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先日の音楽コンクールの審査・評価の理解について

先日、参加してきたある音楽コンクールの予選ですが、何か月も一緒に取り組んできた、親・ピアノの先生からみると、今回の子供の演奏は、ミスも目立ち納得のいくものではなかったため、結果がでるまでは、あまり良い結果ではないだろうというのが、お互いの理解でした。

しかし、結果は、想定外に

ダントツでの予選通過、実質のトップ通過

という結果がでました。このことに先生を含め私たちは大変驚きました。うれしいというよりも、どこかおかしい、そんな感じでした。

このことについて、腑に落ちなかった私たちは、参加者が減っているのではないかと、そして、コンクールのレベルが低くなっているのではないか?と、その結果よりも、納得いかない様々な疑問を持ちながら家に帰っていったのでした。

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本当にうちの子供はその実力があったのか?何かの間違いではなかったのか?

それが先日まで、私にとっての疑問になっていました。喜んでいたかといえば、少しは喜びましたが、これまでのコンクールの結果と違い、どこか納得感がない状態でした。

そこまでの演奏だったのだろうか?

私からの視点だと、他にも上手だと感じた子供たちがいたのに、なぜダントツという結果に、なっていたのか、そのなぜをずっと考えていました。

それについて、昨日ある程度、納得する理解を得たので、書いておこうと思いました。

まずは、事実からの検証です、実は例年に比べ、参加人数が増加していたという事実が昨日確認できました。

私たちは、参加者が減っていたという理解をしていたのですが、一昨年、昨年、今年と参加者の増減を確認していたところ、実は逆で、毎年増えていたという事実が確認できました。

減ったと思ったのは誤認でした。

一昨年は、11人程度だった参加者が、今年は24人ということで、参加者は倍に増えていました。

この事実を受けて、全体的にレベルが落ちていると言えるのか?という疑問が浮かびました。

これまでのソナチネのレベルから、ひとつ上のソナタレベルの階級へと、レベルを上げ、私の子供は初挑戦となったわけですが、今までのコンクールで、私たちがそのソナタレベルの人たちの演奏を聴くと、ほとんどミスがない演奏をしているという認識を持っていたのでした。

一方で、今回の私たちの印象は、みんなどこか間違っている、ミスタッチをしているという印象を持っていたのでした。

このことから、全体的に参加者のレベルが下がっていると判断していたのでした。

しかし、そのことについて、先の参加人数が増えているという事実から考えると、違ったのではないかという、また別の疑問が浮かび上がり始めました。

実は、これまでも同じソナタのクラスのレベルの演奏でも、ミスタッチはしていたが、ミスタッチをしていたけれども、そのミスを以前の私達が気づけていなかっただけなのではないか?

子供の成長に伴って、私たちもミスに気付ける耳になっていたのではないかと、思ってきたのでした。

ただし、手放しで、自分達が成長してきたとは言いません。ですが、それはありえることだと思い始めました。

ここ数年、子供がピアノの練習を毎日欠かさず1時間以上やることになったことで、おのずとピアノ演奏を聴かされる時間が増えます。それに付き合ってきたことで、私たちも、何が良い演奏で、何が良くない演奏かを判断できるような訓練を積んできたようなものだったのです。

しかし、その認識は誤っていたのだと思います、良い演奏とそうでない演奏を実は見分けられていない私たちがいたんだということがみえてきます。

コンクールにおいて、一見ミスのない演奏をしていたと理解して聴いている私たちですが、それは原曲を知らないからの解釈が行われるからです。その演奏を始めて聞いたからこその印象であり、楽譜を読み理解した上での印象ではなかったわけです。

実際には、3連符や4連符、休符、リズム、シンコペーション、ペダリングが誤っていたとしても、私のような素人には理解できていないという事実です。

一見上手だなと思っているその音楽が、譜面通り弾かれていなくても、素人には実際わかっていないということでもあります。本来は、細かくやらなければいけいない演奏も、できないことで簡単にアレンジしてしまうこともあるでしょうが、それに気付けるとは思いません。

