YouTubeに昨年3月に演奏したコンサートの千本桜の動画をアップしました。
改めて何度も聞いてみると、荒削りで、指の動きの悪いところはありますが、演奏の全体感はよくなってきたと思います。ミスタッチはごめんなさい。
YouTubeで多数演奏されている千本桜のピアノ演奏とは異なり、市販されている下記の楽譜のものを基本に、指導されているピアノの先生と若干のアレンジを加えたものになっています。
小学4年生のときに、うちの息子は、「サウンドクリエーターになりたい」と言いだしたんですが、それって何?作曲家?と思ったわけです。
ですが、どうやら、ゲーム音楽、アニメ音楽方面の作曲家志望ってことらしいです。
ということで、本当の現場の話しって言うのを知ってから、本当にそんなのを目指すのか考えてもらいたく、「ゲーム音楽の作り方」という本を買ってあげました。
確かに、クラシック音楽や、ピアニスト需要なんていうのは、頭打ちで、正直、食べていけるのなんて、超頑張って、それでもやっとでしょ言う世界なわけです。
一方で、ゲーム音楽なら、まぁ、今のようなスマホゲームバブル状況だと、引っ張りだこでしょうから、それなりに、食っていけそうではあります。
が、それでも、何でもやる奴隷である普通のサラリーマンに比べたら、需要はないわけで、未来も必ずあるわけではなく、狭き門なのはあたりまえでしょう。
頭いいなら、無難に医者。というのは、やはり、私もそう思いますが、医療器具がめちゃくちゃ高くなってしまった昨今、親が医者じゃないと正直開業なんてできないんじゃないかという時代で、医学+経営+金融がわかってなきゃ、頭がよくたってダメな時代ってのは、認識しておいた方がいいかと思います。
まぁ、「目の前のやれることを、やれるだけやる」のが人生の基本だと考える私から見たら、やれるならやってちょうだいと、この間の休日、私は息子に即興でお題を出していました。
・兄弟喧嘩をしているときの音楽
・夜空をながめ、星を見ているときの音楽
・戦闘シーン
などなど
マネだって大事と言う話をしていましたが、自分なりの表現はできていて、まぁまんざら成りたいって言うだけのことはあると思いました。(ハイ!親ばかです)
まぁ、子供のいうことですから、どこで、どう成りたいものが変わるかもしれませんから、本当にそう思うなら、目指せばっていうのが、私の見解です。
人生は、目の前のやれることを精一杯やるだけで、それが一番なのですからね
皆様いかがお過ごしでしょうか
ピアノはやはりいいものですね。最近私は息子の練習の曲ですら癒されるという親ばかの状態になってます。
さて、今回の話は、息子の成長にまた驚いた話です。
自慢話かもしれないので、閲覧注意です・・・(苦笑
最新のピアノの独習本を読むと今や、ピアノのタッチに関してハイフィンガーはありえない状況でして、脱力する重量奏法が、メジャーです。
http://www.muratapiano.com/technique/weght-playing1.html
お箸でご飯を食べる日本じゃない、フォークとナイフのヨーロッパで生まれたピアノですから、結局日本的な姿勢の弾き方はNGなわけですね。(もしかしたらアジア的な洗練された弾き方が生まれるかもしれないけど、そういうアジア的な曲をつくらないとでしょうね)
ということですが、おそらくもうちょっと前の時代は、ハイフィンガーも普通で、子供の頃から熱心にピアノを習ってきた人程、もしかしたら、そんなクセがついているのかもしれないと、最近思うようになってきました。
私の息子は、音色にはうるさいところがあって、もうちょっと強く弾いたらとアドバイスすると、音が悪くなるからやななだよねと、言われる始末。
あー、素人の話は聞いてくれないのかい
となるわけですが、先日YouTubeでとある方の演奏を聴いていたときのことです。息子が、
この人全然タッチがよくない、脱力できてない
なんて、言っていたんですね。
どの口が言うんだか、生意気ですね・・・
