「パパの話」カテゴリーアーカイブ

2度目の音楽の旅かな

私は軽音楽でしたが、学生時代6年ほど音楽家を目指して活動をしていました。本人としては本気でやっていたつもりでしたが、今思うと中途半端だったかなぁと思います。けれど、そのときは真剣でした。

真剣にやったからこそ、辞める時の決断とそのあとの喪失感は半端なかったことを今でも覚えています。そして、就職を機にいっさい音楽に関わらないと決めました。これが、1度目の音楽の旅でした。(詳しいことの断片はこのブログの過去記事にあるかもしれません。)

ということで、私自身は音楽に関わることを封印をしていたのです。ですが、その封印を解くことになったのは、子供のピアノでした。最初は私は関与しませんでした、1度目の過去があったからこそ、もう関わらないという決断と喪失感があったからこそ、関与を避けていました。けれど、おそらくは、子供に絶対音感があることが分かった時だったかと思いますが、その封印的なものが、じょじょに崩されていったのだと思います。

そして、このブログページは2014年に開設していますが、そのくらいには封印が解け始めていたのだと思います。

そして、来春、子供は音楽中学校に入り、ピアノを本格的に習い始めることになります。ここからが、本番です。そして、つまりは、子供が主ですが、それに付き添う形での2度目の音楽の旅が始まります。

ここであえて書いておきたいと思いますが、私は、ピアニストになれとは言ったことは一度もありません。むしろ、音楽の道は大変。ありえない。資格もない。いばらの道と言ってきています。けれど、やりたいことが、ピアノということで、いくつかの試練を与え、突破すればOKという形でのあゆみになります。

一度歩み、挫折し、あきらめ、二度と関わらないと封印した私の心は、ものすごく複雑ですが、2度目の音楽の道に寄り添う形で進んでいきます。この道がどこまで続くのか、どういう結末を迎えるかはわかりませんが、本人がやるべきことは本人がやることとして、私がやるべきこと・やれることは、私がやるとして、やっていかないといけないなという、自覚はあります。

約1か月、本気でこのサイトも改造していこうと思い頑張ってきましたが、その努力はすこしづつですが、でてきていますし、もっとよくしていこうとうアイデアがますますでてきています。

まだまだ、書ききれていないところが多いのですが、参考になったり、利用価値があるサイトとして、続けていこうと思いますので、よろしければ、ご利用いただけると幸いです。

本日も、読んでいただき誠にありがとうございました。

グランドピアノ+防音室の前に・・・

子供が音楽中学校に行くことが決まってしまいました。うれしいような、大丈夫なのかぁ!?

不安と希望しかありません。でも、行くなら、どうせいくなら決めなければいけないことがあります。

それは、防音室+グランドピアノの環境ですね。

正直なところ、今の日本は、永遠の不況が続いていて、金利がつかない時代、ローン金利も安く抑えられる、バブルには考えられなかった、金余り、マイナス金利時代なので、リフォームローンに手をだしてもいいくらいの思いがあります。

でも、そもそも!?

アップライトも使いこなせてる!?

という思いがあります。ペダルも使いこなせないうちは、むやみにペダル使うんじゃない!と言われるピアノの学習において、グランドピアノを使わないと練習できないくらいに、子供は連打したり、音を作ったりができる!?のだろうかそんな疑問があります。

でも、もう一つわすれちゃいけないこと、それは、

ピアノ教室を運営してたら、ピアノも防音室も、経費として減価償却できるってこと

すでに親がピアノ教室を運営していたら、ピアノはぜいたく品じゃなくて商売道具として償却できるという事実があるはずで、それができない今、買いたくないんですよ。ずるくないですかね???

いずれ、子供が教室やるなら、そこで調達したときに償却してくれ、させてくれって話です。でも、まぁ、その前にピアノの腕前が上達して、それなりの結果を出してないと、将来のお客さんも来てくれない、という話もあるわけですが、勉強の道具となった我が家の場合は、普通に経費として認めてほしいというのが、正直な感覚です。

というところで、やはりブーメランのように戻ってくるのは、電子ピアノで代用できないのかってところです。

コンクールで勝つためには、電子ピアノじゃ練習にならないってことは、すでに承知しており、うちにはアップライトがあるわけですが、防音室+グランドに行く前に、それでも、電子ピアノに興味がいまあります。というのも、ヤマハのクラビノーバが改良されたという記事を読んだからです。

http://toyokeizai.net/articles/-/184194

でも、どうせ買うなら、クラビノーバの前に、アバングランドじゃないのか!?という思いもあります。

https://jp.yamaha.com/products/musical_instruments/pianos/avantgrand/n1/index.html

というところで、電子ピアノにも悩むのですが、それでも、結局は、グランド+防音室。だったら、いっそのことスタジオ付きの家を作って、職場として、減価償却したいと、なってしまうですよね。。。

結論は、今日も出せません。ということで、子供を連れて、週末にでも楽器屋さんにでも行ってこようかなぁと今日は思いました。

結論は出せません。

今日もお読みいただきありがとうございました。

今日は子供のピアノレッスン日 その夜に私がやってきたことは上達の秘訣かも?