ミスるから譜面通り弾くこと避けていた場所があったとしても、私たちのような素人では、やはりそれに気づけていなかった事実があるはずです。

これは確実にあると思いました。だから審査員の判断と素人の結果が変わるのです。

このことに気づいた私は、大いに納得しました。

審査員であるピアニストの方々には気づけて、私たちが誤る判断をすることが、芸術にはつきものだとあらためて気づけました。

聴く側のレベルも高くなければ、結局、演奏を理解できないという事実が浮かび上がった日でもありました。。

ピアノコンクールの必需品

私は親子で、ピアノコンクールに計6年参加してきたことになりますが、今回は、その中で当日必要と考えているものを書いていこうと思います。

手袋


手袋はやはり必要ですね。私の場合、寒い時期のピアノコンクールに参加することも多かったので手袋をして会場に向かうことが多かったです。暑かったらとればいいのですから、持っていて損はないです。また、当日歩いて移動する際に、人や自転車にぶつかったり、不意なケガを予防する意味でも、コンクールに手袋は必須だと思います。ただ、会場入りしたら、あまりにも寒い場所ではないかぎり、する必要はないと思います。

爪切り


爪切りも持っていないといけないグッズです。練習中に爪がわれたり、かけたりは起こります。また、中途半端に爪がかけたりすると指が痛くなり、演奏に支障がでます。私の経験でも、コンクールの前日に爪が割れており、当日、頑張って痛くならないように調整したことが、一度ありました。どうすればいいんだろうと悩みましたが、爪切りでがんばり、どうにか痛みをなくせることがありました。また、爪切りも使い古したものではうまく爪を切れない時があるので、新品に近いものを常備していた方が安心です。

やすり


爪用のやすりもあった方がよいと私は考えています。突発的な問題も、基本的には、爪切りだけでどうにかなりますが、ささいな爪のトゲというかバリが長期的な問題の原因になったりします。そういう意味で、爪を切ったあとはやすり掛けは必要かと思います。爪切りにおまけでついているやすりもありますが、やはり性能はよくないので、専用のやすりを持っています。

絆創膏


絆創膏を使う事態に陥りたくはありませんが、これも持っていた方がいいアイテムです。爪が中途半端に割れたり、かけたりし、痛みを伴う場合、絆創膏で痛みを軽減させることができることはありました。ただ、絆創膏を必要としないように、爪の調整はやっておくことは必然です。しかたなしに、する程度のものになります。

携帯メトロノーム

必須だとは思いませんが、メトロノームも私が持たせているアイテムです。人間の感覚は相対的なものもあり、緊張・周りの状況によって、感覚にずれが生じてしまうものです。練習の時のように、メトロノームに合わせて演奏をすることはなく、直前にテンポを確認するのに使います。また、実際の会場では、音を出すことはNGですから、目視で確認できるように、液晶部分がスピードを確認しやすいものを選ぶことが大事です。

タオル


これは今のところ使用頻度が高いわけではないのですが、タオルもあった方がいいアイテムです。中学生以降になると、新陳代謝もよくなりますから、場合によっては前の演奏者の汗や手の油が気になってくる場面が増えるでしょう。そうなった場合は、タオルで鍵盤を拭いてから演奏に入るということも必要になってきます。

以上が、いまのところ、必須と考えているアイテムです。今後、もっていくべきと考えるアイテムが増えてくるかもしれませんが、このようなアイテム紹介も時折書いておこうと思います。

ピアノコンクールに参加する意義とは?

先日、某音楽コンクールにおいて、息子は予選をトップ通過したことはお伝えしたが、そのことを、今度入学予定のとある音大付属の中学校でお世話になる予定の先生にお伝えした。

先生は、藝大出身で、ピアノ科の首席卒業の方であり、子供の頃から、コンクールで全国入賞歴のある方である。今年はこの先生に、夏季講習、冬期講習で計5回ほど、レッスンで指導を受けた。

さて、その予選通過報告により帰ってきたメールの内容を確認すると、私が以前から思っていた、やはりの文章が書かれていた。

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私は以前から考えていたのであるが、ピアノコンクールは最上級クラス、特に大学生レベルのクラス以外においては、あまり価値がないのではないか?