私は脱力の話を最近していなかったわけですが、この話を聞いて、普通に息子は脱力が身についてんだなって、思った瞬間だったのですね。
そもそも脱力に関しては、私は後から意識していたわけで、以前から、ピアノの先生は脱力を意識した弾き方を指導していたということです。
では、実際に、脱力できている人と、そうでない人で違いがあるのかというのを、私のような素人の意見で書くと、
はい、良く違いがわかります
言えちゃうんです。本当に脱力すると音がよくなります。
昔のプロのピアニストの映像を見ていると、プロと言っても、みーんなタッチは違っていて、まぁ、正直見ていて指の動きはキレイではないんですが、無駄の力の入らない、重力によるタッチというのは、やはり音がいいんです。
ピアノは鍵盤を指で押すのではなく、鍵盤を通して重力でハンマーを跳ね上げるという時に、一番良い音がするんじゃないかと思うんですね。
まぁ、そりゃ澄んだ音を出すって言うのは、そういうことですね。
今日は、息子の成長の一場面を書いてみました。皆様のお子さんのピアノレッスンにおいて、参考になればと思い、今日は書いてみました。
おはようございます。
夜かけなかったので、朝の投稿です。さて、記事にしたいピアノの生演奏動画も貯まってきているので、掲載したいところですが、そこまでの時間はないので、息子の話です。
最初に書いておきますが、親ばか話なので、付き合う必要はありません(笑
子供のころの通知表には先生からのコメント欄があります。
あったんですね、わたしも息子のを見て思い出しました。
そこにあったのは、一応学校での様子ではありますが、担任の先生が息子のピアノ伴奏に感動したという話
おぃおぃ・・・うれしいけど!? え? >_<;
何かができなかったのが、できるようになって、成長が見られるとか、こういったところは課題かなとか、そういうのが書かれるのが、普通な気がするんだけど、
先生感動した
は・・・びっくりですね。いや、そうじゃないけど、そう言っているコメントが詰まってました。
もちろん私達(=両親)は「親ばか」なので、そう思ってますが、担任の先生から褒められるのは、またちがった感情になります。
先生のところにも娘さんがいて、ピアノを習っているんだけど、ぜんぜんって話を奥さんにはしたことがあったようですが・・・
次学年でも期待してます
ってば、そうなんだけど、ピアノの道の厳しさ、収入の少なさを知っていると、簡単な話ではないんですけどね。ピアノを頑張るっていうのはね・・・
ただ、そこには、
清く美しい音のメロディーは確実にあります
私は典型的な日本のエコノミックアニマルにはなれないので、経済優先ではなく、息子のピアノに反対ではなく、むしろ、微笑ましく思っていますが、
お金優先なら、さっさとピアノは辞めて、お金になる勉強をしろとなる年頃になってきています。
まぁ、少し心配はしていますが、小学生のうちは全力で!!と私も思っているので、ピアノ大嫌いにならないなら、頑張って欲しいと私ももちろん思うところであります。
親以外に評価される息子って、すばらしいなと思います。
身近な人に、感動を与えるってのは、普通にすごいなと思います。
何よりもすごいと思います。
そして、私は親ばかです(笑
ピアノの音がキレイということは、どういうことなのか?という話は、今回が始めてではないので、続とタイトルに書きました。
皆さん、お元気ですか?私は、今ちょっと憂鬱です(笑)
ですが、そんなことは忘れて、ピアノの話に没頭したいと思います。
うちの息子は、
「ピアノの音色がキレイだよね」
と言われてきました。少し昔の話ですが、ものすごく指がまわる娘さんを抱えているお母さんからも、そういわれてきました。
その時の私は、
うちの息子はあまりピアノが上手じゃないから、キレイって言われている
と感じたものでした。本当にピアノが上手な娘さんですからね。まぁ、それくらいしか褒めるとこないんだろうなぁって思ったわけですね。
