人生に無駄はない「うつ病だった時間も貴重な時間だと思う」

私は10年というとても長い間うつ病でした。その間には、もちろん死ぬことを考えたし、ベッドで横たわってるだけの時間、苦しみながら働いた時間、希望もなくただ毎日を過ごしただけの時間を過ごしました。でも、考えることは止めていなかった、むしろ止めることはできなかった。だから、そこには価値があったと今は思います。

目次

  • うつ病のとき、私が考えていたことはこんなことでした
  • 自分を否定し、人生を否定し、死を求める
  • うつ病は自分を見つめ直し、未来に向かうための時間です
  • 人生に無駄はない「うつ病」も同じ

うつ病のとき、私が考えていたことはこんなことでした

10年もうつ病をやっていると、ほんとうにたくさんのことを考えたし、最後は絶望のまま、死にたいという思いでいっぱいでした。自分らしさなどなく、完全に何もできなくなっている自分がいました。

仕事の中で自分が燃え尽き、逃げた瞬間のこと

私は人間関係が最悪の職場で、毎日PM23時くらいまで働いていて、土曜日も働いていました。さらに自分の出世のため、私に対して嫌がらせのようなことをしてくる人がいました。

私はそれを憎んでいましたし、そこから抜け出したいと思ってました。そして、自分だけしかできない仕事は完了させ、最後には、そこから逃げました

今では逃げたというよりは、付き合うべきではない人間から避けたのであり、正しかった行動であると考えれるようになりましたが、当時の私はそうではなく、逃げたことを悪いことととらえ

なぜ逃げたのか?逃げるなんて悪いやつ。そこはしがみつくところではないか?

そういった自分を攻めることをやっていました。振り返ってみると、嫌がらせを受けていたのも当然で、私は、その時、仕事を上司から評価され、昇進に向かって邁進していたのです。だからこそ、敵というものが現れていたわけです。

しかし、私は敵と戦って働くというスタイルには向かない人です。でも、その当時は、逃げた自分を呪い、人生は終わった。昇進はなくなった。家族の幸せもなくなったと、自分を攻めていました。

自分のおかしな性格のこと

仕事から逃げたのは、私の中でも限界がありました。何十人もの人を管理しなければいけない立場にあり、私のキャパを超えていたし、そもそも何十人もの人を直接管理する人なんて、普通はいないのにそれをやらされていました。

けれど、逃げた。自分の性格に問題があることを攻めていました。あまり人ともしゃべりたくなくなっていました。独りの時間が欲しい、独りの時間が欲しいと、思っていました。

逆になんで、そうなのだろうか?悩んでいました。

自分を否定し、人生を否定し、死を求める

仕事を投げ出したこと、自分が他の人と比べて普通ではない独りになりたい性格のこと、この2つのことを否定していました。

この2つができないことから、私は、私には社会性が無いという欠陥を自分に対して思い描き始めました。

そして、これは致命的なことだと考えていました。

私はこの世界で働けないし、生きていく資格がない。自信もない、この性格に生まれてしまったのだから、どうがんばったって豊かになれないし、意味がない、価値がない。

気づけば会社を休んで、公園に行き、ぼーっとすることが始まっていました。

うつ病は自分を見つめ直し、未来に向かうための時間です

死にたいほどのうつ病からどうやって抜け出したのかは、他の記事を読んでいただくとして、そんなどん底の思考の毎日から抜け出した今となっては、あの頃の自分は、私にとって必要だったと思えるようになりました。

まずは、自分というものが、とんでもなく努力ができる人間だということを理解できました。

毎日23時まで働き、土曜日まで働いて、劣悪な職場でも、働けたのです。

また、自分の性格がよくわかりました。今でこそ、内向型で、HSPであることを受け止め、理解できていますが、それに気づけたのは、うつ病の時間があったからです。

もう一つは長い期間患った病気を治すことができたことです。これは、うつ病とは直接関係ありませんが、私は副鼻腔炎に中学生のころから悩まされていましたが、最後は大学病院にまでいく時間を作ることができ、ほぼ鼻炎には悩まされない体になりました。

10年というのはとてつもなく長い時間です。ネガティブな思考が毎日ループしていたら、どう考えたって、死を意識しますよね。私は実際にそれを経験しました。

人生に無駄はない「うつ病」も同じ

健康で自分の目標があり、没頭できる仕事や趣味があれば、うつ病にはならないと思います。

しかし、時には、私の様に、その没頭を失い、うつ病になってしまい、働けない状態になってしまう方はいらっしゃると思います。

今となってみると、私は、その時間が無駄ではなかったと心から思えています。

もちろん、その渦中の状態は、いつ抜けるかもわからないうつと戦い、明日死んでもいい、というか自殺した方が楽なのではないか?という心境にまでなりました。

そのくらい必死に生きていこうと思っていたとも言えます。

しかし、逆に考えると、そのくらい必死に考え、努力し、うつ病と戦っていました。逃げ出さず戦わざるを得ない鬱、自分の鬱と戦いました。

乗り越えた今となっては、悪い時間ではなかったのかもしれないという思いが、少しづつ芽生えてきています。

うつ病を10年もやったことで、家族との絆が深くなりました。また、親戚やその他、多くの方が抱えている苦しみや、辛さ、大変さを感じ取れるようになりました。たくさんの性格があって、実はそれは個性であり、活用する方法があることを知りました。

私は10年もうつ病をやったことで、悔しい思いもありますが、その一方でお金には代えられない安らぎ、自分というものを知る時間を得ることができたと今は考えています。

本当の自分というものを知ることができた、10年でした。

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