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人生で何を大切にするか?

私は学生のときバンドで音楽で生きて生きたいなと思っていた時期がありました。けれど、続けることにリミットを設けていました。

「大学卒業までに芽がでなかったら諦める」と。誰でも考えそうな、すごく無難なリミットですね。

これについて最近考えていることは、どっちでも良かったなということです。

大学卒業してからも、就職もせずに自分のやりたいことに打ち込んだ人生が、貧しくとも芽が出なくとも音楽と向きあう人生があったとしても、それはそれで幸せだったろうし、

今自分が置かれている、仕事を中心としているが、仕事だけではなく趣味や生活も大事にし、ほどほどに生きるという生き方も幸せだし、

なにを選んでも、幸せだと思えば幸せになれるんだなって、最近ふと思うんです。

なんだろな、こんなこと書いて、皆さんに伝わるかな?

何をやるかなのではなく、いかに心を満足させるのか、が大事なんじゃないかなぁとつくづく思うんですね、最近。

こないだ息子が出場した、ピアノのコンクールのこと。出場する子供達は、まるで受験生が参考書を直前まで読むように、直前まで楽譜を読んで、当日の座席を過ごしていたんですね。

ピアノのコンクールは、心から好きなことを、やっているならすばらしいことだと思うんです。

でも、もし親や誰かがやれっていうからやっていたとしたら、それはダメ。

不幸かもなって思います。

そもそも、幸せの定義なんてよく考えてみると存在しないし、人それぞれだし、そもそも人間の幸せが、他の動物や地球にとって幸せかって考えると、答えなんてないし、いいかも、わるいのかもわからないけど、

でも、やりたいことを、できめたことを、今やるなら、それはそれで、幸せになれるんだなぁって思います。

私は一度、諦めた音楽。でも、楽典の知識やリズム感の基礎も私は持っています。

先ほど、息子と小学校の合唱の伴奏について練習していたのですが、拍感。自分の体のどこかに常にリズムを持ち続けることを話し合いました。

走りがちな歌に負けないように、四分音符は四分音符で弾き、3.8分のような中途半端な音符で、拍感を乱さないこと。休符だって存在していると意識すること。

そして和音についての、会話。メジャー、マイナー、セブンスの話。

諦めてしまった音楽の知識で、今息子と会話がかみ合うんですね。

おそらくピアノの先生、学校の先生との対話の中で、息子は音楽を知識を手に入れていたのでしょう。

私が教えたわけでもないのに、子供と音楽理論の話をしている。そんなことが今、すごく心地よく、幸せなんですね。

諦めたことが、こうやってつながると、なんだか、人生って面白いなぁって思います。

諦めた当時は、つらく、正直本当につらかった。本気のものを諦めたると他のことが何もしたくなくなるのは本当で、私にもそんな時期があって、実際に自転車に何時間も乗って、時間を埋め合わせる作業をしていた思い出があるんですね。

(学生時代の後半から社会人の最初の数年がそんな埋め合わせの時期でした。)

そんなことも、人生長く生きると、変なところでつながるものなんですね。

私の決断は、いつも、気づけば心と対話して決めていたと思います。誰かの意見を聞いていたかもしれない、けれど、心がどう決めるか。そこだったきがします。

どんな決断であれ、心で決めていれば、それは正しい。そんな気が、今はします。

音楽を諦めたことが、正しいかったとも、悪かったとも思いませんが、今に繋がっているこの事実があると、心のパワー、心の導きというものを感じざるを得ません。

てなことで、ちょっと落ち込んでるかな?

ということでネットで、
人生マエムキク」というものをやってみました。

結果は、なかなかかもしれません。

お試しあれ!!

自分を好きになれば、人生はうまくいく

この本を昨日買いました。まだ、全部読んでいませんが、すごくいい気づきを与えてくれる文章がありました。

好きなことは、自分軸、得意なことは、他人軸

これです。

私は最初何を言っているの!?と思っていたのですが、文章を読み進め、戻るなかで、やっと理解できました。

多くの社会人は、他人の評価によって出世が決まります。自分の評価ではありません。

そして、だからこそです。

だからこそ、幸せになれないんでしょう。

たまたま、自分軸と他人軸がマッチしていたら、気分がいいかもしれません。

でも、ずっとではないんでしょう。

上司が出世の為に用意してくれた、案件、プロジェクト、ポジションが、貴方にとって、良いものかは、実際わかりません。

他人軸でよいものであっても、自分軸にしたら、良いものかは当人しかわからないのです。

そのギャップが、他人の中で埋もれる原因なのかもしれません。

おそらく多くのピアニスト候補者も、同じような環境にいるのではないかと思うのです。

・母親が、先生が喜んでくれるから、ピアノを頑張る(他人軸)

・自分の好きな曲は弾けないけど、コンクールで賞を取るためにクラシック(他人軸)

・あの曲いいな、弾いてみよう(自分軸)

・先生に頼まれたから伴奏をやる(他人軸)

・おもしろそうだからピアノやる(自分軸)

・好きなアニメの曲だからいろんなアレンジで弾こう(自分軸)

・○○ちゃんは、××くんはピアノ上手ね。うちの子は全然やらないの(他人軸)

自分軸と他人軸どちらが、前向きな話なのか、客観的に見れば一目瞭然です。

でも、

・ピアノの先生は給料が少ないから、他の仕事をする

・親がピアノは趣味にしなさいっていうから諦める

・ネットで10歳からピアノを始めても遅すぎるって言われた

と他人軸に左右されている人は多いはずです。でも、本当にそれが、前向きなのか?

人は、心の生き物です。そのことを忘れていけないと私は常々感じます。