今日は子供のピアノのレッスン日でした。

ということで、レッスン日当時に、私は意図的にやっていたことがありましたので、そのことを今日は書いてみたいと思いました。

もしかしたら、これが子供の上達の秘訣だったかもしれないので。

私の子供は、それほどお金をかけずに、絶対音感がついてしまい、コンクールでも予選は突破できる力がついたのですが、その理由の一つには、この私の声掛けもあったんじゃないかと思っています。

うちの子供は4年生からのピアノのレッスンには一人でいかせるようにしました。それまでは奥さんが付き添っていたのですが、仕事をすることになり、必然的に一人で行くことになりました。逆に言うとそこからは親のサポート・関与は直接はありません、先生と子供との二人三脚で今日までを歩んできました。

ピアノを趣味でやるのはいいのですが、お金を払ってレッスンや発表会、コンクールをやるのですから、可能な限り意味ある時間を過ごしてもらいたいという思いを私は持っていました。そのため、レッスン当日の夜には、今日は何をやったのかを問うことをずっとやってきました。

なぜ、聞くようにしたかについては、きちんと理由があります。私は学生時代、人間は寝ると50%以上のことを忘れてしまうということを聞いたことがあり、受験勉強の頃にもそのことを実体験として感じていたからです。

少し時間がたつと、人間は物事をわすれる性質を備えているわけです。能力と言ってもいいと思います。

しかし、同じ日に再度、その記憶を掘り起こすことをすれば、記憶の維持期間が延びるということを、知っていたのです。なので、意識的に、今日何をやったのかを、ずっと問うことを続けています。

きちんと答えられれば、今日やったレッスンの理解していたということになるし、よくわからなかったとなれば、どんなことが?、なんで?と聞くようにしていました。

あいまいだった=わからなかったですからね。

この最後の質問については、私自身も音楽経験があったので、ある程度のことがわかったからできたのかもしれませんが、トリルやペダリングなど、ピアノ独自のことはさっぱりわかりませんから、やはり、このレッスン日当日の問いかけには、意味があったと思っています。

また、問いかけることで、親が気にしているというメッセージを送ることにもなるので、そのことが、子供のモチベーションにもつながっていたと思います。

いかがでしたでしょうか。今日は、問いかけの重要性について書いてみました。同じようにピアノのレッスンに通っているお子さんを抱えるお父様、お母様の参考になれば幸いに存じます。

読んでいただき、まことにありがとうございました。

日本人ピアニストの危機

私の息子が音楽科のある中学校に通うことになったことは、2月からの受験の話で、以前から綴っておりますが、今日学校に行き入学説明会に参加してまいりました。

通学時間に2時間~3時間をかけて通うというのは貴重な時間の浪費にしかならないので避けたため、偏差値や学校のブランドではなく、一番近いところにしたのですが、男子はうちの子供一人。決して女子中学校ではありません。

そこで気になったのは、日本人のピアニストが今後生まれるのだろうかということです。私の息子もその可能性がまったくのゼロとは、親ですから思いませんが、それにしても、この現状は危機的状況な気がします。

音楽科を選ぶことは、将来の収入を考えると避けるべきにしても、少なすぎる。少し不安になりました。もう、ピアノを弾くことが時代遅れなのか?と思うくらいの印象を私はちょっと持ってしまいました。

そもそもピアノは昔から自動演奏が可能な楽器になっておりましたし、作曲すらもAIが行う時代がまもなく来ようとしています。だとすると時代遅れかもしれません。しかし、AIによる作曲や演奏を実現した瞬間にコンピュータの価値が失われ、結局は、間違ってでも人がやることに価値があると再認識する時代が来ると、私は思っています。

そのことがわかった段階で、おそらく先生の必要性が再認識されるとは思いますが、おそらくその瞬間には教える技術がすでに失われている可能性を感じてしまいます。これは私の妄想、おとぎ話であればいいですが、そのような気がするのです。

