大学卒業を就職し得た仕事や数年キャリアを積んだ仕事が、自分にマッチしなくても、同じ仕事で働き続けないといけないようなシステムがまだ日本社会には残っていると私は感じています。
転職するにも他業種へというのは移りづらく、転職のコンサルタントも給与が下がる就職は、利益が少ないためおすすめはしてきません。そのような現状から仕事を変えることは容易ではない現状があります。
しかし、自分に合わない仕事を長く続けても、よくはありません。実際に私が16年間で苦しんだことと同じ経験を味わってしまう方が出てくると思います。
このページでは、仕事を変える勇気を持っていただきたく、別の仕事への私のシフトの道のりを書いています。
目次
- 自分に合わない仕事は存在する
- マッチしない仕事を続け私に起きたこと
- お金は心を助けてはくれない
- うつ病を悪化させたこと
- 自分に合う仕事に向かい始め、自分の気持ちを確認する
- 自分に合う仕事に完全にシフトする
- うつ病になった方にお伝えしたいこと
自分に合わない仕事は存在する
自分に合わない仕事というのは、存在すると私は考えています。
それは集団生活が苦手な内向型の人が、集団で仕事をしたり、会話の中で仕事を進める外向型の人が一人で集中して仕事をすることに不慣れなように、性格に合わない仕事というのがあることが、わかってきているからです。
私は、次の内向型の書籍を読んだことで、その理解が深まりました。
私が、なぜ、集団を避けるのか、嫌なのか。そして、脳の使い方が根本的に違うことを理解することができました。
すべての悩みの原因が見えてきました。
マッチしない仕事を続け私に起きたこと
当時私がやっていた仕事は、自分で何かを生み出す仕事ではなく、お客さんの悩みを聞き(他社の思考)、その対策を考え(自分の思考を他者に合わせる)、お客さんに決断をいただく(他社の思考)というコンサルティングという仕事でした。
私は、数人の関係者との仕事の場合は、しっかりこなすことができるのに、数百人規模となり、毎日のように認識のない人と会話をする状況では、あまり成果を上げることができませんでした。
しかし、会社は利益を優先するため、小さな仕事よりも大きな仕事ばかりを優先するようになり、参加するのは大きな仕事ばかりになりました。
大規模な職場になると、昨日までまったく知らなかった方に、話を聞きに行ったりすることがあるのですが、どの座席に座っているかもわかりません。
その方に会うため、座席表を自ら探してもその座席表が最新化されていないこともあり、知らない職場の方たちに声をかけ、ようやく会いに行くのですが、「忙しい、後にしてくれ」と言われることも多く、時間が過ぎだけが過ぎていくことが何度もありました。
まったく自分でコントロールできない仕事に、私は強いストレスを覚えました。そうやって、それでも頑張って一つ一つお客様のために動いているのですが、内向型の私にとっては、知らない人に声をかけることも疲れに繫がり、後回しになることも疲れに繫がります。
そうやって、大規模な仕事を続けていくうちに、うまくいかないことが徐々に出始め、ポジティブな思考ができなくなっていきました。ただでさえ、反省をしていることが多い内向型ですから、ストレスの多い職場では、どん底まで疲弊してしまうのでした。
お金は心を助けてはくれない
大規模なプロジェクトは、会社の利益につながると書きましたが、それはその通りで、ストレスフルな職場ですが、給料だけは増えていきました。
ストレスを解消しようと、好きな釣りの道具やアウトドアグッズなど、欲しいものを買ってストレス発散をすることが増えていきました。
始めのうちは、それでストレスを解消することができていたのですが、徐々にその方法では、ストレスを解消できなくなります。
お客様の時間を最大限に有効に使ってもらうため、私は24時間と言いませんが14時間近く仕事拘束されますし、必ず期限は守らなければいけない仕事のために、無駄に時間を使って待つこともできません。
仕事中はもちろんのこと、自宅へ帰った後も、週末も仕事のことを忘れることはまったくできなくなっていきました。
この状態になってしまうと、仕事が単なるお金を稼ぐだけの仕組みになってしまい、自分が何のために生きているのかわからなくなってきます。
いくらお金がもらえたとしても、普通の幸せを感じれなくなったのです。