なんで、こんな話題を今日書いているのかといいますと、先日のコンサートで演奏した「千本桜」においても、楽屋裏で他の先生達に息子の出す音がキレイと言われていたことを、担当の先生に言われたからです。
さて、この「音色がキレイ」というテーマで、私はいろいろと分析というか、客観的に考えてきたので、その答えを今は持っています。
私は、息子のピアノを聴いていて、他の子供達に比べて音が小さいなと感じていました。特に、コンクールや、発表会では、顕著にそれを感じていました。
そこで、自宅での練習の際に、
「もっと強く弾けないの?」
と聴いてみたわけですね。息子に。そして、強く弾いてみて、息子は、不満を持っていたんですね。
そして、その時です。息子は、
音が汚いからやなんだよ
って言ったわけです。つまりです、音色を気にして普段から弾いている事実がこの瞬間に発覚したわけです。
息子は誰からか教わって、こうなったわけではなく、潜在的にそうなっていたわけですが、その理由も私はわかります。
息子は、少し神経質なんです。まぁ、よく言うと繊細。
何かひとつのことをいわれただけで、大げさに捉えたり、怖い幽霊の話などを聞いただけで、夜寝る際、怖くて電器を消せなくなってしまう。
そんなわけですね。悪く言えば、息子は臆病というわけです。
そういった性質があるから、ピアノの音にも敏感で、音のコントロールをしていたということです。
でも、よくよく考えてみると、この何かがキレイという感覚は、そもそもピアノの演奏だけではないんですね。
たとえば、毎日の挨拶もそうです。
とても元気に「おはようございます!!」というお子さんもいれば、少し恥ずかしそうに「おはようございます」という子供、照れくさそうに「おはよう」、
言いたくないけど、「おはようございます」。言えなくて、無言な子供もいます。
いろんな子供達がいます。
そんな何気ない挨拶からでも、私達は、いろんなことを感じますよね?
ピアノの音色もそれと同じことが言えると私は思うのですね。
とてもやさしい挨拶、とてもよい演奏、音色というのは、そのような繊細な部分が現れるというわけですね。
元気がいい子供は、元気なピアノの演奏をしそうですし、ピアノの演奏を聴くだけで、最近の私は、どことなく性格が見えるような気がします。多分、気のせいだと思いますが。
結論から言えば、「音がキレイ」と言われるのは、本当に、打楽器と言う性質もあるピアノにおいて、雑音を出すことも可能であるが、心地よい音を、絵檀で実際に出して演奏しているということです。
スタインウェイは、どんな音色も出せるから、すごいんだという意見をされているピアノのWEBサイトがありましたが、まさにそれで、同じピアノでも、演奏者が違うだけで、まったく印象が違うというのを、先日のコンサートでも私は目の当たりにしました。
ピアノの演奏においては、音色がキレイよりも、元気なピアノが好きな人もいるだろうし、音よりもリズムだったり、そもそもの楽曲の好みもあるものでから、ピアノの音色がキレイだからすばらしいということではなく、
音がキレイもピアノにおける一つの表現だということなんだ
と私は思います。キレイ=すごいというわけでも、もちろんないわけですね!
ということで、今回は私の感じている「ピアノの音がキレイ」の意味について、ブログの記事にしてみました。いかがでしたでしょうか。
おそらく人それぞれ、評価についていろんな感じ方があるし、実際にピアノの演奏がうまくないからきれいと言っているときもあると思いますが、何度も言われていたので、私は上の結論に至っているという状況です。
参考までに、読んでいただければ幸いです。それでは、今回はこの辺で。
このブログを読んでいただいているみなさま、いつもありがとうございます。
更新ができない日が続いていまして、すみません。久々に、記事を書かせていただきます。
昨日は、息子の入賞者コンサートということで、ちょっとした音楽コンサートに行ってきました。
いつもお世話になっている先生方の「本格的」な演奏もあり、有料ではあったのですが、正直最後には、納得のコンサートとなりました。