最近は中国でヤマハのピアノが売れているという話をニュースで読みましたが、おそらくこの現状だと、今後ピアニストは中国でばかり生まれるようになる気がします。すぐに習得できないピアノの技術は、失ってしまうと、取り戻すことは簡単ではありません。

どうなるのか疑問になってしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございました。

ピアノの森を最後まで、一気に読み返してしまいました

4月からのアニメ化が決まっている漫画「ピアノの森」ですが、私は先週から読み返し始め、映画版のアニメも見て、今日は結局最後までハイペースで読んでしまいました。

あっという間に読みたくなる内容なので、こうなってしまいますね。

私はこの「ピアノの森」を読み直す中で、涙を流すところがいくつかあります。私はやはり40歳を超える年齢に入っておりますから、阿字野先生の苦悩というか、そういうものに深い感情移入をしてしまいます。

事故で、フィアンセ、腕、そして、ピアニストとしてのステータス、それらをすべて一気に失い、ボロボロになりながらも、死んだように教師をやっていた事実。

半ば、死んだような状態で、一人きり生きていたわけです。描かれてはいませんが、絶望の中で、うつ状態で、生きていたのは間違いありません。「なぜ、私は死ななかったのだろう」(ちがったかも?)すべては、その言葉に集約されていたと思います。母親も死んでいた設定だったはずです。

そんな絶望の中に見つけた「才能」、一度死んだ命、いやむしろ、死んでいる状態の中で、命を懸けたっていいと思って、海を指導していたのただろうと思います。だからこそ、その中での急激な変化が先生にも海にもあったというわけです。(本当によく練られた作品だと思います)

数年前。私が「ピアノの森」の1回目を読んだとき、主人公は、一ノ瀬海のような漫画でしたが、実は、阿字野先生の物語がメインだと、いまさら気づかされました。

音楽家には、不幸がつきまといます。いや、人生というのは、いいところばかりでないので、誰もが不幸もあってこそ人生なのだと、今の私は考えるようになりました。生きるということは、残酷ではなく、生きるということはそういうことなのだと思います。

といことで、感動の涙を流しながら、最後の阿字野先生と海のK365の演奏を下記の動画を見ながら、想像してしまいました。

NHKの「ピアノの森」において、クラシックの描写やピアノの演奏がどこまで描かれるのかはわかりませんが、いずれにしてもクラシック音楽が取り上げられる作品ですから、ピアノが再度、脚光を浴びることを期待しております。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

今日は「10才のありがとう」を聴いてきました

2年前に長男が伴奏を務めた「10才のありがとう」

今日は、弟の二分の一成人式でしたので、二度目の「10才のありがとう」を小学校に行き、生で聴いてきました。長男のときは、伴奏を担当していたこともあり、自宅で家族全員で合唱して練習していました。今では、良い思い出です。

下は、参考までにYouTubeにアップロードされている「10才のありがとう」です。

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さて、今日は歌だけですので、ちょっとやんちゃで、それでいて人前が苦手な弟の様子がどんな風になっているかを確かめにいったような感じでした。が、ずいぶんと人の前でも笑顔を見せれるようになっていて、成長を感じれました。

どちらかというと兄貴が優等生なので、比較されてかわいそうな弟。そんな弟が明るく元気にやっている姿がみれて、親としては大満足でした。

歌の方は、ちゃんと歌っており、合奏のリコーダーも無難にこなしておりました。

さて、このプロジェクトサイト「CHIGYO PIANO」でも、YouTubeで、過去1年前くらいまでは、「10才のありがとう」を提供していたことがあったのですが、肖像権にひっかかることに気づきまして、掲載をストップしておりました。しかし、編集によって、再度「10才のありがとう」を記録として公開しようと思っておりますので、もし、覚えておりましたら、再度、ご視聴いただければと思います。

しかし、歌ってのは、それも合唱というものは、いいものですね。

ピアノもいくつくところは、歌うように弾くことを求められますから、歌こそが、人に感動を与えるものだとつくづく思います。上手いも下手もありません、人のエネルギーこそがすべてなんでしょう。