単なる、コンクールビジネスなのではないか?

おそらく、勉学における、模試ビジネスに近いものではないか?

と感じていた。そのことについて、あらためて、先生の帰ってきた文章を読む限り、やはりなという印象であった。

先生から帰ってきた文章に書かれていたことを要約して私なりの言葉に改めて記載させていただくと

コンクールの予選通過おめでとうございます、に始まっていたが、コンクールはそれ自体に価値があるものではなく、あくまでもその瞬間のスナップショット。

それで、一喜一憂するものではない。私が担当することになった後のコンクール参加については、レッスンスケジュールに合わせ調整の上、一緒に検討してから参加の判断をしていきたいという内容であった。

あー、やはりわかっているなという感じである。

実力が伴っていないのに、レッスンの予定を狂わし、コンクールを優先するのは、芸術に対する冒とくだと。そんなことを直接書かれているわけではないが、私にはそのように受け止められた。

コンクールで入賞したところで、あくまでもその瞬間、限られた参加者で、たまたま調子が良かったから、悪かったからで結果がでるだけのことで、本質的なピアノ演奏能力の優劣が決まるものでしかない。特に、学習が不足している頃は。

また、コンクールで扱った課題曲もあらかじめ発表されているものである。練習する時間はかなりあるし、人によっては前年から準備することだって可能だ。

このことから、コンクールとは、結果、制限された楽曲の出来栄えに関する評価につながっているだけのことになってしまうと私は捉えている。

新しく与えられた楽曲を自分なりに解釈し、先生のサポートなしで表現するだけの実力があるかを問われているわけではないのである。

そんなコンクールに価値があるのか?あるのであれば、今いる自分のポジションを確かめる程度でしかないのではないか。

それは、模試に近いものではないか。

私はそう考えている。もちろん、小学生の頃からコンクールでトップをとるとなれば、それははすばらしいことである。そのこと自体は、すばらしいと思います。

けれど、だからといって、ピアニストとして活躍できるだけの学習をしたことにはならない。

以前であれば、コンクールで結果が出たことを喜んでいたのであるが、今回は、結果よりも、実際の演奏がどうだったか、次の課題曲をやるにあたっても、まだまだやるべきことがあるのに、どうなのかを考える状況になっている。

そして、新たな先生からは、基礎から磨きなおしを示唆する内容、アルペジオ・音階の練習からやりましょうねと、伝えられている。

これまでのような、楽譜の内容から指を動かし演奏する程度のものではなく、さらに、調性を理解して演奏に反映させること、楽曲の構成を考える姿勢を身に着けることからのやり直しということになるわけである。

つまりは、コンクールなんかで、無駄なことをやっている時間はないといわれているような感じなのであった。

今回は、ここまでとなります。読んでいただきありがとうございました。

本日ピアノコンクールに出場してきました

今日は某音楽教室のピアノコンクールの予選会に参加してきました。

昨年、同コンクールでトップの成績で予選を突破していたので、今年はワンランク上のレベルのコースで参加をしてきました。

ということで、どうやら今日の予選会のグループでは最年少だったようで、演奏順は1番。ついて、すぐに演奏しなければいけない状態でした。ということで、バタバタした感じの演奏となってしまいました。

結果は最後に書こうかと思います。

さて、先日からブログで書いてきた通り、音楽中学校入試向けの冬期講習を受けていましたので、コンクールに向けて練習してきたというよりは、今回は将来を見据えてコンクールの課題曲もやっていたという状態だったかと思います。

もちろん冬期講習会は、ソルフェージュの授業だけではなく、実技の指導も受けておりました。音楽大学の講師の指導を受けていたわけですが、先生は藝大主席卒の先生で、コンクールの課題曲については、今の先生の指導を前提に、改善策を提案いただいていた感じです。

