ここ2~3か月、仕事で忙しくて、めっきり本ブログを更新できておりませんが、ピアノへの愛情が冷めているわけではなく、時間がない、ただ、それだけですので、ご了承ください。
さて、先ほど、ピアノの森 第6話「森のピアノ」を見ました。リアルタイムで見れないところも、私の忙しさを察してほしい(笑)ところですが、原作に忠実なストーリー展開はNHKならでは、なのでしょうかね?
秀才設定の雨宮くんは、5年生で全日本学生音楽コンクール1位。これもある意味天才でしょうし、一ノ瀬海も天才設定だからこその、数か月での譜読みです。これまた天才設定です。
問題のシーンは、カワイのクリスタルピアノの演奏です。譜面から読んで弾いたということですが、数か月前まで楽譜すら読めなかった海なのに、難易度の高い楽曲を弾いたというシーンが展開されています。実際いたとしたら、天才でなくては、こんなことはできないでしょう。
ネタバレとなりますが、将来的にショパコンに出ることになる二人。どちらも天才でなくてはいけません。確かにと思わせるシーンです。
また、私が心に響いたシーンとしては、阿字野先生の決意ですかね。
ピアニストの道を断たれ、婚約者を失い、ピアノの道からはずれかかっていた身の上ですから、ピアノの先生としてではなく、海外に道を開くサポートを想定していたというシーンです。
結局、そうではなく、ピアノの先生として、責任を持って、一ノ瀬海を育てる決意を、海から突き付けられるのです。
なんという、子供でしょうか。
このようなことは、実際の社会でも、ないことはないということを、最近私は感じることがあります。
最初は、こんなことになるとは、考えてもみなかったのに、気づいたら、結果的に、こう繋がるのかということが、人生長く生きているとあるものです。
すべての出来事は、点で、起こり。偶発的に、起こっていたことなのに、それを結び付けてみると、あたかもそれが、事前に繋がることを想定して、作られていいたかのようなできごとが、長年生きているとあったりします。
ピアノの森は、一見シンプルな作品に思えるのですが、実体験に合わせて読み解くと、思いのほか、深い作品だと、最近感じることが多いですね。
子供から、大人、親、お爺ちゃん、そうやって生きていく中で、多くのことが見えるようになるものだと思います。
長くなってしまいましたが、また、時間ができましたら、本ブログサイトもよりよくしていく気持ちは、ありますので、お付き合いいただければと考えております。
また、次の記事でお会いいたしましょう。