ここまで、読んでいただきありがとうございました。これからも頑張ってまいります。

おまけ:グーグルくんが提案してくれる富士山の写真

本日、新幹線移動の時に撮った富士山の写真でしたが、グーグル君にまかせるとこんな写真に加工されて送られてきました。

どんだけ、元と違うんだろう。

ちなみに昼間ブログに乗せた写真は下でした。

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これが加工ってやつですか。

リアルなものがやはりいいんじゃないかと思うのですが、絵としてみるなら、加工もありかと思います。

世間にあふれる4K画像には、だまされないぞ!!っていつも思ってます。

新幹線からの今日の富士山

今日は名古屋に出張だったので、新幹線移動をしてます。

久しぶりに日中に乗車していたので、記念にパシャリとしてしまいました。夜移動だと暗くて何もうつりませんし、こないだは雪で、ダメだったので、久々のお姿です。

ピアノの話題とは関係ないですが、日本一の山を見るとどことなく縁起がよいきがするので、掲載してみました。

乗車されてるみなさんは同じ思いか、あちらこちらでパシャリとスマホのカメラの音が鳴り響いてました。

パワーをもらった気がします♪

神様は残酷である

神様は残酷である。タイトルは、何事?と思える感じですが、今日は、息子のことではなく自分のことを書いてみようと思います。

私は、15歳の頃にギターを始めました。当時はXやLunaSea、黒夢などのビジュアル系バンドに触発され、バンド音楽にはまってしまっていました。自分もかっこよくなりたいと中2病のようにあったわけですね。

当時、肥満児だった私は、XのHideさんもそうだったことを知り、80を超えていた体重を50kgにまで落としたりしていました。過酷なダイエットをしていたものです。

本気で音楽をやりたいとなると、どんどんかっこいい音楽に追求することになりました。徐々に、海外のハードロックバンド、へビィメタルバンドに興味が移り、より演奏が難しいものへと興味が移っていました。

さらに、日本のアーティストというのは、本当に演奏が下手だなぁと思ったものでした。自分はミュージシャンにすらなっていないのを棚に上げてですね。

当時の私は、書きたくはないのですが、本気でミュージシャンになりたいなどと思っていて、現実はわかっていても、それでもやりたいと本気で思っていました。バンド活動をしていて、ライブハウスに出演などをしていた。

そして、音楽の専門学校にも行きます。ANミュージックスクールですね。

しかし、そこで、究極に感じたのです。

絶対音感の壁、自分のテクニックの低さ、才能のなさ

をです。当時の私は、「才能が欲しい、絶対音感が欲しい」と嘆いたのでした。

それでも、どうにか続ければいつしかと思いもありましたが、結局、自分の限界と現実を理解し、学生の終わりと共に就職をして、音楽の道はきっぱり諦めました。

もう音楽とは絶対関わらないと決め、楽器ショップや楽器メーカー、オーディオメーカーなどにも興味がありましたが、絶対に、のちに後悔することがあるだろうと、選びませんでした。