そして、書くまでもないですが、この時から、8年間のうつ病生活に入っていったのです。
うつ病を悪化させたこと
私が完全なうつ病になったきっかけは、ある仕事から降りた時です。
全力で取り組んでいた仕事のゴールがある程度見え、私がいなくても問題がないことが見えてきた時に、ストレスの限界を感じ、休ませてもらえないか上司に提案をしました。
ところが、これが逆によくなかったのです。
私が抜けたその仕事は、プロジェクト上で進捗もよく、品質もよかったのですが、引き継いだ先の人の手柄となっていってしまったのです。
精神も体もボロボロになって頑張ったのに、うつ病を発症したタイミングで、手柄を横取りされた気持ちが、一旦逃げたるしかなかった自分を非難し続け始めたのです。
私は、闇の中を歩き続けました。今だから8年という時間を数えることができますが、その渦中では、何も正常に考えることができませんでした。8年経った今では、その期間のことは、人生の中ですっかりと抜け落ちた期間となっているくらい、正しい記憶がないのです。
何をやったか具体的に思い出せないのです。
自分に合う仕事に向かい始め、自分の気持ちを確認する
私が、うつ病から立ち直るきっかけとなったのは、自分に合う仕事を思い出した時からでした。
このページの最初に書いておりますが、少人数の仕事の時に仕事の成果が上がるのです。また、可能な限り一人でやれるような仕事で、気持ちよく仕事が進み、結果も得られる経験を既にしていたのです。
私は、うつ病になって4年目くらいで、今記事を書いているように、文章を書くことを始めました。コンサルティングという仕事もたくさんのドキュメントを作成し、クライアントに提案をするのですが、その内容は、他人から得た情報です。
自ら湧き上がってくるものを文章にして書くということを始めたのです。
同じ文章を書く仕事をしていても、全く印象が異なることがわかってきました。
当時、会社でも文章を書き、自宅でも文章を書くということをやっていたわけですが、家での文章を書くことがが楽しくなっていました。そもそも、好きだったWEBを作ることに、純粋な楽しみを思い出したのでした。
もちろん、昼間の仕事と、自宅の仕事とでは、得られる給与の差はものすごく違いました。けれど、自宅で行うその仕事に大きな喜びと、心の幸せを感じ始めたのです。
自分に合う仕事に完全にシフトする
私の変化はそこから始まりました。合計8年あったうつ病生活の4年目で、ようやく自分がやるべき仕事が見えてから、実際に自分に合う仕事に完全にシフトするまで、5年かかってしまいましたが、5年をかけて、シフトを行いました。
やったことを書いてみます
- 仕事の準備期間の確保ができる貯金
- 夫婦での共働き
- 子供の成長を見守る
仕事の準備期間の確保ができる貯金
これは転職する人にも当てはまるかもしれませんが、暮らしが成り立たないようでは、仕事を継続することもできません。そのため、やはり貯金は必要です。
夫婦での共働き
既に私がうつ病であることを家族に打ち明けていました。そこで、離婚をすることになったとしてもそのときは、その時だと思い、話をしたのです。
しかし、結果的には、共働きの道が生まれました。
それまでは、私一人で家計を支えてきたのですが、すでに心が限界であることを、家族もわかっていたのです。
子供の成長を見守る
うつ病の中で、うつ病でないようにふるまうのは大変でしたが、悪影響は与えないように一応注意を払いながら、子供が一人で自宅で過ごせるようになるまで待ちました。
そうやって、5年という時間をかけて、私は、自分に合う仕事にシフトしていきました。
うつ病になった方にお伝えしたいこと
私が、うつ病になってから、それを改善し、自分に合った仕事にシフトするまでにかかった期間は約9年です。
同じことが誰にでも起きるとは思いませんし、うつ病になる原因は人それぞれだと思います。
うつ病になったとしても、状態がいい時もあれば、悪い時もあります。
しかし、いい状態のときに、できる範囲で、少しづつ考え、行動を起こし、地面を這うように進んでいけば、必ず前に進めると私は考えていますし、その結果が少しづつ出てきました。
本当につらいうつ病ですが、それでも、ちょっとやってみるだけで、進むこともあります。
やれるときに、やってみましょう。