さて、親ばかながら、息子はどうだったかということを書きます。
今回は、競うコンペティション、コンクールではなく、コンサートでしたので、子供も意識的にリラックスして本番を迎えていました。
曲も、ピアノ練習の合間に、耳コピで弾いていた「千本桜」のきちんとした楽譜の、上級者バージョン。
練習機期間は、1ヶ月半くらいしかなかったのですが、今年1年間の成果であった、「トリルの克服」、「強弱の意識」、「間の取り方」の3つの成長が確実に見られた、演奏となっていました。
初めて聴いた人であれば、「ノーミス」だと感じる演奏に、仕上がっていたと思います。
いやぁ、息子ながら、良く頑張ったの演奏だったと思います。
息子が帰ってきた時「あの子だよ」というような話し声がちょっと聞こえていたので、ちょっとは他の親御さんの心にも響いていたのかもとも思います。
息子だけの演奏を収録する、5分、5000円弱もするようなブルーレイディスクの購入も最初はやめようとしていたのですが、演奏が良かったので帰りに申し込む次第でした・・・(馬鹿親です)
コンサート自体は、
年上の生徒の皆さんの演奏にもすばらしいものを感じたり、年下の生徒さんの弾く簡単な曲の演奏でも、この子はそもそものピアノのセンスを持っているなと感じさせるものなど、選ばれた子達というのは、やはりいるなと改めて感じたコンサートでもありました。
先生の演奏は、
私は普段、プロの音楽家、音大生の音楽を生で聴くことはないのですが、先生の中でも、やる気のある先生の演奏でしたから、先生のピアノ発表には、本当に驚きました。
当たり前に、上手いわけですね。YouTubeで探す、上手な人以上の演奏であったと感じました。
私の息子の担当の先生は、声楽科出身ということで、歌を歌っていらっしゃいましたが、聴いたことのない、プロの発声に正直、息子も私達もびっくりしてましたね。
コンサートが終って、先生から息子に向け
「自分の出番以上に、息子の演奏の前に、どきどきしていた」とメールをいただきました。他の生徒さんがいる前では、なかなか出せない、息子への熱心な気持ちをいただいて、親としては凄く感謝するメールであったと感じました。
「息子のこれからの成長が楽しみです」と、先生からのメールにもありましたが、私も親ですから当然楽しみです。
来月から新しい学年に上がりますが、小学生のうちはいけるところまで頑張るという気持ちは、私も息子も同じなので、頑張っている活動の中で、とてもいい演奏会の一つになったと思います。
本日は短いながらこの辺で、ブログは終わりです、忙しくて更新はできていませんでしたが、ブログのネタは貯まっている状態(笑)なので、時間の取れるときに、また更新しますので、よろしければ今後ともよろしくお願いいたします。
ピアノの演奏を芸術にするってどういうこと?
まぁ、そんなこと当たり前だって、ピアニストの人は思うと思いますが、素人のブログなのでお許しください。
楽譜どおりに弾く。
クラシックの方々はそれが正しいと思われるだろうし、私もそう思います。
そしてクラシックの楽曲は、楽譜に休符も強弱記号も完備され、たくさんのピアニストが演奏していることもあり、名曲は、洗練されつくされています。
そうなんですね。
名曲は、楽譜がすでにすごく磨かれているんです。
ところが、私の息子が、コンサートで弾く「千本桜」は、生まれて間もないし、ピアノ曲として生まれたわけでもないので、まだまだなわけです。
そんな楽曲の練習をして息子は、飽きたということばを使いました。
確かに、楽譜にある音符は全部弾けているわけですね。
そして、少しだけある強弱記号もきちんと制御しているのです。
ですが、その演奏を聴いてもまったく「感動」しないんです。
そう、私は感動しないと息子に言いました。
私はピアノを弾けません。そんな私が、息子に、「感動しない」とか言うわけです。
当然、子供も、納得がいかないし、意味がわからないはずです。
「だったら弾いてお手本みせてよ」
と息子が言うのもうなずけます。
なぜ、そうなのか?