そうやって、音楽とは二度と関わらないと考えていたのでした。

そうやって、10年ぐらいが過ぎました。

しかしです。結婚し子供が生まれると、妻が息子をリトミックを習わせていました。私は、おけいこごとの一つだと、特に気にしていませんでした。

次に、息子がピアノをやりたいと言い出しました。まぁ、やりたければやればということで、お金だけ出していましたが、特に私が何かをすることはありませんでした。

そうこうしていくうちに、あるとき、息子に絶対音感があることに気づきました。

私が、手に入れることができなかった、絶対音感を持っていたのです。それも、専門の教育無しにです。

でも、だからといって、ピアノの演奏は、普通レベルでしたから、とくに期待もしていませんでした。

しかしです、小学校にあがり、毎年付き合いで、発表会、コンクールに出場が始まるわけですが、毎年、少しづつですが、順位を上げていくのです。

気づいたら、絶対音感もあり、コンクールでも予選1位通過をするようになっていたりしたわけです。

私は、書きました。

もう音楽とは絶対関わらないと決めたと。

しかし、神様は残酷です。20歳頃の私が、望んだ、絶対音感と才能を、息子に与えていたのです。

今後、この息子がどこまで行くかはわかりませんが、小学生の私はギターすら本気で弾き始めていなかった時期です。

息子のやっているソナチネ、ソナタの楽譜を見ると、とてつもなく難しく感じます。それを、いつしか、普通にやれるようになっている息子が目の前にいるのです。

横で、練習しているのです。

もう音楽とは絶対に関わらないはずが、関わらざるを得なくなる現実になってしまっているのです。

これを、残酷と呼ばずして、なんと呼べばいいのでしょうか。

そして、否応無しに、子供に私が実現できなかったことを、実現できるのではないかと期待してしまうのです。

でも、私は知っています。甘くないこと、上には上がいること、そして、そもそも音楽が売れなくなってきている現実をです。

それでも、私が、持っていないものを、神様に与えられている息子が、目の前にいるのです。

なんて、残酷なことだろう。

神様は、なんて、残酷なのだろうと、最近私は考えるようになってきました。

「才能が欲しい」と言いましたが、私にではなく、息子に与えるとは・・・・

昔話を書いてしまいました、今日は見直す時間がないので、このまま掲載してしまいます。

それでは、また

X Japanの「Tears」の練習を始めた息子

ここのところコンクールに向けた課題曲の練習を息子はしてきていたのですが、正月休みにある程度頑張ってしまって暗譜も進み、ゆとりがあるように感じられたので、何かしら好きな曲が見つからないと練習に飽きて弾くのをやめてしまいそうだなぁと、感じてきていました。

親としては、その時はその時でいいのですが、どうせなら私が弾いてもらいたい曲をリクエストしてみようかと思い、X Japanの「Tears」の楽譜を渡してみました。(基本的に気に入らないと身が入らない息子なので、期待はしていなかったのですが)

すると、息子は「この曲おもしろい」という反応で、食いつきが良かったんです。ここ数日左手の指をつきゆびしてしまって、左手は使えないのですが、それでもあえて練習をする食いつきぶりです。

親としては、完成したらアップロード候補だなぁと思いましたね・・・

今はにわかファンの私ですが、「X Japan」がとても好きだった時代があり、思春期も重なっていていくつか当時の思い出があるので、練習の音色を聴いているだけで感動したりしています。

ちなみに、「X Japan」のYoshikiさんのピアノ演奏について、ピアノを習っている息子が子供だからこそのストレートな表現でどう言っているかを書いてみようかと思います。(ファンの方が、読んでいると怖いですが・・・)

どんな人かの先入観がなく、思い入れもないの子供の勝手な意見ですが、息子は、Yoshikiさんの演奏を見ると「かっこつけだね~」と言います。

弾き方のことかと思ったのですが、どうやら違うらしく、選んでいる音符やピアノの響かせ方について言っています。とはいえ、楽譜を渡すと「おもしろい」というのですから、お前も「かっこつけたがりじゃん」と私は思うわけですが。

ただ、ピアノを弾く手の移動に関しては「僕と同じで波打っちゃってて、先生によくないって指摘されるよ」って言うんですね。

私のような素人からすると、Yoshikiさんのピアノ演奏には、文句のつけようもなかったわけですが、ピアノの理解が少し深まった今の私は、息子の指摘もわかるようになってはいます。

最近のピアニストは必要なことはしっかりとやり、不必要に体を動かすこともなく、無駄のない動きで演奏しますからね。

といっても、作曲家という視点であれば、作った本人の意図通りに弾けていればパーフェクトなので、やはり私が何かを言える立場にはないわけですが。

ちなみに、容姿・衣装について、息子がなんと言ったかというと、「日本の和を大事しているのかな」と言うんですね。

最初は、「え!?何?」と思ったのですが、顔を白塗りで、髪の毛を伸ばし、派手な服が着物的に見えるようで、歌舞伎のような衣装に見えたようです。

「なるほど!」と思いましたね。確かに、私はHIDEさんにそのようなイメージがあったので、そこまでの違和感はありませんでしたが・・・

また、息子の練習に付き合っていると、楽曲に新しい気づきを見出すことができました。

「同じフレーズが繰り返されているのに、なぜここは3連譜なの? 前のところと同じでよくない?」と息子が言うので見てみると、英語の歌詞の都合で3連譜にしていると理解ができたのです。ではなぜ、3連譜なのかを考えたときに、あえてこの言葉を強調してたのかという意図が理解できたわけですね。

昔は英語の意味はよくわからず聴いていたわけですが、今は英会話教室にも通った後で、私は意味もわかるようになってるからこそ気づけれました。

なるほど、Yoshikiさんはこれを強調したかったのか、ほぉ!となるわけなんですね。新たな発見でした。

昔は、なんとなく歌を聴いて、曲の意味をわかっていたつもりになっていましたが、作曲者の意図を知るというのは、こういうことかと、いまさら気づいた瞬間でした。

ベートーベンやショパンなどの大作曲家の曲でも、なぜ変えているのかを考えれると、やはり面白いんでしょうね。

コンクールの課題曲そっちのけで、練習を始めてるので、完成は早いと思いますが、それはそれで複雑な親心の私でした。