音大の先生の考え方では、私達が持っていた全音の楽譜はあまりよくなく、ヨーロッパの楽譜、ヘンレ版の楽譜がいいということでおすすめされました。ということで、本日、海外から取り寄せた、ヘンレ晩の同じ曲を確認したのですが、これがかなり違う。

なんといっても、指番号から違うんですね。つまりは、強弱や音色を考慮した指番号は、違うという主張をしている楽譜だったわけです。

短期間で、指を変更するわけにはいきませんから、現在の先生の指導のもとでの最善策を提案いただいたということが、あとあとわかることになります。

今日は、ピアノコンクールでした。昨年予選通過をしていたわけですが、レベルを一つあげたので、予選通過はありえないだろうという予想をたてていました。

ただし、予選を通過しないくらいのレベルでは、音楽の道に進んだところで才能がないだろうということで、今回はダメという結果を受け、もう一度、音楽中学校に本当に行きたいのかの意思確認する想定で臨んでいました。

本日の演奏は、案の定、ノーミスになることはなく。ややわかりやすいミス1つと、わかりにくいミスタッチ2つで、3つは×をやってしまっていました

ということで、結果発表なのですが、まず、入選に選ばれませんでした。

あー、入選すら入らなかったのか?ただ、私は、ほかの方の演奏と比較して審査員特別賞はいくかなぁとおもってはいたので、審査員特別賞の発表の番で選べれるかと思いましたが、ここでも呼ばれません

もしや、入賞ならず?と頭によぎりました。

音楽中学校に入学しようとしている子供が、中2までのレベルのコンクールですが、何にもひっかからないようでは、将来がおもいやられます。いやな予感ともしかしたらの2つのことが頭をよぎりました。

ということで、最高位の賞、入賞の発表がありました。

予選突破、次の選考会の参加資格が与えられる入賞です。そこで、予想もしなかった、子供の名前が呼ばれました。

私たちは、「本当に?、あんなにミスしたのに?」という感じでした。

が、審査員のあいさつの中で言われたことが、ものすごく気になりました。

今回の課題曲は古典なので、その時代を理解しての演奏が行われていたかが、評価されているので、結果が悪かった人は、時代背景を意識した演奏を心掛けて練習するように言われていました。

と、ここで、私はピンときました。うちの子供が評価されたというのは、もしやこの古典の理解なのではないか?

昨日、藝大出身の先生に改善を言われた3か所の直前の改造が、とてもよかったのではないかということです。

この瞬間に、ピアノの良い演奏というのは、どういうものなのかということの片鱗を、わかった気がします。

ということで、うちの息子は、後できいたのですが、ダントツで一番だったらしいのです。でも、3つもミスってました。最年少でダントツ?

もしかして、この会場の参加者はレベルが低かったのか?そう思わざるを得ませんでした。

子供は、今年のピティナの大会では、予選落ちだったわけですから、そこから徐々に音楽中学入学に方向性が決まり、本気になって伸びたというのはあるとは思いますが、ピアニストになるにはまだまだの状態です。

うれしいような、ただ、今日の参加者の中でたまたま上手いだけだったような複雑な気持ちとなってしまいました。

とはいっても、予選は通過したわけですから、次の関東での選考会がまっています。今回の会場をたまたま通過したのだとしても、次の選考会でその実力が試されるのは、確実ですから、せっかくのチャンスをうまく生かせるように、今日から練習あるのみです、と伝えました。

もちろん、今日は疲れたので、次の課題曲の楽譜を読むだけで終わりとなりました。

とりあえず、結果は出ました。

音楽中学への道条件としてあげていた、入試で合格すること、コンクールで予選を突破すること、この2つですが、コンクールの条件は突破しました。

また、音楽実技のテストもすでに合格しています。あとは、当日の国語、算数の筆記試験のみです。

このまま、おそらく音楽中学に入ることが、確実になった日にもなりました。

親心としては、複雑です。それでは、今日はこのへんで。読んでくださりありがとうございました。

ピアノコンクールは勝つ為の練習をしないと勝てない

音楽が好きで、ピアノを毎日練習していれば、ピアノが好きな子がいい結果を残せるか?

