「やりたいことがある、やりたいことがない」は、実は退職を考えるべき時

退職届を出し、退職プロセスに入っている私ですが、職場の後輩が、つらそうに、半ば投げ出し気味で仕事をやっているので、軽い気持ちで、

「どうして、この仕事を選んだの?」

という問いかけをしてしまったんです。

その回答は、

友達のすすめでなんとなく就職し、なんとなくやっているということ。また、転職活動したことがあり、自分ができる中で、特にやりたくはないけれど、やれそうなことを選んで活動したけど、落ちた。

みんなそんな感じじゃないですか?

でした。既に退職に向かっている私から見れば、同じような話であり、本当に気持ちはわかります。

私の場合は、

なんとなく仕事を選んだというよりも、やりたいことが一部あり、それを専門にやれると感じたので就職したが、働いているうちにそれができなくなり、違うと感じるようになった。けれど、家族のために続けるという選択をしてしまい、その後は、嫌なことも、やりたくないことも、ほどほどにこなしていた。

そんな自分が嫌だった。

という状態でした。

これらの2つの事例どちらに関しても、状況が許すのであれば、今すぐ退職すべき状況だと、今の私は考えます。

勉強からの学校生活が始まり大学を卒業すると、当たり前のように就活があって就職することが、システムとして成立しています。

そうすると、心や気持ちなどは、まったく無視された、システム的な就職が待っているのです。これが、多くの不幸を生んでいます。

学校の先生は、進学あるいは就職結果のみを重視し、心を重視した教育をするのが難しい時代に入っています。自分自身で、何をやりたいのか、何をやるべきかを考えないと、いけません。一方で、憧れの仕事を選ぼうとすると、「君には無理、厳しい」という、状況もあります。

そんな中でも、やりたいことをみつけなければいけません。

けれど、一度、なんとなく就職すると、収入があることで、負のスパイラルに入ってしまうんです。

仕事が嫌だ⇒けど収入はある⇒もう少しゆっくり考えよう⇒けど仕事がある⇒疲れた⇒やりたくない⇒けれど収入がある⇒ちょっと昇進した⇒収入がある⇒仕事が嫌だ⇒けれど目の前に仕事がある⇒本当にやりたいしごとがなにかわからない⇒けど仕事がある⇒疲れた、もう仕事をやりたくない⇒けど目の前に仕事がある⇒収入がある⇒・・・・

なんとなく就職しても、なんとなく生活が確保できてしまうので、本当に自分がやりたかった仕事、やりたい仕事、天職と感じれる仕事と出会うことがなかったとしても、やり続けてしまうのです。

しかし、ここにはおおきな罠があります。

それは、気づいた時には、遅いです。

やりたいことをやっていった人間と、なんとなく仕事をやってきた人間とでは、成長の差が生まれます。やりたいことをやっている人間は、仕事が大好きです。深夜残業も平気ですし、土日に仕事を入れられても、やりたいことになります。

しかし、なんとなく仕事をやっている人間にとっては、深夜残業なんて、なんでやらなければいけないのか、わからないし、土日に仕事をいれられたら、ブラック企業だと思うはずだし、今の風潮なら、明らかにブラック企業です。

世の中に、ブラック企業が増えてしまった理由としては、やりたいことができていないのに、働いている人間が多い。という側面もあるのではないか、と私は感じています。

仕事をやりたいと思っている人にとっては、働くことが生きがいに繋がり、ちょっとやそっとの残業や休日出社は、なんとも思わないはずです。けれど、なんとなくで働いている人にとっては、過酷なものに間違いないのです。

けれど、そんな状況になってしまうのも、仕方のない状況があるということを私は理解しています。既に書いている、システム的な問題です。

なんとなく学校に通い、勉強をさせられ、なんとなく進学し、なんとなく大学で学び、なんとなく就職をさせられるような、義務教育からのシステム的な流れが、構築されているからです。

皆が皆、戦争をしなければ、兵隊にならなければいけなかった時代は、このようなシステムで、国力を上げる必要もあったかもしれませんが、生き方を選べるようになった時代であれば、このシステムは、やや問題があります。

やりたいことが見つかるまでは、目の前のことは、実はやってはいけないのです。何かをやってしまうと、その何かをやった達成感が生まれてしまい、なんとなくの達成感で、そのままいってしまう。

これは、非常に問題のある罠です。

「やりたいことがある、やりたいことがない」となった場合は、心の底からこれをやりたいと思った場合は、また、何もやりたいことがない、この会社でやりたいことがないとなった場合は、すぐに会社を辞める準備をするときだと、私は感じます。

実際に辞めるタイミングがすぐにではなくとも、この心があるのなら、いつか辞めなければいけないはずです。そうでなければ、人生を生きることになりません。

私は、既に退職プロセスに入っているのですが、このことは強く思います。

なんとなくでも何かをやっていると、本気になれないのです。「いずれ、やりたいことが見つかるよ」と思って考えてみても、「いずれ」は、やってこない。「いずれ、仕事が好きになる」と考えてみても、「いずれ」は、やってこない。

これは、実体験からわかります。

また、やりたいことが見つかってしまうと、それ以外のことは、本気になりません。そういうものです。

もし、この文章を読んで、「やりたいことがある、やりたいことがない」という方は、考え始める時だと、強く私は思います。

そして、具体的にやりたいことを見つける、やりたいことに向かうプランを立てるべきだと思います。

先に、進むべき時です。

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