物心ついたときには、小学生や中学生になっていて、学校に通うことが当たり前になり、連続的に必ず何かしらのラベルが貼られ、ステップアップしていくのが人生かのように、私達は錯覚してしまいます。
小学校
↓
中学校
↓
高校
↓
大学
↓
就職
そのため、学校に行っていないとか、無職とかいう言葉に対しては、ネガティブなイメージが一般的になっています。
果たして、それは正しい理解なのでしょうか?
人が生まれる理由が、社会の労働力になるという、あたかもロボットのようなものであれば、確かにこれは正しいステップです。
しかし、
・学校に行かないで、自分の勉強をしていても
・就職しないで、社会に役に立つ新しいことの準備をしていても
ネガティブなことに思われてしまっているのです。
たいていの人は、今実現していることしか、信じれないという洗脳下に置かれ、将来を信じれません。
画家になる、音楽家になる、プロ野球選手になる、サッカー選手になる、etc
何かになろうという意思が芽生えても、いざ、今それに対する準備や成果がでていないと
どうせお前には無理だ
というネガティブな言葉で、足を引っ張ってくるのが、そのレベルの人たちであるとも言えます。
たいていの人、おそらく90%以上の人は、無職や無学について、ネガティブなイメージを持っていると思います。
メディアがそのような情報を伝えてくるからです。
しかし、有職だからといって、それもポジティブな言葉なのでしょうか?
・既に40代で会社を引退して、無職でいる
・やりたいことがあるので、無職でやっている
どこかの会社あるいは、集団に属し、そして、そのコントロール下に置かれていることが有職ということでもあります。
そのため、日本では上記のような人も、無職とは言わず、肩書を持っていることが多いです。
人間がラベル付けする、有職、無職に、同じ生きている人という枠で見た場合、大きな違いはありません。
無職に対して、ネガティブな思い込みは、しなくていいことがわかってきます。何かに洗脳されず、自由な生き方ができるように、自分を解放していきましょう。