と問われると、私は、完全にノーと言いたい。

新しいジャンルを自分を創ったり、作曲をするのであれば、時には、良い結果を残せることがあるかもしれない、けれど、コンクールは、そういう場所ではない。

そもそも、クラシック音楽というのは、数百年前に生まれた音楽であり、作曲の世界ではなく、再現の世界。

職人技の世界と言ってもいいくらいの世界だと思います。ピアニストは、ピアノの演奏職人とも言えるでしょう。入門してから結果を出すまでに、10年以上かかるのですから、間違いなく職人技の世界だと私は思います。

昨日、ヤフー知恵袋で、コンクールで勝つことだけを頑張ることが、よくないという意見がありました。たしかに私も、受験の世界や、会社の中で、そのような勝負という争いについて、疑問を持っていたこともありますが、それは渦中にいるから、感じることであり、少しはずれ客観的に見ると、争いはやはり、それでもあったほうが、私はいいと感じます。

なぜなら、客観的な評価は自分の理解を確かめる上で大事であること、次のコンクールまでは何日といった区切りも、長期にわたる練習期間を考えると、あった方がよいこと。そんなところでしょうか。

やはり、コンクールは、ないよりは、あったほうがいいと思いますね。

さて、そんなピアノコンクール。勝つ為には、練習をしなければいけません。そして、テクニックを磨くことが大事です。とあるコンクールは、お手本に忠実に再現することを目指すから、あのコンクールはダメ。という意見もありますが、どんな演奏でもできるようになるのが、職人には使命の部分があるので、私は、ある意味仕方ない気がします。

負けた理由が、再現できなかったことにあるのであれば、再現する練習をすればいいでしょうし、勝ちたいのなら、そのような練習もやればよいでしょう。

いろいろと勝ち負けにこだわるからこそ、批判も生まれるわけで、本当に、純粋にピアノが好きであれば、コンクールの結果にもそれほどこだわりを持たないのが、本来のところだと思います。批判をする時点で、勝ち負けにこだわる人になります。

さ、何よりも練習です。一生懸命練習して、コンクールに出る皆さんは、輝いています。がんばってくださいね。

コンクールの当日に爪トラブル!! 日々の爪ケアに気をつけましょう

ピアノのコンクールが近づくと練習時間が増えていきます。そうなると指にも爪にも、知らず知らずのうちの負担がかかっていたりします。

先日、息子がピアノコンクールに出場したときのことですが、午後からコンクールがあり、午前中の練習中でのこと、爪にすこしひびが入ってしまい、痛いからとバンソーコーをして練習を始めたんです。

しかし、バンソーコーをしたことで、いつもと感じが違うだけではなく、痛みから、ミスタッチの連続が始まりました。

コンクール当日に爪が痛み始める。これは、はじめての経験でした。

いままでは、コンクール前にそれほど練習をしてこなかったこともあったからかもしれませんが、今回は違ったのでしょう。

息子は、痛いから、バンソーコーでやると言い張るのですが、あきらかにミスタッチの連続。。。

正直あせりました。

ということで、爪の状態を確認させてもらいました。爪が割れているというよりも、部分的にはがれているという状態でした。

深爪になってしまいますが、該当の箇所をとるように一気に爪を切りました。そしたら、痛みがなくなったようで、いつもの演奏に戻りました。

おそらく多くの方はこのような経験は、やらないと気づかないと思います。

ということで、今日は、爪やすりを探しました。

アマゾンのランキング一位は、ガラス製のやすりでした。

ただ、これだと子供が扱うには、ガラスが割れるという問題がつきまとうなということで、見送りました。

大人であれば、いいかなぁと思います。

そこで、一般的な金属のヤスリを今回は選びました。

金属なら落としても、鞄にいれても、乱暴にあつかっても、割れるようなことはないからですね。

コンクールに出るような子供なら、爪やすりは、とっても大事なアイテムだと、今回は痛感しました。

ヤマハが好きですか?