その理由は、休符や強弱が洗練されていないからだって、気づきます。
だんだん強く、だんだん弱く、歌うように、ここはトリル。ペダル。そして、変調。
そうやって複雑に制御をしてい演奏するのが、クラシックのピアノ曲です。
いっぽうで生まれたばかりの楽曲は、メロディはあるけれども、アレンジはまだまだ、雑だったりします。
だからこそ、自由に色をつけられるとも思うわけです。
だからこそ、ピアニストに演奏だけではなく、感性や思いを、入れ込めるんだと思います。
ネットでYouTubeで有名になる「ピアノの弾きて」は、こういった自分の個性を出せるピアニストなんだと思います。
普通に聞いていて感動がある演奏家には、すばらしい休符、強弱の調整能力があるんだと思うんですね。
息子にはそれがわかったのかは定かではありませんが、次のコンサートまでには、「もう弾けるから飽きた」とか言うのではなく、感動レベルの演奏ができるように、努力をしてもらいたいものです。
小学校4年生の息子がピアノの伴奏をしていることはこのブログで、すでにお伝えしています。
息子は、明日(すでに今日だけど)、学校で小学校6年生に向け、この「10さいのありがとう」の替え歌でお別れのメッセージをするそうで、当然の如く、小学校で伴奏をするそうである。
自宅で何度も練習してきたので、私も歌詞をすっかり覚えてしまっている。
私は、この曲「10さいのありがとう」を口ずさんでいて、ふと、歌詞の中に「お父さん、お母さん」の文字が無いことに気づいた。
そのことに気づいたのは理由がある。
私の周りには親がいない子供が実際に増えているからだ。
我が家は、奇跡的に、奥さんもいるし、兄弟もいて、離れて暮らしているが、おじいちゃん、おばあちゃんもいる。当たり前のように。
しかし、今の世では、それが当たり前じゃない。
いまや、普通でもない。
私の奥さんの弟は、離婚を決断して、新しい奥さんとまもなく再婚はすると言うし。
私の息子を気があるお嬢さんの親は、離婚し、お父さんがいなくなり、お母さんも自分を責めるあまり、鬱病となり最近自殺をし、来年は引越しをして出て行く。
表面には幸せそうな笑顔をしている子供達は、いろいろ背負って生かされている。
私が「かわいい」お嬢さんだなぁって思っている、息子の同級生も、二人目の継母にいじめられて、最近別居をしているという話を聞いた。
こんな社会になったのは誰のせい?というのは、思ってしまうけど、それは自由の代償だと私は思って諦めている。
戦後、核家族化を推奨し、ビジネス中心、お金中心の世界にして、過去の日本にあった強固な社会をコミュニティを壊したのは事実だ。
お見合いがコンパになって、自由恋愛が片親が増えた、そんなのは自由の代償だろう。
東京の下町の「情緒」なんて言葉が、なくなるのも遠くないというか、すでにないのかもしれないくらい。
そんな状況にあってなのか、この歌詞の中では、直接誰かに感謝をしている対象が見えない。
いつでも家族と友だちが 近くにいるから大丈夫
といった表現も出てくるけれど、家族というのは広い意味だし、友だちだって、不安定なものだ。
そんなこんなで、この「10さいのありがとう」では、明確な表現を避けているのかもしれない。
親が育児を放棄して、施設で育ったあなたはもしかしたら、家族はそんな施設の人かもしれないし、友人が最近いっしょに暮らす動物かもしれない。
そんな状況下で、「どうやったら夢を見れるの?誰に感謝しろって言うの?」
そう思う子供もきっといることだろう。
ほんとうにいるんだと思う。
そんな子供達には、私は言いたいと思うことは、
地球や太陽に、宇宙に、
この世界を体験させてもらっている神様に
すべてに、
そして、自分自身にも感謝すればいいんだよ
ということだ。今では、私も本当にそう思う。まずは、自分に感謝する。していい。
今日まで頑張って生きてきたその自分に感謝していい。
今夢がない、未来が描けないと思う子供達も、きっといるだろうけれど、未来なんて大きなことではなくて、1週間後、明日、今日これからを、ほんのちょっとでも、自分のやりたいことができるように変えていく。
そんなことだけでいいんだと思う。ほんのちょっとでいい。
「ありがとう」って、まずは、自分自身にいっていいし、20歳まで、これからの10年を頑張って生きていくのも、自分なんだから、その決意として、ありがとうと言っていい。
