経済的自由に向かう第一歩 「これまでと行動を変える」

支配されたままの小金持ちではなく、経済的自由を目指す人にとって、最初の関門であり、なかなか一歩踏み出すことができないことは、これまでと行動を変えることだろう。

20歳くらいまでの間、学校教育やその過程で埋め込まれてしまった洗脳教育、また、会社という組織に就職して、受けてしまった洗脳により、たいていの人は、経済的自由を目指すことはあっても、実行に移すことは起こさない。

できないのである。

これは、すべての環境において、現実社会では洗脳が行き届いているからだ。すでに、既存の社会は、既存の社会の利益享受者の長に立つ人々により、細部にわたり、そのコントロールが行き届いている。

そこから抜け出すことは、決意さえあれば簡単なことであるが、洗脳が深いところまで浸透している状況においては、できない。

人間は、心の生き物であり、心のコントロールすることが、人を支配することにも、されることにも繋がる。

だから、たいていのひとは、経済的自由を手に入れることなく、定年を迎え、わずかな年金で生活し、この世をさることになる。

そうではなく、経済的自由を手に入れ、自分の人生を取り戻し、一歩を踏み出すには、まずは行動を起こすことだ。そして、その行動とは、経済的自由を手身入れるための、行動である。

私が、実際に行動を変えた例を紹介しよう。

会社を辞める

経済的自由を目指さない人は通常、会社を辞めるということはしない。なぜなら転職をして新しい仕事を探すのが常だからだ。

収入がなくなると不安という洗脳がある。

だから、働く。

そして、心を、支配下に置かれる

そしてあなたは、また、別の場所で働くことになる。つまりだ、経済的自由を目指す人にとって転職をすることは、価値にならない。転職は一歩ではない。(例外はある)

転職をするくらいなら、会社を辞めて、収入がなくなって、それでも働ける生き方を真剣に探すことをしなければ、経済的自由へは進めないのである。

だから、私は会社を辞めた。

ハローワークに行かない、失業給付を受けない

通常会社を辞めた場合は、自己都合であれ、会社都合であれ、雇用保険の失業給付を受けることができる。

しかし、これは仕事を探す、就職する人のためサポートのための給付であり、経済的自由に向かう人のためのサポートではない。

よく就職活動をしている振りをして、失業給付を受けながら、起業を目指そうという人がいるが。これは詐欺行為となる。

仮に、就職活動をしながら、起業の行動を真剣に行ったとしても、一部の時間は就職活動にとられてしまう。

就職活動をするということは、これまでの生活を続けることと同じだ。つまり、経済的自由を目指さない人の生き方をすることになるのだ。そして、そのような中途半端な気持ちで、心をコントロールされたままで、行動したとしても、結果は、再就職という形で、結局、経済的自由は得られないのである。

これは行動を起こしたことにはならない。

経済的自由を目指すということ

経済的自由を目指すということは、いかに常識に縛られたこの世界の現実で、常識を打ち破い、心を自分の心にし、自分の足で歩けるようになるか、一歩踏み出せるかにかかっている。

たいていの人は、経済的自由という言葉すら持たず、与えられた現実の中で、ロボット人間のように、人生を過ごし、あの世に戻っていくのである。

そうではなく、真の経済的自由を目指す人であれば、やはり、行動を起こさなければならない。その行動とは、先ほど挙げた例が正しいというわけではなく、人それぞれ、状況に応じた、経済的自由の第一歩があるはずである。

それが何かは、あなたの心が教えてくれるであろう。

まずは、その一歩を踏み出さなければ、経済的自由への道の扉を踏み出すことはできない。いつまでも、支配された世界で、経済的自由は目指さず、ほどほどの暮らしをして生きていくことになる。

それで、よければ、経済的自由を目指す必要はない。必要な人だけが、一歩を踏み出せばいい。

経済的に自由を目指す人は、これまでの行動とは決別し、まずは第一歩。たった一歩であるが、とんでもなく大変な、支配から抜け出す、第一歩を踏み出そう。

一歩踏み出せば、そこには、無限の世界があり、やらなければいけないことがたくさんあることが見えてくるであろう。

さぁ、一歩。経済的自由に向けての一歩を踏み出そう!

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