ブランド力、経済力、そのような視点で立つとヤマハなんですけど、実際に体験してみると

ヤマハ???

なんですよね 期待しすぎてバイアスがかかっているのかもしれませんが、事実そう私も感じてしまったんです

すごく共感できたWEBがあったので、今日はこんなことを書いています

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/956218.html

音楽は、教育すべきものではないんです、楽器を作ることと、人を育てることは違うんです

そして、ピアニストは、人なんです

なので、教室ではなく、結局は人なのですが、ヤマハはマニュアルがしっかりしていて、それが強すぎなのかもしれませんね

教室の平均的な品質は高いのかもしれません

でも、だからといって、ヤマハだけを最良と選ぶのもどうかと思っていました

ある楽器店にいったときのこと、目隠しして楽器を選ばせて欲しいといった、とある有名なプロミュージシャンがいて、その方が選んだピアノは、ヤマハ以外だったという話を聞きました

裏話を聞けば、結局日本のピアノは、ヤマハがすべての始まりであり、どのメーカーもその下請けの寄せ集めで、ピアノバブルの頃は、中身は似たりよったりだったという話です

つまりは、自動車や電気メーカーと同じ構造ですよね

その流れで、ヤマハ発動機と同じような経営をしていたことを想像できなくはないですね

もちろん、ショパンコンクールに、ピアノを出している他の日本のピアノ、カワイのピアノの成績はよくはないです

ですが、選ばれないというのはありますが、そんなカワイを選ぶピアニストもいるんです

KAWAIは何故少ない?ショパン国際ピアノコンクール2015 ピアノの選択について

私もこれからも、ブランド力は抜きにして、自分が好きな物、良いと感じたものをいいと選びたいと思います

音大の被害者たちの悲鳴

(今回の内容は、個人的な意見ですので、読み物でしかなく、変な小説だと思って、読んでいただければと思います)

ネット情報をめぐっていると必ずでてくるのが、「ピアノではご飯は食えない」。決まり文句のの「音大出ても就職先はない」です。

これについては、なぜかと言えば、自分勝手な被害者が多数いるからだと思っています。
音大に投資したのに、リターンがないじゃないか!という投資の詐欺に似たような構図が伺えます。

おそらく多くの親御さんは、音大に行きさえすれば学校なのだから、将来ピアニストとは言わずともピアノの先生くらいにはなって、投資した額が少なからず戻ってくると思って投資をしたのでしょう。

しかし、現実はそんなことはなく、音大を出たのに就職もできず、何の役にも立たなかった、我々は被害者だから、時間と損した金返せということなのでしょうね。(勉強嫌いだったんでしょうが。。。)

そのような方は、医学部に行けば、誰もが医師免許を得て医者になれるとでも思っているのでしょう。

芸術も同じです。美大についても同様の問題はつきまといます。文学部も同じような気もします。

でも、その前に気づかなければいけないことがあるんだと思います。現実を見なければいけません。

はっきり言って、現実把握能力が足りなすぎます

医者だって大学に受かるまでに、何浪もする人がいます。家系が医者のために、10年かけてようやく医学部に受かり、医者になるひともいるくらいです。2年、3年と医学部を挑み、途中で諦める人も多数います。

弁護士免許を取るために大学を卒業してから何年も就職せずに勉強している弁護士の卵も多数います。

どの道もみんな簡単じゃない現実があります。

だから人生なんですけどね(この先は長くなるので書くのは止めておきましょう)
さて音楽に戻りましょう。

最近活躍しているクラシックの音楽家は、そもそも大学に入学する前にデビューをしていたりするものです。大学に行くまでに、どこかで優勝などの芽がでなかったのだとしたら、音大には絶対行くべきではないということでしょう。

なので、今は音大に行く前に、判断をすべきなんだと思います。

最近、ピアノやバイオリンは3歳から始めるような特殊な習い事になっているので、13歳~15歳で、すでにかなりの時間を練習していることになります。ライバルはそれが当たり前なのです。

