は、おそらく治せない、原因を見つけようとしないほっといてもいいけど、見えない・つらい病気を抱える人は意外とたくさんいると思います。そんな病気の体験とそれを解決するに至った流れを一つご紹介したいと思います。

10代から鼻炎と頭痛持ちだった

アトピー性皮膚炎を小学校2年生で発症し、車に乗ると頭が痛くなり気持ちが悪くなるという悩みがあった私ですが、中学生の頃には、鼻炎に悩まされていた記憶があります。今でこそ副鼻腔炎=蓄膿症だったとわかりますが、当時は親も共働きで、発熱もしない病気の蓄膿症なので、何かのアレルギーみたいなことは言われてましたが、医者にもらうことなく、普通に放置されていました。

症状は鼻が出ると頭が痛くなる。鼻は鼻水ではなくて、黄色や緑や深緑で気持ち悪い。それでも、たいしたことのない病気として考えていました。

ホルムアルデヒドなどの工業製品の害と車のエンジンからの排気ガスなど、毒ガスだらけの中に放り込まれたため、病気だったのではないかと、今では考察しています。そして、その裏側にはグローバルの実験場である日本だからこその、病気を感じます。

中学生に蓄膿症の手術がヤバいと恐怖を植え付けた祖父・叔父

そんな鼻炎に関して、ある時、親せきの叔父さんが、昔鼻炎で手術をしてくれたことがありました。それはそれは、悲惨な手術で、上唇の下を切開し、鼻の骨を削る手術。顔がはれ上がり、とんでもなく大変だった。

中学生ながらその話を聞かされたのですが、病気が治るための手術のはずなのに、ただただ恐怖すぎて、鼻炎の手術の恐ろしさだけを感じていました。それゆえ、耳鼻咽喉科に行くことが、より恐怖になりました。

高校生で耳鼻科に2年間毎週通った

高校生になったときに、住んでいる市ではなくて、別の市の健康診断を受信することになります。すると、そこでは鼻炎が虫歯のように、健康診断でNGをくらうと、自ら医者に行き診察を受け、ハンコをもらってくる改善対象に含まれており、耳鼻咽喉科に行って医者の治療をうけなければならなくなりました。

ふくれあがる恐怖の中、初めての耳鼻科に恐る恐る行ったのを覚えています。そして、そのあとは、薬の治療だけではなく、鼻の軟骨に穴をあけて直接膿を出したり、とんでもない治療をされた記憶がありますが、切開はありませんでした。

そんな耳鼻科に約2年程通ったあとで、たまに鼻炎がある程度の状態まで改善しましたが、高校を卒業し浪人、専門学校生となり、耳鼻科への通院は不可能となっていきました。

社会人で頭痛が年々酷くなった

一時的に鼻炎が改善し、大学時代は耳鼻咽喉科に通うことはほとんどなくなり、ましたが、私はブラック企業で働くことになります。

朝は9時出社ですが、帰宅が21時前になることがほとんどない働き方を16年ほどすることになります。

大学生の頃は落ち着いていた鼻炎ですが、社会人5年目くらいから徐々に悪くなり、たまに耳鼻科に通うのですが、鼻炎というよりも、そもそもの働きすぎと、パワハラ地獄のような精神的におかしくなるような空間の中の働き方に疲れ果て、慢性的なストレスと疲労に悩んでいました。

そんな状況の中社会人10年目のこと、とんでもない職場にアサインされます。8時半には出社して、帰宅が23時でも早いと言われ、タクシー帰りが当たり前。さらには、変態労働制という制度が導入され、土曜日が出社日になる。

それをこの国の労働局は許容していたわけです。

そうこうしていると、徐々に毎日頭が痛いという日々が始まっていったのです。

頭痛がうつ病に発展した

そんなブラック企業時代のある日、私は管理職となり、30人程度のチームの進捗管理を任され、信じていた同僚にも裏切られ、頭がおかしくなり、管理職をはく奪されるという事件が起こりました。

突然頭の中で、ぶちって音がして、脳に変なホルモンが分泌された。そんな感覚があった記憶がありますが、泡を吹いたり、倒れたりしたのではなく、もはや、廃人のような状態になり、脳がうまく動かないという感覚であったと思います。

そして、その先は、鬱病でした。

うつ病になってからも仕事を辞めることはありませんでした。そもそもそれがうつ病であることも気づけずにいました。やる気がでないだけ、不運に嘆いてるだけ、自分の能力がないだけ、自分が悪い、自己責任。。。そうやって、自分を日々攻めていただけです。

さらには、そこから慢性的な頭痛に悩まされることになります。

仕事を辞めた

仕事をしても誰にも褒められない、感謝されない、出世もしない。そんな、何もない働き方になった私は、生きがいもありませんでした。

そんなときに、母親がステージ4の癌になりました。

もう、どうでもいいという感覚が私の中に浮かびました。

そして、私は仕事を辞める決意をしました。とりあえず、休みたい、ただそれだけが理由で。

奇跡の親知らずの抜歯

会社を辞めたのは、2018年8月。そして、11月に母は亡くなりました。

あんなに強かった女性が、あっけなく死んでしまう。

自分の人生に影響を与えていた人物が、一人減った。

そんなこんなでも、私の頭痛は消えることはありませんでした。

そんなときです。急に奥歯がいたくなりました。ゴールデンウィークが明けた2019年の5月くらいだったと思います。

そして、親知らずが原因ということがわかり、歯を抜いたのです。

すると、、、とんでもなく痛くなっていた頭痛が、消えたのです。。。

その日は、奇跡の一日でした。自転車で、歯医者に行ったのですが、帰りは、荒川土手沿いを自転車で走り回っていたのを覚えています。

体が軽い。気持ちいい、太陽があたたかい。

人生が変わり始めている

あれから、すでに4年が経ちました。今日は2023年の6月です。

たった4年で、人生の見え方が変わっています。

一人社長ですが、2年前に会社を立ち上げ、徐々に売り上げもあがっています。

ダイエットにも成功し、スリムな身体を取り戻しています。

うつ病はなくなり、未来が明るいと信じれるようになっています。

これからも、頑張って生きていく希望をいだけるようになりました。

私の人生は、40代まで、気づけば地獄でした。

バブルの崩壊があり、就職の氷河期世代です。理由もなく、不幸を享受してきた人生だったと思います。

努力は報われることなどなく、努力はことごとく潰され、何も残らなかったです。

ただただ、必要だったのは、運です。つまり、スピリチュアルな導きだけです。

それについても、今後は書いていきたいと思っています。

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