この「10さいのありがとうは」自分に感謝する、歌なんだと思う。
音楽って、本当にいいものだと思います。
つらいことも、自分で、つらいものじゃないように、脳内変換は可能なことを、私は最近、実感しています。
そんなつらい状況に貴方がもしあっているなら、自分の心と向き合って、心を楽な方にかえたいなら、私は、仏教をおすすめしますね。
もちろん、お金のかかる日本の仏教ではなく、ブッダが説いた、本当の仏教のほうです。
仏教の本当の教えはすばらしいものであり、人生がうまく行かない時の助けと必ず助けとなります。
昨日、子供のために「ブッダがせんせい」という本を買いました。
大人が読んでも、考えさせられる当たり前の話が詰まっています。
また、政治やマスコミの世界が、なぜに苦しみの中にあるのか、よくわかります。
さて、今回仏教をブログに持ち込んできたのか。
それはどんなことも苦だからですね。
ピアノを弾くことも、かならずや苦だからです。
息子の初めてのコンサートのパンフレットが刷り上りました。自費を払ってのアマチュアコンサートですから、それほどハードルが高いものではありませんが、そのための練習を1月から息子は続けています。
選んだ曲は、前からこのブログでも書いている通り、千本桜の上級バージョン。
好きな曲というのは、好きなので自然と何度も聴いてきました。
そして何度もピアノの練習してきました。
そして、ついには飽きがきてしまったのです。
どんなに大好きなものであっても、いつかは苦になる。
天職だと思った仕事もいつしか嫌なことが目に付く苦になりえるのです。
それは当たり前なんですね。
でも、そんな好き嫌いといった感情を超えて、今を大切にと、本当の仏教は教えてくれます。
今日出来ることを大切に。
今日のできるところまでを頑張れば、どんな結果であれすばらしい。
そんな当たり前のことを、私達は忘れてしまっています。
このままじゃ満足な演奏ができないとあせる必要も無ければ、緊張で当日うまく弾けなかったらどうしようと、未来のことを考えることに、意味がないと、仏教は教えてくれます。
今を、生きる。
今が、なければ未来もない。
今を、大事にする。
そんな当たり前のこと、皆さんはできていますか?
老後の心配よりも、目の前のことをしっかりやるべきなんですよね。
今誰かが苦しんでいたら助けてあげる。
将来の自分の苦を無くすために、今を苦だらけれにして、何になるのでしょうか、と言ってくれています。
最近息子がピアノの練習曲に飽きていたので、今回はそれを記録するブログでした。
今日のタイトルは、先生の今日の帰り際のコメント!!である。
今日息子はピアノのレッスンがあったので、先生の指導を受けてきた。
4月はじめのコンサートまで、あと1ヶ月くらいなのだけど、先生に渡していた「千本桜」の譜面についてどの難易度で、どんな風に弾くかを今日決めたらしい。
具体的には、上級の譜面で、指が届かず厳しいところは先生がアレンジしてくれた、譜面になったそうである。
話を聞く限り、普通、入賞者コンサートは、コンクールで弾いた曲をやるのが定番らしいのだけれども、息子と奥さんの意思もあって、普段は弾かないクラシックではない、「千本桜」となった。
まぁ、そんな定番ではない曲の為に、先生は慣れない「千本桜」をアレンジして息子に渡してくれたということで、かなり先生のやる気を感じてしまった。
息子は、先生にとって、最初の生徒の一人なのだから、それなりに期待されてるんだと思います。ベテランのピアノの先生だと、そこまで熱心にやってくれない気がします。
そういう意味では、結果的にかもしれませんが、いい先生との縁が息子にはあったのかもしれないと思います。(とはいえ、最初の1年目の先生は1年で独立してやめたりとか、あったりもしたわけですが・・・)
今月は、小学校で親たちの前での合唱の伴奏も2月中旬にありますが、そちらは程ほどに、必死の1ヶ月の練習が始まりました。
息子から、「必死で頑張る」の声を聞いたので、どこまでいけるか楽しみである。
そういえば、前回のクレメンティのトリル地獄で、トリルを克服したようで、「千本桜上級」に頻発するトリルも、とりあえず、気にならないとのこと。
成長を感じますね~頼もしくなってきた