大学のたった4年間で習得することよりも多くの時間を、その期間で確保し、練習してきたのですから、追いつかないほうがいたって普通です。

ですから、プロになるなら事実上「音大」は不要になっているんだと思います。

音大進学については、楽器を始めたのが遅いことを考慮しても、遅くとも17歳までに芽が出ていた子だけが、家庭の経済事情や自身の覚悟をもって慎重に検討するようなものなんだということです。

音大に入る試験なんて、あってないような子供達じゃなきゃ、演奏家にはなれないということでもあるでしょう。(つまり、結局プロになるのに、音大は必要ないとこまで先行教育で来ちゃってるということなんでしょう)

今の時代、小学生の途中から楽器を始めても、ピアノやバイオリンのクラシックの演奏家の道は閉ざされていると言える気がします。

それ以外の楽器であれば、可能性もあるかもしれませんが、それでも、真剣な覚悟が必要です。基本は、それでも音大には行くべきではないでしょう。

落語やその他芸能、何にしても、簡単に「道」は究められるものではないということです。

どんなことでもそうですが、遊んでたら、何にもならないということです。

とまぁ、厳しい現実を書くのはここまでです。

ダメだったら諦めればいいんです、諦めれば、自然と道は開けてきたりもするものです。

どんな人にも、それぞれの個性と「とりえ」があるのものですから、ピアノや音楽がダメでも、その時できる、他のことを真剣に探して、やればいいのです。

仕事は、どんな仕事も、心さえしっかり持てば、楽しむことができるものです。

生きている限り、みんなが努力しているのですから、努力をしなければ、前に進まなければいけないのです。でも、前に進めば、つらくとも見えてくるものは、必ずあるはずなのです。

一見幸せそうな人も、みな苦労をして、毎日を進んでいるのが現実だということが、わかる時がくるでしょう。難しいことをやる必要はなく、やれることを怠ることなく、しっかりやればいいのです。

地区本選会の課題曲が決まる

コンクールの課題曲が何になるか、生徒が決めるわけではないので、冬休の間に「何になるんだろうね」って話し合ってきたのであるが、本日のピアノ教室で決定した。

課題曲は、これとなった。

はっきり言うと、これまでの発表曲でやった楽曲に比べるとやさしい曲なのである。

しかしだ、簡単な曲だからこその表現力を求められることがわかるのだ。楽曲が、やさしくなれば、なるほどに、皆が普通に弾けるからこそ、基本となる音色やメロディー、音楽としての表現力など、そもそもの楽曲の理解が、問われるのは確実なのだ。

いまいちど、タッチについて見直さないといけないかなと、先ほど息子と話し合ったところである。

コンクールに使用されたピアノ・調律に関する疑問・提案

先日行われたコンクールの総評を聞いたのだけれども、その中で審査員が4人共に気になった「(本日の参加者)全体的に気軽にペダルを使いすぎ」という評価について少し違和感があったので、今回はそのメモを記しておこうと思います。

私はこれまで、3回も息子のコンクールに立ち会ってきたのですがが、ピアノペダルについての問題を指摘されたのは今回がはじめてでした。

私としては、うちの息子だけならともかく、全員がというのには違和感がありありだ。

審査員の大学非常勤講師いわく、ペダルの使用は「ソナチネ~ソナタ」あたりで始めて許される「機能」だというのであり、昔はペダルの使用を許されたことがうれしかったというようなものらしいのだ。最近のピアノ発表会の様子や、YouTubeなどでみても6歳くらいからペダルを使って演奏する子ども達が大勢いるし、ピアノ教室の先生も普通に「ペダルを使う」指導は行われている。

実際、うちの息子もソナチネあたりからペダルを使用し始めたが、そこまでの許可制を感じたことはない。

さて、問題のペダルに関してだが、続きがある

コンクールの演奏直後に、そのピアノ教室の担当の先生も、「ペダルがね・・・」とおっしゃっていた。

皆が口をそろえて「ペダル?」と言うのである。担当の先生がペダルの問題を言うことも、まれだったので、びっくりしたのだが、結果的に、総評でうちの息子だけではなく、全体的な課題として言われているのである。

なんかおかしくない?

