ピアノが趣味から勉強になるとき

ヤフー知恵袋の質問を閲覧していたら、ピアノが趣味のときは、楽しくピアノをやれるけど、ピアノが仕事になったときは、できるのが当たり前だから、全然変ってくるよという回答がありました。

まさに、これは正しい回答だと思います。ただ、少し捉え方が違う部分もあるかなぁと思います。

私も同じような体験をしたことがありました。

受験勉強をしていたからですね。

中学生の頃は、公立の中学校に通っていましたから、普通に勉強して普通の学校生活を送っていました。ところが、高校は、何を思ったか県内のトップクラスの進学校に行ってしまい、家で何時間も勉強するのは当たり前にしなければついていけず、高校生の思い出は、つらいものばかりでした。

結局、人間が競う「場所」のトップ近辺は、基本的に争いがあり、どこもこれは避けられないのです。

ピアノも同じです。幼稚園~小学生くらいまでは、ピアノは楽しいものかもしれません。早く始めていれば、それなりに上手と言われるでしょう。けれど、小学校後半から中学生になるころには、それまでの練習量や練習のやり方で、小さな差だったものが、大きな差になったり、遅く始めたのに、グングン上手になる子があらわれます。

コンクールでも、上位で入賞できなくなったりします。

そんな争いに巻き込まれる頃になると、親や先生も真剣になったりします。そして、当然のようにレッスンも厳しくなります。

趣味から勉強に変わる瞬間ですね。そして、ここからが本当の「地獄」の始まりです。でも、それを選択しているのは、本人であったりもします。

ので、周辺そして、自分からの2重の苦労になります。

ここまでは、その通りです。

ただ、少し捉え方が違う部分もあるかなぁと思います。

趣味だったものが、仕事に向けた勉強になるということは、そのくらいの中でもやっていけなければいけないのです。それを教えてくれる先生が真剣なのは当たり前、当たり前に教えてくれるからこそ、仕事になるのです。

厳しいのは、あなたを成長させたい、一人前の職人にさせたい、という思いは少なからずあります。そして、厳しくあたるということは、周りに負けているから頑張りなさいということでもあるのです。

確かに、厳しすぎる場合もあるかもしれません。ただ、そこで厳しい、限界と感じた場合は、やはり厳しいのかもしれません。

そうすると、ほかの道へ早くいけることになります。限界が見えて、厳しくて、逃げ出したくて、それでもやっぱり逃げるしかない。やってみたら違った。壁を超えられないのなら、ほかの道に早く行くのは正解かもしれません。

ただ、その限界は、どの道にいっても必ず見えてきます。

その中で、どのポジションが、自分にとって許容できるか、というのが大人であり、継続できる仕事になっていくのです。

なので、厳しくなったときは、自分の気持ちを確かめるチャンスでもあるのです。その中で、先に進めるかが問われます。

本日は、少し厳しく、難しい記事になってしまいました。この話は、もう少しわかりやすく整理して、きちんとしたページ記事にしたいと思います。

本日も読んでいただき、ありがとうございました。

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