起業までのあゆみ (1/2)

会社を作ろうと思ったきっかけと今日に至るまでの道のりを振り返ってみたいと思います。

会社を作ろうと思ったきっかけ

私が会社を創ろうという思ったきっかけは、すごくシンプルなところにあります。自宅で仕事がしたい。ただ、これだけです。通勤時間があるとそれだけで面倒です。なぜ、そんな思いになったかと言うと、遡ること高校生です。

私は、自宅から1時間30分から2時間かかる進学校に、高校時代通っていました。その時の経験なのですが、往復で毎日3時間から4時間を奪われるという現実を体験しました。

青春という時間の毎日の3時間から4時間の浪費は非常に厳しく、がんばっても固定費として時間が削られてしまうので、あきらかにハンディでした。電車の中で勉強しろと言われても、効率が非常に悪いです。教科書を読む、参考書を読むをもちろんやっていましたが、とんでもなく効率が悪い。さらには、目が悪くなったのもこの時代です。1.5で視力はMAX状態だったのですが、高校を終えた時には、0.5まで落ちてました。

また、もう一つの理由は、他社とのコミュニケーションの無駄を感じていたからです。今のように当たり前のネット社会で、リモートワークが可能な時代の前は、人々の会話が、無駄にありすぎでした。不要な会話、不要な行列、不要なコミュニケーションがたくさんあったんですよね。確かに、人と会話をする、コミュニケーションをすることは、新たな発見を与えてくれるきっかけになるので、すべてが悪いものではありませんが、喧嘩やいざこざの原因となるのもコミュニケーションで、中学生時代にそのような経験をたくさんしたことが、少ない人数の会社、あるいは、無駄な会話の少ない会社、を作りたいなという思いに至った原動力だったと思います。

つまり、学生時代には、会社を創りたい、少なくともSOHO的な会社を創りたいという思いが強かったのです。

大学生時代に就職した理由

学生時代に起業を夢見ていましたが、当たり前のように就職をしました。当時、起業するための知識をそれなりに手に入れていたのですが、売り物もなければ、営業も知らなかった私です。何を、どうすれば、会社になるのか、具体的なビジョンを描けず、義務教育の流れから大学生になる普通の教育ルートを終えたら、就職だという、ルートで、違和感を感じながらも就職します。

はっきりいって、就職は起業をするという人にとっては悪いルートだったなと今では思います。

就職が起業したい人にとって悪いルートの理由

就職するということは、どこかの企業に属することになります。そして、そこでは、雇用契約書に縛られた働きかたを求められるのです。当たり前だよね!?と思うかもしれませんが、ここに大きな罠が待っています。

会社に属して、働き手に入れたものは、会社の資産であり、それを使って営業活動をすることは、契約違反とされる可能性があるのです。実際に、契約違反で訴えられることは、多くはないですが、例えば、会社員時代に手に入れた営業先は、あなたがすべて開拓したとしても、あなたの会社が手に入れたものとなってしまい、あなたのものではないのです。特許なども同じです。

起業をしたい人にとっては、あまりにもひどすぎる、雇用契約が日本にはあります。

また、就職すると安定的に仕事が得られることから、浪費をしがちになります。結婚をすることにもなります。すると、会社を起すよりも先に、定期的な収入を必要とする理由、結婚、育児がのしかかってきます。

そのため、起業というチャレンジの期間を確保することが非常に難しくなってくるのです。

起業をしたいのであれば、やはり学生のうちに、この現実を自覚し、準備し、活動する必要があります。

ブラック企業で働いていたことを強く自覚した

就職し、当たり前の、普通な日本の暮らしをしていた、私に、再度、起業の道を模索させていたものは何だったか。それは、とてもシンプルな理由です。労働時間が異常であることです。

私は、システムのコンサルティングという仕事をしていました、そこに問題はありません。しかしながら、会社が大きな失敗をしたときに、火消しとなって、助けるという事態がありました。いや、ここまでなら、まだ、当たり前だとも思えます。問題はそこからさきです。

土曜日が出社日に変わり、8時から22時までが労働時間になり、さらに残業をするだけでなく、朝5時まで働いて、翌日朝9時に出社しなくてはいけないような、状況に、参加させられたのです。

その理由は、会社のとあるチームの失敗ですが、私は、その渦中にまきこまれました。私がその前に所属していたチームでリーダーをしていた私は、かなり頑張り、スケジュール遅延もなく、大きなトラブルもなく、結果を出せていたわけですが、会社の巨大な失敗で、すべては評価もされることなく、過酷な労働を強いられました。

2011年から2013年までの出来事です。酷い惨劇でした。しかし、その会社は、今では、ホワイトアピールしてます。

脱出できない絶望的な壁があった

ブラック企業で働いていることを自覚し、転職を考えたことがありました。そして、行動しました。

しかし、そこで気づいたのは、ブラック企業は、ここだけではなく、日本社会すべてがブラックな、ブラック社会であるということでした。

転職したとしても、また一から、会社を登って行かなければならない。

起業を目指したいのに、また拘束され、身動きが取れない状態になるだけ。私は、酷く絶望的な現実に、うつ状態に入りました。

そして、この頃から、止まらない偏頭痛に悩むことになります。2012年から2018年までの絶望期間でした。

転機は、母の死と共に

天気が訪れたのは、母の死でした。病気により、母は2018年にこの世を去りました。私は、この1年に会社を辞め、自宅で起業を試みる時期を過ごしていました。

元気で、強かった母親。私にとって、ものすごいサポート力の存在であったことを痛感します。子供を見せることができたことは、唯一の親孝行でした。

ところが、この起業ですが、思うようには進みません。

うつ病で、元気でなかった私です、何かがうまくいくための条件が外れています。当然のように、会社ができるような状況には至りませんでした。

そして、再び就職をすることになります。

続く

コメントを残す