最近日本のピアノ業界で、日本人のペダル苦手が「ホットトピック」なのだろうか?

でも、私には気になることがあった。以前、今回のコンクールで使用する会場のピアノは、
「X Japan」のYoshikiさん向けのチューニングがされているとその担当講師から聞いていたのである。

私は、これがすごく気になったのである。ピアノの調律に問題がなかったかを疑い始めていたのである。

何年も指摘されないことを、突然全体の課題として全体に向かって指摘するのだろうか?あるなら、前のコンクールの時も、言ってくれたっていいんじゃない?(私の疑問は消えない)

コンクールの審査委員は4人おり、確かにメインの外部審査員の変更があったのであるが、だからといって以前からいる残りの3人もペダルの問題の指摘が一致するものだろうか。

さらに、この話をその日聞いていた、祖母、妻に違和感がなかったか聞いてみたところだ。

「自分の息子の演奏の時には、気持ちが冷静じゃなかったので気にならなかったが、後半の演奏では何か変な音・響きを感じていた」というのである。二人ともだ。
(ちなみに当日私は、食べたものが問題で、腹痛によりまともじゃなかった)

これってば、調律・調整の問題じゃないのか?と思った次第である。

一時期FANというかXが好きだった私としては、カリスマとも言うべきYoshikiさんだからこそ特殊なことをやっていないだろうか?と疑問が沸いた。ペダルのチューニングに関して特殊なことをやっているのではないか、そんなことがありえる気がしてならなかった。

もともと、コンクールという音楽の競技会場において、小さなピアニスト達は、残念ながら当日使用するピアノの事前練習を許されることはなくいきなりその会場に準備してあるピアノを弾くことになるのである。大人のピアニストのコンクールであれば、事前に自分が弾くピアノを選ぶということもあるが、子供向けのコンクールでは、ほとんど実施されていないだろう。

この調律の問題が存在したかの疑問についての結論は、私のような参加者には永遠に検証ができないが、疑いが発生してしまったのだから、それへの対策っていうのは、あっていいはずと考える。私だけが、抱くものでもないだろう。

本来どうあるべきかを考えると、審査委員も調律後のピアノを試弾したり、調律に立ち会ったりというのが必要なのではないかと感じた。

「正しく演奏を評価をする」という立場であれば、競技に使われる道具がどのようなものなのかの事前にチェックするのも、仕事のひとつではないかと思う。特に、生ピアノなのだから、なおさらだ。

私は、今回の予選会では、そのチェックがなされていなかったと感じるし、これまでのコンクールでもそのようなチェックがされていた様子も伺えない。

でも、それも仕方がないのかもしれない。なぜならば、ピアノの調律は調律師に任せてしまっているからと考える。ピアニストが調律師に任せてしまっている以上、ピアニストだからといって、明確にピアノの状態を評価することはできないだろう。できる人もいるだろうが、全員ではないだろうし、扱っているピアノの数から見ても、調律師の方が評価はできるのではないのだろうか。

だとするなら、ピアノの調律を誰が担当するのかを公開した方が、より公平な気がする。

今回言いたかったことをまとめると、

コンクールは正しい評価をするために

・審査委員はピアノを当日確認してもらいたい
・調律状況を公開(担当者・状態)してもらいたい

ということである。やっているのであれば、伝わらないので、伝わるように公開でやるとか、何かしらの、しるしを明示してもらいたいと思うのである。

参加料(評価費用)を支払っているのであるのだから・・・正しく判断してもらいたいというのが、参加者側の気持ちだ。

今回は、ちょっと愚痴・苦情っぽい話題となってしまいましたが、音楽を競うという残酷なことをやるのであるからこそ、それに対する責任を持ってもらいたいと書いてみました。

「コンクールの落選者達を、努力不足」と言う立場にあるなら、最良の状況を作って、正しく評価をしてもらいたいと思う次第です。